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生命存略夢現  作者: 朝霞ちさめ
第三章 天秤は日常に傾けて
58/111

56 - 妥協と結果と

 そして2月16日、木曜日の真夜中。

 僕は洋輔と一緒に部屋を窓から抜け出した。

 もちろん小細工は怠らない。

 空間整理に加えて光学迷彩、さらに完全消音まで実行しているのだから、これで見つけられたらそういう運命だったのだと諦めるしかないだろう。

 裏を返せば、それほどまでに条件を整えて僕達はあらかじめ指定されていたその場所を目指した。

 マンション、エンゼルリーフを通り過ぎたその先。

 昔、ブラスキー・カフェというコーヒー屋があった場所は、今はただの民家が建っている。ちなみに二階建てだ。いや、ただの民家と言って良いのかは微妙だけど。

 何せバリバリに空間整理が敷かれているのだ。ご近所さんでさえ『ここに家がある』という事実を良く忘れるのでは無いか、と言うほどに。

 実際、僕達はそこが民家であることを確認した時点……つまり月曜日なんだけど、その日以降、カラーひよこチック全八機による監視体制を敷いており、その監視中においてご近所さんがその民家に何かをするようなことは一切無かったし、どころか一目をくれることさえ無かった。

 重厚極まる空間整理、恐らくは僕や洋輔だって『言われなければ気付けない』レベルの。案外僕達が見落としてるだけでそういうのも多いのかもな。

(あり得るな。もっとも、いちいちそんなのを気にしてたら生きるのがだるくなる)

 同感だ。

 尚、現在は完全消音をしているため通常の会話が出来ない。声を出しても音が無くなっちゃうからね。

(便利なんだか、不便なんだか)

 全くだ。

 閑話休題、その民家を監視していた限り、そこに入ったのは二人だけ居た。

 一人は言うまでも無く竪川日比生さん。

 もう一人も案の定、クロットさんである。

 そしてどちらも一時間弱でこの家を後にしていたので、かなり機密性の高い隠れ家、セーフハウス的な扱いをしているのだろうというのが僕達の結論だ。

(だからこそ、そこに呼び出された意味合いは重いよな)

 そうだね……。

 現地に到着したので、完全消音をオフ。

 世界に音が戻ったところで、インターフォンを鳴らす――既に竪川日比生さんが中に入っていることは確認済み、一方でクロットさんは今のところ観測出来ていない。

『……あら?』

 そしてインターフォンの向こうから聞こえてきたのは、日比生さんの困惑混じりの声だった。

「渡来です。洋輔も居ます」

『……ふうん? そう。鍵は開いているわ。入ってきて頂戴』

「はい」

 許可が下りたので門扉を開け、さらに玄関の扉を開けたところで洋輔が光学迷彩を解除し、空間整理を少しずつ剥がしていく。

「呆れた。そりゃあヒソヒソとやっていることだもの、隠すことは良い事だけれど、まさかそこまで空間整理を使いこなしているだなんてね……少なくとも響谷は越えてそうね」

「どうでしょうね。僕達もまだ付け焼き刃の段階だと思ってるんですが。……ともあれ。あらためまして、こんばんは」

「ええ、こんばんは、渡来佳苗くん、鶴来洋輔くん。今回はお招きを受けていただけて有り難いわ」

 どういたしましてと礼をする。

 尚、此処までの間に一通り色別は済ませておいた。

 特筆するべき事は無い。

 敢えて挙げるならば、日比生さん自身が以前よりも僕達に対して友好的になっている程度だろうか?

 また、品質値的にも妙なものは無かった。

 つまり、この家それ自体は『普通の家』だ――ただ、『隠してある』というだけで。

「上がって頂戴。靴は……、まあ、安心できないならばそのままでもいいわ」

「いえ」

 さすがにフローリングを下足で歩くのはちょっと。

 というわけでスリッパに履き替えて、日比生さんの先導で向かった先は……本来ならばダイニングか、あるいはリビングとして使うことを想定した部屋なのかな?

「……家具の一つくらい、置けば良いのに」

「あら、寝室にベッドくらいはあるわよ」

「それ以外は?」

「ノーコメントね」

 無いのかよ。

 と、僕と洋輔の心の声が重なった。

「電気は通ってるみたいですけど、水道とかガスはどうなってるんですか」

「両方通ってるわ。蛇口を捻れば水は出るし、ガスを使って料理も出来るわよ。お鍋もフライパンもまな板も包丁も無いけど」

「直火で素焼きしかできませんね……」

 そうなのよね、と日比生さんは言った。

 ならば導入すれば良いだけだと思った。

「早速だけど、用件から伝えるわ。椅子も無いから立ち話でごめんなさいね。あなたたちが行動を起こしたことは(にち)から聞いた。その結果、『天使』が再整理されて、やたら強固になっていることも確認済みよ。その点についてはまず、ありがとう」

