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世界箱ー第二幕ー

魔法少女は失わない 作:西向といち


私はこの街でたった一人の魔法少女だ。

名前は随分前に無くしてしまったのだけれど、

人々は私のことを「魔法少女」と呼ぶ。

だから、今はそれでいい。


目覚め始めた街を、私は上から眺めていた。

昨日までと同じ景色、これからも私が守るべき景色が目の前に広がる。

緑色の朝焼けだった。

「何一つ変わらないわね」

私は呟く。それで良い。

それが一番正しくて、それが一番嬉しい。


私達、魔法少女の定義は数多くある。

だが、どの魔法少女も、人々を困難や苦難から助け出すという共通の目的で、魔法を使っている。

そこは一緒だ。手順なんてどうでもいい。

そういうものだと、私は随分前に学んだ。


「何をやっているんですか?あざみさん?」

“あざみ”というのは私の通り名だ。

魔法少女として生きる為に、私は人として死んだ。消された。

その際に名前も失ってしまった。

だから、私には識別される為の新しい名前が必要になったのだ。

あざみは花の名だ。私が契約を交わした際に傍にあった紅色の花。

「別に…特に何も…」

そんな某女優ファンには殺されそうな台詞を吐いて、私は声の主に視線をやる。

そこに立っていたのは男。笑顔を綺麗に貼り付けた背の高い男。

「嘘つけ」

彼は笑顔でそう言う。本当に笑顔は貼り付いているだけだ。

「私が嘘をつけないのは、貴方もご存じのところでしょうに」

やれやれと私は肩をすくめて、再び寝袋に包まる。

「ひどいなぁ、一応こちらも業者の仕事の合間を縫って、様子を見に来ているんだけど」

初めて逢った時。彼は名を“業者”と名乗った。それは名前では無いのでは、なんて素朴かつ純朴な疑問は華麗に存在ごと無視された。

彼は私をスカウトし、私は魔法少女になった。

残念ながら、キューティーかつ、もふもふな肌を持つ白い魔獣と契約を結んだりはしていないし、願いも何一つ叶えてもらっていない。

そちらの方が、どれだけ良かったことか。


「それにしても、相変わらず、屋上とかに寝転がるのが好きなんだね」

そうですけれど、何か文句の一つや二つでも。

と、言い返そうとしたのだけれども、彼は一応、哀しいことに、何の因果か、恩人である。

「誰にも見つからない所で生活しているからいいでしょ」

といっても、毎日寝袋を持って、廃ビルの屋上で寝泊まりする姿はさしずめホームレスだろう。

皆のヒーロー、魔法少女が、ホームレス同然の生活だと知ったら、皆はどう思うのだろうか。

業者は肩を竦めて、笑う。いつも着ている白いパーカーのポケットに手を突っ込みながら、

「ま、それはそうなんだけれど」

彼はそういう男だ。問題さえ、表面上の問題さえ、起きていなければ、何一つ文句は言わない。

「それにしたって、『業者』さんはお仕事で忙しいんでしょ?」

私の言葉に含まれた棘や毒など、全く気にすることもなく、

「いや~、暇だよ?一日に二、三回お客がくれば、多い方だ」

そう言って、彼は何処から取り出したのか、パンに小さくかぶりついた。そういえば、この人は安っぽいパンを常備しているけれど、業者専用の購買なんてあったかしらね。


その時、携帯の音が空気を揺らした。

「音量、調整しなさいよ」

文句を言いつつ、私は彼に携帯を取れと促した。

「ふぁいふぁい」

口に物を入れたまま喋らない。そんなことを思って、私は母親かと自己嫌悪に駆られてしまった。

業者は携帯を取る。そして、話し始める。

私の知らない態度、私の知らない話題、私の知らない表情。

こういう時に、私はやはり、もう二度と一般人には、人間には戻れないのだ、と気づく。

まるで、世界で私だけが切り取られたかのような、そんな気持ち。

しかし、それが多くの人の希望になるという、その不自然さに、妙に気味が悪くなった時も何回かあった。まぁ、今はもう無いけれど。


携帯のボタンを押し、通話を終了させる音が聞こえた。

彼はこちらに再び顔を向ける。

「ごめん、ごめん、仕事だ。今回はご家族のご入場だとか、何とか」

今すぐ行かないとね、と言って、業者は白いパーカーのフードを、深くかぶった。

それはそれは、可哀相に。 それが彼に向けた言葉なのか、家族に向けた言葉なのかは、自分でもよく分からないが、そんなことを思った。


魔法少女が基本的にすること。それは掲示板確認と睡眠時間の確保だ。

いや本当に。

理由説明というか、弁解をさせて欲しい。

理由その一。今やインターネット時代だ。必要な情報のほとんどはこれで見つけられる。良くも悪くも。本当、技術の進歩も困りものよね。

理由その二。私の仕事は激務の肉体労働だ。

右腕が千切れることなんて、日常茶飯事。頭がもげかけた事さえある。

体力温存は大切だ。


と言う訳で、あれから、私は寝袋に包まれて、睡眠時間を補充していた。

彼がやってきたのは、朝の9時位だから、今はもう昼かな。

まぁいいや。

今日くらいはゆっくり過ごしても罰は当たらないだろう。

同じことを昨日も思った気がするけれど。


ピリリリリと、電子音がけたたましく鳴る。

私は思わず目覚まし時計を買ったかしら、と、考えてしまうが、

思い出してみてもそんな購入遍歴は無い。というか、最近物を買った試しがない。

音は鳴り止まない、私は渋々ながら目を開けた。

そして、目を開けると直ぐに何か理解した。

あぁ、携帯、そういえば、この前何か理由つけて渡されたっけ。

私は目を擦りながら、携帯の文字を見つめる。

「山手町」

驚きの分かりやすさ。明快さ。情報量の少なさ。

そして、私はようやく目を完璧に覚ます。よし、仕事だ。


変身シーンは残念ながらない。普通に着替えた。

しかも、ヒラヒラの服は動きにくいので、簡単なドレス式の装束だ。

動きやすさ重視なの、御免なさいね。本当に。


私が魔法少女を担当しているのは、主にこの地区周辺の半径50キロメートル内の地域だ。

山手町はその中でもかなり遠方。

走るのはさすがに面倒、と早めに判断した私は、箒を掴んだ。

いえいえ、これでずびゅーんと飛ぶなんて、そんなことはしません。第一、空は混んでるし。飛行機だの最近出来た滑空自動車だので。

箒は所謂「どこでもドア」みたいなものなのだ。

私達、魔法少女にだけ与えられた、どこでもドア。

この箒と同型の箒が各街に散らばっていて、その空間に移動できる。

分かりやすく言えば、テレポーテーションね。


私は箒の柄をしっかりと握り、一言、

「山手町」

と、行先を告げた。

刹那、はらわたが煮えくり返るような、天井と床がいきなり逆様になったかのような、そんな倦怠感に襲われながらも、私は移動を終了させていた。

あぁ…やっぱり慣れないわね。うん。

ほんと、空間を交換するシステムがあるなら、扉を開けたら、別世界とかの方が素敵なのに。

いつか誰か開発してくれないかしら。


双眼鏡を覗くと、もうそこには魑魅魍魎地獄絵図が広がっている、

なんてこともなく、五百メートルほど前方で火の手が上がっているだけだった。

あれか。

私は双眼鏡をポーチにしまい、走り出した。


人が走るスピードのほんの2倍くらい。それが私の運動技能の限界だ。それでも、普通の人には、その速さから見つかることはまずない。まぁ、元々それが、魔法少女の特性でもあるんだけど。

私は息を上げることなく、足を速める。

走りながら、私はホルダーからステッキを取り出した。

白い星の形の石が、杖の先端に付けてある。

いつも思うけど、誰のセンスよ、これ。 恐らくあいつだけど。


走りながら、杖を軽く振る。

呪文とか儀式とか、そういうものを省略して術が使えるのは、さすがに魔法少女っぽいわね。

杖の先端から、水の束が現れる。

いちいちエフェクトがでかいのは仕様だろうか。

私はその水の柱を、火の手に向かって投げ込んだ。

それを杖でぽんぽんと叩く。刹那、水柱が凍りついた。

それに飛び乗って、私は走り出す。

目が覚めた。知らない間に眠ってしまっていたようだ。

…なにこれ、夢オチ?

