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生命存略夢現  作者: 朝霞ちさめ
第二章 極点候補者と深刻な問題
38/111

36 - 何事も考え方

 1月28日、土曜日。

 約束通りの待ち合わせ場所と時間に到着すると、既に葵くんが所在なさげに立っていた。

「お待たせ。ごめんね、待たせたかな」

「ううん、丁度いいくらいだ」

 というわけで。

 昨日はちょっと失態を見せてしまった僕ではあったけれど、コレは元々入ってた予定だし、それになにより単に楽しみだったので、気分転換も兼ねて葵くんと遊ぶわけである。

 遊ぶと言っても将棋だけれど。

 依然と同じように電車に乗って数駅、駅を降りるとそのまま将棋道場へ。

 地球時間にして一ヶ月ぶりくらいになるだろうか。

「おはよーございます、ししょー」

「ああ、葵か。おはよう」

 毎度来る度とはいえ、こういう場所ではなぜかフランクになる葵くんだった。

「お邪魔します」

「あら佳苗くんも。いらっしゃい」

 そして僕の挨拶に先に反応したのはいつもの女性。

 咲くんのお母さんで、望さんだ。

 最初に会ったときは驚いたものだけど、今となっては咲くんとも偶に話すような感じだったり。

 慣れた感じで飲み物を注文して席に着くと、すぐに師匠こと大塚さんがやってきた。

 ここまでは、まあ、最近のお決まりなんだけど……。

「さて。今日は呼び立てて済まないね、渡来くん」

「いえ。それは構わないのですけど……」

 そんな大塚さんの横には見慣れぬ男性……いや、まだ男子か。

 高校生……くらい、だと思うけど。誰だろう。

「そういえば佳苗は会ったことないんだっけ。オレの兄弟子、吉岡にーちゃん。高校一年生、三年先輩だよ」

「はじめまして。渡来です」

「初めまして。吉岡(よしおか)和一(かずいち)だ。師匠から話は時々聞いてたんだけど……」

 どういうことだ、と吉岡さんは大塚さんに視線を投げかける。どうやら事前に話し合いとかはしていなかったようだ。

 一方でにんまり顔の葵くんを見る限り、葵くんは事情を知っている。

「ししょーがね、吉岡にーちゃんと佳苗をぶつけてみたいんだって」

 ぶつけてみたい……、ね。

「つまり、今日僕が呼ばれたのは、吉岡さんと何局かするためですか」

「そういうこと! 言っておくけど、吉岡にーちゃんはこの道場で一番強いよ」

 葵くんは誇らしげに言う。兄弟子かあ。そりゃ居るよな。

 そして兄弟子という言葉を使ったと言うことは、葵くんもいよいよ将棋界を目指す事にしたのかも知れない。大塚さんは現役プロ、師匠として不足なし……だもんね。

 奨励会とかもぼちぼち目指すのかな?

「ちなみに葵くんとやると勝率はどのくらいの割合になるの?」

「うーん。十に三、オレが勝てる程度かな」

「半年前までは十に一ですらなかったんだけどね……、このところめきめきと強くなってる理由が君だと聞いてるよ」

 将棋部に僕は参加していない。

 けれど休み時間とかに軽く将棋で遊んだりはするし、詰め将棋の答え合わせとかもやってるからな。

 その当たりで少しずつ葵くんも強くなっていたようだ。

「師匠。おれはえっと、渡来くんと戦えばいいのかな?」

「ああ。一応時計は用意した。葵は記録と時計を手伝ってくれ」

「うん!」

 なるほど、葵くんがその間暇じゃないかなーと思ったら、そういう関与の仕方をするのか。

「渡来くん。そういうわけだ、君の力を少し貸して欲しい」

「僕なんかでよければ構いませんよ。時間の許す限り、何局でも」

「それはありがたい」

 心の底からの大塚さんの言葉……に、違和感。

 ありがたい?

