42 - いざこざ
緒方先生との内密の打ち合わせも終わったので、午後の授業の準備もあるしと寄り道をせずに教室へ。
ついでなのでロッカーから教科書も出して、席に戻る……と。
「おかえり、佳苗。どうだった?」
「どうもこうも。別に、無理にとは言わないから、一応覚えておいてくれたまえ、って感じだよ」
興味津々というより、心配といった表情で聞いてきたのは徳久くん。
ちなみに葵くんはまだ校庭で遊んでいるのか、教室に姿は見当たらなかった。涼太くんとか信吾くんも居ないしな。あるいは部室で研究中かな? 将棋の大会があるとは聞いてないけど。
「とはいえ、基本的には断ることになるだろうけどね……さすがに身体が足りないよ」
「佳苗ならやる気を出せばなんかやっちゃいそうだけど」
無理なもんは無理か、と徳久くん。物わかりが良くて助かるものだ。
いざとなったら徳久くんに押しつけるのもアリかな?
「……佳苗。何か今、いざとなったら俺に押しつけようとか思わなかったか?」
「最近さ。徳久くんって、勘が鋭くなってきた?」
「思ってたのか。思ってたんだな」
ノーコメントで。
「……実際、ちょっと前までは『何を考えてるのかわからん謎のハイスペック一号』って感じの認識だったからなあ」
「一号って。二号は洋輔?」
「ああ。ちなみに三号もいる。クラスも違えば性別も違うが」
冬華か……。
僕達は言うまでも無く、冬華も大概隠してないからな、身体性能。
タイミングがタイミングだったからスポーツテストや体育祭には参加していないためいまいち他学年からは知られていないだけで。
と、そんな会話をしているところで。
「ごめん。渡来くん居るかしら」
「ん? 渡来ならあっちの席」
「ありがとう」
という、妙な会話が聞こえてきた。
この声……巳波さん?
視線を声のした方、教室の入り口へと向けると、やはりそこには巳波さんが居て、こちらに向かってきていた。表情からはなんとも感情が読み取りにくく、たぶん自分の中でも感情がごちゃって為ってるんだろうなあ。
さて。
「どうしたの、巳波さん。珍しいね」
「そうね。ごめんなさい」
どうしたものか。
少し考えて、結局。
ばちんっ、
と、頬がはたかれる。
「……本当に、ごめんなさい」
いわゆる、全力ビンタだった。もうちょっと手加減はしていただきたかった。
「ちょっ……、何してんだお前!」
「巳波さん!?」
そして僕の反応よりも先に、咄嗟に立ち上がって僕と巳波さんの間に徳久くんはその身体を割り込ませ、渡辺さんは渡辺さんで巳波さんの肩をがしっと掴んでいる。
どちらもさすがは三組が誇る優等生、咄嗟の自体にこうもスムーズに行動するとは。
(避けなかったのか)
避けたら彼女はもっと傷つくよ。
(……だろうな)
洋輔。少し時間置いてきてね。
(分かってるよ。今俺が行けば却って厄介になるってくらいは)
ならば良いけど。
しかしじんじんと頬が痛む。コレは赤い紅葉が出来てるパターンだろうか。
ちょっと自然治癒力を道具でやんわり増強させておいて、と。あんまりすぐに治るとそれはそれで妙だしね。
「巳波さんらしくもない。積極的というか、短絡的というか……いてて。どうしたの、いきなり」
「…………!」
僕の答えに巳波さんはまた咄嗟に手を挙げ、しかし渡辺さんが後ろから抱きつくように拘束し、さらに徳久くんも挙げられた手をがしっと掴んでいた。
いやなんだこの二人のコンビネーション。
「何がどうなってこうなってるのかは俺に皆目見当つかねえが……巳波? だっけ? お前、何してんだよ。それに佳苗もなに平然としてんだ」
「なに平然とって……僕が反撃した方が良いとでも?」
「いやそれは勘弁……、って、なんでそんなにも落ち着いてられるんだよ」
「巳波さんとは小学校が同じだったからね。何の意味も無く突然こんな事をする子じゃないって事くらいは知ってるし……なんとなく、その意味も分からないでも無いし。今日もいつも通りに学校に来たからさ」
「はあ……?」
徳久くんが呆れている。
けれど……あんまり詳しく言ったら、何があったのかを全部知られるだろうしな。
それは巳波さんにとっても本位ではないと思う。多分だけど。
「あえて文句を付けるなら、ごめんと謝るくらいなら最初からはたかないで欲しい、ってくらいだよ」
「……っ、」
