39 - 一月末の密約
「それで、今日のご用件は?」
「警告よ。それと報告」
竪川日比生さんを僕の部屋に招き入れ、紅茶を出した後暫くの小休止をした後、亀ちゃんがちょこんと僕の横に座ったのを切欠に改めて聞いてみると、彼女はこともなげに言った。
「パステルの一部があなたたちを疑い始めたわ。ポーランドの絵があまりにも露骨すぎる……あなたたちの『仕込み』に利用されてるんじゃ無いかと、そういう疑いね」
仕込み……?
ああ、なるほど。
「つまり、『ソフィア・ツクフォーゲル』を脈絡も無く僕達が探し始めたほとんど直後に『猫と少年』という絵が発見された……、で、その絵を発見したのが『関係者』ってことですか?」
「あら、知ってたの? ということは本当に仕込みなのかしら?」
「いえ。仕込みだったらどれほど楽なことか……。地道にこっちも調べてたんですよ。で、その絵を美術館に運び込んだのが『ソフィア・ニコラエヴナ・ウラノヴァだ』という事までは特定しています。……恐らく、クロットさんと関わりがあるだろうとも」
「その通り。それで困ったのがクロットというワケ。だから私に持ちかけてきたんでしょうね」
……うん?
「まさかクロットさんが僕達と通じて別組織と関連してるんじゃ無いか、と疑われてるとか?」
「想像力は十分にあるようね」
竪川日比生さんは心底うんざりとしたように顔を顰めて頷いた。
「あなたたちの学校に『ルイス・フォスター』が行ったでしょう。私も弟からものすごく雑に事情は聞いたんだけど、あなたと鶴来洋輔くん、それに来栖冬華の三人が指名されて『呼び出されていた』。これは事実としてあるのよね」
「……ありますね」
「で、来栖冬華とあなたたちは同じ学校、同学年。クラスは違ってもそれなりに接点はある……教師もソレを頼りにして、来栖冬華の教育方針を決めているようだし。あなたたちと来栖冬華の間には『何らかの秘密の連絡手段がある、かもしれない』程度でも、そういう疑惑は既に存在していた。これが一つ目」
とはいえこれは言いがかりの部類ね、と竪川日比生さん。
その通り、言いがかりの部類だった。
見事に正鵠を射ているというだけで。
「二つ目はそもそも『どうやって来栖冬華をあなたたちが見つけたのか』っていう、そもそもの所に疑問が向くのよね。あの日……来栖冬華の保護までの経緯があまりにも不自然すぎる。『そこに居なかったはずの誰かが突如現れた』くらいにね」
隠しているものを引っ張り出すだけならまだしも一から作るのは無理なんだけど、と竪川日比生さん。
その通り、人間の存在を隠す……神隠しを起こす程度の事ならば彼女にも出来るのだろう。そしてそれを解除することも。
ただまあ、現実として『そこにいなかったはずの誰か』をその場で作ったのが僕達なので、なんというか恐ろしいまでに真相に近付いているなこの人。
証拠が無いのが救いというか、状況証拠だけでも黒認定されてもおかしくないというか。
「疑惑が形になった最大の原因が、あなたたちの探していた『ソフィア・ツクフォーゲル』よ。何の脈絡も無く探し始めた、それは『パステルにとってはそう観測される』だけで、実際には何かしらの理由があるんでしょうね。恐らくはあなたたちの背景にそれは関係してくることで、だからきっと『正当な尋ね人』なんでしょう。けれど……それとほぼ同時期に、異国で『猫と少年』という絵が寄贈された。その寄贈をした人物が、『ソフィア・ニコラエヴナ・ウラノヴァ』。クロットの親類にあたる人物で――『ソフィア』という名前がだだ被りだし、絵の見た目とタイトルにまるで関連性は無いのも違和感を抱かせてしまったんでしょうね。更に言うなら、渡来佳苗くんと猫と言えば有名すぎる組み合わせだもの」
トラ騒動とか懐かしいわね、と竪川日比生さん。
人の恥ずかしい歴史を掘り起こすのはやめて戴きたいところだった。
「つまり、警告内容は暫くクロットさんと離れるべきだ……ということですか?」
「いえ、一度疑われた以上、完全に晴らすことは不可能だとクロットは見たわ。だから私よこしたわけ……弟つながりと日つながりで、あなたたちとは『接点』が一応、言い訳として付かないわけでも無いし」
そりゃあ、そうか。
だとしたら警告というのは、疑われてるから気をつけろ、それだけか……?
