99 - 『石や』の平和な光景
5月3日、水曜日。
ゴールデンウィークの初日を快晴……というほどでもないけれど、晴れで迎えたこの日、僕は線路のむこうのとある店舗に、朝から向かっていた。
看板には『石や』。
竪川日比生さんが経営するミネラルショップであると同時に、今の僕のバイトもといお手伝い先だ。
「おはようございます、日比生さん」
「おはよう、渡来くん。ごめんなさいね、折角のゴールデンウィークの初日を朝から呼び出しちゃって」
「以前も言いましたが、お気になさらず。僕だって今日を楽しみにしてたんですから」
ミネラルショップ『石や』は、開店してからもうすぐ一ヶ月を迎えようとしている。
一番最初に一度だけ新聞折り込み広告を出したりもしただけで、主にインターネット上での口コミと来店者による伝聞などだけである程度このお店の存在は認知されつつあり、イベントではない常設店舗としてミネラル、特に鉱石やジェム系を大々的に取り扱う他、国内では見かけることの少ない各種宝石の原石や、標本として申し分ないような様々なものが展示・販売されている事から、一定の注目を集めているのだった。
尚、商品としておかれている者の七割ほどは日比生さんが自身で仕入れたもの、一割はクロットさんが何かのついでで手に入れたもので、残りの二割は僕が持ち込んだものだったり。注意したいのは、日比生さんが僕に対して納品要求した物に関しては『日比生さんが自身で仕入れたもの』にカウントしているという事だろうか? その辺も鑑みると、僕が関連している商品は全体の四割くらいにまで増えたりもする。
で、オープンしてから初めての大型連休一日目の今日から、『石や』では特別な催しとして、ゴールデンウィークにかけて『二つのゴールデンスペシャル』を実施する旨を一週間前に告知したところ、これへの反響がとても大きく、もしかしたらお客さんがものすごい集まるかも知れないし、逆に肩すかしかも知れないけれど、もしも集まりすぎてしまうと大変だ――といった事で、僕も朝からお手伝いということだ。
尚、二つのゴールデンスペシャルとは『金を使ったアクセサリ特集』と『ゴールドルチル特集』で、前者はたとえばネックレスに原石をはめ込んだ代わり種からしっかりしたジュエリーとして身につけられるような高級品まで、後者もお手頃価格で手に取れるものから桁がおかしいものまでを取りそろえたもので、実際どの程度売れるのかは日比生さんにも謎らしい。
ちなみに開店は十一時。
現在時刻は九時半を過ぎたところ――である。
「それで渡来くん、外はどうだった?」
「五人ほど待機中でした」
「まだ一時間以上あるんだけどなあ……混みそうね」
困ったものだわ、と日比生さんは笑顔で言った。商売としては混み合うくらいが嬉しいのだろう。
尚、店舗は二階建てだけれど店は一階のみで経営していて、この面積は教室の半分より少し広いくらいだ。
具体的な形状は東西が長辺、南北が短辺の長方形で、南側にお店の入り口、東側には二階へと続く階段。店舗の北側には店員、基本的には日比生さんが詰めるレジの置かれたカウンターがあり、カウンターの奥の通路を行けばスタッフ用のバックヤードや設備があったりするけど、それはそれ。
お店の中は大まかに四つのブースになっていて、小物類、標本類、装飾品、展示品と言った具合。展示品のブースにあるものは非売品が多いけれど、一部値札のついているものは売り物だ。高すぎて誰も買えそうにないけど……。
「一応整理券は家で作ってきましたけど、どうします?」
「二十人以上並ぶようならば配りましょう」
「はい」
それじゃあ整理券はバックヤードに置いといて、ついでに自分のロッカーからエプロンを取って装着、お仕事モード、だ。ちなみにエプロンの下はポロシャツとハーフパンツ、どちらも猫柄のお気に入りで、エプロンは無地のものを貰ったので、刺繍で猫を追加した。日比生さんはとても呆れていたけれど、譲れないのだ。
「それで、僕は今日どうします?」
「いつも通り、私が接客、渡来くんがレジ。キャンペーン用の価格表はレジの横のバインダー、割引内容もそこにあるわ」
「先月末で期限が切れているクーポンを提示したお客さんにはどうしますか? 期限切れなので使えません、で済ませます?」
「期限切れなので使えませんけど、今回に限り特別ですって方向でお願いするわ」
「わかりました」
価格表を確認、一通り頭に入れておく。
さらに割引内容と対象も関連付けておいて……、さて。
