茶飲み令嬢、校庭で王子に愛を叫ばれる
前世の記憶が甦ったのは、15歳。
高熱を出し、生死の境を彷徨ったときに走馬灯のように流れてきた。
通っていた高校は、7時25分着席。
30分から朝の補習が始まる、なかなかスパルタな学校だった。
一日10時間の睡眠を必要とするロングスリーパーの私としては、大変辛い。
しかも、自宅は自転車を爆速で飛ばしても学校まで40分かかるという、超ド田舎。
半分眠りながら「遅刻する!」と自転車のスピードを上げた結果、田んぼへ突っ込んだ(多分、そこで死んだ)のが最後の記憶だ。
「そんな死に方、嫌すぎる……」
知らずに口から漏れ出ていたのだろう。
寝ずに看病してくれていた家族が「大丈夫、死なせはしない!」と力強く断言した。
その献身的な看病の甲斐もあり、私は奇跡的に回復した。
そんなわけで前世を思い出したが、流行の異世界漫画のようにはいかなかった。
両親の仲はすこぶる円満で、兄はスパダリではなく善良な常識人。
頼りになる美形の幼馴染も、私を蔑ろにする婚約者もいない。
もちろん私も美少女ではなく、いたって普通。
ちなみに、中身も平凡。
特別な能力があるわけでもなければ、前世の知識を生かして無双できるほどの知識もない。
十五歳が十五歳の前世を思い出したところで、スマホもないのに無理である。
一応「伯爵令嬢」ではあったが、「ミス平凡コンテスト」があれば、優勝を狙えるくらいには平凡だった。
特に目立つこともなく、一年後に貴族の子女が集まる学院に入学した。
◇◇◇
「あ~、落ち着く」
誰もいない理科室でお茶を飲みながら、ほっと一息つく。
身に付いた学習習慣は抜けず、やたらと勉強はするが、前世と違って適度に休憩をするようになった。
疲れと睡眠不足は、ろくなことを引き起こさない。
「ムリだ!」
ゆっくりと最後の一口を飲み干したところで、思わず聞き惚れてしまうような深みのある美声が、窓の向こうから流れ込んできた。
「ムリムリムリムリムリ!」
(……なんなの?)
見れば、頭を抱えた第二王子のラウル殿下だ。
眉目秀麗。才色兼備。文武両道、博学多才、出類抜萃、英明果断、聡明叡智……。
あらゆる賛辞をこれでもかと浴びる完璧王子が、なぜ人気のない理科棟で頭を掻きむしりながら叫んでいるのだろう。
しかも、いつもは側近たちが壁のように周囲を固めているのに、今日はなぜか一人だった。
「見合いなんて、絶対にムリ!」
常にアルカイックスマイルを浮かべているラウル殿下の顔は、苦痛で歪んでいた。
政略結婚は王族の定めとはいえ、よほど嫌なのだろう。
卒業後は、家業を手伝いながらのんびり過ごせばいいと言ってくれる両親には感謝しかない。
「お茶、飲みます?」
つい気の毒になって窓から顔を出して声をかければ、ラウル殿下は愕然とした表情で振り返った。
「東の国から取り寄せたお茶で、とても美味しいですよ」
緑茶が恋しすぎて兄に泣きつき、販路まで探ってもらって手に入れたお茶である。
輸送にコストがかかるため結構なお値段で、大事にちびちび飲んでいる。
「えっ、あ、その」
「お煎餅もありますよ」
「せ……んべい」
「お米を使ったお菓子です」
これも食べたくて、兄に米の栽培を持ちかけた。
茶の栽培は無理だったが、幸い領地の気候は米向きだったらしい。
おかげで私は煎餅を、兄は豊かな収穫を手に入れた。
ちなみに、米は麦より収穫量が多かったようで、兄はホクホク顔で帳簿をつけていた。
「美味しいですよ」
再度声をかければ、口元を引き攣らせながら理科室に入ってくる。
「なぜ、君はこんなところにいるのだ?」
「ファウスト先生のお手伝いです」