そんな不安と不明瞭な気持ちになりつつ、

あたしは屋上から街を見下ろす。紫色の夕焼け。 いやいや待て待て。

少しだけ眠っているような思考に、あたしは目をこすり、言う。

「広い…」

当たり前なのだけれど、至極当然なのだけれども、

あたしは呟かずには居られなかった。

これから守る街の大きさと。これから守る命の重さと。

そんなものに圧倒されていたからだ。

ぷるぷると震え、携帯に着信が入る。メールだ。

「山手町」

…何をしろと? あたしは頭を抱えてしまった。

端的すぎる。

とりあえず、あたしは近くに置いてあった箒を掴む。

これでそこまで飛んでいきますか。ずびゅーんと。


変身シーンが無い魔法少女って、どうなんだろう?とか思いつつ、あたしは普通に着替えさせてもらった。


そして、箒に跨る。見た目は完璧に阿呆だけれども。

だが、果たして、一体どのようにして飛べばいいんだろうか。

あたしはイメージする。ただひたすらに、イメージ。

この箒が天を駆ける姿を。自分がそれに乗る姿を。

確かに、それは根性論だけれども、

あたしはいつもこんな考え方だったし、

こんな考え方で何故かどうにかなってしまうものだった。


ふわり、と風が沸き起こるのを感じる。

あたしが想像した通り、木の棒は人間一人を支え切るだけのバランスを保ちつつ、飛行を始めた。

おぉ、魔法少女すげー。


鳥が横を駆ける。街の景色は後方に流れて行って、人の姿など微塵も見えない。いや、嘘だ。偶に自動車にぶつかりそうになった。

空中散歩は中々に楽しくて、正直このまま逃げてしまおうかとも思ったが、あたしは本来の仕事を忘れなかった。偉い偉い。

先程の短すぎるメールに書いてあった言葉。山手町。私が担当するらしい街の範囲で、最も遠方に位置する。

所要1時間と言ったところだろうか。

「遠いなぁ」

当たり前の事を当たり前に呟く。あまりに無生産なことだけれども、これからの『初仕事』を考えれば、それくらいやったって怒られる筋合いは無いはずだ。

それにしても、さっきの夢はおかしかったなぁ。

ケーキ型の怪物を叩き潰す夢だっけ。

油断大敵という言葉の意味を、私は今更になって思い知っていた。

前門には7mはあるであろう、巨大な虎、後門には目玉が何故か三つもある狼と蛇の合成獣的なもの。

中々に絶望的な状況だ。

更に加えると、先程の攻撃で私の右腕は、狼に、がぶりと、噛み千切られていた。

全身を痛みが回っている。赤黒い液体がまるで水道管が破裂したかのように、どくどくと噴き出している。

だが、まぁ正直なこというと、これくらいの状況には適応できるようになってきたから、困るわね。

喰われた右腕から白い骨が突き出ている。

正直、このままだと、邪魔だ。

だから、私は、それを、少しだけ顔をしかめながら、毟り取った。

骨は人間の中で一、二を争う強固な器官である。

杖を持とうとしても、先程、その杖は、目の前の獣に取られ、何処かに放り投げられてしまった。

だから、今は、これで。原始的な武器だけれども。


ぐるるるる、という風に、典型的な人ならざる音を出しながら、

獣はこちらに牙を剥いている。せめて、片方だけでも何処かに追いやれれば、いいんだけどね。

私はひとまず、千切った骨を更に二つに折った。ぼきり、と嫌な音がする。

乱暴に千切られた二つの骨の先端部が、光に照らされ、反射する。

何故か、その棘に指を触れると、ぞくりとしてしまうような、そんな歪さ。そんな、鋭さ。思わず見惚れてしまいそうになった。

私はかぶりを振って、目前と後方の獣を見据える。

そして、くるりくるりと、自分の骨を残った左腕で持て余す。

よし、反撃だ。

おいおいおい。あたしは思わず心の中で突っ込みを入れる。

街が派手に壊れていた。明らかにここが「山手町」―指定された場所である、と分かった。

何とか星人と何とかザウルスによって、大怪獣バトルが勃発したとしか思えない惨状。

死人が出ていないことが唯一の救いだ。


その時。

派手に壊れた家屋の一つから、轟音がした。

私は迷わず、そちらへと飛んでいく。

片方の骨を、虎の首元へ、喉笛へと、放り投げる。

耳をつんざくような悲鳴が轟く。それが虎から発せられていることは明らかである。

その音を耳にする少し前から、私は助走と加速を行っていた。

ここまでは予想通り。そして、私は虎の首元へと手を巻きつかせた。じたばたた、と猛獣のように暴れまわる。あ、猛獣だった。

もがく獣の首にしがみつきながら、手を彷徨わせる。何か固い物が当たる感覚がした。それを強く握り、力を込める。 

首の横に刺された骨を更に深く、どくどくと、ぞくぞくと、突き刺す。

血が流れる。悲鳴は増大する。そして、動きが少しだけ弱まる。

その隙をついて、私は身体を回転させ、虎の首を駆けあがった。

頭上、頭蓋骨の天辺、頂上。私はそこで足を止め、息を吸い、少しだけ後ろに足を戻す、そして、助走をつけ、大きく飛び上がった。高く、出来る限りの高度で。

その最高点で、私はポケットからもう片方の骨を取り出した。

自らの骨を、白骨を、くるりと一回転させ、先端を怪物に向ける。

そして、大きく大きく、私はそれを振り下ろす。

着地と同時に、虎の頭蓋骨が、脳が、頂上から潰されていく感触がした。

仕留めた。何年もこの仕事をやっていることから、ついてしまった感覚がそう告げる。

しかし、その時、私は完全に、完璧に意識の外にあったのだ。

もう一つの獣の存在を。蛇と狼の合成獣のこと。

私が、虎の頂上から飛び降りた刹那、

何かが私の頭に触れた。

箒を屋根に乗りつけて、あたしは先程、轟音が起きた建物を覗いた。そこでは、少女が大きな怪物と闘っていた。

彼女の右腕は生々しく千切られたような痕がある。赤黒い血液が流れながらも、その傷を塞ごうともせずに、彼女は巨大な虎型の怪物の首にしがみついた。そして、ものの数秒で自分より5倍は大きな獣を仕留めてしまった。断末魔の叫びが、薄気味悪く耳に残る。