僕の言い方にかっとしたのか、巳波さんに力が入る。
しかし既に徳久くんと渡辺さんに止められている状況では動けるわけも無く。
「渡辺さん。悪いけどそのまま巳波さんを教室の外に出して、すこし落ち着くのを待ってあげてくれるかな。その後は……、まあ、彼女の意志を尊重してあげて」
「……それで良いのね? このままだとあなた、はたかれ損よ?」
「喧嘩になるよりかはお互いに、失うものも少ないよ」
「……分かったわ。巳波さん」
「…………、……渡来くん」
「何?」
「ごめん、なさい。あなたは悪く無かったわ」
「そっか」
巳波さんにそうとだけ答えると、巳波さんは渡辺さんに連れられて教室から出て行く。
騒然から一周回って静かになった教室の中、徳久くんが周囲を見てから僕を見る。
「本当に良いのか?」
「僕が我慢する限り、今のはただの『いざこざ』でしょ。そっちのほうが良いよ」
「でも……」
「こっちは大丈夫。あとで猫でも撫でればいくらでも気分は治せるよ。……それに、却って失礼なんだろうけど、巳波さんの方が心配だしね」
「……まさかとは思ってたけど、お前、わざと避けなかったのか?」
…………。
本当に、勘が鋭くなってきた。
というより、僕の考え方が想定できるようになってきた……のかな。
茶化すようにして誤魔化すつもりだったけど、怒気を込めた視線を徳久くんは僕に向けている。この状況で茶化してももっと怒らせるだけだろう。
だからといって真相を話すわけにも行かないけれど。
「避ければ彼女はもっと激しく怒っただろうしね。避け続けたところで事態が長引けば、それは『いざこざ』じゃなくなっちゃう」
「そこまでしてお前が庇いたがる相手にも見えなかったけどな」
ふう、とため息を吐いて徳久くんは言う。
今の言葉は……どうやら、概ねの事情を見通したから出てきた言葉なんだろうな。
「ま、お前がそうしたいっていうなら俺が事を荒げる意味もねえよ。皆もそれで良いな」
終盤の確認は教室に向けられていて、そして教室のあちらこちらで「おう」だとか「はあい」だとか、肯定が帰ってくる。
頼もしいリーダーシップ、そして問題解決能力だった。
問題を引き起こした僕達が言えた義理でも無いけれど。
徳久くんも席に戻り、数分したころ、渡辺さんが一人で教室に戻ってきた。
「あの子は教室に戻ったわ。もう少し時間が欲しいって」
「ありがとう、渡辺さん。助かったよ」
「どういたしまして……なのかしらね?」
疑問符つきの感謝の言葉に僕も苦笑し、た前後に洋輔が戻ってきた。
徳久くんは一瞬、洋輔を見てぴくりと眉を顰めて……けれど、なにも言わなかった。
(物わかりが良いもんだな)
正直、一年生では求心力トップツーだもんね。この二人。
その二人が揃って『お願い』したようなものだ、素直に従ってしまうのだろう。
もっとも、巳波さんがどこまでそのお願いに従うのかは微妙なところか……。
(あいつだって多少感情が揺れてるだけさ。理解はしてるんだ、納得できてないだけ……、時間が解決するだろう)
僕もそう思う。だからきっと、そうなのだろう。
「にしても、渡辺さんにせよ徳久くんにせよ、動きが素早かったね。なんだか妙に手慣れてたけど……」
「危機感があったのよ、私」
「奇遇だな。俺もだ」
「危機感?」
どういう意味だろう。
「たぶん渡来くんは『おとなしい』でしょうけど、それでも仏の顔も三度までって言葉があるわ。あなたもいつかは我慢しかねて反撃してしまうかも知れない」
「そうなったらなー。佳苗とあいつじゃ勝負になんねえだろ。大惨事待ったなし、だから守ったわけだ」
「…………。なるほど、守られたのは僕じゃ無くてあっちか……」
「そ。……でも、佳苗だって実際、そっちでよかったんだろ?」
「まあね」
でもちょっとはこっちを慮ってくれてもいいと思う……。
今に拗ねるぞ。
(猫でも撫でてろ)
ここに呼ぶぞ。
(ごめんなさい。放課後まで我慢して下さい。)
わかってるよ。
結局、お昼休みの終りを告げるチャイムが鳴った頃、教室に戻ってきた葵くんたちがぎょっとしした様子で僕を見たりもしていたけれど、特にこれと言って詮索をしてくることはなかった。いや、興味津々という感じではあったけど、僕のみならず信吾くんや渡辺さんまでが『聞くな』というオーラをありありと出していたので聞きそびれたという感じだろうか?