兄の親友でもあるファウスト先生は、最近子どもが生まれ、家に早く帰りたがっていた。
そこで理科室の片づけを一手に引き受ける代わりに、好きに使わせてもらえる権利をもらったのだ。
前世の、自由気ままに過ごす部室のような場所が欲しかった私にとっては、悪くない条件だった。
――もっとも、一緒に放課後を過ごしたいルチア様は王太子妃教育で忙しく、ぼっちではあったが。
「すぐ準備しますね」
ビーカーに水を入れ、三脚の上に金網を載せる。
この世界にガスバーナーはないが、アルコールランプならある。
芯に火を灯した途端、ラウル殿下の顔色が変わった。
「ちょっと待て!まさかその容器で飲用水を沸かす気か?」
「ええ、そうですよ」
「安全性に問題があるだろう」
「大丈夫ですよ。ほら『劇薬用、危険』って書いてあるでしょう?」
ビーカーに直接書かれた文字を見せれば、ラウル殿下は何度も瞬きを繰り返した。
「こうしておけば、誰も触りませんからね。だからこれは『飲食用』なんですよ」
「は?」
「私も先生も、いつもこれで沸かして飲んでいるので大丈夫です」
白い湯気が立ってきたので、それを急須に注ぎ、緑茶を淹れる。
ラウル殿下の目の前に差し出せば、緑色の液体が珍しいのか、困惑したように眺めているだけだ。
それを横目に一口飲めば、口の中に瑞々しい香りがふわりと広がる。
――美味しい。
「『緑茶』といって、この国にはないお茶なんですよ。大好きなんですけど、なかなか手に入らなくて」
暗に「貴重なもの」だと言えば、ラウル殿下はそろそろと口をつけた。
「…………うん、美味いな」
「そうでしょう。お煎餅もどうぞ」
ラウル殿下は怖々と手を伸ばすが、なんてことはない煎餅である。
ぱりんっと一口齧れば、ほのかな塩味が絶妙に舌に残り、これまた緑茶に合う。
「ありがとう。……ところで、先ほどのことなのだが」
「ああ、叫んでいたことですか?誰にも言わないので、大丈夫ですよ。人間、誰しも叫びたくなるときってありますよね」
兄なんて、しょっちゅう風呂場で叫んでいる。
家族に丸聞こえだというのに、衝動が抑えられないのだろう。
どうやら過去の黒歴史を思い返しては、羞恥で叫びたくなるらしい。
「あ、いや、その」
「言いふらすほどラウル殿下に興味がないので、大丈夫です」
安心させるように微笑んでやれば、ラウル殿下はほっとしたように息をついた。
「ありがとう。えっと、君は……」
「エレナ・オッドです。ちなみにラウル殿下と同じクラスですよ」
「いや、覚えてはいたが……」
「慣れているので、お気になさらず。ルチア様のお側にいることが多いので、影が薄いんです」
ルチア様は「これぞ異世界!」と目を見張るほどの美女である。
どこにいても、そこだけスポットライトが当たっているかのように輝き、人々の視線は自然とルチア様に集まる。
入学以来なぜか気が合っていつも一緒にいるが、傍から見れば、ジンベエザメの横にいるコバンザメみたいなものである。
もしくは、バラの葉についたアリ。
――つまり、認識されない。
「…………すまない」
「いいえ。何でも完璧に対応されると逆に居心地悪いので、気にしないでください」
「……そうか」
「ええ。お煎餅、もう一枚いります?」
「ああ、ありがとう」
完璧王子は、どうやら煎餅をいたく気に入ったらしい。
しっかりとお茶もおかわりし、カフェインが脳に行き渡ったのか、スッキリした表情で帰って行った。
――それから三か月。
「エレナ嬢。今日はビスコッティを持ってきた」
「わぁ!ありがとうございます」
ラウル殿下は放課後になると、理科室に来るようになった。
