第20話 雪月風花
「揺蕩え…雪月風花」
由季が一振りの刀を掲げた。それだけではなく、由季は美しい羽衣を纏っていた。
(これは"力"…か…?さっき由季は……"霊装"って言っていたが…………。)
神技・魔法・妖術。これが"力"の三源力のはずなのだ。だが由季のそれは、そのどれにも属していないと言うのだろうか?
「…………何だそれは……。お前、何をしたぁぁ!」
瀕死の状態から立ち上がり刃を向けてきた由季に激昂した晋也が、魔力を高めた。
「死に損ない共々、消え去れぇ!ブラッド・イクリプス!」
由季に向けて血の刃が放たれる。
「由季!!」
俺は叫んだ。だが由季は、顔だけで振り返り、無言で微笑んできた。そしてすぐに晋也に向き直った。
「……私が、皆を護る。雪月風花・春……五月雨。」
天空から光の雨が降り注いだ。その雨は、晋也が放った血の刃を全て貫き、消滅させた。
「な……に……」
晋也が驚きに目を見開いている。
由季は刀を横に構えた。すると、刀を淡い橙色の光が包んだ。そういえば先程の技の時は、刀を淡い桃色の光が包んでいた気がする。
「雪月風花・秋……紅葉颪。」
由季が刀を水平に薙ぎ払った。するとその延長上に、紅葉が散りばめられながらの斬撃が生まれた。その斬撃は、晋也の左腕を深く切り裂いた。が、晋也が傷を負うことは無く、傷はすぐに再生し始めた。
「フハハハ……!さっきの攻撃を防いだと思ったら、結局はそんなものか!所詮人間に出来ることは限られて………………」
「雪月風花・冬……霜柱」
由季が、晋也の言葉を遮るかのようにが言い放ち、淡い水色の光に包まれた刀を地面へと突き立てた。するとそこから、地面を伝って霜柱が広がり、晋也へと向かっていった。
「フン……こんなもの………。……何!?」
霜柱は瞬く間に晋也の身体を駆け巡り、やがて右腕に到達した。そして、先程の傷を凍り付かせた。
「チッ……!小賢しい真似を!ブラッド……。……!?」
怒り狂い、攻撃を行おうとした晋也の体を、光の矢が貫いた。それはダメージを与えるには至らなかったが、晋也に大きな隙を与える事となった。
「雪月風花・夏……乱れ蔓。」
晋也の足下から、植物の蔓が無数に出現し、晋也の体を拘束した。
「……由季、今よ!」
声が響いた。その方向を見ると、由季と似たり寄ったりの衣を身に纏った佳奈の姿があった。そしてその手には、光の弓矢が携えられていた。
「お前……それ…………」
その姿を見て、疾風が呟いた。
「………うん、これも由季と同じ……"霊装"。……疾風、それに神大君、その話は後でね……?今は、由季の手助けをしてあげて!神癒ノ調…表一節:神癒ノ光!」
佳奈が叫ぶと、俺と疾風の身体を暖かい光が包んだ。
(これは……。……!身体が……楽に……!)
俺と疾風は立ち上がると、佳奈に礼を言い、晋也目掛けて飛び出した。
浅田晋也の動きは封じた。後は止めを刺すだけである。でも私は、それが出来ないでいた。
(やっぱり私には……お父さんを殺すことは……!)
「由季ィ!貴様ァァ!殺してやるぞぉ!」
晋也が叫び、蔓が軋んで、1本、2本とちぎられていく。
(早くしないと……!でも………………)
私が迷っている間に、晋也は全ての蔓を引きちぎり、私へと肉薄してきた。止めを刺せない焦りとその姿への恐怖とで手足が震え、刀が手から滑り落ちた。
(あ…………。間に合わ…………)
「裁き、加重!!」
「真空の刃<メル・スラッシュ>!!」
晋也の体を、上から圧力が押し潰し、風の斬撃が切り裂いた。
振り返るとそこには、神大君と疾風君の姿があった。
「由季、無理するな!」
「ここは俺達が……!」
二人はそう言うと、晋也に向かって突っ込んでいった。
しかし、普通の攻撃では晋也にダメージを与えることが出来ない。二人の攻撃は実質無効化され、逆にダメージを負う一方であった。
(このままじゃ……また二人が……!私……私は……!)
