46 - 愛称って存外に
激しく今更ではあるけれど、僕達が通ってる学校の教室は基本的に、ひと部屋につき黒板が三つある。
一つは正面、授業は通常この黒板を使って行われる。サイズ的にも最大で、背の低い僕だと一番上に手が届かない。もちろん僕だけで無く女子も一部は手が届かないなどの問題があるからか、黒板の前には踏み台があるのだけれど。尚、正面側にはよほど緊急で重要でもないかぎり、プリントの類いが張られていない。気が散るから、と緒方先生は言ってたかな。時間割とかは廊下側の壁に掲示されている感じだ。
で、その反対側、つまり教室の後方にも黒板があるんだけど、後方の黒板は前方にある黒板と比べて横幅が半分ほどにとどまっている。こちらの黒板は授業で使う事があまりなく、学校やクラスとしての連絡事項などが書き込まれることがある。但し、こちらの黒板はあまり使われないことも多く、落書きで埋まっていることもしばしばだ。
さて、それでは三つ目の黒板は何処にあるのかというと、その教室の後方の黒板、のさらに窓側。三つ目の黒板は後方にある大きい方の黒板と比べて三分の一ほどの幅しか無いというミニサイズで、一年三組ではこれを『カレンダー』、あるいはスケジューラーとして使っている。このあたりの使い方は各クラスの担任の先生に依存するところが大きいんだとか。前に見たところだと、四組はそのミニ黒板が『今日の格言』ブースになっていた。
閑話休題。
僕達の教室においてはカレンダーとして使われていて、僕と洋輔が一緒に登校した時には既に、その表示が二月のものに切り替わっていた。二月の主要イベントがある日にはその旨が記されている他、テスト期間や他学年都合による短縮授業、祝日のお知らせなどはここで確認できる。昔はここに誕生日の子の名前とかも書いていたと聞いているけど、今は無くなってしまった。ちょっと残念。
「そっか。佳苗の誕生日、近かったんだな」
「うん。やっと、って感じだね」
「なんとなく鶴来と殆ど同じくらいなのかなーとか思ってたけど。割と離れてるのな」
葵くんと徳久くんがそれぞれ言う。
ちなみに洋輔は九月十九日生まれなので、実は半年近く離れている僕達なのだった。
具体的には危うく学年が違ったかもしれない程度に。
「それで、七日なんだけど。ごめん。オレ、その日はちょっと先約入ってる」
「俺は行けるな。呼んでくれるならば是非とも」
「じゃあ、少なくとも徳久くんには来て貰おう。前多くんは……その後どうせ、泊まりに来るのは決まってるし。その時にアフターパーティしようよ」
「いいね!」
さて、となるとあと二人くらいだろうか?
折角なので信吾くんや桂くんにも聞いてみたところ、二人とも習いごとがあるらしい。まさか休んでまで来いと言えるわけも無く断念だ。
いよいよ四方木くんとかに声を掛けるのもアリかも知れない。
「四方木……、って、二組の? あいつ、そもそも佳苗と仲良かったの? あんまりイメージがわかないんだけど……」
「確かに。見た目は対極的だもんな」
散々な評価をされている四方木くんと僕だった。
尚、四方木くんは身長172センチという長身で、顔つきも男の子というより完全に男のそれである。無口と言うほどでも無いけど口数は少なく、ちょっと表情が硬いこともあって怖がられる事もちらほらとあって、それがコンプレックスなのだ、と相談されたので身長を削ってから出直せと言った記憶がある。
(いや、『なら身長をもっと削ろうよ、膝から先でも首から先でも好きな方を選びなよ』ってお前言ってたよなあの時)
記憶にございません。
「四方木くんとは小学校が同じでね。僕ほどじゃないけど猫好きなんだよ。だからその一点においては仲良しな所もあるし、時々猫グッズの交換とかもしてたね」
「してた、って過去形?」
「この前だと先週もガチャガチャの眠り猫第三弾でトレードとかはしてるよ?」
「現在進行形か……、うん? けれどこう言っちゃなんだが、お前らがつるんでたらすごい目立ちそうだし、なんで俺たちが知らないんだろう」
「それはそのトレードを極秘にしてるからだよ。屋上に出れない方の階段の突き当たりとか体育館裏とかで」
「闇取引か何か?」
「僕はもっと大々的にやっても良いんだけど、四方木くんが恥ずかしがっててさ。堂々と猫グッズを持ち歩くのは何か気が引けるんだって」
ちなみに四方木くんが好きな猫の柄はブチで、短毛種のほうが好みという分かりやすい猫好きだ。
「……佳苗はそういう奴だから気にしないんだろうけど、それ、本人は内緒にしてるんだろ? いいのか、言っちゃって」
「それが、別に内緒にしてるわけでもないんだよね……」
あえて言葉にはしないけど、たとえば四方木くんがはいているトランクスはその八割以上が猫関連の柄だ。ぱっと見では猫だと分からなくてもよく見ると猫柄になっていたり、あるいは単にシルエットが入っていたり、足跡が付いてたり。
ペンケースも猫のやつだし、消しゴムケースも猫柄だし。
何ならノートも猫と、僕から見ても侮れない猫好き仲間なのだ。
「へええ。意外……ってほどあいつのことを知ってたわけじゃ無いから、なんとも言えねえけど、いやでも意外だな」
徳久くんがしきりに頷いていて、葵くんも似たようにこくこくと頷いている。
それほどまでに意外だったのか。いや案外、他人の友好関係というのは知らない事も多いものか。
「そういう前多くんと徳久くんはどうなの。なんか僕が意外に思いそうな友達とか」
「んんー。オレは心当たりないな」
「俺も言うほどじゃあないかも。ああ、でもヒミコとは友達だよ」
「や、邪馬台国の女王様?」
「いや……、俺の言い方が悪かったような気がするけど、でも思った通りのリアクションをされるとなんか困るな、却って」
「あはは。オレたちみたいに学校が同じ連中だと当たり前すぎて、逆に無いもんね、そのリアクション」
うん?
