冬真の独唱、憂鬱
今日の空は、何故だかいつもよりも、好ましくない色をしているように見えた。
「……ふぅ」
雪の降る学校帰りの夕暮れ時。枯れた木々の立ち並ぶ雪道で、僕は独り、肩を落として歩いていた。
しゃりしゃりと革靴を氷で浸しながら、ぶっきらぼうな足取りで、岐路を目指す。
藤間の迎えを断ってまで、独りきりで何をしているのだか。
心の奥にいるもう一人の自分が、そのような呆れを口にする。わかっているのだ、自分の愚かしさなど。
これは、ただの意地だ。何も出来ない子供のように当たり前の如く送迎されることが、無性に腹立たしく思えたせいからかもしれない。
この憤りはそう――昨日の出来事のせい、だろう。
兄さんが語った七瀬の話は、とても信じられるものではなかった。
僕は、未だ半信半疑で、けれど、彼女をまるきり白だとも言ってあげられる証拠もなにもなくて。
彼女に向ける兄さんの疑惑に、僕は、何も反論することが出来なかった。
ただ、苦しげに、哀しげに顔を伏せる七瀬を、見ていることしか出来なかった。
「あれは、本当なんだろうか?」
確かに、七瀬とは、最初の出会い方も普通ではなかった。そして、彼女の抱える記憶の問題も、普通とは呼べない事柄だ。
ここのところ、彼女の様子は益々おかしさを増している。兄さんが危惧するのも、不思議ではないのかもしれない。
兄さんとの一見以来、女中のなかでも七瀬の噂が囁かれているようで、彼女は少し孤立しているような気がする。
僕は、彼女のことを、屋敷の誰よりも、解ってあげられているように感じていた。けれど、そんなものは、僕の驕りなのだろう。
僕は、彼女のことを、殆ど知らない。ほんの少しだけ、知れたような気になっていただけなのだ。
人は多種多様なものだから、思いの外、人の心は読めないものだと、そう、解っているはずなのに。
知りたい、なんて。
何か、なんでもいい。たった一言でもいい。彼女がほっと息を吐けるような、そのような言葉を、かけてあげられたら。
びちゃり。足元で耳障りな音がした。僕は眉間に深い皺を刻みながら、恐る恐る足を僅かばかり上げてみる。
靴も足首もなんとも見っとも無い姿になっていた。泥混じりの蕩けた氷が、べっとりと付着している。溜め息を超えて、嗤いが零れた。
「僕は、色々と、下手くそだな」
下手なのだ。何事も。優しくすることも、喧嘩をすることも、仲直りを申し出ることだって。
七瀬の目を見るのが、怖い。僕が目を放す前に、素っ気無く反らされてしまったら。彼女の口から、拒絶を示されたら。
なんて、卑怯なのだろう。声もかけられないほど、僕は彼女に臆病になっている。
辛い時には話を訊くよと言ったのは、どこの誰だ? 僕は、女子相手に、恥ずかしい行いをしている。
早く、前のように、楽しく語らいたい。また彼女の笑顔が見たい。鷹見家で、変わらず過ごしてもらいたい。
僕くらいは、『――』あげたい。僕くらいは……。
湿った靴で歩く度に、空気の抜けるような聞くに堪えない音がする。おかしなそれをぼんやりと聞きつつ、もう一度、好ましくない灰色の空を見上げた。
「秘密を持たぬ人などいないのに、どうして、問い詰めてしまうのだろう」
兄さんのあの剣幕さに、今更ながら不快感が色濃くなる。兄さんはいつも正しく、真っ当で、勇ましい。いつも、いつも、いつだって……。
けれど、秘密なんて、無理に暴くべきではないんだ。知らぬ振りを通すべき秘密も、あるはずだろう?
――やはり僕は、臆病者だ。
ねぇ、七瀬。君の秘密は、どれだけ重い? 君はいつまで、知らぬ振りをして欲しいのだろう?
気付かぬ振りをする方も、きっと骨を折るのだろうね。秘密にも、気持ちにも。