「和一」

「はい」

「全力で掛からないと、一瞬で終わるからな。気をつけろよ」

「…………? はい」

 わかりました、と葵くんから譲られた、僕の正面の席に吉岡さんが座る。

 佇まいは既に、一人前の棋士だった。

 注文していた飲み物が届いたところで、振り駒をして僕の後攻。いざ一局目。

 吉岡さんはどんな戦型なのかな……、パチパチと手を進めて行く中で見えてきたのは、比較的攻めっ気のある将棋って感じ。振り飛車ってやつだっけ?

 とはいえ僕との対局が初めてということもあるだろう、僕が瞬時に指し返す事に戸惑いも抱いているようだ。

 戸惑いつつもきちんと考えて、提示してくる手に隙はない。

 だからこそ、


 僕に勝つことは出来ない。


 一局目、七十五手。

 二局目、五十四手。

 三局目、五十一手。

 四局目、百四手。

 五局目、六十九手。

 全て吉岡さんの投了、僕の全勝で、その内容は僕を呼び出した大塚さんですらも引きつり顔になるような一方的な展開が多かった。

 といっても、それは全て吉岡さんが強かったからなんだけど。

 将棋に関しては『相手が強いほど強くなる』のが僕だからね。

 それでも四局目は少し手間取った。僕の思ったとおりに展開が進まないところがあったというか……、なんか意識して吉岡さんが手を抜いた部分が多かったというか。

 僕の『相手が強いほど強くなる』、これは裏を返せば『相手が弱ければ僕も弱い』ので、それを見ぬかれたのかな、とも思ったけど、結局しっかり姿勢を正して打ち直し始めた吉岡さんの我慢負けというか、意地なのだろう。

「そろそろ五時だよ。佳苗、大丈夫?」

「あんまり大丈夫じゃないかも?」

 というわけで、帰り支度をしはじめた五時頃、乾いた笑いを浮かべて将棋盤を眺める吉岡さんを見てちょっと罪悪感。

 そんな僕をフォローしてくれたのは大塚さんだった。

「渡来くんとぶつけたかったのはね。吉岡に絶対的な壁を見せるためなんだ」

「壁……?」

「ああ。あの子は昔から将棋が強くてね。私にも十に二つは勝つだろう。『絶対に勝てない敵』というものが、あの子には想像できない。……だから、君にそれをお願いしたわけだ」

 なるほど。

 ちなみに僕が負けない条件は、『相手が一定以上に強い』ということ。僕に勝てる人はそれほど将棋が上手ではない人で、僕に負ける人は将棋が強い人と、奇妙な逆転現象がおきる。

 故に僕は『絶対に勝てない敵』というわけではないんだけど……ね。

「五の五か。佳苗ならやるんだろうなあとは思ってたけど、本当にやるとは」

「全く、葵のお友達は大したものだよ」

 葵くんと大塚さんはそんな話をしているけれど、話に一切混ざってこない吉岡さんがちょっと不安だ。

 心が折れた……とまでは行ってなさそうだからそれほどの心配はないだろうけど。大体、ぼこぼこにした僕が何を言ったところで追い打ちにしかならない。あとは師匠の大塚さんがどうにかするはずだ。

 その算段もなく嗾けたりはしないだろう。

 …………。

 不安だから葵くんに経過観察をお願いしておこうっと。

 丁寧に挨拶をしてお店を出たところで早速葵くんにお願いすると、

「そうだね。オレもちょっと心配だし。にーちゃんらしくなかったからなあ」

「いきなり過ぎるんだよね。何か理由でもあるの?」

「今度の大きなイベントがあるからね。それになんとか間に合わせたかったみたい」

 イベント?