「どうやって、とは聞かないんですね」

「ええ。あなたたちが答えてくれるかどうかはまた別問題として、私が見た感じ、あの再整理は確かに『空間整理』が原型ではあるけど、もう独自に発展してしまった後のようだし。私の整理(それ)を誰も手本にできないように、あなたたちの整理(それ)もまた手本にはできない部類というワケ。それに加えて――この手の隠蔽技術は、お互いに手の内の全てを知らない方がより効果を高めるものよ」

 なにせその分バレにくくなるもの、と日比生さんは言う。

 少し嬉しそうに。

 この人はどうやら、そういう切磋琢磨が好きなんだろう。

 ……けれど、それをする相手が僕達になるとは思って無かったか。

(じゃあ誰だよ)

 響谷先輩。

 弟と切磋琢磨してより高みへ、でもまだ早いわねーって考えてるみたい。

(あー……つーかお前も相変わらず、しれっと真偽判定応用編がえぐいな……)

 一応……ね。

「感謝は述べたところだし、本題に入らせて貰うけれど。私、警告したはずよね?」

「ええ。けれど今回は場合が場合でした。……昌くんと郁也くんは、僕の大切なお友達なんですよ」

「そうね。そしてその上で、あなたたちは田崎士織とも関連してしまっていた。……偶然って怖いわねえ。世界の狭さを感じるわ」

 見解は共通している……か。

「確認させて下さい。あの空間整理は複合した要因から破られかけていたけれど、大本はあの事件の真相が根っこにある。昌くんと郁也くんが半ば自業自得だったとはいえ、一時的にその二人を監禁暴行した大人がいた。その大人の名前が田崎辰德。二人は田崎辰德の隙を突く形で逆に拘束仕返して逃走に成功……その後、弓矢家と村社家が動いて、事件として表沙汰にしないよう細心の注意を払う一環で日お姉さんが日比生さん、あなたに隠蔽を依頼した。これはどこまであってますか?」

「…………。『見てきたかのように言う』……か」

 ん……?

「ごめんなさい、クロットの話を思い出しただけよ。そして佳苗くん、あなたのその認識は恐ろしいほどに正しいわ。その通り……あの二人でさえも『せんせい』の名前、おぼろげな筈なんだけれどね……」

「それも空間整理の応用系ですか。響谷さんが似たような事してましたね」

「そうなのよ、響谷は特にそっち方向が得意……、」

 しまった、と。

 日比生さんが目を細めたけど、手遅れだ。

「誘導したわね?」

「『口を滑らせたらラッキー』程度で、本腰は入れてませんよ。ぶっちゃけた話、日比生さんが今日僕達を呼び出したのはそのあたりの概要を僕達に説明するためなんじゃないですか?」

「……本当に、見てきたかのように言うわねえ」

 大きくため息を吐いて、日比生さんは頷く。

「なあ佳苗。俺、ちょっと話について行けてないんだけど。ざっくり説明してくれよ」

「独立のメドが立ってないってこと。まだまだこっち側……非日常側の体勢が整ってないって事だよ」

 僕の断定に、日比生さんは何も言わなかった。

 答え合わせ、完了っと。

(あくどいよな……。なにがあくどいって、今の俺の質問が今この土壇場で行われた『仕込み』で、それを使って答え合わせするのがひでえよな)

 まさかこうやって、『声にせず話が出来る』とは思ってないだろうしね。

 ちなみに椋鳥を介して冬華もここでの会話は聞いているんだけど、この心の声での会話までは届かないので……いやまあ冬華なら察するか。

「その通り。強行なら出来るんだけどね……その後の事を考えると、円満に独立した方がいい。それが私たちの現状のスタンスよ。なにせ扱える情報に差ができすぎる」

 そりゃそうか。

 たった二人と組織だもんな……。

「だから今日、こうやって呼び出したのは、私がかつて整理したあの事件の詳細をあなたたちが望まないにしても教えて、この事件への今後のスタンスを調整するためよ。あなたたちの協力があったほうが日の弟達への対応はかなり楽なんだけれど、その引き換えに差し出すものが釣り合わない。あくまでもあの事件とあの整理に関しては私が扱うべき。……だから、調整内容も概ね察して貰えるとは思うけれど」

「これ以上は動くな、動くならせめて日比生さんを事前に通せ。そういうことですよね」

「ええ。話が早くて助かるわ」

 善意百パーセント……か。

 いい加減非日常サイドにも動ける隙間が出来るかなあとも思ってたんだけど、そんな事は無かったらしい。

(俺としては喜ぶべきか悲しむべきか微妙だぜ)

