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Obey Doll  作者: 花月×篠原ろんど
第1章 希望と不安―Anxiety of hope―
7/10

Ⅴ 爆―パスト―

 ――それは約十年前の話。

 ぼくが物心ついた頃には、隣に常に微笑んでいる心優しい一体の人形がいた。

 にこにこと笑みを絶やさない、忙しかったらしいかつての家族の代わりにぼくの身の回りの世話をしてくれていた小さな人形を、ぼくは生涯忘れることはない。


 当時の人形の性能は今より大分未熟で、人の数歩先の才能を持つ師匠の作るような精巧な技術がまだまだ世間に浸透しなかった時代。

 ぼくの隣に居た使用人ハウスメイド型の人形は当時最先端のものであった。

 西洋から入ってきたそれは、使用人ハウスメイドとして家事をするだけではなく、ぼくの身を守ってくれる機能も微弱ながら備わっており、当時から健在だったぼくの不運からよく守ってくれていた。

 可愛らしく意思さえも窺えるキラキラした瞳、そして未熟な人形の象徴である不恰好な四肢、完全なる機械音でさえ温かみを感じ、どうにもそれがぼくに親近感を与え子供ながらに大切にしていた覚えがある。


 子供時代の記憶にあるのは、兄と、そして何をするにもいつも一緒で手を取り合っていた可愛らしい人形の姿だ。

 ぼくの憧れの兄と、ぼくを守ってくれる人形、嫌いになるなんてことは万が一にもあるはずがない。


 その当時の情景は非常に鮮明で、絶対に忘れることのないもの。


『御主人、』


『ちゃんと、ちゃんと生きてくださいね』


 両親を狙い、兄を狙い、そしてぼくを狙っていたテロリストの一人を貫きながら、自らの身体をボロボロにして極上の笑みを浮かべるかつての使用人ハウスメイドは、そのとき人形とは思えないほど心があった。

 身体の中心を貫かれ息絶えたテロリストはゴロリと音を立て、人形はぼくに背を向けて好戦的に佇む。

 歯車が飛び、スプリングが散る戦闘人形ではない人形の身体は、もう、動かないはずなのに――


『わたくしが、お守りするのですもの』


 ――そこからの記憶は、ない。


 ☆


 あの日から、あの人形がいなくなったときから何もかもが変わってしまった。

 両親が殺され、兄は生きているか死んでいるかも分からない。

 ただ、後から師匠に聞いた話しでは両親の死体と形も残さない無残な人形の残骸だけが現場に残されていた、らしい。

 その場に兄の死体はなかったから、生きているかもな、と励ましてくれた師匠の言葉を信じて今日まで必死に這いずって生きてきた。

 あの子の『ちゃんと生きてくださいね』という言葉がなければぼくはきっとここまで来れてはいない。言い方を変えれば『囚われていた』とも言えるだろう。


「何で知っているだって? 知らない訳がないだろう! ここまでたかが人形に囚われている哀れな人間を俺は見たことがない!」


 高らかに叫ぶテロリストは心底楽しそうだ。

 対してぼくはその場から一歩も動けず自分の顔から、さあ、と血の気が引くのが分かる。

 そりゃあそうだろう、と頭の隅で冷静に分析する自分もいて、ぼくの頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。

 ようやくうなされることもなくなった悪夢を突然引き出されたこの現実は、ぼくが一生懸命見なかったことにした過去の反動か。

 まるで自業自得だな、ともう一人のぼくが耳元で呆れたように囁いた。


「まるで玩具を与えられた子供のようですね」


 糸蓮がぼくを庇うように前へ出た。

 テロリストを例えた言葉は言い当て妙で、確かに的を得ている。

 冷静な糸蓮の判断はこんなときにでも的確だ。声のトーンや表情は一切変わらない。ただそこに凛と立っている存在。

 本当ならば主人であるぼくがどうにかしないといけない場面でも、糸蓮はその優秀さから一人でちゃんと決断できる賢い人形だから。

 だからこそ、ぼくの不出来が顕著になる。それがさらにぼくを惨めにさせる。


「――ねえ、糸蓮。聞きたいことが、あるんだ」

「はい」

「君が、あいつに勝てる勝率はどのくらい?」

「はい、九十八・八七パーセントになります」


「じゃあ、――あいつを殺さずに、では?」


 糸蓮は一瞬、しかし不自然に会話の途中に間を置いた。

 それが答えであり、今の糸蓮の実力だとぼくは改めて知る。

 花瓶を割った自らの力が分からない、加減のできない幼子のようだと思った朝の出来事と寸分違うことなく、ぼくは糸蓮の印象が一切変わらない。

 彼女は、力加減のできない、常識の分からない、純粋無垢な幼子のままだ。


 糸蓮の地力は底なしの伸び代があるけれど、それの使い手がぼくでは糸蓮は一か百かの極端な力しか奮えないはず。

 だからこそ、糸蓮があのテロリストを“生かして”捕らえるのはとても難しいと、ぼくは思う。

 背反人形リベリオン相手なら別に構わないが、それでも今回は駄目だ。相手は人形遣い協団(パペッターギルド)を狙ったテロリストとはいえ人間。殺すわけにはいかないし、何よりぼく個人が絶対にあのテロリストから聞かねばならないことができた。


「糸蓮、もう一度言うよ」


 ――ぼくが君を信じて戦うのだとしたら、あいつを殺さずに勝てる勝率は、どのくらい?


