50 - 天秤は日、
2月10日、金曜日。
朝の教室。
「…………」
「……なあ、佳苗」
「うん?」
「いや、なんか……。お前、前多と何かあったのか?」
「……強いて言えば、昨日の夜、前多くんが泊まりにきたくらいだけれど。どうして?」
「いや、なんか思いっきり前多が悩んでるからさ」
「ああ……」
昨晩は葵くんが泊まりに来た。それに伴い振る舞った料理は、葵くんのリクエスト通り豚の角煮仕立てに厚揚げのみぞれソースなど和風に揃えたもの。どれもとても美味しいと言ってくれた。
「昨晩、折角泊まりに来たからいろいろやったんだよね」
「いろいろって」
「将棋とか、ゲームとか、勉強とか」
「……そういやお前は将棋も妙に強いんだっけな」
『相手が強いほど強い』という奇妙な性質を持っている僕である。
負ける相手には普通に負けるし、逆に葵くんのような強い子にならば勝てるのだった。
そしてゲームは最初、大乱闘系の格闘ゲームを一度だけプレーし、勝負にならないよと葵くんが嘆いたのでパーティ系のゲームで一緒に遊んだ。
その後は二人でお勉強、葵くんのほうが成績は良いので、教えて貰うことの方が多かったけど、所々逆に教えることが出来たのはちょっとした勲章だったりもする。
「その様子だと佳苗が勝ち尽くしたのか」
「そういうわけでもないんだけど……いや、そうなるのかな?」
「おい前多。……だめだこりゃ。上の空って感じ。そんなに美味かったのか」
「……上手かったよ。本当に」
「あっそ」
…………。
微妙に今、ニュアンスが違ったような……。
葵くんははあ、と小さくため息を吐いて、その視線を涼太くんの居る方へと向けた。
「りょーたにも見習って欲しいけど、無理だろーなあ。はあ」
「まあまあ。いずれはどうにかなるよ、たぶん」
「佳苗も割と無責任な……いやでも、佳苗に出来るんだからできるのか……、どうだろうなあ……」
「……いや佳苗、何があったんだ?」
「別に。ありふれたことだよ」
だから敢えて口にすることもない。
ということで、強引に話題を変える。
「そういえば、今日は何人か先輩がテストだね」
「テストって言うか、受験な。私立校だったりすると、今日じゃなくても今週末には受験が多いんだろうな……、陸上の先輩も一人、今日受けてるし」
「へえ」
「そういう佳苗の方は?」
「僕の場合は直接の面識が強いわけでもなくて。藍沢先輩のお友達で、常磐先輩って知ってる?」
「知ってるも何も、その人陸上の先輩なんだけど……」
「……あの人、陸上部だったんだ」
「まさか同一人物だとは思わなかったぜ……」
それは僕もだった。
なぜ今回話題に上げたかというと、その人が受験する学校がかなり近いからだったり。
「あの学校、僕も実はちょっと狙ってるんだよね」
「中高一貫校に高校から編入はいまいち、やりにくくねえか? しかも男子校だし」
「女子との出会いなんて学校には求めてないよ。僕が求めてるのは距離くらいだ」
「…………」
ぶれねえなこいつ、と徳久くんが視線で訴えかけてきた。
「実際、通学距離って大事だと思うんだけどね、僕。毎朝徒歩十分で着くところと、自転車十分で着くところ。あとは電車十分とか、同じ十分でも別物だよ。自転車で十分と十五分の差だって、毎日『十分の差』ができる。十分あれば出来る事ってかなり多いし」
「まあね。……とはいえ、やっぱりやりにくいところのほうが大きいと思うけど」
「普通はそうかも知れないけれど」
ぱたん、と。
ペンケースを机に倒して、僕は言う。
「僕の場合は、もう経験したからね。そのやりにくい感じは」
「…………。あー」
だから今更なのだ。
ちなみに洋輔には展望あんのかな。
(ねえよ。まだ一年だぞ)
もう二ヶ月で終わるけど……。
そして来年になれば三者面談でそろそろ進路の話も出されると思う。
(ぶっちゃけさ)
うん?