二人で理科室の片づけをしたあとに、お茶を飲むのが日課だ。
「それで、今日はどれで勝負しようか」
「チェスはどうですか?」
「いいね、そうしよう」
お茶を飲んだあとは、理科室に隠したカードやボードゲームで遊ぶ。
これこそが私の思い描いていた青春である。
――すごく楽しい。
◇◇◇
「今日もラウル殿下は素敵ね」
「そうね。一度でいいから、ゆっくりお話してみたいわ」
「殿下とお話できるルチア様が、羨ましいわ」
「仕方ありませんわ。だって、ルチア様は殿下の幼馴染ですもの」
窓から振り込む日差しが気持ち良く、ついうとうとしていたら、いつの間にか放課後になっていたらしい。
友人たちの会話が耳に入り、何気にラウル殿下に目を遣った。
(……そういえば、教室で話したことはないわね)
常に護衛のバルド様たちが付き従っているし、自称「親衛隊」を名乗るモニカ様もいる。
「本当に美男美女ね」
「まるで絵画から抜け出してきたようにお綺麗だわ」
確かにルチア様と二人並ぶと、あまりの華やかさに目が潰れそうである。
まるで太陽を直視したかのように眩しい。
目を休めようと外を見た瞬間、派手な破裂音とともに窓ガラスが砕け、白いボールが弾丸のように飛び込んできた。
「ぎゃっ!」
気がつけば抱き寄せられ、ラウル殿下の腕の中にいた。
足元には、砕け散ったガラスの破片が散乱している。
「エレナ嬢、大丈夫か?」
「は、はい」
どうやら、飛び込んできたボールから庇ってくれたらしい。
私とラウル殿下の間には結構な距離があったはずなのに、大した動体視力と運動神経である。
自転車で田んぼに突っ込む私とは大違いだ。
やれやれとラウル殿下の腕の中から顔を覗かせれば、その場にいた全員が驚愕の表情で私を凝視していた。
「えっと……?」
間髪置かず、バルド様たちが一斉に私たちを囲い込む。
珍しく目を丸くしたルチア様の顔が目に入ったが、大柄なバルド様に遮られた。
「お二人とも、怪我はないですか?」
王族に怪我をさせては一大事だからか、バルド様は額に汗を滲ませていた。
冷静な彼にしては珍しく、視線がせわしなく私とラウル殿下の間を行き来している。
「ええ。ラウル殿下が助けてくださったので。ラウル殿下は平気ですか?」
「私は問題ない。だが、念のためエレナ嬢は保健室へ行こう」
「いえ。特に怪我していないので、大丈夫です」
よっこらしょとラウル殿下の腕の中から抜け出そうとした瞬間に、不意に視界がぐらりと揺れた。
間近に、世にも美しいラウル殿下の顔が飛び込んできて思わずたじろぐ。
「えっ、これって、お姫様抱っこ!?」
人生初の経験のため、心臓がうるさいほど音を立てる。
慌てて逃れようともがくが、景色は勢いよく後ろへ流れて行く。
目の端に、口をぽかんと開けたバルド様たちの姿を捉えたが、ラウル殿下はそんなことはお構いなしだ。
ラウル殿下の足は風のように速く、抵抗する間もないまま、気づけば保健室の椅子に座らされていた。
「パメラ先生、エレナ嬢の怪我の具合を診てください」
「…………傷一つないわよ」
パメラ先生は苦笑いだったが、ラウル殿下だけは何度も姿勢を変え、怪我がないか確かめるように私の全身を観察している。
「まったく問題ないから、大丈夫」
「本当に?よく診てください」
「先生を疑ってどうするんですか」
「だが……」
「大丈夫です。ラウル殿下って心配性なんですね」
「ぷっ!」
先生が吹き出した途端、ラウル殿下は弾かれたように椅子から立ち上がった。
「では、私は先に理科室に行っている」
これ以上ここにいては危険だと言わんばかりの勢いで、さっさと保健室を出て行ってしまう。
(……なんなの?)