晋也に止めを刺せないせいで二人が傷ついていく。私は、それを黙って見ていることしか出来ない自分、剣を振ることが出来ない自分に苛立ちを隠せずにいた。
("力"を望んだのは私なのに……!力があっても何も出来なきゃ…意味が無い…………!)
自暴自棄になり、目を瞑り現実から目を背けそうになる。
そんな時、脳裏に言葉が蘇った。
『彼を倒して……救ってあげて?貴女の……父親を。志穂の……夫であった人を。…………私が、愛していた人を。』
(そうだ…………。私……忘れてた……。浅田晋也を……お父さんを……"救う"んだった……。私のために。お母さんのために。そして……"おかあさん"のために。)
私は剣を……霊刀・雪月風花を握り直した。
(……もう、迷わない。だからおかあさん……少しだけ、少しだけ力を貸して…………!)
『勿論よ。貴女が決意したのなら、私はそれを支えるだけ。だって私は、貴女の……おかあさんだもの。』
私は駆け出すと、神大君と疾風君に迫っていた血の刃を薙ぎ払いつつ、晋也の前へと躍り出た。
「由ぅぅぅぅ季ぃぃぃぃ!!」
晋也が叫び、私に向けて、血の刃が繰り出される。
「由季!!」
神大君が私の名前を叫んだ。けれども、もう恐れる事は何も無かった。
「数多の霊気よ、集え。」
私の霊刀…雪月風花に、膨大な霊力が集う。血の刃はそれにより消し飛んだ。
「大いなる雪の結晶よ。気高き冬の聖霊よ。汝、我に従いて、彼の者を凍てつかせん。さすれば白霞の華を咲かせよう。」
周囲を冷気が包み込み、降り続く雪までもが凍り付く。
「雪月風花・『雪』…白朧氷霰華」
白く霞んだ氷の華が、浅田晋也を中心として咲き誇った………………。
そこには美しい華が咲き誇っていた。そしてその傍らには、一部が凍り付いた羽衣を纏った、浮かない顔の由季が佇んでいた。
「由季………………。」
俺は小さな声で呟いた。いくら裏切られた存在であるとはいえ、仮にも自分の義父であった人物を手にかけてしまったのだから、その心情を計り知るのは難しくは無かった。
暫くすると、由季がこっちに振り向いた。
「……神大君、私ね……知ってたんだ。」
「…………何を?」
俺は優しい口調で聞き返した。
「浅田晋也は……私の本当の父親だってことを。」
「……!?」
俺は衝撃を覚えた。浅田晋也は由季の義理の母親だった蕩野志穂と離婚し、魔力を得て、ブラッディ・レインとして俺達の前に立ち塞がったはずだ。それに由季の父親は、10年前のあの事故で死んだはずである。
「……いったい、どういう事なんだ……?」
俺の問いに、由季は答えてくれた。
死んだはずの蕩野晋也が、浅田晋也として生きていたということ。性格も見た目も別人のように変わっていたということ。それでも志穂さんは、由季の為にと再婚を決意したこと。それらの事実を、由季は志穂さんの遺した日記から知ったこと……。
「そんなことが…………。……でも、なんで生きて…?それに、何故人格が変わっていたんだ……?」
由季の話を受けて、俺は独り言のように呟いた。
「……怒らないの?」
由季がおずおずと聞いてきた。
「何を……?」
「この事を、私が黙っていたこと…………。」
俺は暫く考えてから、口を開いた。
「……人間、誰にだって、言えない事っていうのは一つや二つあるんじゃ無いかな。それに、誰かの心に踏み込んで傷を付けてまで、それを知ろうとは思わないよ。その相手が大切な人とあれば尚更だ。……俺だって、"あの事"は口にしたく無い……っと、これは忘れてくれ。とにかく、そんな事俺は気にしてないよ。……でも、さ。由季がその事でもし苦しんでいたんだったら、言って欲しかった……かな?……俺はいつでも由季の味方だ。これだけは覚えておいて欲しい。」
「……うん、分かった。…………ありがとう。」
由季は力なく泣き笑いを見せた。
『私からも礼を言わせて頂けませんか?』
突如、俺の頭の中に声が響いた。
「……誰だ!?」
周りを見渡すが、誰もいない。由季、疾風、佳奈にも、同じように声が聴こえている様子だ。
『驚かせてしまってスミマセン。私は……私は、とある事故で命を落とした死霊です。以来、由季の事をずっと見守ってきました……。その中で、貴殿方の事も見てきました……。』
(死霊……だと……なんで、由季に……?いや、まずは話を聴いてみるか)