彼女は息を一つついて、髪を掻き上げて、死体の頂上に立つ。

美しかった。怖いくらいに、綺麗だった。

怪物が倒れんとする瞬間、同時に彼女も飛び降りる。

その挙措動作、一々が優雅で。まるでそこが、何処かの舞踏場であるような。そんな上品さだった。

女のあたしが、惚れ惚れとしてしまうような、そんな美しさ。


その時。

彼女の方へと急接近する影が一つあった。

影に隠れて、何が接近しているのかは見えなかったが、とりあえず、良いものではないことだけは確かだ。

何をしよう、今、あたしは何ができる。

考えている暇は無かった。

あたしは箒も持たずに、屋根からいちにで飛び降りる。 急降下。

…何かここで格好いい台詞が言えればいいんだけれど、残念ながら空気抵抗が強くて口を開くのも難しいという状態だ。

なんてことを考えている間にも、降下は続く。

地上まで目算で後10メートル、対象まで3メートルほど。

あたしはホルスターから先程貰った杖を取り出して、ただ祈った。

はじけろ、と。

瞬間、

真っ赤な液体があたしを包んだ。

杖を探して、三千里。いや、そんな距離はないけど。

瓦礫の山をかきわけて、杖の姿を探す。

途方もない作業だ。

先程、大活躍を収めた新人さんにも捜索を手伝ってもらっていた。

彼女の攻撃に驚かなかったと言えば嘘になる。彼女は、一瞬で、あの化物を(何故かは分からないが)内側から爆ぜさせた。


彼女の名は、新たにつけられた名前は、“茉莉まつり”と言うそうだ。

きっとそれは、彼女が魔法少女になった時に、傍に在った瑠璃色の花の名、なのだろう。相変わらず変なところでロマンチストな奴だ。

先程の戦闘の後、携帯にメールが入っているのに気付いた。

『あ、今日から新人が入るけど、宜しくね♪』

送ってきた時間といい、文面と言い、悪意があるとしか思えない。

今度会ったら彼奴を完膚なきまでに殴打することがこうして決定された。


小さな瓦礫を掻き分けて、床に伏せて、間を見る。

さながら、自動販売機の下に落ちてしまった小銭を探すようなか恰好。うぅ、背徳的。

瓦礫の下に手を伸ばして、木の棒の感覚を探し続けていたその時。

「あ」

茉莉の声が小さな建物にこだました。私は顔をあげて、

「どうしたの?」

「見つかりました」

何が、と聞かずとも済むのが素晴らしいところね。

彼女は、私の杖を大きく掲げていた。

私は態勢を直してそちらへと向かう。さすがに這って進むわけにもいかないし。


手渡された(悪趣味な星が先端でさんさんと輝く)それは、確かに私のものだった。

私はそれを残っていた左腕で受け取る。

その姿を見て、茉莉は顔を少しだけしかめた。

確かに、右腕から血と肉が見えている姿は、気持ちいいものではないのだろう。

「あの…大丈夫なんですか?」

彼女が不安げな瞳でこちらを見つめてくる。

「何が?」

私は不思議そうな顔で、彼女を見る。

「あの…その腕」

彼女は、私の腕があった場所を促して、問い掛ける。

その心の底から、恐怖と心配が混在した眼を見て、

あぁ、そうか。彼女は本当にまだ、魔法少女ではないのだ、と再確認した。

「大丈夫」

そう言って、私は微笑んだ。杖を左腕でしっかりと握り、力を込める。瞬間、茉莉の悲鳴がした。

先程噛み千切られた箇所に、どんどんと腕が蘇生させられていく。

縫いぐるみの千切れた腕を、再び縫い付けるような、そんな手軽さで、私の右腕は復活した。

ぐるぐると肩を回し、一応異常があるかどうかを確認する。

異常無しと見た。とりあえず、一つ、小さな溜息。


「ありがとう」

私は感謝の意を告げる。恐らく、彼女がいなければ、今頃は首と腕がない“何か”だっただろう。 その図を思うと、ぞっとする。

「…今更聞くまでもないけれど、貴方、魔法少女よね?」

私は一応、と言った呈で尋ねる。茉莉は、はにかんで頷いた。

「はい、宜しくお願いします」

うん、挨拶って大事。

あれから。あざみさんの携帯にメールが来て、あざみさんは相当な悪態を尽きながらも、あたしの指導を始めてくれることとなった。

あたしは色々なことを習った。

魔法少女とは何か。とか、基本的なものから、日常生活、使いやすい通販サイト、カップラーメンの種類と言ったそれは必要なのか?という四方山話まで。

一つ、抜粋をしてみよう。


「魔法少女、って普通の人と何が違うと思う?」

あざみさんはホワイトボードを取り出し、『魔法少女』と記す。

何処から出したんですか、それ。

「…どういう意味ですか?」

「言葉通りよ」

あざみさんはこちらを見据えた。髪の色と同じ黒い瞳が、私を見透かそうとする。

「…魔法が使える…ってことじゃないですよね」

最早、この世界に魔法という技術は定着してしまった。

三歳でさえ、術陣と呪文があれば、火の一つや二つは点けることが出来るだろう。

「そうね。そう言ったら殴っているところだったわ」

先輩は以外と暴力的である。まぁ、本気で殴られたことはないけど。

先輩はホワイトボードを、持っていたペンでとてとてと叩く。

「じゃあ、普通の魔法って、どんなものなのかしら?」

えっと…。あたしは腕を組みながら、頭を傾げつつ、思考を展開する。

「火とか水とか、土とか…」

「頭の悪い回答だけど…まぁ、三角ってところ」

遠慮容赦情け無用の精神攻撃溜息付きを浴びせつつ、あざみ先輩はペンのキャップを口で外し、『魔法』という文字をホワイトボードに書き足す。

そこに『=自然』という言葉を付け加える。