「佳苗から見て、吉岡にーちゃんはどうだった? 強かった?」

「うん。やたらと強かったけど……ミスもないようなものだったし」

「だよね。実際大会でも結構な成績は残してる」

 『だからこそだよ』、と葵くんは言った。

「今度、奨励会の入会試験を受けることになる。その前に徹底的に叩き伏せられる経験をしないと、本番でそうなったときにどうしようもなくなる……っていうのが、ししょーの言い分。オレは、そんなものかなあ、って。……オレはその点、結構早めに佳苗とやれてよかった」

 葵くんは笑顔で言う。そこに隠し事はない。

 ただ、複雑な笑みだった。

 自分はそれで良い。

 けれど兄弟子にとってはそれでよかったのかが分からない、そんなニュアンスか。

「佳苗は何か、大きな、どうしようもない失敗をしたことはある?」

「心当たりが多すぎるかな……」

「そっか。ならば良かった。佳苗はオレと違って、なんでも出来ちゃうから……もしかしたら、失敗なんてしたことがないのかも、なんて思っちゃう事があってさ。だとしたらそれは」

 とてもかわいそうじゃないか、と葵くんは目を伏せて言う。

 まるで心当たりがあるかのように。

 いや……たぶん、あるんだろうな。

「変な事を聞くけどさ。佳苗は失敗するのは好き?」

「それを好き好む人は希だと思うけど……?」

「かもね。けれどオレは好きだよ」

 悪戯っぽく笑って葵くんは言う。

「そうだな。他の奴に言う分には『屁理屈だ』って一蹴されそうだけど、佳苗にならばちょっとは理解して貰えるかも知れない。押しつけだけどね。ね、『何でも成功させる』って人が居るとするじゃない」

「うん?」

「その人は『失敗を成功できる』のかな?」

 …………?

 禅問答みたいな感じだろうか。

「何でも成功させてしまう以上、きっとその人は失敗しようとおもえば失敗も出来るんだ。でも、失敗することが目的だったとしたら……失敗することに成功させちゃうわけで、それは失敗のように見えて、実は成功だとも言える。そうじゃない?」

「それは……そうかも」

「ならばその逆はどうだろう。『全部失敗する』って人が居たとしたら、その人は本当に失敗しかできないのかな? 『失敗することに失敗』すれば、それは成功になっちゃうんじゃないの? それがオレの考え方。佳苗はどう思う?」

 失敗することに失敗すれば成功になる。

 マイナスかけるマイナスがプラスになるみたいな考え方か。考え方としては十分にアリだと思う。

 ましてやその体現者みたいなところが在るからな、葵くん。

 なるほど、あのでたらめなスポーツの楽しみ方は決して『成功』させているわけではなく、『失敗』しても良いと言う考えで『失敗に失敗』したときに発生する、結果的……あるいは逆説的な成功をたぐり寄せてるわけか。

「面白い考え方だね。妙に説得力もある」

「そう言ってくれると嬉しいよ。……オレは、だから失敗は嫌いじゃないんだ」

 成功させるべきはさせたいけれど、そうでないなら失敗したとき、自分の想像と全く違った結果としての何かを見るのが楽しいのだ、と葵くんは言う。

 根っからのポジティブシンキング……のような、実は果てしなく後ろ向きのような。

 それでも楽しんだ者勝ちに変わりは無い。

 ……ふむ。同じ計算式でも観測の仕方によっては結果が変わる、か。

 だとしたら……、ま、これは帰ってから考えよう。

「嫌いじゃないだけで、好きとも違うんだけどね。オレも佳苗みたいにできるようになればーとか、思っちゃうし」

「僕みたいにというのはやめた方が良いよ」

「なんで?」

「出来るのは楽しいかも知れないけれど、その分だけ面倒ごとも増えるからね」

「それは……えっと、大会とか?」

「そういうのなら面倒とは言わないよ」

 と言ったところで地元駅に到着。

 ホームに降りたその場所で、明確に視線を感じる……葵くんに気付いた様子は無し、そりゃそうか。

 にしたって、折角普通に遊んでるときくらい、自重してほしいものだけど。

(敵対気味の相手がそこまで事情を考慮してくれるワケもねえだろ)