(俺はたぶんお前と同じ学校ならどこでもいいし、逆もそうだろ)
…………。
全く否定できない……。
そんなところでチャイムも鳴って、朝のホームルームが開始。
これといった伝達事項は無し、いつも通りの一日が始まる。
けれどこの日、結局葵くんの僕に向ける気まずさは解消されないのだった。
仲違いしたわけでもないので、暫くは様子見。
「お前も多少は加減してやりゃよかったんだよ」
「僕は手加減するのが嫌いなんですー」
「やる気なさげに言葉を伸ばすな」
「聞くまでもないことを聞かなきゃ良いんだよ」
「ああいえば」
「こういう」
言い合って笑う、放課後のこと。
それが僕と洋輔の関係で、きっとこの関係はずっと続くんだろう。
続けたくて続けるのではなく。
終わらせたくても終わらないから、続けざるを得ないのだろう。
僕はそれでも構わないし、洋輔もそう考えている。
偽りなく、本心から、お互いに。
けれど僕達のありかたは、きっと正されるべきことなんだ。
分かっていても変わらない。
分かっていても変えられない。
分かっていても変えたくない。
「どこかでそう思っているから、変わらない」
「悪ぃな。俺もだよ。……それで、だ。お前、部活は良いのか?」
「今日はバレー部お休みだよ。演劇部も無い。そういう洋輔は?」
「サッカー部も休みだ」
ならばこれ以上学校にとどまる理由もないか。
「今日も接触は無し……か」
「だな。こりゃ本格的に、一年の間は黙ってろって事かも知れねえ」
それでも僕達が放課後、学校の教室に残っていたのは、竪川響谷先輩からの連絡待ちだったのだけど……。
今日も動きは無し。
竪川日比生さんによる行動制限は、まだ暫く続くって事だよな。
もちろん行動制限とは言っても、僕達が勝手に動く分には構わないだろうけれど。
「昨晩の件もあったし、できるかぎり観測機をどうにかしなきゃいけない。そのことも考えると、あんまり悠長でもないんだけど」
「じゃあ、動くか? 俺は構わないけど、敵に回すかも知れねえぞ」
「それがちょっと、気にくわなくてね。人生の先輩からの忠告……ってのもあるし」
ふう、とため息をひとつ。
諦めて席を立つと、洋輔も僕の机から立ち上がって鞄を背負った。
「連休も暇だね。偶には遊びに行く?」
「それも良いな。けれど、どこに?」
「まるで良いところが思いつかないね……。映画でも見に行こうか」
「あー。無難」
じゃあそうしよう。
そう言って教室を出て、下駄箱へ。既に殆どの生徒が帰宅した校舎というのは、嫌に静かなものだった。
「進級で思い出したんだけど」
「ん?」
「いや、洋輔と同じクラスのままかな? って」
「それを決めるのは緒方先生だろうな……クラス替えはあるだろうが、ある程度『考慮』はされるらしいし」
そうなんだよね。
僕と洋輔を離す、と言う選択を、緒方先生が取るかどうか……。
僕からそれとなくお願いをしておくべきかな。うーん。
「なるようになるしかないか」
「そこまで心配することもねえよ」
余裕綽々、と洋輔は言う。
そして一端会話が途切れ、学校の敷地を出たところでようやく、洋輔は続きを口にした。
「来年度、恐らく俺と佳苗は冬華と纏められる」
「ん……ああ。面倒なものは纏めておけってことか」
「それもあるけど、冬華と意思疎通を普通に出来るのが俺たちくらいだからな。授業面での援助を見込んでそうやってくるだろ」
「けれど、だとすると僕達の来年の担任は大変も大変だろうね。誰がやりたがるんだか」
「誰もやりたがらない、ならば緒方先生だろうな……」
ありそうだなあ……。
「緒方先生もなかなかハードワーカーだから……ちょっと心配だね」