「魔法というのは、一種の超自然的な科学なのね。 まぁ、超自然の時点で科学ではないけど」

あたしは頭を更に深く傾げる。何のことだろう。

「つまり、現在、世界に広まっている魔法は、あくまで自然現象を人間が任意で起こせるように調整したものなの。さっき言ったみたいに『火とか水とか土とか』ね」

うんうんと頷きながら、私は首をかしげる。

それが魔法じゃないの?

「まぁ、そうなんだけれどね。それはあくまで一面なのよ。そういうことだけじゃなくて、もっと超常的な力、例えば、『時間』『空間』『感覚』と言った自然とは無関係の部分も操作できる。そういうのが本来研究されていた魔法という技術。科学が届かないファンタジーの力よ」

初耳だった。あたしは生まれてこの方、魔法というのは自然の力を借りて、生活に役立てる為に使うものだ―と聞かされていたのだ。

「この事実は広まってないの。だって、人の法を侵しているからね」

人の法?あたしの顔を見て、あざみさんは解説を加える。

「つまり、この術さえあれば、他人の心や時間を思うがままに操れてしまう、ということよ。自然を人間の為に使う術は有りだけれども、人間自身の争いを生み出す可能性のある術は、いらない。少なくとも人間にとってはね」

確かにそうだ。あたしはうんうんと頷く。しかし、その話を聞くと、一つ疑問が浮かび上がってくる事がある。

「あざみさん。それを、今説明しているということは」

「そう、魔法少女はこの術を使用できる」

そこがまず一つ目の大きな違いだ、と彼女はホワイトボードに要点をまとめて記す。


「これは勿論、あぁいう化物を倒す為に、限定的に使用を許可されているんだけどね、それも一つだけ」

化物。これまであたしとあざみさんが何体か倒してきた獣たち。

あれが出てくるペースは非常に不安定で、一週間続けての時もあれば、三週間以上音沙汰が無い時もあった。共通しているのは、全てがおぞましい姿をしているということと、凶暴な性格をしているということ。

「あれは何で、普通の人には見えない…んですか?」

「あれは、思念的なものだから。だから見えないの、ほら、魔法少女になった時、夕焼けが紫色に見えたこととかないかしら?あれも思念よ」

あたしの質問に、あざみさんはあっけらかんとした風に言い放つ。

後者の話は経験があったので、納得出来た。しかし、前半は…どういう意味だろうか。

「つまり、あれらは本来、実体を持たないものなの。人間様が持った嫉妬とか憤怒とかいわゆる『七つの大罪』…そういう負の感情がより集められて出来た想いの塊。それが偶に人間に憑くのよ。そして、実体を持つ」

これも初耳だった。知らなかった。 

あれ。何だ、この違和感。その時、あたしに再び一つの疑問符が浮かんだ。 先程とは桁違いの不安を引き連れて。

「先輩」

あたしはゆっくりと口を開く。その重いトーンに呼応したように、あざみさんの顔は凛と引き締まって、あたしの次の言葉を待っていた。

「じゃあ、あたし達がこれまで倒して来た化物たちは…」

彼女は、あたしが続けようとした言葉を、理解したようだ。

そして、頷き、

「形は違えど、人間よ」


「…何で言ってくれなかったんですか?」

少しだけ、ほんの少しだけ、目を赤く濁したあたしの顔を見て、あざみさんは冷静に言う。

「知ったら…この仕事をしたかしら?あの男のスカウトを受けたかしら?人間を捨ててまで、魔法少女になったかしら?」

人間を捨ててまで。

その言葉が、あたしの胸に突き刺さった。そう、確かに。あたしは人間を捨てたんだ。もう戻れないのだ、と、今、ようやく今、理解した。

あたしはもう完璧な人殺しになってしまったのだから。

「無理です」

思わず口からこぼれ出た。本音だった。同時に涙も。ぽろぽろと流れ出してしまう。

おかしい、こんなこと言うはず無かったのに。

「そうよね。でも魔法少女という称号は、最早貴方の存在証明なの。失う事なんて出来ない。だから闘わなくてはならないし、殺し続けなくてはならないの。分かるわね?」

優しい言葉、表情。それらが重なって、あたしの悲壮感はもっと増長してしまった。それでも頷く。 考えるより前に身体が動く。

「そ」

彼女はおもむろにあたしの頭に振れて、髪を撫ぜた。

「無理はしなくてもいいのよ。最初は皆辛いんだから」

その柔らかい指先が、あたしの髪をすくその暖かさが、あたしを不安定にさせて。

「せんぱい?」

あざみさんは?マークを頭の上に浮かべて首を傾げる。

「先輩も、最初はそう…」

だったんですか?と言葉を続けようとした、その時、先輩はおもむろにあたしの背中に腕を回し、肩を抱き寄せた。

「無理して、何かを言わなくていいわよ」

その言葉に、温もりに、あたしの涙は先程と比べ物にならない位、溢れ出して来て。

その温もりと、あたしがこれまで倒してきた、殺してきた、すべてのものたちの冷たさの違いを思い出して。

あたしは初めて、人前で声をあげて、泣いた。

あざみさんはその間、ずぅっと抱きしめていてくれた。


しばらく経って。あたしは涙を拭いた。大丈夫?というあざみさんの問いに、頷いて、あざみさんの講座が再開する。

再びホワイトボードに文字を書いた。

「それじゃあ、話を続けるわね」

あたしは頷く。

「そういう怪物が人間に憑いて、大量破壊を行うようになる。このとき、器は人間でも、そこに入っているものは、負の感情だけが集められた最早人ではない魂だから、姿は人には成り得ない。だけれども、実害はある。実体も一応持つ。負の感情を不必要にばら撒いたりもする。そういう危ういバランスで成り立っている厄介な存在なのよ」