「もう一つ質問です。有効期限内のクーポン、『その他季節などの特殊キャンペーンと併用が出来ません』の一文がありますけど、これは今回のキャンペーン対象は無理って事で良いんですよね」
「そうね。他の品物には適応して頂戴」
「解りました。他にも分からない事があったら随時確認します」
「ええ」
カードキーでレジを起動、開店処理を済ませて、レジの中に釣り銭を準備して、電卓も横に用意しておいて、日付印の日付を確認、問題なし。
新規発行用のクーポン券の枚数を確認……、
「クーポンの予備、あります?」
「あ、まだ切ってないわ。カウンターの下、下から二段目にないかしら? ピンク色の厚紙」
「ああ、ありました。裁断しちゃいますね」
「頼むわ」
クーポン券などは業者に頼むのも考えたらしいけど、そこまでお客さんが来るかどうかもわからなかったので、最初は自分で印刷することにしたのだという。その結果、裁断は自分でやらなければならないのだけれど、家庭用の裁断機で事足りるのでさくっと済ませて、ホルダーにきちんと保管してあげて……っと。
これでよし。
開店まではまだ少し時間があるので、日比生さんが許可してくれた範囲での悪戯心としてクーポンから既定の枚数を取り出し、そこに猫のマークを追記して、判子を二つ。
ラッキーキャット賞、という仕組みで、一定の割合で用意される特別なクーポン券だ。具体的には次回のお買い物時に提示してもらえれば、先着で特別なおまけがつくよと言うものである。
ちなみにおまけは小粒ながら本物のクリソベリルで、いわゆるキャッツアイ効果が鮮明に現れているものだ。特別なおまけとして会計時に猫印の箱に入ったものが贈呈される。
ちなみにこのラッキーキャット賞については明確に『お知らせ』をしない仕組みになっているので、ちゃんとクーポンの裏を見て、なんか書いてあるという事に気付いた人だけが交換できるようになっている。そのせいかまだ六人しか交換していないんだとか。
「けれど一昨日だったかしら、SNSにラッキーキャット賞を当てたお嬢さんの写真が上がってたわ。『特別なおまけがつくって書いてあったから貰ってみたけど、買った額の十倍以上しそう! びっくり』ってね」
「小粒とは言えそこそこ良い品質を探してきましたからね。普通に買うなら三万円くらいですか」
「……というより、本物の猫目石なんてよくそうも大量に仕入れたわね、あなた」
「第二弾、第三弾も用意しておくのでご安心を」
「いえ心配してるわけじゃないんだけれど……」
ともあれラッキーキャット賞は僕の管轄なので、僕がクーポンを新規に発行しない限り当たりは増えないようになっていたりする。
今日のお客さんにも一枚くらいは渡せるだろうか。
「渡来くん、整理券どうしようかしら」
と、クーポン券の当たりくじをシャッフルしていると日比生さんが聞いてきた。
「日比生さんのお店なので、日比生さんが決めていいと思いますが、何人くらい居るんですか?」
「十七人だったわ」
「びっみょうな数ですね……」
「でしょう」
けれどそれならば別にあってもなくてもという感じだな。
僕がそんなニュアンスで日比生さんに視線を向けると、じゃあ無しでいくわ、と日比生さんは言って、お店の入り口に設置されているグリルシャッターを開け、『営業時間外』の札を『開店中!』に掛け替えて、自動ドアの電源を入れた。
尚、このお店に置かれている品物はそこそこ高価なものが多いため、自動ドアのガラスはワイヤー入りで防犯機能が高いものだったりする。……まあこの店の経営者が日比生さんという時点で、強盗はまず無理なんだけど。強盗や窃盗目的で来るとお店にたどり着けないのだ。さすがは本家、空間整理。
「お待たせいたしました。ただいまより、『石や』、開店いたします」
日比生さんは外に出るとそう言って、お客さんにいらっしゃいませ、とお辞儀をすると、そのまますっと店内に戻ってきた。
入場制限をするほどでもない。ので、大丈夫と言うことなのだろう。
やってきたお客さん達は多種多様で、老若男女が見事に入り乱れている。中には学生らしき人も居れば、妙齢のご老人も居るし、趣味で見に来たと言う人も居ればなんとなく来てみたという人も、そして明らかに仕入れにきたという業者な人も居るようだった。
開店してすぐにレジに品物を持ってくる様な人はやはり居ないため、いらっしゃいませ、と僕も店内に入ってきた人達に定期的に挨拶を交えつつ、梱包用の箱や緩衝材、固定用のテープに包み紙などを淡々とカウンターの側に準備すること二十七分。
「お会計はこちらでよろしいのですか?」
「はい。承ります」
