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そわそわ、そわそわ。
そわそわ、そわそわ。
時計は十時を回ったばかり。
まだまだ時間が早すぎる。
でも、僕は。
でも。
かちゃ、がちゃがちゃ。
すたすた、かつかつ。
きっと彼女が夜なのは、白に恐れをなしたから。
暗闇の中に溶けてしまえば、もはや色など関係ない。
だから、だから。
だから彼女は。
すたすた、すたすた。
すたすた、すたすた。
僕は彼女のことを知る。
夜が明るくなっていく。
彼女もそう。
彼女が僕を知れば知るほど、夜は明るくなっていく。
そうして互いの姿を捉え、彼女は僕の、僕は彼女の。
ああ。
素敵だ。
すたすた、すたすた。
すたすた、すたすた。
やはり、出るのが早いだろうか?
彼女はきっと、来ていない。
それでも、それでも。
それでも、僕は待っていたい。
彼女と何を話そうか。
彼女の何を知りたいか。
彼女は僕に何を求めるか。
彼女は夜か。
僕は夜か。
ベンチに座って、一人きり。
頭の中を、撹拌したい。
ちゃりん、ちゃりん。
ぴっ、がこん。
ああ、どうして、こんなにも。
どうしてこんなに、楽しいのだろう。
他人の事など、興味はないのに。
どうして、どうして。
彼女は、他人?
すたすた、すたすた。
すたすた、すたすた。
違うな、彼女は。
彼女は、夜だ。
夜のことなら、もっと知りたい。
夜のことなら、もっと触れたい。
夜を、彼女を。
だから、僕は、公園へ向かう。
待っていないのを知りながら。
僕は、アスファルトの上を。
ひたすら、歩く。
夜の元へ。
すたすた、すたすた。
すたすた、すた。
待っていないのは知っていた。
気長に待とう、そうしよう。
僕はベンチに腰かける。
静かだ。
とても静かだ。
時おり聞こえてくる音は、遠くで車の音くらい。
後は、虫が。
虫の声しか聞こえない。
じー、じー。
じー、じー。
彼女はきっと。
僕のように。
きっと、夜に逃げ出して。
そうして、溶けて、彼女は、彼女は。
ああ、早く。
早く、会いたい。
じー、じー。
じー、すたすた。
誰かの何かの音が近付く。
一歩一歩、踏みしめて。
彼女か?
彼女か。
きっと、そう。
じー、すたすた。
すたすた、じー。
夜が少しずつ、近づいて。
僕は、僕は。
ああ、素敵だ。
素敵な夜だ。
すたすた、すたすた。
すたすた、すた。
「……ずいぶんお早いですね」
「なんだか気分が弾んでしまって」
「……私もあなたと、話がしたくて」
ああ、すぐ、近くに。
夜が、僕の。
「……お隣、座っても、よろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
すた、とす。
僕は、僕は。
僕は、もう。
「素敵です。夜も、あなたも」
「……私も。あなたが、素敵です」
「おかしいですね」
「……不思議です」
「あなたといると、満たされる」
「……なぜだか、妙に落ち着いて」
「互いに名前もまだ知らないのに」
「……まるで、あらすじがあるかのように」
「舞台の上の」
「……戯曲のように」
「ああ、マリア」
「……ああ、トニー」
「なんて」
「……なんて」
くすくす、くすくす。
くすくす、くすくす。
ウェストサイド物語。
二人でくすくす笑いだす。
どうして、こんなに。
どうして、こんなに。
「……おかしいですね、私も、あなたも」
「狂っているような気がします」
「……それでも、いいです、あなたなら」
「僕も、あなたと一緒なら」
不思議なくらい、するすると、勝手に言葉が、唇を抜ける。
彼女が何を思っているか。
彼女が何を言いたいのか。
なぜだか、なぜだか。
なぜだか、わかる。
「あなたは、なぜ夜が好きですか?」
「……夜は、全てに慈悲深い。全てに愛を、与えてくれます」
「なんだ、訊くまでもありませんね」
「……あなたも、夜の優しさに?」
「ええ、もちろん。僕も、夜に愛されたい」
今、僕の。
僕の隣の、静かな夜に。
「……運命なんて、そんなもの」
「信じたことなど無いけれど」
「……だけれど、これは信じたい」
「戯曲のように」
「……映画のように」
「嘘だとわかっているけれど」
「……今、舞台にいる瞬間は」
「本当のことだと」
「……信じていたい」
「なんて」
「……なんて」
くすくす、くすくす。
くすくす、くすくす。
「あなたのことなら、わかる気がする」
「……あなたは孤独」
「あなたは一人」
「……あなたは好奇心旺盛で」
「なのにあなたは、排他的」
「……あなたはただただ愛されたい」
「そして同時に、愛したい」
「……それは本能で」
「それは理性で」
「……それはエスで」
「それは自我」
「……あなたは自分に自信がなくて」
「あなたは誰にも愛されなくて」
「……寂しくて」
「悲しくて」
「……情けなくて」
「可哀想で」
「……自分のことが大嫌いで」
「この世で一番自分が好きで」
「……臆病で」
「傲慢で」
「……怠惰で」
「生真面目で」
「……神経質で」
「無頓着で」
「……家族が嫌いで」
「認められたくて」
「……どこへ行っても」
「居場所がなくて」
「……やっとの思いで逃げ出したものの」
「自分の幼稚さに気が付いた」
「……愚かで」
「間抜けで」
「……浅短で」
「白痴で」
「……隣の青い芝を見て」
「ただ、ひたすら、妬み倒し」
「……向かいの枯れた花を見て」
「自らの花を祭り上げる」
「……どうして、どうして」
「どうして、こんなに」
「……自己紹介をしただけで」
「あなたをわかってしまうのか」
「……なんて」
「なんて」
罵り合い?