「じゃあ、一般人には」

「存在自体は語られているわ。だけれども、実体は強い霊感がある人でも無い限り見えないから、実害があるまで、誰も信じない。それだけよ。最早都市伝説ね」

私達魔法少女と同じ…、と彼女は続ける。

あたし達の存在、というかあたし達の活躍(と自分で言うのも難だが)が新聞に偶に載っているのを見たことはある。

「それで、そういう厄災を起こす化物を、術を一つだけ使うことを許されて、闘うのが…私達、魔法少女よ」

「何で、一つだけなんですか?」

あたしの質問に、あざみ先輩は少しだけ目を伏せた。

「…業は重いのよ、私達が想っている以上にね」

そう言って、あざみさんは再びペンを走らせる。

「術には色々な種類がある。貴方が持っているのは『空間』型ね」

あたしの能力。初めてあざみさんと会った日に起こしたような、空気を、空間自体を圧縮もしくは拡大する力。勿論、使用条件はあるようで、数日前に実験して、『自分が視認出来る範囲で』、『一点を中心に』、『中心から半径10メートルの範囲の球体上で』、圧縮・拡大を行うことが出来ると、分かった。条件ややこしっ。

大抵は、圧縮を使い、敵を潰して消滅させる為に使っている。

「こういった能力が人にとって厄災の種になりうる、ということはさっき喋ったわね?」

はいはい。あたしはテンポよく頷く。

最早これは、何の授業なのだろうか。この後あたしは受講料を払うべきなのか。

「あざみ先輩…眼鏡とかつけてみませんか?」

「目は良いから断っておくわ」

先輩は華麗にスルーして、髪をかきあげる。

「さて、それで、この力を使う為に私たちが払っている代償は二つ」

二本の指を立てて、ピースサインを作るあざみさん。そして、

「何だと思う?」

と彼女はこちらに話を振ってきた。無茶振り。あたしは頭を抱えて、思案を巡らす。

「まぁ…いいわ。一つ目は教えてあげる。人間を捨てることよ」

あざみさんはしょうがないなぁと言った呈で、あたしに一つ目の答えを教える。 確かにそれは、以前からずっと聞かされていた。けれど、

「人間捨てる…って具体的に何なんですか?」

「直観的にもう大体わかっているんでしょ?」

あたしはゆっくりと、しかし確かに、首を縦に振った。

随分前から、勘付いてはいた。人に厄をもたらす力

「…あたし達はもう実体を持ってないんですね」

彼女は、正解と言うように、あたしの頭を撫ぜた。

「いわば、幽霊に近い存在なの。正しく言えば生霊ね。だからこそ、思念を見ることが出来るし、思念を攻撃することも出来る」

だからこそ、…か。物は言い様だな、とあたしは思う。

「じゃあ、…あたし達はもう生き返れないんですか?」

死んでしまったというのなら、命は二度と取り戻せないのだから。

「…そう簡単に定義できるものじゃないのよ。私達の存在はあの化物たちと、基本は一緒なの。自分たちの攻撃はちゃんと現実世界で実体化されているわ。だからこそ、存在も認識され、感謝もされる。それに、現実世界で情報を調べたり、逆に情報を操作したり、する必要だってあるしね。実体化が出来ないわけじゃないのよ」

だから、本来は…私達は、あの化物たちと同じだったのかも知れないと、私達はあれらと根本を分かちた存在かもしれないと、彼女は続ける。仮説だけれどね。の言葉を付け加えて。