「灘陽実。一組の男子で、与和が付けた愛称が『ヒミコ』なんだよ」
「灘くん……、というと……、対抗リレーにも出てた子かな?」
「そうそう」
身長は洋輔よりも低いくらいで、身体能力だと徳久くんを越えるくらいだろうか?
小柄で女顔、大人しくしていれば女子と間違えられることすらあるかもしれないような子だったと思う。
けれど確かに、運動はかなり得意だったはずだ。スポーツテストでもかなりの上位にいたしね。
ただ……、確か、
「あの子って吹奏楽部、じゃなかった?」
「そうだよ。楽器が得意で、大人しい。だからヒミコ!」
と、僕の疑問に答えたのはいつの間にか近寄ってきていた来島くん。
「来島くんのネーミングセンスってよく分からない方向に発揮されるよね」
「なんなら渡来のことは今からでもわたあめって呼んでも……」
ペンケースから消しゴムを手に取って、と。
「来島くん。額、鼻筋、喉、鳩尾、股間、脛。消しゴムを投げつけられるの、どこがいい?」
「え、えっと……」
「選ばないなら全部ってことになるな……」
「ごめんなさい。わたあめって呼ばないのでやめてください」
「よろしい」
油断も隙も無いんだから。
「油断も隙もないんだから、みたいな表情をされても。油断も隙も無く攻撃しかけようとしてる佳苗も佳苗だよ。全く、妙なところで強情な……」
「いやあでもオレは佳苗派かなー。『たたすけ』も正直どうかと思ってるよ?」
「じゃあ葵だからミトちゃん?」
「……たたすけで良いです」
「な?」
「いや、な? って僕に振られても……」
ネーミングセンス……か。
「灘くんはその、ヒミコ呼びにはどう反応してるの?」
「諦めの境地?」
「ああ……」
かわいそうに……。
けど来島くんに押し切られたらしかたないか。
今から呼ばれるならば反発もあるだろうけど、低学年から言われ続けていたら流れというものが残っていても仕方が無い。
「愛称といえばさ、ちょっと渡来に聞きたかったんだけど。渡来は洋輔のこと、『洋輔』って呼んでるよな?」
「うん」
「昔からずっとそうなのか?」
「んー」
どうだったかな?
