彼の正体
突然消えたと思ったザガートは、やはり突然帰ってきた。目の前で人が消えたり現れたりという異常な事態に、しかし雪菜はザガートだし、と何故か納得していた。
そしてザガートは雪菜の腕を掴むと、いきなり抱き寄せてきた。流石に驚いて咄嗟にザガートから離れようとしたが、その前に手を放された。
「ここなら暫くは邪魔も入らないだろ」
続くザガートの言葉に?と思い周りを見渡すと、そこは見慣れた部屋の中ではなく、何処かの森のようだった。
周囲は大きな木々で塞がっているが、雪菜達のいる場所は湖の畔で、少し拓けていた。久しぶりに見る窓の格子越しではない景色と土の感触に、雪菜は言葉もなく立ち尽くした。
どれ程の時間が過ぎたのか、ザガートに声をかけられてやっと雪菜は我に返った。振り返るとザガートは湖畔に座り込んでおり、雪菜に隣に座るよう促した。
「さて、何から話すべきかな・・・」
真剣に悩んでいる様子のザガートに、雪菜も自然と畏まってしまう。何を言われても良いようにと覚悟をしている雪菜に、ザガートが告げたのは全く予想外のことだった。
「まず、俺は蛇の本性を持つ魔物だ。人間ではない。そしてこの世界の者でもない。
こことも、お前の生まれた世界とも違う世界から、まぁ、観光のようなつもりでここに来ただけだ」
突拍子もない言葉に固まった雪菜の様子を、伺うように見てくるザガートに応える余裕もない。暫くは、雪菜も与えられた情報を整理するので精一杯だった。不思議な人だとは思っていたが、まさか人間ではないとは考えてもみなかった。
しかし、一方で納得できる部分もある。最初に蛇のようと思ったのは、正しく彼が蛇の魔物だったからなのか、と。
そして何より、雪菜の興味を引いたのは彼のもう1つの事情。彼は異世界から来たと言った。こことも、雪菜の世界とも違う世界から来たのだと。
雪菜の中で諦めたはずの望みが蘇る。もしも彼が異世界へと渡る手段を持っているのなら、あの懐かしい世界へ帰れるのではないかと。
「それなら、私を元の世界に帰すことは出来ますか?」
すがるような想いで、雪菜はザガートを見上げた。しかし、彼から返ってきた答えは・・・。
「悪いが、それは出来ない」
雪菜は目の前が真っ暗になった気がした。
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自分を還せるかとすがりつく雪菜に本当のことを言うのは躊躇われたが、下手な希望を持たせることは出来ないと、ザガートは真実を告げることにした。
そもそも、ザガートは友人に聞くまで異世界という存在すら知らなかったのだ。あの年齢不詳で正体不明の友人なら雪菜を還す方法も知っているかも知れないが、確証はない。
しかし、告げた途端に生気を失ったような雪菜の様子に、ザガートは慌てて付け加えた。
「俺は界渡りは初めてなんだ。この世界と自分の世界を渡るのが精一杯なんだよ。だから、俺に出来るのはお前をこの世界の何処か別の国に連れていくか、俺の住む世界に連れていくかのどちらかだけだ」
更に自分の住む世界は弱肉強食が基本であり、人間の中でもかなり弱い部類に入るだろう雪菜にとってはかなり辛い環境だろうことを伝える。
ザガートの本音としては雪菜を連れていきたくはあるが、諸事情があってザガートは森を離れることは許されない。今回のように少し出掛けるくらいなら問題はないが、別の場所に居を構えることは出来ないのだ。
そして生粋の森生まれで森育ちのザガートは、人間の国のことを良く知らない。まだ若く今の立場に収まる以前に少し遊びで壊しに行ったくらいだ。雪菜が安心して暮らせるような場所など全くわからない。頼みの綱の友人は、自分以上の引きこもりだ。何故か人間の生態や国の状況には詳しいが、行ったことは1度もないと言っていた。とてもではないが、任せることは無理だろう。
残る選択肢はザガートと共に森で暮らすことだろうが、これはあり得ない。ザガートは森の中でも有数の実力者として知られている。そんなザガートに歯向かうものは、多くはないが零でもない。
実力差もわからない馬鹿は滅多に来ないし、来ても脅威ではないが、問題は実力のある挑戦者の方だ。定められた掟によりザガートは挑戦を無視することは出来ない為、相手をしなくてはならない。ザガートに挑戦する者は猛者として知られる者が殆どだ。流石のザガートでも、雪菜を庇いながら戦うのは無謀すぎる。最悪、巻き込んで死なせてしまうかもしれない。
説明を終えて、ザガートは雪菜の返事を待つ。
雪菜は随分と考え込んでいるようだが、それでも選ぶのはこの世界に残ることだろうとザガートは践んでいた。確かにこの世界でも雪菜は暮らしにくいだろうが、魔物の蔓延る世界よりも何倍もましだろう。
しかし、雪菜の出した答えはザガートの予想とは真逆のものだった。
「私を、ザガートさんの住む世界に連れていって下さい」