首を傾げていると、パメラ先生はにやにやしながら私の肩をぽんぽんと叩いた。
「怪我がなくてよかったわね」
「ええ。ラウル殿下が庇ってくれたおかげです」
「あら!そうなのね。……でもまあ、多少怪我しても、若いからすぐ治るわよ」
「若いと血の巡りも良いし、細胞の働きも活発ですしね」
「ぷぷっ!」
普通に返事しただけなのに、またもやパメラ先生は吹き出した。
――笑い上戸なのかもしれない。
「でも、保健室では治せないものもあるからね」
「はい?」
「重症患者は無理だから」
保健室には医師が常駐しているわけでもないし、手術ができる場所もない。
何を当たり前なことを言っているのだろう。
「だから、気をつけるのよ」
「はぁ」
「さぁ、ラウル殿下を待たせるのも悪いわよ。早くいかないと」
「え、ええ」
「若いっていいわねぇ」
(……意味がわからないんだけど?)
問いかける間もなく、パメラ先生は満面の笑みで私を廊下へと押し出した。
◇◇◇
「失礼しまーす」
扉を開けて理科室に入れば、ラウル殿下が手早く薬品棚を片付けていた。
どうやら今日は実験をしたらしく、机の上にはビーカーや試験官が机いっぱいに並んでいる。
独特の薬品臭が、部屋いっぱいに広がっていた。
「先に始めてくださっていたのですね。ありがとうございます」
「いや。構わない」
「先ほども助けてくださり、ありがとうございます」
「エレナ嬢。そのことなのだが……」
「なんですか?」
軽く首を傾げると、ラウル王子はなぜか顔を隠すように俯いた。
耳が赤いのは、先ほどのボールが掠めでもしたのだろうか。
「…………私と、結婚してくれないだろうか?」
「は?」
「結婚して欲しい」
天地がひっくり返るというのは、このことなのだろう。
何がどうなれば、平々凡々の私が第二王子からプロポーズされるのか。
「な、なんでですか?」
「君なら平気なのだ」
「『平気』って、どういうことですか?」
まったくもって、意味がわからない。
「私は女性に触れられることが苦手なのだが、君には触れられる」
「さっき、普通に触っていましたよね?」
お姫様抱っこは相当な面積触れ合うはずなのに、ラウル殿下はいたって普通だった。
「さ、触ってなど……」
「いや、責めているわけではないのでお気になさらず。でも、どうして女性に触れられないのですか?」
「……女性に触れられると、動悸・息切れ、眩暈、吐き気がする」
「その症状だと、脱水や睡眠不足が考えられますよ。疲れすぎでは?」
「違う」
「貧血、心不全、メニエール病とか?」
「医師の診断は受けている。女性に好意を向けられすぎて、こうなった。……女性恐怖症だ」
(……気の毒に)
美しすぎるのも考えものである。
バルド様たちが、いつも壁のようにラウル殿下の周りを囲っていたのはこのためだったらしい。
「女性から勧められたものを、口にすることもできない」
「でも、お茶もお煎餅も、しっかり口にしていましたよね?」
この三か月、どれだけ一緒にお茶を飲んだことか。
なんなら、ラウル殿下のお茶のおかわりの回数は私より多い。
「だから、君と結婚したい」
「話が飛躍しすぎでは?」
「王族の私が、結婚しないわけにはいかないのだ」
――そういえば、見合いは嫌だと叫んでいた。
「だからって、私にも都合があります」
「婚約者もいないし、問題はないだろう?」
「いや、大ありですよ!?」
「エレナ嬢は、好きな人でもいるのか!?」
ラウル殿下が、私の両肩をがっちりと掴む。
どこが女性恐怖症なのだろう。
「いえ、それはいませんが」
「なら、いいじゃないか。結婚しよう」
「そんな簡単に決められませんよ」
人生の重大事項を、買い物に行こうくらいのノリで言わないでほしい。
いつまでも頷かない私を前に、ラウル殿下はぎゅっと目を閉じた。
「…………私と結婚すれば、君にも利点はある」
