00 - これからのために
『やあ僕。今回はちょっと緊急の要件だ。少々手荒な方法だけれど、この方法をあえてとったのは、これが一番大量の情報を伝えられるからだと思って欲しい。その上で、僕は僕に報告しなければならない。
『僕、渡来佳苗は、鶴来洋輔と共にまた今日、別の異世界に飛ばされた。そしてそこで成すべき事をちょっと強引に成し、帰還したんだ。地球上では数分しか経っていない。けれど僕達はその異世界に年という月日を費やしていた。
『そこで僕達が経験した事件、そして僕達が習得した技術についても伝えなければいけないからね。けれどその前に、まずは確認をしたい。いや、確認をしなければならない。
『ねえ僕。僕は「理極点」を知っているかい?
『ねえ僕。僕は「ソフィア・ツクフォーゲル」という女の子を知っているかい?
『ねえ僕。僕は「ソフィア・ツクフォーゲル」という女の子を、見つけられたかい?
『僕達はまだあらゆる点において、仮説すら作る事が出来ていない。なぜなら、理極点の観測がまず難しいからだ。あの時の僕がそれを簡単に認識できたのは、それを認識しうる大量の前例をデータとして持っていたからに他ならない。そして僕達はこの世界において、その前例としてのデータがない。だから表理極点はおろか、理極点の絞り込みすらできていない。今、僕と洋輔が確認できている理極点は、僕とそして洋輔だけというありさまだ。
『けれど、いつかはデータも揃う。
『そして、いつかは見つけることが出来るだろう。
『だから僕は、経験したことを、習得したことを、全部伝える。知っているかも知れないけれど、それでもあえて伝えよう。その上で、僕に返事をして欲しい。あるいはそれが、鍵になるかも知れないからね。
◇
と始まる一連の説明をロジスの槍、ティクスの籠を用いて他の僕達に知らせたのは、もう二日も前の事になる。
にもかかわらず、未だに返事は一つも無し。
何かが起きた。あるいは何かが起きている。それはきっと間違い無い。
けれど何が起きたのかが解らない……皆目見当も付かないというより、可能性がいくらでも思いついてしまう。だからこれが正解だという結論を出せない。
なまじ二回目でより多くの知識を得てしまったから……なんだろうな。
「分からねえものは分からねえ。だから、分かることから少しずつ解決していくしかねえだろうな」
「うん」
僕に対してそう言ったのは当然洋輔だった。
とまあ。
そんなわけで、僕達が地球上に帰還してから既に二日が経過している。
この二日間を僕達がどう過ごしていたかというと、『特に何もしなかった』。
少なくとも表面上はそうだし、水面下でもこれといって大きく動いてはいない。
もちろん動いていない、何もしていない以上は新しいことが判明するはずもなく、にもかかわらず何もしないことを選択したのにはとても浅い、けれどとても重要な意味があった。
常識という問題だ。
僕と洋輔はちょっと前まで、異世界で魔神という役割をしていた。それはゲームでよくある『魔神』、つまりラスボスとかそういう意味合いでの魔神であって、だからこそ、僕にせよ洋輔にせよ、かなりの権力があったし、やりたいときにやりたいことを出来てしまっていた。
それが数日程度でも大変だろうに年単位で過ごしてしまったものだから、どうにも常識がそちらの世界のものに上書きされている部分があったわけである。ご飯は食べたいときに食べられたし、お風呂も好きには入れたし、それに僕だっていろいろな実験を自由にできた。
だから、地球に帰ってきた僕たちはそういう自由を失った状態だ。これを何もしないことで、改めて地球上の生活に馴染もうと試みている形になる――唯二の例外を除いて。
例外措置の一つ目がソフィア・ツクフォーゲルとの接触を図ったこと。
ソフィア・ツクフォーゲルは異世界で出会った、けれど地球出身の少女だ。だから彼女と接触し、情報を交換しながら今後の事を考えていこうと思ったのだけど、彼女から教えられたメールアドレスにメールを送っても『そんなメールアドレス存在しねえから』とシステムに怒られ、彼女に教えられた電話番号に電話をしてみても『そんな電話番号使われねえから』と電話会社に怒られ、住所から調べてみようと思ったらまず住所を聞いてなかったという致命的なミスに気付き、それでもなんとか捜索中……というのが現状である。同じようなことをソフィアもたぶんしてるんだろうなあ。僕達に連絡を取ろうとして、僕達の存在が見つからないと困っているのだろう。となると……、可能性がやっぱり多すぎて、特定には大分遠い。とはいえ僕達からしか探していないならまだしも、ソフィアも僕達を探してくれているのだとしたら、いずれはたぐり寄せることは叶うだろう。それがいつになるかは努力次第だけどね。