「その三割くらいはお前が原因だろうし、お前が大人しくしてればノーマルワーカーになるんじゃねえかな」
「洋輔は僕の味方だよね?」
「味方だからこそ指摘してやるのさ」
「お優しいねえ」
軽口を叩きつつ、僕達は歩く。
視線の先に……見覚えのある、人影が。
とはいえ、意図的と言うより……偶然っぽいな。
犬の散歩をしているらしいその人は、僕達に気付いたのか、少し考えるそぶりを見せてからこちらへと向かってきた。
なんだか嫌な予感がする。
「こんにちは、渡来佳苗くん。鶴来洋輔くん」
「こんにちは。散歩中ですか、日お姉さんは」
やっぱり昌くんのお姉さんだった。
……そしてその表情は若干こわばっている。
「ええ。そうなのだけれど……、えっと、そのね?」
「はい?」
「…………。少し、迷ってしまって……」
「……だと思いました。どこに向かってたんですか?」
「昌達の家よ」
昌くんの家、か。
「洋輔。またちょっと寄り道」
「良いぜ」
「ごめんなさいね。大分遠回りをさせてしまうでしょう?」
「お気になさらず。昌くんも晶くんも、待ってるでしょうから」
「ありがとう」
というわけで、日さんの道案内を開始。
まだ学校を出てすぐだ、一度大通りに出れば良い。
位置的には学校を挟んで反対側なのだけど。
「そういえば以前、聞き損ねたんですけど。そのわんちゃんの名前は……」
「あれ、言っていなかったっけ? この子はふぁん太よ」
「ファンタ……えっと、ファンタくん?」
「ええ。男の子だから、ふぁん太」
…………。
昌くんや晶くんのネーミングセンスは普通の部類だと思うけど、どうやらお姉さんは妙なネーミングセンスの持ち主のようだった。
折角なので案内中に聞いてみると、雑種なのだとか。
ちょっと尻尾の短い柴犬のような見た目……、うん?
なんか前に見た犬と違う……?
トリマーさんにお願いしただけかもな。
(お前の猫との会話スキルは大したもんだが、猫以外には無力だな……。個体識別からしてだが)
なにせ犬は犬だからね……。
「けれど、お散歩で迷うというのも相変わらずなのかなんなのか……。日お姉さん、このあたりの地図は……」
「私、地図がよめないのよ。最低限の行き来ならば八割方問題は無いんだけど、」
二割方は迷うのかよ、と。
僕の思考が洋輔の思考と重なった。
「ふぁん太が『行きたい!』って言う方に移動していると、すぐにわからなくなっちゃうの」
「……よく普段はそれで帰れてますね」
「ふふ、ふぁん太もお腹が空けば、家に帰りたがるのよね。そうすれば後はふぁん太についていくだけでいいという仕組みよ」
どうやら日お姉さんは犬の散歩をしているのではなく、犬に散歩させられているようだった。
「とはいえ、このあたりは……正直、あまり通りたくないのだけれど。いえ、なんでもないわあ」
…………。
(わざと……だな)
だよね。
この人は今、何かを僕達に伝えたがっている。
それも内密に。誰に悟られることもないように。
究極的には伝えることが出来なくても仕方が無いと、そう考えている……?
それほど緊急性がないから……? あるいは、伝えることが出来ないならば別の手を打とうと考えている?
真偽判定を絡ませる……読みにくい。以前と比べて、フィルターのようなものが増えてるような……。
竪川日比生さん、の、策か?
「ああ。八幡様が見えてきましたね」
「ええ、ようやく私にも見覚えのある道よ。ありがとう、渡来くん、鶴来くん。おかげで助かったわあ」
「いえ、この程度ならば……まあ毎度毎度は困りますけど」
「正直ね。そうだ、お礼と言っては何だけれど、面白い事を教えてあげましょう」
…………、真偽判定が、『偽』……?
