03 - 来たのは黒兎
玄関に向かえば案の定、そこに居たのはクロットさんだった。
とてもフォーマルな格好で、髪をかき上げている様は正直とても格好いい女性という感じだ。
でもその格好であの大型バイクを運転するのはどうなんだろう。ギャップが激しいと思う。ライダースーツならすごい似合いそうだけど……まあ、そんなのを着なければ問題になるほどの風圧が無い、つまりは安全運転ということなんだろう。
「突然悪いわね。ナタリアからお願い事を頼まれて、帰るついでだからと寄ったのだけれど、お邪魔だったかしら?」
「そんな事はありませんよ。……今日は両親ともにいるんですよね。長話ならば近くに良いお店がありますから、そこでしますか?」
「そうして貰えるならありがたいわ」
けれど口実は大丈夫なの、とクロットさんは言外に問いかけてきたので僕はうなずき、まずは洋輔にちょっとクロットさんの対応を任せ、僕は一度リビングへ。
「お父さん、お母さん。演劇部回りでちょっと確認しないといけない事が出来たから、少し出かけてくるよ。洋輔も一緒」
「今から? ……あんまり遅くならないようにな」
「気をつけて行ってらっしゃい」
「うん。行ってきます」
嘘は言ってないのでセーフ。
(真実も言ってねえじゃねえか)
と、どうでも良いやりとりを挟みつつも戻ると、クロットさんは僕の家の敷地内にバイクを駐めていた。さすがに三人乗りは違法だし危険だったから、その判断はありがたい。
「それじゃあ行きましょう。といっても、どのお店に行くのかしら?」
「自信を持ってお薦めできる所です」
というわけで、歩くこと二分弱。
本当にすぐ近くにあるそのお店は、いわゆる甘味処だ。
「おやまあ、佳苗くん。元気していたかい」
「おかげさまで。とはいえ、最近は冷えますよね。まとさんも身体を冷やしてませんか?」
「ええ、ええ、大丈夫よ。寒くなるとすぐに着込んでしまうからねえ」
「それはよかった。奥座敷、お借りしても良いですか?」
「ああ、構わないよ。他ならぬ佳苗くんのたのみだもの。ご注文はどうするかい?」
さて?
「クロットさんはお団子食べられましたっけ?」
「いそべはダメ。あんこはちょっと苦手ね。きなこは好きよ」
「なら、きな粉の団子を三人前と、……苦いお茶は大丈夫ですか?」
「それは大丈夫」
「ならばお茶も三人前、お願いします」
「三分ほどで持っていくから、少し間っておくれ」
「はい」
と、慣れたやりとりを交わして店内を進む。
尚、洋輔とクロットさんは僕のやりとりに微妙について来られなかったみたいで、一瞬動きが遅かった。
事情の説明は後でするとして、この甘味処は店舗一体型の住居だ。
その店舗部分を突っ切り、住居に繋がるほうへと上がり、廊下を直進した先には十二畳ほどの、綺麗に整った座敷がある。此処がこの店の奥座敷だ。
ちなみに縁側があって、その縁側の奥には情緒豊かな庭があり、なんとも癒やしの空間となっている。
「冬だから、雪が降ったりすると綺麗なんだけど。春は春で、そこの桜がさくと凄く綺麗で……」
「じゃなくて説明しろ佳苗。なんだここは」
「甘味処」
「それは知ってる。俺も何度かお前に連れられてきてるし。けど、ここに入ったのは初めてだぞ」
「四年前かな、まとさんの飼い猫が逃げちゃったことがあってね。その時、僕が近くで首輪を付けた、この甘味処の名前が入ったプレートを下げた猫を見つけたから連れてきたらドンピシャ。もの凄く感謝されて気が良くなったからついでにしつけもしてあげたんだよね。その恩返しにどうぞ、って、時々ここでぼんやりしてたこともあったなあ……」
最近……は、めっきり無くなったけれど。
ちなみにこのまとさん、僕達が失踪していた時は酷く動揺していたそうで、訪れるお客さんに僕達を探すビラを配ったりしてくれていたのだとか。
とても良い人なのだ。
「……へえ。渡来くん、あなたにも不思議な人脈があるものね」
「猫脈かもしれませんけどね」
なんてどうでもいい話をしつつ、少し時間を潰す。
当然のように上座に座ったのはクロットさんで、僕が一番下座。
座敷だと微妙なマナーとかがあってめんどくさい……けど、現時点でここ以上に安心できる場所はそう多くないのが実情だ。
カラオケに入るにも目立つし。
「お待たせしました。こちら、きな粉のお団子。きな粉にはお好みでお砂糖をまぶしてくださいな。それと、こちらは黒蜜。きな粉と一緒に付けて食べても美味しいのですよ」
「ありがとうございます」
「それでは、何かありましたらお呼びくださいね」
そういってすっと品物を出してすっと出て行くまとさんは、今回僕がぼんやりしにきたのではないと察してくれたんだろう……クロットさんが居る時点で何らかの内緒話をしにきたんだろうと読み取ったに違いない。
「秘密は守られるのかしら、ここ」
「僕は信じてますよ」
「それが最高の保障になるわね。……さて。それじゃあ本題に入らせて貰うわ」
お茶を一口飲み、クロットさんは苦みに眉を顰めつつも言った。
やっぱり苦いのはあまり好きではないらしい。
ここ、アイスティーとかメロンソーダとかもあるから、そっちを頼んであげるべきだったか……。
(ここのメロンソーダフロート団子は逸品だよな)
だよね。子供心が分かってる。
じゃなくて。
「あなたたちのオーダー、確かに承った点はまず表明しておくけれど、あの名前……。スペル的にはドイツ人よね?」
「だと思います」
「『思います』と言う事は、あなたたちもその人物と直接会ったことは無い?」
うーん。どうなるんだろう。
直接。直接?