『由季の親友の佳奈さん。貴女はいつも明るく、由季の事を引っ張ってくれてましたよね。貴女と会ってから、由季の笑顔は少しずつですが増えて行きました……。ありがとうございます。』
「い、いえいえ……私の方こそ。」
佳奈は照れながら頭を振った。
『由季の大事な友人である疾風さん。貴方は、目に見えていない所でも色々と由季の支えになってくれていましたよね。私はちゃんと見てましたよ…?』
「……まあ、放って置けない性格なもんでして。」
疾風が頭を掻きながら答えた。
『そして……神大さん。』
「……はい。」
改まった声に対して、俺は緊張の混じった声で返事をした。
『貴方には……由季が本当にお世話になってます。志穂との関係に悩んでいた由季も、志穂の死に悲しんでいた由季も、どんな時でも、貴方は由季の傍にいてくれました。由季が貴方の事を好きになった気持ちも、良く分かりますよ?』
「……好きな子の、守りたい子の為ですから。」
『……貴方ならそう言うと思ってましたよ。……皆さんには、感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。……そしてこれからも、由季の……娘の事を、どうかよろしくお願い致します……。』
「……!!貴女は……貴女はもしかして……!」
導き出されたその答えに俺は、驚きと納得の入り交じった感情を抱いた。
『……そうですね。皆さんには、お教えしましょう。私は、かつて由季の実の母親だった者です。故・蕩野志穂の姉にして、皆さんが倒した浅田晋也…旧姓・蕩野晋也の妻だった者でもあります。』
「由季の……実の母親…………。」
由季から実の母親に付いての話を聞いたことはほとんど無い。と言うよりも、"あの事故"が起きた時にはまだ7歳なので、余り覚えていないらしい。でも、今までの会話を受けて、由季の母親は、志穂さんの姉らしい好い人であるという印象を受けた。
ふと、声の主が…由季の母親が切なそうに呟いた。
『あ……そろそろ……時間みたい。ここに……この世界にいられる……時間…………。』
「え……!?おかあ……さん……?嫌だ……せっかく、せっかく会えたのに…………!」
由季が哀しそうな表情で言った。その瞳からは、涙が溢れてきていた。
『由季……泣かないで?私は、貴女の笑顔を覚えておきたいの。それにね……由季。私は、いつでも貴女のそばにいるよ?…………貴女の、"霊装"として。』
「え…………?」
泣くのを止めて、由季が呟いた。そしてその言葉を聴いた瞬間に、俺の考えは確信へと変わった。
(三源力に属さない"霊装"……。亡くなったはずの由季の母親の声…………。これらが導き出すのは……)
『"霊装"って言うのはね?私のような、大切な人に憑り付いた死霊が、その人の強い"想い"によって面に出され、その人を纏う力になったその形なんだよ……?』
「想いが……力の形に……。あ……じゃあ、佳奈…も……?」
由季がおずおずと佳奈に問いかけた。佳奈はゆっくりと首肯してから語りだした。
「……うん。私の場合は……10年前に死んじゃった"ウル"の、涙お姉ちゃんの言葉が聴こえたの。ウルは正義感が強かったから……"貴女が皆を護るのよ"って言われて……。そして私が、"護りたい"って強く想ったら、"霊装"が私を包んだんだ……。」
(佳奈にも……そんな事が……。…ん?10年前……?いや、まさか……な…………。)
俺が一人で考え事をしていると、由季の母親が再び語りかけてきた。
『でも、誰にでも"霊装"は纏える訳じゃないの。小さい頃から"力"に触れていないと……。由季は……力を得た晋也と数年間暮らしていたから。佳奈さんは……疾風さんと幼なじみだったから。これらは偶然なのか……それとも、運命なのか…………。』
(…………力に、触れていたら……か……。)
『…………由季、皆さん、もう……今度こそ、時間です。由季……もう行かなくちゃ。……あの人の魄を連れて。』
由季の顔が再び曇った。だがそれはすぐに晴れ、その顔には涙が浮かんできていたものの、先程と違って哀しみは無かった。
「……うん。おかあさん、今までありがとう。そして、これからも……よろしくお願いします。……いってらっしゃい。」
『うん……行ってきます……。』