 糸蓮はその伏し目を大きく見開いて、その次に今の状況で全く相応しくないほど、馬鹿みたいに美しい聖母のような笑みを浮かべた。

 ぼくの足はまだ恐怖と未知の存在にガクガクと震えるままだ。

 けれど胸の内から這い上がってくるテロリストに対する怒りと、ぼくが長年探ってきた手掛りが今まさに目の前にあるかも知れないという、否定しようもない“希望”がそこにあったのだ。

 逃す手はないし、逃す気もない。――そして何より今のぼくには強力な味方がいる!


「『勝てない』などという戯言が、有り得るはずがないでしょう!」


 彼女の雪のような白い髪が、椿のような瞳が、誰にも負けず輝いている。

 誇らしげに勝利を宣言する糸蓮はきっと、負ける未来など一欠片も想像していないのだろう。

 何よりも自信ありげに力を振るおうとする様は、ぼくが躊躇していたときとは違い本来の人形の在り方そのもの。

 ぼくたちは理由は違えど、同時に目に闘志を宿らせてテロリストに向かって不敵に口角を上げて見せた。


 ――戦線布告を、こちらから叩きつけるために。


 膝の震えは治った。まだ握り締める手の震えは止まらない。心臓が煩いほど鳴いている。けれど先ほどと違うのはその震えの理由は恐怖からではなく、


「はっ! なぁにをゴチャゴチャ――」


「今だ、糸蓮! 人形リベリオンは後でいい! 元凶をまず潰せッ!」

「承知致しましたッ!」


 ――アドレナリンが大量に出ているからだ!