 洋輔らしいね。

 僕はどうしようかなあ……日常を謳歌するのはそれでもいいけど、あんまり謳歌しすぎるとクラスメイトに困られるんだよね……。

(理想を制限すりゃいいんじゃねえかな……)

 やだ。

(やだって、お前な……)

 まあその辺はあとで調整しよう。

「話を少し変えますけど、ミネラルショップの方はどうですか」

「改装工事中よ。仕入れもそろそろ始めるつもり――その辺、少し発注をしたいのよね」

「分かりました。……問題は、その方法ですか」

「ええ。響谷を使うにしても、そのたびに呼ぶのも不自然だし。どうしたものかと考えてるのよ」

 ふうん……。

 ならば、それか……。

「ミネラルショップ、店員さんはバイト雇うんですか?」

「いえ、基本的には私が居るときしかあけないわね。クロットが手伝いに来ることはあるかも知れないわ」

「なら、僕達が『お手伝い』をするのは……流石に目立ちますか?」

「そうね。喫茶店(パステル)が見過ごさないと思うわ」

 だよなあ。

 現状、僕達がクロットさんとさえなかなか接触できないくらいには疑われてるわけだし。

「なら、逆にしたらどうです」

 と、そこで声を挙げたのは洋輔だった。

「あくまでも俺たちを監視する目的で雇うんだ、と強調するんです」

「……それが、現実的でしょうね」

 どうやら日比生さんも洋輔と似たような事を考えていたらしい。

「けれど監視が主目的といっても信じては貰えないでしょう。多少の誘導じゃびくつかないほど、あなたたちを疑っている一部が居る。……だからこそ、主目的をずらすわ。『あなたたちをパステルに寝返らせる』。これを主軸にする形……多少、問題は出るでしょうね。厄介事がそっちに行くかもしれないわ。……もっとも」

「ええ。心理的誘導ならば、僕たちの方が多分得意です。大丈夫かと」

 ならそうしましょう、とあっさりと日比生さんは頷く。

「お給料はどうする?」

「『お手伝い』なので、飲み物とかがいただければ。鉱石や宝石でお金は貰えるわけですから」

 それも結構な金額を。

「分かったわ。じゃ、細かい『設定』のすり合わせは追々、日あたりを介して説明させて貰うわね。それと、まずは喫茶店(パステル)に『渡来佳苗・鶴来洋輔から接触あり、両名の取り込みを目的とした懐柔策を開始』と報告しちゃうけれど、いいわね?」

「はい」

「あ、質問です」

 と。

 僕たちが話を終えそうになったところで質問の声を挙げたのは洋輔である。

「『ここ』の存在は、俺たちは今暫く『知らない』ほうが都合いいですよね?」

「ん……」

 日比生さんは少し考えるようなそぶりを見せて。

 そうね、と頷いた。

「いずれは二人にもここを使わせてあげられるよう努力するわ」

「わかりました。それまでに家具類が揃ってなければ僕達で適当に調達します」

「……フライパンくらいは用意しておくわよ」

「どっちかというと椅子とテーブルからじゃないかな……」

 言われてみればそれもそうね、と日比生さんは頷いた。

 ……なんか優先順位が独特だよなあ。

「用件は以上よ。そっちからの質問はないのかしら?」

「そうですね……正直、田崎辰德さんの現在を知りたいとか、そういうのはありますけど。でも、それを知ったら僕達は無意識にでも『手』をうっちゃいそうなので、知らないままにしておきます」

「それは私としても有り難いわ」

 これ以上事態を複雑化させたくないもの、と日比生さんは笑う。

 お互い様といえばお互い様だった。

「逆に、俺達への質問とか、ありますか?」

「ありすぎて困るわね。……ああ、でも一つだけハッキリさせておきたいことがあるわ」

「ものにもよりますが、答えますよ。結構、今回の件で佳苗が引っかき回しちゃったみたいなので」

「洋輔も大差ないからね」

「はいはい」

 僕達のそんなやりとりに毒気を抜かれたのか、日比生さんは笑って聞いてきた。

「あなたたちって――」

 それは非日常ではなく、日常に類する質問で。

 だから僕も洋輔も笑ってそれを認め、日比生さんは「やっぱりね」と苦笑で答えた。

「ならば尚更、ここを早く使わせてあげたいんだけれど……私の時も苦労したもの」

「だったらことさら、家具をですね……」

「…………。じゃあ、ダイニングテーブルから用意するわ」

「いやソファとちゃぶ台でいいと思うんですけど……」

 やっぱり日比生さんは優先順位が変だと思う。


 ――こうして僕達は非日常に続くはずだった道を踏み外し、日常へと叩き戻された。

 『何も変われない』。

 僕にとっては退屈極まり、けれど洋輔にとっては安堵する、そんな結果である。

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