由季の身体から光の玉が浮き出てきて、それは氷の華の側まで移動して止まった。
『由季……それじゃあね……。』
「うん……じゃあね……。あ……そうだ……!ねえおかあさん、最後に……おかあさんの名前、教えて……?お母さんの日記にも、それだけ書かれてなくて。」
『フフッ……あの子らしいわね。……そうね。私の名前、由季には……知ってて欲しい。私の名前は……詩貴。……蕩野詩貴、よ…………。』
光の玉が氷の華に近付くと、華は輝きに包まれた。
『じゃあ今度こそ……さよなら、由季。』
光の玉は、粒子を撒き散らしながら上空へと消えていった。それと同時に、氷の華は砕け散った。その中に、浅田晋也の姿は無かった。
「詩貴……言い名前だね。………………おかあさん。……産んでくれて…………ありがとう。」
由季の声は、溢れ落ちた光の粒子により、天へと運ばれていった。
「ありがとう、由季。産まれてきてくれて………ありがとう。」
その声は、天空から直接降り注いで来たような気がした……。
俺達は、粒子が無くなるまでずっと、その空を見上げていたのだった…………。
「終わった……か…………。」
粒子を見送った俺は、脱力感から地面に座り込んだ。気絶していた美咲・渚・双葉の3人は、今は歩けるようになっていた。
「あの、神大君…………。」
由季が、何やら頬を赤らめさせ、腕を後ろに回しながら俺の側までやってきた。
「ん……?どうした……?」
「……いつも本当に、ありがとう。」
「ん?いきなりどうしたんだ?……それに言ったろ?好きな子の為なら何だってしてみせるさ。」
「……ううん。それでもやっぱり……感謝してる。……だから……その…………コレ。私の気持ち。」
そう言うと由季は、小箱を俺へと差し出してきた。
「コレは……?……ってもしかして……?そういえば今日は……。」
「……うん。私からの、バレンタインチョコレート。ちょっと中身崩れっちゃってるかも知れないけれど……。」
「………そんなの気にしないよ。ありがとう。…開けていい?」
「……うん」
蓋を開けるとそこには、微妙に欠けたハート型のチョコレートが入っていた。でも、その形は全く気にならなかった。由季からの気持ちの容の方が勝っていたからだろう。
俺はそのチョコレートの欠けた部分を摘まむと、口へと放り込んだ。口の中には、優しい甘さが広がった。
「うん、美味しい。ありがとう、由季。」
俺はそう言うと、由季の頭を撫でた。由季は顔を赤らめさせながらも、はにかんだ。
……暫くして手を引っ込めると、一人の少女が俺の前にやってきた。
「神大先輩、これどうぞっ!」
その少女…美咲から、小箱が差し出された。
「……開けていいの?」
「はいっ!私と渚さんと双葉さんからです!」
その箱の中には、綺麗にラッピングされた一口大のチョコレートが数個入っていた。
「いつも優しく接してくれて、ありがとうございますっ!」
と、美咲が。
「べ、別に深い意味じゃなくて、気持ちをあげただけですからねっ!………いつもいつも、ありがとう。」
と、渚が。
「……私は義理チョコとは言ってない。……なんて。本当に、ありがとね。」
と、双葉が。
それぞれに感謝の言葉を伝えられて、俺は込み上げてくるものがあった。
「皆こそ、ありがとう。これからも、よろしくな?」
「「うん!」」
3人は笑顔で頷いた。美咲と渚はこの後、自分の想い人へのチョコレートを郵便で贈りに行くのだった。
「よし……。由季、帰ろうぜ?……俺達の家に。」
俺は由季へと手を差し出した。由季は一瞬迷ってから、笑顔でその手を握った。
「うん、帰ろう……。私達の……家に。」
どんな形であれ、どんな容のものだとしても、"家族"を失うのは辛いことだ。由季には、またしてもその気持ちを味わせてしまった。
その根本的な原因に"あの事故"が有る限り、その犯人をこの手で葬らない限り、俺の奥底に浮かぶ罪悪感は拭えることは無かった。
でも、だからこそ、俺は改めて自分に誓った。
もう二度と、由季に"家族"を失う哀しみは味あわさせない…………と。
「どうしたの神大君?……行こっ?」
笑顔を咲かす由季の姿。悩みは多けれど、今はそれだけで十分だった。
「ああ……行くか!」
降り続いていた雪はいつの間にか晴れ、代わりに穏やかな日の光が、俺達を照らしていたのだった…………。