あのクロットさんが他人を使ってまでそんなことを伝えるかなあ。あの人なら僕達には内緒に仕切るか、そうでなくとも他人を巻き込もうとはしないと思うんだけれど。
「だから警告内容はこうよ。『これ以上こっちに進んでくるならば、いい加減覚悟をしてきなさい。あなたの目の前に居るその子のようにね』――」
声色を変えて……彼女は言う。
その部分がクロットさんの言わんとしているところ。
つまりだ。
「今ならまだ言い訳ができると。誤魔化してくれると、そういうことですか。……いや、それだけじゃないな。竪川日比生さんと僕達を会わせたかった……、竪川日比生さんを教訓として見せておきたかった……、いや、なにかしっくりこない――」
「…………」
かなり近付いてる……とは思うんだけど、微妙にずれている。そんな感覚。
これ以上こっち、非日常に近寄ろうとするならば、竪川日比生さんのように覚悟を決めろ……ではなく、その竪川日比生を直接見せることで、何かを伝えたがっている。そしてそれは既に示唆されている……、警告……?
「警告……、竪川日比生……、竪川響谷さんと、弓矢日さんが……接点になっていて」
それを知らせたかった?
いや……。
「…………。そういう事か。なるほど、対処が必要って事ですね。多少は手伝う余地もある、ただし手の内を多少は見せろ、それもクロットさんとあなたにだけ内密に」
「……クロットはやけに自信満々だったけれど、本当に読み取れるの? さっきまでのやりとりだけで」
「いやあ、読み取ったというか『決めつけてみた』だけですよ。……つまり、竪川日比生さんをよこしたのは、警告だった。『このままだと弓矢昌に火の粉が飛びかねない』、そういうことなんじゃないですか」
「切れすぎる刃物は扱いにくくて、あまり私の好みじゃ無いけれど。クロットに言わせれば、一周回って使いやすいのかしらね」
それは事実上の肯定だった。
つまりそういうことだ。それは本意じゃ無い。
洋輔。
(わかった)
ごめん。失敗してた。
(良いよ。お前が悪いわけじゃねえ。俺にも落ち度はあるし……そもそも、こんな薄い線は想像もしなかった。致命的でもねえしな)
洋輔の慰めを受けつつも、僕は亀ちゃんを抱き上げながら問いかける。
「その警告を受け入れるためにも、正しいことを知っておきたい。竪川日比生さん。あなたは弓矢日さんの要請を受けて、『事件の隠蔽』を手伝いましたか?」
「ええ。当時の私の全力を尽くしたわ。なにせ日は私にとって、大事な友達だもの」
図式を単純化しよう。
まず僕と洋輔が無条件に疑われているものとして考える。
で、僕達が冬華を突如見つけた。だから冬華も疑われるし、冬華と関連が深すぎるクロットさんも当然疑われる。
ましてやソフィア探しの一件で、クロットさんはますます疑われた。ただしまだ黒で確定はしていない。
今はまだこれだけだ。
ただ、これ以上進むならば……これ以上非日常側に歩み寄るならば、その先に発展しうる。
僕達が非日常の領域に行けば、その背景を当然探ってくる。
目下その背景の候補として真っ先に探られるのは、僕達と非日常をつなぎうる接点。
それは来栖夏樹さんであったりナタリア先輩であったり、そして竪川響谷先輩を介して日比生さんとも何らかの形で接点を得てしまえば逆方向、つまり日比生さんから見て日お姉さんであったり。
そこまではギリギリ良いのだ。ナタリア先輩や夏樹さんはクロットさんが守るだろう。
響谷先輩だって日比生さんが守れるし、日お姉さんも日比生さんにとって大切な友人であるならば守る対象だ。
けれどそこから一歩だけ外れた所に、『弓矢昌』が居る。
そして『弓矢昌』を調べ尽くせば、過去に『竪川日比生が隠した事件』が掘り起こされる可能性が極めて高く、そうなれば昌くんの『大人不信』は更に悪化する。
これが僕の言った『火の粉』だ。
「ただ、このことをクロットさんが考えた……というか、気付いたとも思えないんですよね。正直。竪川日比生さん、あなたがその可能性に気付いたんじゃ無いですか? だから今日、いきなり来た、とか」
「ええ、それも正解。……クロットも多少は懸念してたみたいだけれど、日の弟達の感情面までは見えていなかったようね」
そのあたりは『難しい事情』だもの、仕方が無いわと彼女は言う。