微妙なところだ。
「はいのような、いいえのような……」
「極めて微妙な案件と言う事ね。分かったわ、ならば次。渡来くんからのオーダーに記されていた情報からだけだと、正直、複数人がヒットするか、あるいは一人もヒットしないかのどちらかになると思うの。一人にまで絞り込みは多分出来ないわ。そのあたりはどうすればいいかしら」
「複数人見つかったら、全員の簡単な情報を教えて欲しいです。一人も見つからなければ、それが情報になります」
「見つからない、という可能性を考慮しても良いのね?」
「はい。その上で、絶対に調べ上げろと言うわけでもありません。見つかったら良いなあ、程度です……もちろん、僕はオーダー先を試しているわけじゃあないですけど。そうですね、その意味も踏まえて先に、なんでオーダーをしたのか話します。僕と洋輔が全力で調べても見つからなかったんですよ。ソフィア・ツクフォーゲルという人物が」
「…………」
「けれど僕達は彼女を知っているし、彼女も僕達を知っている。彼女も僕達を探しているし、僕達も彼女を探している……、で、どん詰まり。他に頼れる組織も無かったので、オーダーを出した次第です」
「その対価が書かれていないのも、動きにくい原因なのよね。結構な額を請求することになるわよ、それでもいいのかしら」
「宝飾品の現物流しで良いならば構いません。現金で準備しろと言われてもなんとかします。洋輔、その時は頼むよ」
ハッタリだけど。
「分かってるよ」
そしてそのハッタリを理解した上で洋輔は堂々と頷いた。
それを見てクロットさんがどう判断したか……。相変わらず、この人の感情は深いところが読みにくい。
「良いでしょう。ただ、こちらからの要求が少し複雑になる……のは、許容できるかしら?」
「…………? 複雑な要求?」
「ええ。たとえば現物流しで良いのだけれど、こちらが指定した形状で、指定したものと同一の物を準備しろ、とか――なにもその本物を準備しろとは言わないわ、贋作で良い。但し、一目では真作贋作が疑われるほどのクオリティは要求するでしょうけど」
「ああ、何らかの偽造ですか。資料があるならばなんとかしますよ。映像資料があるならば最高ですね。写真は……複数の角度から撮られていれば、なんとかなるかな。理想は現物を見ることですけど、それはそう出来ないでしょうから」
「そうね。……うん、分かったわ。ならばこちらも全力で動きましょう」
そうしてくれると嬉しいです、と頷くと、クロットさんは団子にきな粉を振りかけ、その上に佐藤をまぶして口に運ぶ。キリッとした表情が少しほころんでいて、やはり美味しいものを食べると皆そうなんだなあとか勝手に思う。
あるいは単に僕達から言質を取ったことを喜んでいるのかも知れないけど。
(夢も何もねえな)
でも現実的だ。
「それにしてもソフィア、ね……」
「何か心当たりでも?」
「いえ、私の親戚に『ソフィア』という名前の女性がいると言うだけよ。ドイツ人じゃ無いし、別人ね」
なるほど。
ロシアでもソフィアという名前は使われていたのか……、ありきたりと言えばありきたりなのかな?