で、二つ目の例外措置が『他の僕』への連絡だ。最初の異世界から帰ってきた後、複数の地球というワードを僕達を異世界に飛ばしてくれやがった野良猫が漏らした。それが最初のヒントで、それ以降色々と調べていたら、『他の地球』があって、『他の地球には他の僕が居る』こと、そして『その僕には僕の行動がある程度反映されていること』などが分かっている。多次元世界解釈というやつの中でも、特に近い世界とは多少のやりとりができる、干渉もできるっぽい、といったところでまた異世界に飛ばされて……そして帰ってきて、改めてその当たりを確認しようとまずは現状の確認をするつもりだったんだけど、そこで躓いた。確かに二回目の異世界に行く前にはできていたやりとりが出来なくなっていたのだ。これは全くの想定外……とはいえ、連絡が取れないという情報を得ることは出来た。つまり何らかの変動があったのだ。そしてその変動の理由が分かれば、あるいは僕達のこの地球という世界がどうなっているのか、その当たりの解釈も出来るかも知れない。
これが僕らの近況だ。
そしてこの例外措置のどちらもが効果無しであったことは、却って僕達に対する課題が明確化したようなものだ。
ソフィアを探すために喫茶店を巻き込む。これは僕が取引を担当することになるだろう。
一方で理極点の定義は洋輔に頑張って貰うしかない。それは僕には難しい。
そして当面、僕達にできる事はそれくらいなのだ――なのだけれど。
裏を返せば、それ以外にやるべき使命が無いと言うことだ。
というか、今上げた二つだって『気になるからやりたい』というだけで、絶対にやらなければならない事ではない。
当たり前の事でしかないけど、地球において普通に生活する限りにおいて、『成すべき事』は無いのだ――僕も洋輔も、産まれた場所としての地球においては、契約に縛られてないのだ。
「それを暇と見做すか、それとも自由と見做すかは人によるよね。洋輔はどう思う?」
「両方だろ。暇だけど自由、自由だけど暇。何でもやっていいからこそ、どれからやったら良いかが解らないって言う贅沢な状態……ま、適当で良いんじゃねえの?」
「実に洋輔らしいアバウトな……」
まあ同感だけれども。
飼い猫の亀ちゃんを撫でつつ同意する僕だった。
「で、だ。佳苗、年内の予定は?」
「バレー部で年末報告会っていうのが明日あるくらいかな。場所は本町会館」
「ん? 学校じゃねえの?」
「主体がバレー部じゃないんだよ。商店街が主体」
あの大会で僕達の学校の男子バレー部は決勝トーナメントに出場した。その時、バレー部が直面したのが資金的な問題だ。
部活としては学校がある程度サポートしてくれるだろう、という感じのノリだったんだけど、とりたててこれまで良い成績を残したことの無い、よくある中学校の部活の一つに過ぎなかったバレー部が勝ち進むとは学校が考えておらず、結果サポートが全く間に合わなかった。ちなみに此処で言うサポートとは直接的なお金の補助も含むけど、学校で寄付をお願いするなどの意味合いが強い。
じゃあ急いでやれば良いと言っても、トーナメントに出場することが決まった時点で夏休みが始まり、もはや学校としての呼びかけは致命的に間に合わなかったのである――だから、金銭的な負担を少しでも減らすために『あまり勝つな』とさえ言われた始末である。
でも僕は負けず嫌いだった。それに学校としてもそんな事を言いたいわけでは無い。生徒が頑張っているのだ、それを応援するのが義務だった……内心はともかく、世間体としてその応援をしないと言うことはあり得なかった。だから、『金銭的な負担をたとえば誰かがスポンサードしてくれるならば好きにやって良い』みたいな言質を取るのはとても簡単だった。