「そういった理由だから、私達の身体が何度でも蘇生できる訳だし」

そう、あたし達の身体は基本的に何度でも復活する。あくまで、あたし達の身体は『憑代』だから。一部分の損傷は(杖が近くにある限り)、力でカバーできるのだ。

「まぁ、色々とこれからも覚えることがたくさんあるだろうけれど。ゆっくりとおぼえていきなさいな」

あざみさんはそう言って、ホワイトボードをしまい始める。だからそれは何処から持って来たんですか。 いや、待てよ。

「先輩、あの…二番目の代償の答えは…」

何なんですか?と問おうとした、それに被せて、

「それは宿題」

あざみさんは笑顔であたしに人差し指を向ける。そして、こつん、とあたしの頭を小突いた。

それくらいは自分で考えなさいな、とでも言うように。可憐に妖艶に。

「ヒントはもう出てるわ。私達魔法少女の存在理由、術の存在、これまでの経験、そういったことを総合すれば、答えは出るわよ」

そう言って彼女は、寝袋に包まり(何時の間に準備したのだろう?)、すやすやと寝息を立て始め、もちろんその後に質問することも出来なかった。


以上、回想シーン。予想以上に長くなってしまって申し訳ない。

これまであたしが受けた説明を何となくまとめるとこんなところだろう。

結局、あれから、何週間も経ったけれど、彼女から、第二の代償について、ヒントは貰えなかった。


それから、幾分かの時が経ちて。

朝。ゆっくりと目を覚まそうとする街を眺めていた。あたしはいつも、あざみさんより少しだけ早起きで。だから、彼女はまだあたしより少し離れた場所で、寝袋を纏っている。

どんな夢を見ているんだろうか。きっと教えてはくれないだろうけれど。 どうせ、はぐらかしたり、誤魔化したり…、

そこで、ふと、あたしは気付いた。

「あぁ…そうか」

思わず呟いてしまう。そういうことか。

確かにあたしたち魔法少女が、人々にとって「正義の味方」ならば、当然の代償…と言えるのかも知れない。

その時だった。携帯の着信がけたたましく鳴り響く。

あざみさんはその音を聞くが早いか、目を開き、自分の携帯を開く。

あたしも自分のを眺めた。

「矢毬町。多数出現、気をつけろ」

いつも、彼…業者からのメールは短く、必要最低限にも満たっていなかった。けれど、今日はいつもより、数言多い。

それだけ危険、ということでいいのだろうか。

というか、この人はどこでこの情報を仕入れるんだろうか。恐らく、きっと、永遠の謎だ。


「近いわね…」

そう言って、あざみさんは横に立て掛けて置いた箒をあたしの方へと放り投げる。あたしは難なくキャッチする。

「箒で行きましょう、その方が効率的よ」

あたしは即座に返事をして、箒に跨る。

直後、空気が、空間が吹っ飛んでいく音がした。


箒で駆ける間に、あたしは先輩に尋ねた。

「先輩、あの…随分前に話した第二の代償の話なんですけど」

先輩は『?』と言った表情をこちらに向ける。

「手短に済ませますよ。 あざみ先輩、“業者”さんのこと好きですか?」

「大っ嫌いね。早く消えればいいと思うわ」

即座に彼女は答える。酷いな、この人。 そして、あざみさんは顔を緩めた。

「つまり、そういうことなんですね」

あたしは問う。

「つまり、そういうことよ。正解」

彼女は答えた。


でか。 そして、多っ。

これが最初に、矢毬町に着いた時の感想だった。小学生か、あたしは。

「上空にこれだけいる…ってことは」

あたしは、辺り一面を見回す。 ピエロの顔を持つ巨大な龍。 首が四つほどある、黒い犬。 しっぽから、別の顔が生えた、おぞましい魚。 玄武のような甲羅に針が張り付いた、人魂の顔を持つもののけ。 勿論、それだけではなく、多数の種類がお品揃えだ。売りつけてやろうか。

「相当な大集団自殺でも起きたんでしょうね、きっと」

あざみ先輩が冷静に答える。

「これが広がったら、大変なことになりますよね」

「もうこれだけ居る時点で大変ではあるけどね」

あざみ先輩は溜息をつく。

「これは…久方ぶりに、力でも使うかしらね」

そういえば、これまでの日々の中で、あざみさんが力を使った事は一度も無かった。彼女の力、魔法少女としての能力を使った試しが無かった。教えてくれもしなかった。 今思うと、聞いておけば良かったとも思う。


「じゃあ、私はあの上空から攻撃させてもらうから、貴方は下方からお願い」

あたしの肩をぽん、と叩いて、あざみさんは箒で駆けだす。

その瞬間、あたしは周りの空間が、世界が、一瞬だけ揺らめくのを感じた。

ゆらゆらりと、時が一瞬だけ止まったような、そんな感覚がした。

そして、そのすぐ後。世界が元通りに動き出す。

しかし相当数の怪物の姿が無くなっていた。

現在残っているのは、十分の一くらいだ。

何だ…。これが、あざみ先輩の力なのか。


あたしは群れの下に潜り込んだ。目の前に意識を集中する、瞬間、人面の化物が潰れ、赤黒く血が噴き出す。いつも通りのペース。しかし今回は数の桁が違う。

あたしは箒を走らせて、次々と敵を潰していく。


先輩の方に目をやると、彼女は杖を上空に向けて、ゆっくりと振り下ろしていた。

そして、それと同時に自分の周辺の空気が揺らぐのを感じる。

大きな大きな光の腕によって、異形の群れが次々に一点に集められていく。

凄い。理由がよくわからないけれど、とりあえず凄い。そう思った。

圧倒的だった。それだけの力を持っていた。

「茉莉っ、お願い」

あざみさんが大きな声であたしを呼ぶ。小さくウィンクされた。

言いたいことは何となく解った。あたしは、纏められた敵に一点の集中を置く。

刹那の時を経て。魑魅魍魎の群れは朱い飛沫と皮膚の塊へと変貌する。

真っ赤な雨が降る。あたしは箒を走らせて、それを避けた。危なっ。


あざみさんは続けざまに、杖を振った。そして、瞬間、彼女の姿が消える。瞬間移動だろうか。

そう思った直後、上空から何かとてつもなく大きな物体が急速に落下する、その音がした。

「ちゃんと避けてね」

あざみさんの言葉が上空から聞こえた気がする。気のせいだろうか。

上を見上げる、そこには、何と、轟轟と燃え上がる灼熱の色をした大きな石があった。というか、小惑星だった。 

ちょっとそこまで、というレベルじゃないです。先輩。

「早く避けなさい」

彼女の姿は見えないが、注意する声がした。 急旋回。

巨大すぎる飛礫が、怪異の居る場所へと突っ込んでいく。

次々と響く悲鳴。絶鳴。絶叫。 断末魔という奴だ。あたしは思わず耳を塞ぐ。その言葉たちの大きさとけたたましさと、必死さに、耳が千切れそうになった。後、心も。もう嫌だ。と心が叫ぶ。張り裂ける。