「警告はきちんと通じたようね。ある程度パステルが落ち着いたら、響谷を使って伝えるわ。それでいいかしら?」
「はい。お手数をおかけします」
「よろしい。……それと、いちいちフルネームで呼ばれるのも億劫ね。日比生で良いわ」
「では、日比生さんで」
うん、と日比生さんは頷いた。女性を名前呼びするのは若干照れるけど、まあ、やむを得まい。
「一段落ね。報告の方に移っても良いかしら」
「はい」
「パステルの一部門が今度、新しい店を出すことになったわ」
「それは……」
「小規模な雑貨店でね。ミネラル……って、ああ、栄養素じゃなくて、石材とかのほうね。その手のアイテムを取りそろえる、マニアックなお店になる予定なの。多少の宝飾品も置くそうだけれど、ね」
「なるほど……。場所は、どのあたりに?」
「駅向こうよ。駅から歩いて三分、ここからでもそれほど遠くは無いわね」
「ふむ」
要するに。
これまで闇ルートでしか捌けなかったアクセサリーや宝石の類い、もしくはそれに近いようなものをそこで取り扱おうか、という提案、だよな。
「……あの。日比生さん。僕達は大人しくするつもりなので、そのあたりもしばらくは止めるつもりだったんですが」
「そうね。けれどそのお店の支配人がこの私なんだなー」
…………。
あー。
「つまり、パステルを経由せずにダイレクトでやってくれるということですか」
「ええ。まあお店における程度のものならばって話にもなるけれど。それと……」
うん?
なんか『それと……』のところからニュアンスが変わった。
「もしよかったら、少し珍しい宝石を、こっちには定期的に融通してほしいのよね。あなたたちが出所だとは絶対に明かさないし、パステルよりも条件もよくするわ」
「…………」
裏がある。
分かりやすいほどに。
(だな。……つーかまさかとは思うが……、)
あり得るよね……。
「定期的な融通……、まあ、そうですね。一つ質問に正直に答えていただけるならば」
「それだけで良いならば当然乗るわ。で、質問って?」
「パステルからの独立でも目指してます?」
「…………」
日比生さんはぴたっと動きを止めた。
そして、きょろ、きょろと今更ながらに周囲を確認している。
「安心して下さい。この部屋はほとんど完全な防音がしてあります――でもなきゃこんな会話は別な場所に移してやってますから。それに盗撮もありません、確認済みです」
「……世の中、スマートフォンがあればそれだけで、」
「『この部屋は今、圏外です』。そういう仕掛けもあるんですよ」
「……呆れた。殆ど既に対策が、こっち側の領域にあるじゃない」
よくもまあそこまで踏み込んでおいて『暫く距離を取る』とか言えるわね、そんな事を言外に滲ませながら日比生さんは言う。
「ええ、そうよ。正確には私がじゃなく、私とクロットの二人が……なんだけどね」
「それを喫茶店が許しますか?」
「許させるだけの技術を今、磨いている最中よ」
「……それを僕に言って、僕がパステルにばらすとか、そうは思わないんですか」
「あら。あなたたちは『暫く距離を取る』んでしょう?」
ああ、そういうことね……。
なるほど。
だとしたら前後も含めて、相談は必要そうだけど……。
(ああ。災い転じて福と成す――って事もあるな)
洋輔の承諾も得たので、亀ちゃんを一度机の上にのせ、勉強机についている一番下の引き出しを開け、その中から複数種類の宝石詰め合わせのような箱を取り出す。
「仮定の話、ですけれど。独立に成功したら、そこに僕達の席を用意して貰えたりしますかね? いざというときの、仮定の話にすぎませんが」
「…………、私としては願っても無い申し出ね。けれどその言葉は重いわよ、あなたは今、『自身の背後に何も無い』と言っているようなものだわ」
「そのことをパステルに報告するなら、僕達だって日比生さんたちの考えを話さざるを得ませんし……それで、どうなんですか」
「じゃ、今のところはお互いに口約束としておきましょう。……なにはともあれ、響谷から連絡が行くまで、大人しくしていなさい。それが一番『早い』わ」
「分かりました」
そう。これは口約束。
けれどなぜかこの人は。
(どういうわけだか。少なくとも佳苗に嘘をつけないらしいな――)