そして五時間目の授業が始まる頃には痕も残っていなかったので、先生に気付かれることも無く午後の授業を開始。
(……けど)
うん?
(いや、あれで正しかったのかなーってな。間違えた、って感覚はねえんだが……、結果的に巳波は行動しちまった)
それはあまり深く考えても意味が無いと思うけどね。
巳波さんが僕の元に来たのだって、たぶん、たまたまだ。
たまたまクラスを通るときに僕が見えた。
そして僕を見た時、感情がぐちゃぐちゃに混ざり込んで、何かを言おうとした。
けれどいざ対面してみたら、言葉よりも先に手が出てしまった。
……それに、たぶんそれが彼女にとっても最善に近かったんだと思うよ。
(最善? お前を叩くことが? それで気を晴らせる……なんて、あいつの性格じゃ思わねえだろ)
そりゃそうなんだけど、でも考えてもみなよ。
あの場面で僕に対して何を喋ればいいと思う?
(ん……?)
巳波さんは洋輔に告白した。
けれど洋輔はそれを振った。
その原因じゃあないにせよ、その一因は僕にある。
そのことを教室の中で堂々と喋れると思う?
(……無理だな)
そう、無理だ。
告白をして振られたと言う自分の傷心を暴露したがるような子じゃないし、ましてや振られたからといって洋輔に復讐をしようと考えるような子でもない。
八つ当たり的に僕になにか嫌がらせをしようにも、そんな事をすれば洋輔が巳波さんを嫌うことは明白だったし……かといって、何もしないわけには行かなかった。
決着を付けなければ、進めなかったんだろう。
結局何を言っても問題だ。
だから彼女は手を挙げた――本能的に、それが最善だと感じ取ったのかもね。
(だとしても……)
洋輔は間違っていない。
僕も多分間違えては居ない。
巳波さんだって、間違えていない。
全員が正解を選んで、全員が正しくても、結果がこれだった。
誰かが間違えていればもっと酷い事になってた、この程度で済んだと今は思うべきだ。
(俺たちはそれで良いとして……まあ、お前にはあとで何かお詫びにするけどさ、それは俺とお前の話で良いとして、巳波はどうする?)
洋輔はそれを覚悟して振ったはずだよ。
……僕が一橋さんを振ったのと同じ理由でね。
変に希望を見せるくらいなら、最初から絶っておく。
瞬間的にはマイナスが多くても、少しでも早く歩みなおせるように。
ようするに、放っておくのがベストだ。
ここで変に優しさを見せる方が残酷だよ。
(……だな。少し、フォロー頼んでも良いか)
うん。
もっとも、僕の方も巳波さんから警戒されてるかもしれないけどね……。
「渡来、授業中に考え事とはずいぶんと余裕そうでなによりだ。貞永式目を制定したのは誰か言ってみろ」
「北条泰時の御成敗式目のことですか?」
「…………。おかしい、まだこの雑学は言ってないはず……」
雑学って。
なら何故問いにしたんだろう。
そして何故この雑学を知っているのかというと、北条泰時がついていた役職に六波羅探題というものがあるからだったり。
涼太くんの苗字と読みが同じだったので、ちょっと調べてたんだよね。
(まったくもってやりにくい生徒だよな、お前は)
洋輔のほうがよっぽどだと思うけど……。
(まあ……ノーコメント)
お互いにこのあたりは曖昧なままが丁度良い、というわけで授業に集中。
歴史の教科書もあと僅か、一年生でやることはほとんど終わってるわけだ。
鎌倉時代……、昔とは年代が変わったんだっけ。
(歴史ってのは常に再検証されつづけるもんだよ)
勝てば官軍ってやつ?
(いや。単に証拠能力の強さ比べだな)
納得。
その辺、渡鶴で実際に見てみるのも良いかもね。
(そのためにもパフォーマンス上げていかないとな……)
全くだ。
「鶴来。お前も楽勝そうだな」
「げ」
「…………。いや、お前の反応は逆に安心するからいいや」
「ちょっと、先生。不公平すぎると思うんですけど」
僕の抗議を先生は聞かなかったことにしたらしく、授業を進めていった。
教室の中で苦笑が漏れていたけれど、全く。
先生の思惑とは違うだろうけど、これでちょっとは教室内のピリピリした空気も多少は緩和するかもしれない。