「茉莉」

名前を呼ばれる。咄嗟にそちらの方面へと、顔を向けた。

飛礫を避けた敵が急接近していた。巨大な道化師の面をした龍が、にんまりと笑って、こちらに近づいてきていた。

あたしは思わず顔を背ける。恐怖に心が負けたのだ。 終わりだ。

そう、あたしは確信する。

そこに、再び、声が響く。先程よりも、あたしの近くで。耳元で。

「茉莉」

今度は声の音量が格段に小さくなっていた。そして、何かが潰れる音が

一緒にした。

顔の位置を真正面へと正す。

そこにあったのは、けだものの牙に串刺しにされた死体だった。

憑代がいくら復活すると言えども、心臓を刺されたのなら、復活する筈も無い。

最早見慣れ始めていた朱い紅い液体の色。真っ赤に染まり上がる身体。

しかし、そこにあるのは、そこについていた顔は間違いなく、あざみさんのモノだったのだ。

綺麗にさらりとさらりと流れる黒い髪も、それと同じ色を持つ深くて儚げな瞳も、美しく、真っ直ぐにしかし力強く伸びる指や掌も、お姫様のように整っている顔の形も。

全部が。目の前に存在する死体を、あざみ先輩のものであることを告げていた。

彼女の唇がわなわなと動く。残った気力で、生きようとする力で、あたしに何かを告げようとする。

ニゲロ。と。 そんな風に彼女の唇は動いた。

あたしは頷き、箒を握りしめた。


りりりりりりん。

その時。全ての空気を打ち消すように。雰囲気を崩壊せんとするように携帯が鳴った。けたたましく。

こんな時に。あたしは思わずにはいられない。

ただ携帯はどんな時だろうと、どんな状態であろうと、取りなさい、と、

いつ、誰から大切な連絡が届くかも分からないから、と、

あざみさんによく言われていた。だから。

あたしは箒を駆けさせ、戦線を離脱した。ごめんなさい。ごめんなさい。

そんな言葉を繰り返す。

安全な場所で箒の運動を止め、携帯のスイッチを入れた。

「もしもし」

「もしもし」

相手があたしの言葉を繰り返す。そこで聞こえた声を、その言葉を、あたしは恐らく一生忘れないだろう。

「元気かしら?」

携帯のスピーカから流れた音は、その声は、

今、眼下で息絶えたあざみさんのものだった。


「あら、聞こえなかった?元気かしら?と私は貴方に問うたんだけど」

「聞こえてます。元気です」

思わず、口から言葉が流れ落ちていくのを感じた。

「あら、そ。それは良かったわ。ところで、ねぇ?」

落ち着き払った声。スピーカ越しでも分かる気品の良さが、今のあたしを震わせた。

「あら、やっぱり聞こえてないのかしら、もしもし?」

あざみさんは恐らく携帯の向こう側で、微笑んでいるのだろう。そんなことを感じた。それが分かる声音だった。

何故、何故彼女がここに居るのか。それすらも分からないけれど。

そのくせ、

「聞こえています」

あたしは思わず返事を返してしまうのだ。あたしは自分を呪った。

「ね、貴方の景色、元に戻してあげましょうか?」

あざみさんの声が、耳元で気味悪く響く。 あたしは答えない。

この質問の意味が分からなくて、本当に幸いだったと思う。

「沈黙は金なり…ね、成程。でも、沈黙は肯定っていう考え方もあるわよねぇ」

あざみさんは意地悪く、心の底から楽しそうに、あたしに囁きかける。甘く。甘く。蕩けるように。

そして、杖を軽く叩く音が、携帯の向こう側から、響いた。


瞬間、その瞬間、あたしは周りの空間が、世界が、一瞬だけ揺らめくのを、また感じた。

そして、目の前に広がっているのは、

「いかがかしら?」

目の前にいるのは、群れ。先程闘っていた敵の数より、圧倒的多数の化物たちの、人間ならざる群れ。

まるで、最初に見たときとほとんど同じような、それくらいの量の群れ。

あたしは身体の皮膚という皮膚が、髪という髪が、感覚と言う感覚が、逆立つのを感じた。 

怖い怖いこわい怖いコワイ怖いコワイ怖いこわいコワイ恐いコワイこわい恐い。 声にならない叫びが、あたしの頭を駆け巡る。身体が動かない。動かそうと思っても、動かすことが出来ない。恐怖で身体が麻痺している様だ。

「何度も教えたでしょ?私達魔法少女が持つ、特別な力はナンバーワンじゃなくて、オンリーワンだって」

一つだけ。そうだ、彼女はそう言っていた。

しかし、確かに彼女はいくつか通常の魔法とかけ離れた術を使っていた。

敵を即座に消す術。光の手。瞬間移動。星落とし。分かるだけで四つ。

「それ自体が嘘…だったんですか?」

思わず口から零れ落ちる疑問。それに返ってきたのは、本当に心の底から、腹の底から、愉快で堪らないと言うような笑いだった。

しばらくの間、彼女の笑い声だけが空間を埋め尽くす。それが止むと、

「あなた自身が今日気づいたじゃない?それは無理だということに」

そうだ。あたしはそれを苦労して発見したのだ。それじゃあ、

「先輩の一つだけの力って何なんですか?」

「目の前にいるそれらの姿と、今までの貴方の行動から、考え付くでしょう?」

以前、あたし達自身について優しく教えてくれたように、宿題だ、と言うように、言葉を紡ぐ甘く気品ある声。

あたしは思い出す。これまでの日々を。そして、一点に辿り着く。

「幻覚…ですね」

その単語がどうやら正解だったようだ。電話越しから、笑顔の欠片が毀れる音がした。

「そう。正しくは、私がイメージした映像を他者の視覚に貼り付けたり、

音声を聴覚に植え付けたり、そういう所なんだけど。まぁ、及第点ね」

先輩の解説は続く。

「条件まで詳しく解説してあげる。大特価よ。『自分が五分以内に触れたことのある相手を対象に』『術者自身が想像した映像・音声を相手に体感させる』ってところだったかしらね、忘れたけど」

つまり、彼女に触れられた、あの時から。彼女の仕掛けは始まっていたのだ。だから、能力はいくつもに見えたし、瞬間に敵が消えた。

あれは、消されたのではなくて…見えなくなっていたのだ。

「じゃあ、先輩は、既にもう全部の敵を倒しているんですか?これも、また先輩の術内なんですか?」

スピーカ越しに再び鳴り響く笑い声。あざみさんは嗤う。

そして、まるで出来の悪い生徒をあやすかのように、話し始める。

「本当におめでたい考えね、そんなこと無いわ。既にあなたの術は解いてあるの。分かっているくせに。貴方の目の前に広がる光景が、貴方の現在おかれている状況そのものよ」

眼前に広がる風景。三百六十度、いやそれどころか、自分の上空も、下方も、全てを囲まれた、まるで自分自身を中心に出来た異形による球体だ。

「そうね、それが正解。貴方が置かれている状況。貴方の先程までの視覚から見て、戦線外に位置するであろうこの場所に、これを設置させてもらったの。勿論、こいつらにも、全て、術をかけ終わっているから、安心してね?」

言葉が一つ一つ、発せられる度に、あたしは今自分が置かれている状況を理解する。

「苦労したのよ。これでも。五分以内に全ての化物の一部に触れなくては行けなかったんだからね。その間に貴方にはドラマチックな映像を見ていただいて、楽しんでいただいたようだけれど」