引っかかったのは、『面白い』の部分。
単純に反転させると面白くないこと……だけど。
「リスクを負ってるわ」
…………?
「ありがとう。おかげで帰り着けたわ」
「いえ……」
『リスクを負ってるわ』、が、僕達に教えたかった『面白い』、の反対の事……?
主語が思いっきり省かれていて、しかもまるで唐突で脈絡のない言葉だ。何かを読み取れという方が無理な……、『伝わらなくても仕方が無い』、か?
そのまま家の方向へと歩いて行く日さんを見送って、僕は改めて洋輔に視線をふる。
洋輔はすう、と目を細めていた。
「とりあえず帰ろうぜ、佳苗」
「そうだね……寄り道もほどほどにしないと」
考えろ。
日さんは何を僕達に伝えたかったんだ?
リスクを負っている。そこに真偽判定は反応しなかった。
つまりその言葉こそが、僕達に伝えたかったこと。それは間違い無い。
リスクを負っている。それを伝えることは必要だった。けれどそれは面白い事ではなかった。何か想定外の問題が起きている?
あるいは想定通りに事が進んでしまっていて、それは日さんとって都合が悪い……?
日さんが関係すること。
そりゃ、竪川日比生さんに関連する事なんだろうけど……、どういうことだ?
(……前提が、間違ってたか?)
歩きながら考える途中、洋輔がそう思考の中で可能性を挙げた。
(竪川日比生。あの人は、弓矢日と必ずしも協力関係にない、とか……)
それは恐らく違う。竪川日比生さんは確かに弓矢日さんと一定の協力関係にある、それは僕も洋輔も『検証済み』だ。僕達二人が別々に調べて、そして『完全ではないにせよ、一定の協力関係にある』という結果まで一致している以上、僕たちは僕達自身の調査を信じて良い。
(けれど俺たちは『一定の協力関係』、『完全ではない』とお互いに察知していた。それはつまり、現状は竪川日比生にとって都合が良くても、弓矢日にとって都合が悪いと取れるんじゃねえか?)
そう、そう受け取るのが妥当だ。
けれどその場合、リスクを負っているというのは竪川日比生さんに今回の接触が知られた時のリアクションだろう。そして『ダメならばダメでしかたがない』という一種の諦めもそこにはあった。
(あまり通りたくない、って言ってた場所があるよな。あれも恐らくは、ヒント……)
あの辺、何もないよね。特に変わった物は。
普通のアパートに一軒家があるくらい……、で……、
(…………。弓矢と村社の一件が、あのあたりで起きたか?)
可能性としては、ありうるけれど、どうなんだろう。
もしそうならば、その付近には竪川日比生さんによる空間整理が施されていると言うことだ。それを日お姉さんは破りたいって事になってしまう。それは日さんのスタンスと、矛盾しそうだし……。
(……前提が、)
間違っていた?
(弓矢と村社の一件における犯人が、)
二人が言うところの『せんせい』は生きている?
(だとするとそれを隠した理由は何だ、)
それで手打ちにしただけか、あるいは別の理由があったか。
(生きていなければ困る奴だった、)
あるいは死なせてはならない誰かだった。
(だとしたらその理由は利用価値で、)
生きていることそのものには価値があったのだと思う。
(けれど今、その存在がリスクになりつつあって、)
その対応に竪川日比生が動けない。
(もしくは竪川日比生がその対応を断ったとして、)
その理由は……いや、不自然すぎる。この方向じゃない。
(竪川日比生の対応が間に合わなくなったなら、)
『リスクを負っている』……?
(あくまでも任意。俺たちが『自分の意志で手伝う』なら良し)
そうでないならやむを得ない。そういう割り切り、かもしれない。
(だとすると結局、独断かもな。竪川日比生と弓矢日の判断基準には微妙な差がある。その差に引っかかった、とか)
ありうるね。
ともあれ僕達がやるべきは決まっている。
『それでも家に帰る』ことだ。