 もう何も怖くはないし、一周回って逆に頭が冴えて来ている。気分は最高に晴れやかだ。

 糸蓮が迷いなく真っ直ぐに向かうのは戦闘力の高い背反人形リベリオンではなくて、安全な場所に陣取っている腹の立つテロリスト。

 背反人形リベリオンは確かに脅威ではあるけれど、それでも優先すべきは元凶のテロリストの捕獲だと判断した。


 勝手な判断だ。


 けれど糸蓮は迷いなく行動してくれている。それはきっと間違っていない。

 ぼくが咄嗟に思いついたある一つの仮定は、論も何もないぼくの勘だけれどあながち外れてはいないだろうと思う。

 命令がなければピクリとも動かない身体、命令がなければ、人間を目の前にしても破壊行為を行わない従来の背反人形リベリオンとは違う、人間に従順な背反人形リベリオン

 もし、もしも。ぼくの勘が正しいのなら。


「きっと! あいつを潰せば全てが終わる!」

「――ッ!! ッッせるかよォ!! おい、命令だガラクタ共ォ! こいつらを一人残らずころ――」


「――させませんよ」


 鈴の音がその場に響き渡った。

 まるで場面を切り取ったかのように、その音だけがスッと聞こえて来る。

 唾を吐き散らした怒号での『殺す』という命令の言葉を最後まで言わせず、テロリストの顔面に糸蓮の華麗な右ストレートが、可哀想なほど華麗に決まった。


「ぐぼぇぉッ」


 情けない潰れた音を上げて、テロリストの身体はまるでスロー再生を見ているようにゆっくりと地面に崩れ落ちた。

 それと同時にテロリストが侍らせていた背反人形リベリオンたちの活動も停止したようだった。

 どさり、とそれを告げる重々しい音がしてぼくは漸く深い息を吐き出す。

 しかし少し気を抜いた途端グォン、と何とも言えない鈍い音がして、音の方角へ振り向くと思わずぼくの喉から、ひぃ、とか細い絞り出した声が出た。


 ――糸蓮が止めとばかりにその鳩尾に蹴りを入れるという、見ているぼくが引いてしまうほどの鬼の所業が目の前で行われていたからである。


 彼女の目は冷めていて、先程の表情とは打って変わって相変わらずの無表情である。

 思い出すのは朝の『糸蓮花瓶粉砕事件』。

 この力をぼくに振るわれていたかも知れないと思うと、いくら過ぎたこととはいえゾッとするものがある。


「し、糸蓮? もう止めよう? いくらテロリストとはいえ死んでしまうよ!?」

「彼は一般人では無いと判断しました。それに、人間はこの程度で死なないはずです。朝で学びました」

「朝も殺しかけたのにぃ!?」


 朝のあれで糸蓮は一体何を学べたというのだろうか。全く信用ならないにもほどがある。


「ああぁぁぁ!!? なに、何やってるの糸蓮!!?」


 倒れているテロリストの股間目掛けて足を振り上げようとしている糸蓮を慌てて止めた。

 舌の根も乾かぬうちにとんでもないことをやらかそうとしている糸蓮にゾッとする。

 とりあえず心臓に悪いから本当にやめてほしい。お前は人の心を持ってないのか。あ、そうだこの子人じゃないわ。


「いえ、ただ殺さないにしても男としての尊厳くらいは潰してもよろしいかと」

「よくない!! 全然これっぽっちもよくない!!」

「はあ」


 糸蓮はテロリスト(の股間)に向けて上げていた足を渋々と下ろした。しかも全く納得していない様子である。鬼かこの子。


「……て」

「――え?」


 微かな、微かな。

 しかし身の毛のよだつような嫌な感情の矛先が、ぼくに向けられたのが分かった。


「随分と、好き勝手してくれたなァ!?」


 テロリストの咆哮。

 鬼のような形相は相当な怒りを表している。

 しまった、と思うも、ぼくも糸蓮も動くのが今一歩遅かった。


「全てを――破壊しろッ!!!」

「やめろおぉぉッ!!」


 停止していた人形が、動き出してしまった。


 ☆


「どういう、ことよッ!」


 ピッピッピッ、と不穏な、耳障りな機械音を体内から鳴らす背反人形リベリオンたちに、サラ・アイズリーが苛立ちげに叫んだ。

 時仁を元凶の元に向かわせて一時間が経ち、つい先ほど全ての背反人形リベリオンが機能停止したのはずである。


「あのポンコツに何かあったっていうの!?」


 一度停止した。

 その事実は変わりはない。

 つまりは時仁が元凶を潰したことは確かだろう。

 ――けれど、だとしたら今起こっているこの不可思議な現象は何だ、とサラは焦らずにはいられない。


 ピッピッピッ、となり続ける背反人形リベリオンは先ほどと違い破壊行為をしているわけではないのだ。ただただ音が鳴るだけである。――サラによって破壊されなかった全ての背反人形リベリオンから、というのは随分と恐ろしい話ではないか。

 それはあまりにも優秀なサラの経験からくる勘を刺激するには余りある理由だった。


「こんな、おぞましいほどの嫌な予感なんて初めてだわ……!」

「サラくん、他の人たちは全員逃した! 君も逃げなさい!」

「いえ、」


 ギルドマスターである桜庭は職員や契約している人形遣いたちを避難させることに専念していた。

 けれどタイミングが良いのか悪いのか、彼はこの場所に戻ってきてしまったらしい。

 責任感ある行動にサラはいつも好感を持っていたが、こんなところで仇となるとは思わなかった。

 しかし今、桜庭に言われた通り逃げるかと問われたら、サラはそんな素直な性格をしていない。

 サラは相変わらず鳴り続ける背反人形リベリオンを睨んで、冷や汗を流しながら大胆不敵に、にやりと笑う。


「――もう、遅いでしょうね」

「サラく、ん?」

「いいわ。覚悟は決めてたのよ。あのポンコツに任せておくには最初から不安しかなかったのよね。妥当だわ。――そう、妥当よ」

「サラくん!?」

「何でしょう、協団長ギルドマスター?」


 サラが桜庭を一瞥する。その鋭い眼光に怖じけつつも、協団長としての威厳を守る為にただ目の前の天才に一言、今の現状を聞く。


「何が、何が起こるっていうんだい……?」

「――半壊よ」

「え?」


 サラは胸を張って、自信満々に答えた。

 まるで何でもないような世間話みたいな爽やかな解答だ。怖い。


「ギルド半壊が妥当でしょうね。――協団長ギルドマスター、政府から復興資金として根こそぎ金を奪い取るチャンスじゃないですか」

「えっ!?」


 ピッピッピッ。

 相変わらず鳴り続ける背反人形リベリオンを蹴り、頭を踏み潰しながらサラは、はあああ、と仙人のように深く長い長い溜息を吐き出した後、勢い良く顔を上げる。


「死なば諸共、でしょう?」


 覚悟を決めたような据わった目をしたサラに巻き込まれて、桜庭は自身の協団の半壊を共にしなければいけなくなってしまった。


「ヘルム! 壊せなくたっていいわ」


 サラの大声に巨大なドラゴンが反応する。


 ピッピッピッ。


 ピッピッピッ。


 段々と早くなっていく音にその時が来るのだと察するには十分過ぎた。


「どうせ半壊は決定事項よ。周りの欠陥品全部、根こそぎ薙ぎ払いなさいッ!!」


 命令と共に彼の巨大な尾が半円を描いて今だ音の鳴る背反人形リベリオンを巻き込んで、柱にぶつかる寸でのところで止まった。

 その勢いに乗せられながら、背反人形リベリオンは遠くの壁へと吹っ飛んでいく。


 ピッピッピッ、ピ。


 ――そしてついに決定的瞬間が、来た。


「アイズリーさん!! 桜庭さん!! 無事だったんぶべらッ」

「来るのがおっせーのよ、このポンコツッ!!!!」


 糸蓮にお姫様抱っこされたまま情けなく戻って来た時仁の顔面にサラの拳が入ったそのとき、


 ドッガアアアァン!!!!!


 ――背反人形リベリオンが、一斉に爆発した。

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