言葉はあたしには届いていなかった。ただ、耳を素通りして、すべり落ちていくだけ。

あたしは、ただ考えていた。何故彼女があたしをこんな目に合わせるのかと。

あたしはこれで死ぬのかと。

「さて、状況は理解していただけたかしら?覚悟は…出来たかしら?」

前半はさも楽しげに、後半は声のトーンを格段にさげて、 

あざみさんはあたしに問うてきた。

彼女の問いにあたしは、迷う。戸惑う。

勿論良い訳がない、逃げ出したい。けれど、絶望的な風景が目の前にあることも事実だ。

そこで、ふと。本当にふと。思ってしまった。

死ぬ…か、

「それもいいかもしれませんね」

口から零れ落ちた言葉に、電話越しのあざみさんだけでなく、自分自身も驚いた。

これ以上人殺しを重ねる位なら。

これ以上、自らの力で、自らの手を、心を血で汚すくらいなら。

それでもいいのかもしれないと思った。

「あ、そ」

先輩の冷たく、鋭く、それ以上に短い言葉が、あたしに投げかけられる。

「そこまで思っているのなら、ちょうど良かったわね」

電話越しで、もう一度、今度は強く杖を叩く音が聞こえた。

眼前の世界がぐらりと歪む。あたし自身のではなく、目の前の彼らの。

人の道を負の心によって外されてしまった者たちの。

そうして彼らの景色に正しいピースが嵌っていく。

「それじゃあ、さよなら。存外に楽しかったわよ?」

耳元の声は囁いて、そして途切れた。

目の前の怪物が一斉に生を与えられ、一斉に牙をこちらに剥く。

あぁ…そうか、彼らも同じなのだ。

あたしは随分前にあざみさんが話していたことを思い出した。


何か固い物が背中にあたる感触がした。

そして、あたしの世界は漆黒に、ただ一色に染まり果てる。

私は敵を一つ残らず抹殺する。慎重に、丁寧に、かつ迅速に。

彼女の残った骨、自分が持つ杖、持っている力、

既に息絶えた敵の死体、またその他使える物を総動員して、敵を嬲り殺しにする。

そして、全てが終わった後、辺りを見回しても、茉莉の死体は塵一つも残っていなかった。

「憑代」が無くなれば、当然、霊は死滅する。そこに例外は無い。

部分的な復活を行うことは出来る。しかし、復活する間も無く、憑代を全て壊してしまったら。食べてしまったのなら。

復活するあてなど、微塵も存在していないのだ。


憶えている彼女の死に顔は恐怖と、困惑と、少しだけの安堵に包まれていて。

少しだけ苛ついた。

茉莉の純粋な心を、私が茉莉を殺す筈が無いという、その思い込みを、

私は木端微塵に破壊した。

それなのに。彼女の顔は、予想していたより、遥かに穏やかで。

だから、思わず苛ついたのだ。


何故殺したか。

理由は簡単だ。 邪魔だからだ.

私はこの仕事を好きでやっている。

仕事自体は別に苦でもなく楽でも無いし、世界がこれからどんな方向に向かおうと、知ったこと無いけれど、ただ他者からの評価が、賞賛が、その他多くのものを貰える事が嬉しくて。嬉しくて。

その為ならば、なんでもした。

自分を肯定する、そんな人々の為に私は何でもした。

人殺しだろうと、化物殺しだろうと、何でも。

その為なら、人間を捨てたって。その為なら、他者を利用してでも。

魔法少女で在り続ける為に。

希望と栄光の象徴であり、唯一の救世主であり続ける為に。だから、

「邪魔なのよ」

私は再びそう言って、杖を掲げる。同時に、杖が敵の死体を、その総てを飲み込んでいく。 ぞくりと。じわりと。 音を立てながら。

全ての嫉妬と、欲望と、そういったものを飲み込んで、私はこれからも他人に褒められ、新聞に載り、ニュースに取り上げられ、

そして、魔法少女として在るのだ。

たった一人の。代わりの無い、唯一無二の存在として。


あれから少し経って。

「…やっぱり、初心者はすぐ死んでしまうのかなぁ」

業者は久方ぶりに、こちらに顔を出した。私はさぁね、と言いながら、杖をタオルで拭いていた。今日の仕事で、随分赤黒く汚れてしまったそれを私は丹念に扱う。

業者はそれを見ながら、いつも通りのにやけた顔で、

「そう…じゃあ、彼女は君のせいで」

死んだという訳じゃないのかい? 続く言葉を予知して、私は持っていた杖を投げつけた。 くりーんひっと。効果は抜群だった。

彼は自分にぶつかった杖を拾い上げて、ついてしまった埃をぱたぱたと手で振り払う。そして、

「ははは、いくら君たち魔法少女は“嘘がつけない”からってさぁ」

彼は笑う。

そう、私達は嘘をつくことが出来ない。全てにおいて、公正でなくてはいけないから。正義の味方である為に。これが第二の代償だった。

全ての言葉において、最後の疑問符まで耳にすると、私たちは、自分が知っている事実、自分が想っている気持ちそのままを(本人がそれを許す、許さない関係なく)告げてしまうのだ。

また、単体で嘘をつくことも、出来ない。その途中で唇が思うように動かなくなる、と言ったところが関の山だ。

「都合が悪い時に、途中で言葉を打ち切らせるのは止めようね」

笑顔で告げる彼。私の顔はこわばる。 本当に、こいつは、全てを読み切った上で私の所へ来たのだろうか。 

だとしたら、何故この男は私を処分しないのだろうか。

それとも、偶然なのか。

「殴る蹴る以外は何をしているんだろうなぁ。 抱きしめたり、頬をつねったり、そんなところだろうね」

業者は笑顔のまま、まるでそれらを全て見ていたかのように、言葉を続ける。

私は思わず、もしかして全てこの男の掌の上で踊っていたのか、というような、そんなおかしな錯覚に陥った。

いや、そんな…まさかね。私はかぶりを振る。

そんな事は有り得ない。

仮に有り得たとしても、私自身に何の悪影響も無いのだ。

大丈夫だ、このままでいい。私は、そう自分に言い聞かせる。

業者は知らない間に、姿を消していた。

次、彼が来るのはいつなのか。果たして、次に来ることがあるのか。

分からない。

けれど、私は二度と会いたくないと思った。そんなことを思いつつ、早く彼に逢いたいと待ち侘びる自分がいることも、自覚していた。

早く寝よう。私は寝袋に包まって、夢の世界へと、深く深く、堕ちた。


世界が目覚める音がした。

ゆっくりと寝袋を抜け出し、私は立ち上がる。

そして、屋上の淵に足を置く。紫色に染まった朝焼けが目の前に広がってゆく。

私は、これまでも、そしてこれからも、私が守っていく街を見下ろした。 

私独りが守っていく、そんな世界を見下ろした。

何も変わらない。

それが一番正しくて、それが一番嬉しい。


だから私は、何度でも宣言する。何度でも、宣言してみせる。


私はこの街でたった一人の魔法少女だ。

                               了


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