彼女の答え
突然与えられた未来への選択に、雪菜は咄嗟に答えることが出来なかった。
これまでずっと自由になりたいと願ってきたけれど、実際に実現するとは思っていなかった為、自由になったその後を考えたことがなかった自分に、雪菜は今気付いてしまった。
考えていたのは自由になりたい、ただそれだけ。何処に行きたい、何をしたいといった望みは自分の中にはない。いや、一番の望みは勿論元の世界に帰ることだが、いくら目の前の男が何だか特殊そうとはいってもそこまでは出来ないだろう。
そこまで考えて、では自分に何が出来るのかと思う。家事はずっと親任せだったし、この世界に来てからも使用人に任せっきりだったから、得意とは言えない。
何処かで働くのも、雪菜には厳しいだろう。雪菜には特筆するような特技もなく、この世界の常識にも疎い。何より、最初の頃に逃亡を繰り返した結果、雪菜の右足の腱は切られてしまっている。普通に歩いて移動するのさえやっとな状態では、まともに働けるとも思えない。歩けなくても出来る仕事も世の中にはあると思うが、その為に必要な知識が雪菜には圧倒的に不足している。
つまり、今放り出されてしまえば雪菜は1人で生きていくことさえ出来ないのだ。そんな自分に少々落ち込んでしまうが、そこで諦めることは出来ない。
そっと、ザガートの顔を見る。明らかに只者ではないけれど、不思議と警戒心はわかない。何の義理もないのに雪菜を助けてくれると言う謎の人。
「あなたと一緒に行って良いですか?」
気が付いたら自然と言葉が口から出ていた。口にした後になって自分がどれだけ図々しいことを言ったのか自覚したが、今更なかったことには出来ず、開き直ることにした。
「私にはこの世界で生きていくための知識も力もありません。せめて1人で生活できるようになるまで、一緒にいさせてください」
頭を下げてザガートの返答を待つが、何時までも反応が返ってこない。恐る恐る顔を上げると、難しい顔をしたザガートと目があった。
ああ、やっぱり図々し過ぎたかなと前言撤回しようとしたが、その前にザガートが口を開いた。
「悪いが、連れていくことは出来ない」
当たり前と言えば当たり前なのだが、それを聞いた瞬間、雪菜は自分でも不思議な程深く落胆してしまった。しかし、ここから逃がしてくれるというだけでも充分すぎることなのだ。これ以上の我儘は言えない。
「そうですよね、ごめんなさい」
わかっていてもこれからの生活に対する不安から少し声が震えてしまった。そんな雪菜の様子に何故かザガートは慌てて言い添えた。
「いや、迷惑とかそういうことじゃないぞ!ただ俺と一緒に来たらこれまで以上に苦労することになるからだ」
どういうことだろうか?どっちにしろ、ザガートに頼りきりになるつもりはない。これからは自分1人でも生きていけるように頑張るつもりなのだから、苦労するのは何処に行っても同じことだ。
「私、どんなに大変でも文句なんか言いません。私に出来ることなら何でもしますから・・・」
必死に言いつのると、ザガートは迷う素振りを見せた。ここで引いては置いていかれてしまうという焦燥感が、雪菜を突き動かす。
「ザガートさんがどんな仕事をしているのかは知りませんが、邪魔にならないようにしますから一緒に連れていって下さい!」
再び頭を下げてザガートの返事を待つ。実際には大した時間は過ぎていないだろうが、雪菜には永遠のようにさえ感じられる時間が過ぎた頃、諦めたような溜め息が聞こえた。
「お前の覚悟はわかったが、簡単にすむ話じゃないんだ。ゆっくり説明したいから、先にちょっと皇帝の記憶を消してくる」
その言葉に雪菜は慌てて頭を上げたが、そこにはもうザガートの姿はなかった。
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ヤバかった。必死に何でもするからとザガートにすがる雪菜の姿は、ザガートの中の何かを激しく揺さぶった。あともう少しでうっかり襲いかかっていたかもしれない。
これまではどんなに魅惑的な雌に誘惑されても、然程興味をそそられることはなかった。寧ろ戦いを挑まれた時の方が、種類は違うが大分興奮したというのに。それなのに、あんな誘惑とも言えないようなもので発情しそうになるとは。
俺って、自覚ないだけで結構な欲求不満状態だったのか?
ちょっと本気で自分が情けなくなった。
とりあえず目の前の問題を片付ける為、サクッと皇帝から雪菜に関する記憶を消した。
元々ザガートは攻撃的な術しか使えなかったが、退屈しのぎに友人から様々な術を学んだことがある。記憶を消す術もその時に学んだ1つだ。
友人曰く、力が強すぎて目的の記憶以外と、精神にもかなりの打撃を与えてしまうから余り使わない方が良いだろうということだったが、まぁ大丈夫だろう。
術を使った時に、何かやり過ぎたような感覚があった気がしなくもないが、仮に何か問題が出ても、自業自得と諦めてもらおう。少なくとも命に別状はない筈だし。
気を失った皇帝と、ザガートに威圧されて動くことすら出来ない周りの連中になどまるで興味なく、ザガートは雪菜の元へと飛んだ。
無意識に嫉妬して過剰な力を注いだザガート。皇帝には確実に後遺症が残ると思われます。