選択
とりあえずザガートが壊れました。
逃げる。
突然与えられたその選択肢に、けれど雪菜は頷けなかった。雪菜が逃げれば大勢の使用人が殺される。あの皇帝が告げた言葉は単なる脅しではなく、本当にそれを実行するであろうことが、雪菜にはわかっていた。
だから逃げることは出来ないのだという雪菜に、ザガートは残酷な現実を突きつける。
「死ぬのも逃げるのも相手にとっては同じことだと思うぞ?どっちにしろ使用人達はただでは済まんだろ」
何を馬鹿なことをと言わんばかりのザガートの態度に、雪菜は強い衝撃を受けた。雪菜は自分が自分の意思で死んだなら、それは使用人のせいではないと、彼らも無事でいられる解決策だと思っていた。しかしザガートは、雪菜から目を離してしまった事実に変わりはないという。
やっと、この地獄のような日々を終わらせられると思ったのに、これでもう自由になれると思ったのに。
雪菜だって死にたくなんてない。生きていたいし、幸せになりたい。でも、誰の犠牲も出さずに自由になるには、これしか方法がないと思ったから消去法で選んだだけなのだ。
それなのにその選択肢を潰されてしまい、雪菜はもうどうすれば良いのかわからなかった。
あまりのことに言葉もない雪菜の様子に焦れたのか、ザガートはまたもや予想外の提案をしてきた。
「その皇帝から、お前に関する記憶を全て消してやろうか?」
記憶を消す?何かの冗談かと思い、見上げたザガートはしかし、雪菜の予想とは裏腹に至極真面目な顔をしていた。
「そんなこと、出来るの?」
「問題ない」
半信半疑で問いかけた雪菜に、当たり前のように頷くザガート。嘘でも冗談でもなく、この男には簡単なことなのだと納得できてしまった。
「自由になりたいんだろ?」
それでもまだ躊躇う雪菜の背を押したのは、やはりザガートの一言だった。
雪菜の脳裏に浮かぶのはこの世界に来てからの様々なこと。辛くて、苦しくて、悲しくて。いつしか抗うことさえ諦めてしまったけれど、それでもやっぱり。
「自由になりたい」
雪菜はもう、これまでと同じように過ごすことは出来ない。目の前に差し出されたその腕が、信用できるものかはまだわからなかったけれど、今を逃したらもう2度とこんな機会はないと思うから。
「助けて、下さい。あの男から私の記憶を全て消して!」
迷うことなく、その手を掴んだ。
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泣きそうな顔ですがり付いてくる娘を宥めて、座らせる。娘は余程取り乱したのが恥ずかしいのか、真っ赤な顔で俯いている。
その様子を何だか穏やかな気持ちで眺めていたが、不意に大切なことを思い出した。
「なぁ、お前の名前は?」
聞いた途端に勢いよく顔を上げる娘。そんなに急に動いて大丈夫なのか?
「ご、ごめんなさい。私の名前は雪菜。東雲 雪菜です」
セツナ、セツナか。変わった響きだが良い名前だな。何だかこの娘の雰囲気にあっていると思う。
何となく嬉しくなって、暫くこの余韻に浸りたい気分だがそうもいかない。さっさと本題に移ろう。
「セツナはこの後どうしたい?」
俺の質問に意味がわからないという顔をしたセツナ。何だか無性に思いっきり撫で回したくなる衝動をグッと堪える。
「皇帝の記憶を消した後だ。ここに居続けるわけにはいかないだろう。適当な町に行くか、いっそこの国を出るか?」
考え込むセツナ。何だろうこの可愛い生き物。こんなのが存在してて良いのか。そりゃ皇帝も閉じ込めたくなるよな。
しばらく考え込むセツナをじっと観賞していたが、セツナは意を決したように俺に向き直ってこう言った。
「あなたと一緒に行っても良いですか?」
・・・これは何の罠だ。もしやあの性悪な友人が何処かから眺めて楽しんでいるんじゃないだろうな。というか、この上目遣いは反則だろう!
落ち着け、俺。冷静になるんだ。たとえセツナが殺人的に可愛くても、判断力まで失うわけにはいかない。
俺の世界に連れていきたいのは山々だが、脆弱な人間では問題がありすぎる。