(基本はお互いに名前呼びだったよな)
そうなんだよね。
意外なんだけど、洋輔に愛称を付けたことは無いような気がする。
「敢えて言うなら、『よーすけ』って間延びする感じに呼んでた時期はあったし、なんなら今でもたまーに呼ぶよ。でもそれくらいだと思うな……、覚えてないだけかもしれないけどね」
「ふうん。幼馴染とかだと妙な愛称で呼び合うことも多いからなー、ちょっと期待したんだけど」
どんな期待だ……。
「ま、『ようすけ』はともかく、僕の『かなえ』は弄りにくかったんだろうね。だから洋輔が僕を愛称で呼ぼうとしなかったし、僕もそれに合わせてたんだと思う」
「なるほど。わたあ――」
「佳苗。早まらないでね。シャーペンはだめだよ、刺さるよ」
いや一度や二度刺しても大丈夫だと思う。
どうせ傷跡一つ残さずに、いましてる怪我も治しちゃうし。
(ん? 怪我してるのか、来島の奴)
たぶんね。ちょっと脇腹を庇ってる。
「ネーミングセンスについてはさておいて、来島くん。怪我したの?」
「相変わらず目抜けねえなあ……。怪我って言うか痛めたって言うか。ちょっと脇腹ぶつけちまったんだよ」
「……ハイキックでもされたの?」
「いや。ベッドから寝ぼけて落ちた。で、落ちたところにボールがあって……」
それは痛そう……。
そしてとてつもなく不名誉な気もする。
天罰かもしれない。人のことをわたあめとか呼ぼうとしてたしな。
「とはいえ、すぐに治る程度だとは思うぜ?」
「ならば良いけど。身体は大事にしないとだよ」
「もちろん。とはいえ、自分の身体なんだから、自分の好きにしたくなる気持ちも時々でてきてるんだよなー。具体的にはもうちょっと筋肉付けてえ」
「…………? うん? ダメって言われてるの?」
「そ。これ以上筋肉付けると全体のバランスが悪くなって、トップユースに入る頃にその歪みが問題になる可能性が高い……らしい。トレーナーさんが言ってた」
らしい、て。
来島くん自身は理論をきちんと知らないだけか。
それに、来島くんの体付きって既に結構筋肉質だから、これ以上付けるのは却って維持が大変そうだしな。
「自分の好きに鍛えることすら出来ないのは、窮屈だね」
「だろ。……つっても、渡来っていまいち鍛えてるイメージ無いけど」
「実際鍛えてないよ。筋肉もそれほどついてない」
「……どっからあの瞬発力やら筋力が出てるんだか。人体の神秘だよな」
なんだか語弊のある事を来島くんが言ったところでチャイムが鳴り、同時に緒方先生がやってくる。朝のホームルームの時間だ、来島くんも話を切り上げて席に戻ると、洋輔も慌てて教室に戻ってきた。
(セーフ、っと)
ギリギリだけどね。
起立、気をつけ、礼、おはようございます、着席。
いつものルーチンをこなせば、『ああ、おはよう』と緒方先生は満足そうに頷く。
「昨日の社会科見学はそれぞれどうだったかな? なかなかに有意義に過ごせた班が多そうで何よりだ、感想文は順番に読んでいるよ。班としての報告、模造紙にまとめてもらうものだが、これは金曜日の総合の授業までには完成させて貰う。それまでも休み時間を活用して作ってくれたまえ。さて、それじゃあ今日の連絡事項……」
どうやら緒方先生も特に変わりは無いようだった。
連絡事項としては特に特別なことはなし、あえて言うならば今日は普通に授業があるから切り替えろ、程度のことで、ホームルームが終われば自習と読書の時間である。
「前田さん、ちょっといいかい」
「はい?」
そんな時間に珍しく、緒方先生が前田さんを呼びつけた。
ちょっと聞き耳立ててみようっと。
「いや、昨日帰ってきてから見たんだが。君の班、妙に報告……模造紙のほうだが、もうほとんど完成していたね。…………。やはりアレかい、あの子かい」
「はい。……いえ、文章は私たちでやったんですけど。図案はばーってやってくれちゃったというか」
「そうかい……。あの子の『凝り性』にも困ったものだが、とはいえ咎めるわけにもいくまいしなあ。やっつけ仕事だったら怒るもありだが、どう見てもきちんと作られているし」
半分やっつけ仕事だったのは内緒だ。
(おまえのやっつけ仕事のレベルがおかしいんだよ)
まあ、そうなんだろうけど。
「まあいい、ありがとう。参考になった」
「いえ。……何か伝言しますか?」
「構わないよ。どうせ部活で直接顔を合わせるからね。それにこの距離だ、聞こえている可能性の方が高い。そうだろう、渡来くん」
「分かってるならこそこそ話さないで下さいよ」
「ね?」
「ね? じゃないですよ、先生……」
大きく呆れながら前田さんは席へと戻ってくる。そしてごめんね、と小さく謝られた。
「前田さんが謝ることじゃないよ。緒方先生しか悪い人は居ないし」
「それはそれでどうかと思うけれど……」
まあそういうことにしておいて貰おうかしら、と前田さんは言う。
今月はこんな朝から始まって。
ぼんやりと、平和というより退屈になりそうだなと思う。
……果たし状出されるよりかはマシか。
(そういやあの果たし状、結局誰だったんだろうな、差出人)
それがまるで心当たり無いんだよね……。
誰だったんだろ?
(読まずに捨てるからそうなるんだよ)
知らない人からのメールは読まずに削除、って習ったでしょ。それと同じだ。
しろやぎさんとくろやぎさんの教訓も忘れてやるなよ、という洋輔の心の声は無視することにした。
…………。
ん?
(ん?)
いや、……まさかな。