 正論で正面から突っ込まれた。

 いや正面と言っても遠隔で、そういう意味では背後からと言うべきかも知れないけれど。

「葵くんはこの後どうするの?」

「んー、時間も時間だし、普通に帰るかな。佳苗は?」

「同じく。帰ったらご飯の準備手伝って……、今日は家庭教師もあるんだよね」

「ああ。そっか、土曜日だもんな」

 そういうこと。

 ホームから改札へ、そして改札を出る。

 視線は未だに付いてくる……、まあ、いいや。

「途中で野良猫が居たらちょっと遊ぶくらいはするけどね」

「ちょっと……?」

「…………。葵くん、何か?」

「いや。…………。何時間くらい?」

「待って葵くん。それはちょっとじゃないよ」

 いや気分的にはたしかに数時間くらいは遊んでもいいかなって思うことも無いわけじゃ無いけれど。うん。

「葵くんはこの後、いつも通り?」

「そうだなー。特にいつもと違うことをする意味も無いし。帰って、ちょっと自習して……、そしたら丁度夕飯。食べ終わったら風呂掃除して、お風呂でゆっくりって感じ」

「充実してるよね……」

「だってお風呂って気持ちいいじゃん」

 …………。

 一瞬『何を大胆な』と思ったけど、いや、普通だよな。

 危ない危ない。

「でも欲を言うならオレ、お風呂って空っぽの方が好きなんだよね」

「空っぽ? お湯を張ってないってこと?」

「うん」

「それ意味あるの?」

「いやいや、ほら、空っぽの湯船に入って、栓をして、そこにお湯を入れ始めるやつ。最初はお尻とか足があったかくなるだけだけど、だんだんと身体がお湯に包まれていく感じがなんとも言いがたい気持ちよさというか」

「それならよく分かる。というか僕も結構やるなそれ……」

「結構やるって、よく出来るね。親が怒るだろ?」

「僕の両親は共働きで、帰りも遅いことが近頃は多くてさ。親を待ってるとご飯とかも遅くなるから、平日の夕飯は大抵僕が作るし、お風呂とかも親が帰る前に済ませちゃうことが殆どなんだよ」

 だから結構自由にお風呂に入っているというワケだ。

「なんか羨ましいなあソレ。佳苗は料理も上手だし」

「あはは。最初の頃は面倒だった気もするけど、今はそれ以上に好きに出来るのが大きいかな……」

「いいなー。今度泊まりに行っちゃだめ? ダメだよなー」

「え? 良いけど。そんな広い家じゃないし、今は客間も無いから一緒に寝る感じになるけど、それでいい?」

「え、いいの?」

 うん。

「あと敢えて言うなら、窓のすぐ向こうが洋輔の部屋ってことくらいかな。カーテンしてる間はお互いに相手側を気にしないって決まりがあるから、それでどうとでもなるけど」

「ふうん。そういえば家が隣なんだっけ。んー。んんー。でもオレ、このごろ土日は微妙に用事あるからなあ……」

「平日に泊まりに来たらいいじゃん」

「いやでも、次の日学校だろ?」

「僕も同じ学校に行くんだから問題ないでしょ?」

「…………。あれ? 言われてみれば、そうかも」

 考えもしなかったよ、と葵くん。確かに友達の家に泊まりに行くのは休日ってイメージが強いもんな、仕方ない所ではある。

「ふふふーん、じゃあ早速今日親に聞いてみるよ。平日に泊まりに行ったことないから、そこからになっちゃうけど」

「おっけー。どっちにしろ結果は教えてね。オッケーなら日取りも決めちゃおう」

「うん!」

 そして丁度駅構内から出たところで、ふらふらーっと近寄ってきた野良猫を抱きかかえる。あんまり見ない子だな。駅向こうでちらほらと見る子だから、どっからかこっち側に渡ってきたのだろう。

「それじゃあ佳苗、またあとで」

「うん。またね」

 なんて猫について考えていると、葵くんがにこにこと笑顔を浮かべて帰っていった。

(で、お前はこの後どうするんだ)

 どうもしないよ。今日はこのまま帰る。

(良いのか?)

 良いよ。

 今日騒いだら、葵くんに火の粉が飛ばないとも限らない。

 そういう巻き込み方をするのは、本意じゃ無いしね。

 だから猫ちゃん、ちょっと手伝ってね。

(…………。お前を敵に回した奴らに同情するよ)

 やだなあ洋輔、僕は何もしないよ。

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