いいや、違う。
夜であることの再確認。
くすくす、くすくす。
くすくす、くすくす。
「……なんて茶番」
「でも心地好い」
「……芝居じみた、言葉と言葉で」
「一つの舞台を作るかのよう」
くすくす、くすくす。
くすくす、くすくす。
自然と僕らは手を取り合う。
暖かくて、柔らかで。
夜の優しさが、満ち溢れてる。
「そろそろ真面目に話しましょうか」
「……私も言おうと思っていました」
「考えることは、同じですね」
「……まるで鏡か、なにかのよう」
「あなたは、僕で」
「……あなたは、私で」
「ほら、また、茶番」
「……ああ、また、茶番」
「けれども茶番が心地好い」
「……けれども茶番に恋してる」
くすくす、くすくす。
くすくす、くすくす。
「……職業は?」
「K大生です」
「……あら、あなたも」
「ええ、僕も」
「……もしかすると、お互いに」
「太陽の下で、会っているかもと?」
「……それは、とても」
「とても?」
ふるふる、ふるふる。
彼女はとたんにうずくまり、それは嫌だと首を振る。
ふるふる、ふるふる。
「……光はもれなく嫌いです」
「それはなぜ?」
「……逃げ場がどこにもありません」
「六畳一間の小さな殻に、逃げ込むことはしないのですか?」
「……それでは、意味がないのです。いつまで経っても認められず、私は、私は、いつまでも」
「けれどもあなたは逃げ出して、今、夜の下にいるのでは?」
「……それは、あなたも」
「そう、僕も」
繋いだ手から、指が這い、僕の胸元へ手が伸びる。
そうして、僕にすがるように、彼女は僕に抱きついた。
夜の匂い。
夜の感触。
夜の温もり。
夜の鼓動。
「……私は夜に逃げ込んで、そうして安らぎを手に入れた」
「白日に晒され傷んだあなたは、優しい夜に恋をした」
「……ねぇ、あなたは、私の夜?」
「そうだよ、僕は、君の夜」
彼女は僕の胸元に、顔を埋めて、頬擦った。
ああ、僕は、僕は、夜だ。
僕は、僕は、彼女の夜だ。
「……ずっとあなたを、求めてた」
「互いに愛を求めてた」
「……そうして、やっと、あなたを見つけ、自然と、あなたに、恋してた」
「愛することで、救われて」
「……愛することで、満たされる」
「ねぇ、君は、僕の夜?」
「……そう、私は、あなたの夜」
互いにきつく締め合って、夜であることを確かめる。
確かに、彼女は、僕の夜。
確かに、僕は、彼女の夜。
「僕らは互いに求めてた」
「……互いに互いを求めてた」
「僕は、君を」
「……私は、あなたを」
僕は、彼女の夜なのだ。
彼女の夜は優しくて、例え彼女が白子であろうと、それを口に出すことはない。
彼女の姿を暗闇で包み、鋭い数多の光を遮る。
彼女を守り、彼女を癒し、彼女を愛され、彼女を愛す。
そう、僕は、彼女の夜だ。
そうして、僕は、彼女自身だ。
「……けれども、いずれ、夜は明ける」
「だから、僕らは、互いを締める」
「……夜が明けるまで、いつまでも」
「傷を舐め合い、心を癒す」
ああ、僕は、彼女の夜だ。
なんて、なんて、こんなにも。
こんなにも、素晴らしいんだろう。