言質を取るのが簡単だったのは、それがあまりにも現実的では無かったからというのも理由の一つだ。特段それまで成績を残していない公立中学校の部活に全面的な協力をしてくれる奇抜な人や組織はまず無い。一度でも成績を残していれば僅かな可能性くらいは出るかもしれないけれど、この時点ではただ、『なんか予選を突破している』程度に過ぎなかった。
実際はどうなったか、というと、学校からほど近い商店街の名義で、十分な予算が確保できた。その内実は商店街の名前を借りて喫茶店パステルが全額を出していて、その更に裏を手繰ると実は、喫茶店自身も一銭さえ出していない。
出したのは全額僕である――適当な金属を金に作り替え、それを宝石と一緒に適当なアクセサリーにふぁんと錬金術で変化させて喫茶店の闇ルートで売り払う事で得たお金を、喫茶店の名義で商店街の名義を借り、それによって学校に支援をして貰ったのである。
「資金洗浄って奴だろ、それ」
「いや、ただの名義貸しだよ。それに資金洗浄ってあれでしょ、強盗とかしたお金を普通のお金にするやつ。僕が持っていったアクセサリーは確かに闇ルートで捌かれてるけど、お金自体は至ってクリーンなものなんだ。それにアクセサリーだって盗んできたわけじゃ無いから、誰も困らないよ」
乱発すると経済が混乱するけど。
「困るじゃねえか」
ド正論だった。
当然、乱発できる手ではない。そもそもが盗品ではない以上、足が付くことは絶対に無いんだけど、それでも『何処で手に入れたのか』を徹底して調べれば『なかったはずの物がいつのまにかあった』ということに気付かれてしまうかも知れない。
気付かれたからといってそれ以上先、つまり錬金術というものにはたどり着けやしないにしても、動きにくくなるのは事実だ。
それに、貴金属、特に金や宝石などが高値で取引されるのはその希少性が理由だ。僕が考え無しに色々と売り払った結果相場が大きく崩れてしまっては、僕はまた別の高い物を売るだけだけど、世界的な経済混乱を起こしかねない。
知ったこっちゃ無いというのが本音だけど、妙なことで争いの種を生み出す意味も無いしね。
「けど、なるほどね。ってことはバレー部は全員参加しないのか?」
「うん。一年は僕と郁也くん、二年は土井先輩と風間先輩。あとはもう部活的には引退してるけど、鳩原元部長も参加することになってる。生徒側で実質的な報告をするのは風間先輩、僕達はそのフォローだね。あとはコーチと顧問の小里先生が試合内容と今後の予定について簡単に説明する予定」
「それ、必要なのか?」
「この前の大会で僕達が思いのほか成績良かったからね。商店街の名前でフォローしたとはいえ、内実としては喫茶店一人の功績になっちゃってる。で、商店街組合内部の力関係に変化があるんじゃないかって事情と、次回以降も同じくらいに勝つならばいっそ大々的に応援してやればちょっとした町興しにもなるし、商店街に客を呼び込めるかも知れないって打算があるっぽい。だから今回の報告会でよほど失態をしないかぎりは、来年からの活動には本当の意味で商店街の資金援助が期待できるってワケ」
「なるほど。お前の自作自演が呼び水になったわけだ」
さすがにそこまで想定してたわけではないけど、結果的にはそうなった。
「じゃあ大晦日は特に予定無しか」
「全くないわけでもないかな。洋輔と初詣する予定はある」
「ああ。それなんだが、どうする? 二人で行くか? それとも誰かついでにつれて行くか?」
「さて?」
つれて行くとしたら……、とりあえず声を掛けるとしたら誰だろう。
バレー部つながりの郁也くん、と仲が良い昌くん、晶くんは決まりだよな。あとは班も一緒で親しい葵くんと徳久くん、涼太くん。クラスは違うけど咲くんとか、学年が違うけど演劇部つながりで祭部長とかも呼びたいな。でも祭先輩、友達多いみたいだし、さすがに先約があるか。
「いや何人で行くつもりだよ。そんな大勢での大移動、バスでもチャーターするつもりか」
「たったの十人、……そうだよね。十人も、なんだよね」
「佳苗は日常的な所はすぐに順応したけどさ……そういう桁っていうか、単位的な感覚が抜けてねえみたいだな」
洋輔は呆れ十割の感情を向けつつ僕に言う。
だから僕も、そうだね、と頷くしか無かった。事実だし。
「村社はどうせ弓矢と一緒に行くだろ。それを邪魔するのは悪い」
「その理論だと前多くんもたぶん、涼太くんと信吾くんが一緒かな。咲くんも四組グループで呼ばれてるかも……となると、僕としては徳久くんだけだね、とりあえず提案するのは。洋輔はどうするの?」