「そうだ。俺からも一つ確認しておきたいことがあるんですけど」
「何かしら、鶴来くん」
「監視。気付いてます?」
「心当たりが多すぎるわね……どの件かしら?」
ああ、そっち方向で監視に気付けない可能性もあるのか……。
洋輔がチラリとこちらを見る。
やむを得まい、と頷くと、洋輔は小さく息を吐いて、「佳苗から」と言った。
押しつけと言うより、このことを洋輔が知っているという前提に無いからか。それならば仕方ない。
「少し前の落とし前案件です。恐らく監視していたのは、アメリカ」
「ふうん……それがどうしたの?」
「その監視対象に僕達も入ったようです」
「…………」
一時的な物だとは思いますけど、と細くすると、クロットさんは団子をお皿に戻し、腕を組んで目を閉じた。
深く、考え込むように。
「こちらの落ち度ね。申し訳ないわ」
「いえ。それとはまた別件かもしれませんからね……こっちは四月の一件もあります」
「そうね」
けれど、とクロットさんは机の上にSDカードを置いた。
特に何の変哲も無い、SDカードのようだ――中に入っているデータはともかく。
「対価として要求する物に関するデータよ。これを見た上で調達が可能かどうか、可能であるならばどの程度の準備で可能か、不可能ならば他にどのようなデータが必要か。この中に入っている方法で伝えて頂戴。それを受け取り次第、本格的にこちらも動くわ。それと、その監視についてだけれど……あんまりに鬱陶しいようならば陽動をこちらが担えるわ。そのくらいはサービスさせて貰いましょう、引け目もあるし」
「それには及びません。そんな事に人員を割くくらいなら、さっさと済ませてしまってください。何をとは言いませんけど」
「できるならとっくに済ませてるわ。監視も増えたし。何をとは言わないけれど」
「ならば役割を逆にしますか」
「…………」
クロットさんはお茶に手を伸ばし、答えない。
まあ……真偽判定をかけるまでもないよな。
心の底から検討している。
可能性として、それができるかどうか。そしておそらくそれは『できる』と、早い段階で結論されている。
その上でそれが逆用されるリスクを考えてるんだろう。
「申し出はありがたいけれど、今回は無用ね。いえ、今回はというのは間違いだったわ、『今のところは』、こちらにさせて頂戴」
「なるほど」
些細な言葉の違いだけど、ニュアンスが致命的に異なる言い回しだった。
今回は無用ならばこの件に関してはもう関わらないで良いという意思表示だし、今のところは無用ならばこの件に改めて関わってもらう事があるという事になる。
そしてクロットさんは現状、まだ関与を完全にはシャットアウトできるとは考えていない……。
「ところで鶴来くん。大事に抱えて持っていたあのトランクケース、結局何なのかしら」
「あれは佳苗が持ってこいって言ってたやつで……、佳苗、結構な重さだったが、あれは本当に何だったんだ?」
「ああ。ついでの贈り物だよ、洋輔」
トランクケースを近くに寄せて、机の横で展開する。
痛まないように細心の注意を払った、きちんとした収納だったりするんだけど、まあそれはそれ。一緒に入っていた大きな布をまずは畳の上に敷いて、その上に本題の代物をきちんと広げる。
「ちょっと前の話になるんですが、演劇部の活動中にいろんな衣装の話になったんですよ。最初はたしか、ドレスの種類だったかな。その時、祭部長……失礼、鹿倉先輩といえば分かるかな。演劇部の、ナタリア先輩と同学年のその人ですけど、その人が日本のドレスの話を始めたんです。その時、『ちゃんとした着物って、考えてみると持ってないわね』と言ってたので」
「……えっと、言ってたので?」
「作ってきました」
「…………」
「…………」
「あれ?」
なんで二人して黙るんだろう。
柄が気に入らなかったかな?
いや、でも今回は自重したのだ。本当ならば猫柄の着物とかにしたかったんだけど、ナタリア先輩に着せるのは酷だと思い直した。いや案外着こなしそうなところが怖いけれど。
なので猫柄の着物は猫柄の浴衣として自分用に創るにとどめ、ナタリア先輩向けに創った着物は初日の出をイメージした淡い橙色をベースに花柄をちりばめている。きちんと帯やストールなどの付属品も付けているし、半衿、帯〆、羽織紐はもちろん鞄や草鞋に釵などの装飾類もセット。
「サイズの心配なら無用です。すこしゆったりできる程度のサイズにはなっていますから、向こう数年間はこのまま使えます。ただ、たたみ方がちょっと独特なので……一応、解説のペーパーは入れておきました。それと、洗濯は家庭ではちょっと厳しいかな。クリーニング屋さんか呉服屋さんに相談してみてください。ちょっと高いですけど。それが嫌なら僕のところに持ってきて貰うか……、ちょっと時間は掛かるかも知れませんが、対応しますよ」
「佳苗。佳苗くん。いや佳苗さん。ドン引きされてるぞお前」
「でもさ、なにもナタリア先輩に限らず、女の子が『ああいう着物着てみたいなあ』なんて言ってたら創ってあげたくならない?」
「いやいや、よしんば着せてやりてえなあとは思っても『じゃあ創るか』とはならねえよ普通」
尚、クロットさんが正気を取り戻すまでは五分ほどの時間を要し、正気を取り戻した後はきちんとペーパーを読みながらたたみ方を覚えようとしていたので手伝い、しっかりとしまい直した後にはものすごく感謝されたのだった。
その後はもう良い時間だったし、お互いに要件も済ませたこともあって、そろそろお会計を済ませて帰り、クロットさんが去った後、僕は洋輔と一緒にあのSDカードの中身を確かめる事にした。