若い女性が少し困ったように声を掛けてきた。
僕でも中学生の子供がレジに立ってたら困ると思う。
「プレゼント用ですか?」
「いえ、自分用です」
「かしこまりました。包装や梱包方法に指定はありますか? 小分けにしてもひとまとめでも、全てサービスとなります」
「えっと……。じゃあ、こっちの小物だけ、小分けにして貰えますか? あと、小分け用の袋もあると嬉しいんですけれど」
「はい。クーポン券などのご利用はありますか?」
「いえ」
「解りました。では、これは次回からご利用いただけるクーポン券です。是非お持ち下さい」
レジに商品の値段をたんたんたん、と打ち込んで、割引などの処理も実行。
「お会計は、七千八百二十円になります」
「はい、ええーっと」
女性がお財布を取り出したところで、脇に準備しておいた梱包用の緩衝材で商品をまず分類し、さらに指定された通りの小分けでそれぞれ包装していく。鉱石系は固定が甘いと簡単に割れたりしてしまうため、固定はしっかり怠らない。もちろん変に力を掛けてもそれはそれでダメなので要注意、と。
女性がお札を会計皿に置いたところで丁度梱包が一通り完了したので、
「お先にお会計をしてしまいますね」
「あ、はい……あれ? いつのまに?」
「今し方です。お釣り、百八十円です。レシートはこちらになります」
レジを操作してお釣りを取り出しレシートと共に会計皿へゴー。
そうしたら万が一の雨に対応するビニール袋を被せると、梱包した箱を包装紙で綺麗に飾り、リボンを使ってざっと花を作りつつ『石や』と刻まれた猫柄の部分をアピールするようにして、はい完成。
紙袋に入れ整え、
「小分け用の袋はこちらになります。一緒に入れておきますね」
「はい……はい?」
はいおしまい。
「今後ともごひいきに」
「いや見てたけど、早くない!? なんか……え?」
若干声が荒立っている。けれどしっかり小声なのは偉いお客さんだった。
ちなみに早いと言っても普段よりも抑えめなので、ちゃんと目で見えるレベルだと思う。
(おう普段がおかしいよな)
あ、洋輔。おはよう。今日も寝坊助だね。
(おはようさん)
と洋輔のツッコミも躱して、
「物事なんでも慣れなのです。何か問題があったらお気軽に連絡して下さいね」
「あ、はい。……えっと、ありがとうございます?」
「こちらこそ、ありがとうございます。またのお越しを」
というわけで今日最初の売り上げは七千八百二十円だった。
ちらり、と日比生さんを見たら、もうちょっと加減しろ、と表情で伝えられた。
けれどのんびりしてるとレジが混むし。
ということで声に出されるまでは現状維持である。
「やあ、可愛い店員さんだね。聞きたいことがあるのだが、よいかな?」
と、次にレジにやってきたのは老齢の男性だった。
「はい。どうしましたか?」
「実は先日、別のお店でなのだけれど、このようなものを購入してね」
男性が差し出してきたのは、赤い宝石がポイントと言えるであろう釵だ。土台はプラチナ、赤い宝石はルビーだな。
「……難しい注文だとは思うのだけれど、これについている宝石と同じ種類の宝石は、この店にあるだろうか?」
「拝見しても構いませんか?」
カウンターに置いた白い手袋を身につけつつ聞くと、男性はこくりと頷いた。
ので、釵を受け取り、眼鏡の倍率を上げて色々と確認。
「透明度は申し分なし。インクリュージョンもほぼ無し……ピジョン・ブラッドですね。しかも非加熱となると……。店長」
「はいはい、なにかしら」
「こちらのお客様が、非加熱のピジョンブラッド・ルビーを探しておられます。確か2.9カラットと、2.1カラットのものが売り物でありましたよね」
釵はしっかりとケースに戻し、お辞儀をして男性に返却。
すると、男性はとても驚いたような素振りを見せた。
「現物があるのかい?」
「ええ。商品棚には置いていませんが。申し遅れました、オーナーの竪川日比生と申します。詳しいお話をお聞きしても宜しいでしょうか?」
「もちろん。こちらこそお願いしたい」
……ちなみに、これは後になって商談を一段落させた日比生さんが教えてくれたことなのだけれど、あの男性は娘さんのためにかんざしを買ったのは良いのだけれど、どうせならとネックレスなどもセットにしたかったらしい。
で、裸石の状態でしっかりと購入してくれたそうな。
その人だけでもおよそ四百万円の売り上げだったので、今晩はステーキをごちそうしてくれる事になった。
たぶん日比生さんは自営業に向いてないんだろうなあ、と思った。