「俊あたりに声かけてみるつもりだ」
「蓬原くんか。分かった。それじゃあそれぞれ連絡して、結果はまた後でかな」
「オッケー。ところで佳苗、上様がずいぶんと眠そうだぞ。いい加減離してやったらどうだ」
「…………。そうだね。亀ちゃん、おやすみ」
「不服そうに言うな……」
だって、猫は撫でてると落ち着くし……。
それでも洋輔の言い分はもっともなので、亀ちゃんはゆっくりキャットタワーの定位置へ。
ついでにスマホを手元に寄せて、徳久くんには通話アプリで連絡を入れておいて、っと。
既読もすぐには付かないみたいだし、ちょっと放っておいて……と。
「話がちょっと戻るんだが」
「うん。なに?」
「喫茶店へのソフィア捜索依頼。もう出してるんだっけ?」
「いや。ただ、明日の報告会でついでに『お願い』があるって前触れはしてある。こっちが用意できたのは名前、国籍、それと大まかな年齢くらいだから、他にもなにか用意できないかなーって思ったんだけど、無理だった」
「写真もねえしな。記憶から再現したところで分析に回されると厄介か」
「うん」
遺伝子型とかが持ち帰れれば違ったんだけど……前回もそうだったけど、今回も物理的には異世界から何も持ち帰ることは出来なかった。持ち帰ることが出来たのは経験と記憶だけなのだ。
もちろん、記憶が持ち帰れているならばそれで頑張って覚えるという手もないわけじゃないけど、遺伝子型を記憶するのはちょっと現実的では無い。僕は小数点下は3.141までしか覚えていないのだ。
「いやそれはもうちょっと頑張れよ」
「そんな数字を覚えてたってしょうが無いよ。どうせ学校でも『π』を使うんだから」
「……まあな」
そして錬金術的にも円周率が必要ならば『円周率』って概念を代入すれば良いし。
「だがそんな情報だけで探してくれるかね?」
「条件に該当しうる人物がいるかどうかのチェックくらいはしてくれると思う。それ以上となると現実的には難しいかな……喫茶店としては僕達が唐突にドイツの女の子を探せ、なんて言った理由を知りたがって、その上で僕達にそれを聞いても何も得られないことは分かってるだろうから、却って必至になってソフィアを探すだろう、とは思う。ソフィアを探し出すことが出来れば、ソフィアとの関係性とかで色々と分かるかも知れない、からね」
「その場合、喫茶店は見つけても暫く連絡してくれねえんじゃねえの? 未だ見つかってない、とか言って」
「喫茶店が見つけたならば、って前提はあるけど、その理由で隠そうとしても無駄だよ。ソフィアが監視に気付かないわけが無い。そこから逆にたどって僕達を見つけてくれる……まあもっとも」
ソフィアが見つかるのがどちらにせよ前提だ。
そして現時点でソフィアが見つかる可能性はそれほど高くないと見ている――それでも、探さないという選択肢は無いのだから仕方が無い。
「ちなみに洋輔。明日の報告会、洋輔も来る?」
「ん……、外部の人間を連れて行くのはセーフなのか?」
「大人数は困るけど、一人二人なら連れてきてもいいって言われてるよ」
「なるほど。……けど、いいや」
「なんだ。先約があった?」
僕の問に先約はないけど、と洋輔は首を小さく振った。
「俺は早いところ刀鍛冶プレイをクリアしたいんだよ。そしてその後は商人プレイだ」
「…………」
ゲームが優先なのか……。
「そんな目で見るなよ、佳苗。ちゃんと理由があるんだぜ」
洋輔はそう言うと、窓から窓へと渡るように、洋輔の部屋へと移動する。
いつも通り、慣れた仕草で。
「どうせ碌でもない理由なんだろうけど、何がどんな理由なの?」
「年明けに用事があってな。サッカー関連で。部じゃねえけどな」
ということは来島くん絡みか。
僕の思考に洋輔はこくりとうなずき、そしてすちゃりと洋輔の部屋の椅子へと座ると、そのままゲームを起動したようだった。
「だからそれまでにクリアしておかないと、なんかもやもやするだろ?」
「しないよ?」
「…………」
見解の相違だった。
とまあそんな次第でありつつも、僕らは日常へと戻ってゆく。
季節は冬。
時は西暦2016年、12月29日。
地球という単位では言い切れずとも、今のところこの国は――僕らの回りは、とても平和だ。