「はぁ?」
思わず呆れた声を出したが、ラウル殿下は気にせず続ける。
「もし結婚してくれれば、君の好きな『緑茶』を栽培できないか、国を挙げて研究させよう」
「えっ、まさかモノで釣る気ですか?」
「緑茶、好きだろう?」
「え、ええ、まあ」
「煎餅工場だって作ろう。一流の煎餅職人の焼く出来立てパリパリを、毎日食べさせる」
――吟味された緑茶と煎餅。
ひなたぼっこしながら食べたら、さぞかし美味しいだろう。
「いつでも昼寝していい」
「えっ!?」
「ルチア嬢とも親戚になる。そうなれば、好きなときに会える」
確かに王族となるルチア様とは、卒業したらなかなか会えない。
「いや、それは嬉しいですけど。でも、王族に嫁ぐって、政治的に色々ややこしいですよね」
「大丈夫だ。君の家は善良の塊のような伯爵家で、家格も問題ない。おまけに君の成績も素晴らしい。だから、結婚するのになんの支障もない」
誠実そうな顔で言ってくるが、要約すると「条件と釣り合い」を提示されているだけのような気がする。
「エレナ嬢は、私が嫌いか?」
――嫌いではない。
いや、むしろ一緒にいて楽しい。
だが、このプロポーズはどうも釈然としない。
「これだけの好条件、なかなかないだろう?」
「うっわ、やっぱり愛なしプロポーズだった!」
私の人格まる無視の発言に、思わず素が出てしまう。
条件で婚姻を結ぶ王族にとっては当たり前でも、前世日本人の私としては、到底受け入れがたい。
「そうですよ!そんな愛のない結婚など、認めませんわ!」
砂糖菓子のような甘い声に振り向けば、扉の前でモニカ様が仁王立ちしていた。
リボンの似合う可愛らしい令嬢であるモニカ様だが、今はその垂れ目が限界まで吊り上がっている。
「女性恐怖症を克服されたのでしょう?エレナ様が平気なら、きっと私も平気だと思います!」
勢いよく私たちのもとへ駆け寄ってきたモニカ様が、ラウル殿下の手を取ろうとする。
すると殿下は、慌てたように一歩後ろに下がった。
相手は小柄で愛らしいモニカ様だというのに。
――本当に「私」限定で平気らしい。
モニカ様は空振りに終わった自分の手を見つめ、じわりと目を潤ませた。
だが、わずか数秒後には復活し、再びラウル殿下へと突っ込む。
もちろん(?)ラウル殿下は私の背に隠れ、私は二人に挟まれて、言わばサンドイッチの「具」――いや、間仕切りパネルになっている。
「私は、幼い頃からずっとラウル殿下をお慕いしておりました」
「申し訳ないが、君の気持ちには応えられない」
「ラウル殿下を愛する気持ちは、誰にも負けません!」
「すまない。こればかりは譲れない」
私を挟んで、二人してぴょこぴょこと顔を出し合いながら会話をするのはやめてほしい。
告白と断りというシリアスな場面のはずなのに、これではまるでコントだ。
「どうしても、ですか?」
「ああ。私は、エレナ嬢がいいのだ」
一瞬、悲しげな表情を見せたモニカ様は、今度は突然私を睨みつけた。
しかし、いかんせん見た目が愛らしい。
ハムスターに威嚇されているようなもので、ただ可愛いだけである。
「愛のない結婚だなんて、ラウル殿下がお可哀想ですわ!」
「モニカ様。今、さらりと私を悪者にしましたね?」
「悪者でしょう!ラウル殿下のお気持ちを無下になさるなんて!」
「私、巻き込まれただけの被害者なんですけど」
ラウル殿下の気持ちの前に、私の気持ちはどうなるのだ。
私だって、人だ、人間だ。
選ぶ権利くらい欲しい。
「エレナ嬢、その言い方はひどくないか?」
「ロマンチックなプロポーズを夢見る乙女に、条件で選んだと言う殿下の方がよっぽどひどいです」
「ラウル殿下になんてことを!」
「情緒なし、風情なし、ロマンも夢もなし。まさに無味乾燥極まれりです」
触れても大丈夫だから結婚するなんて「なんじゃそりゃ?」と言いたい。
恋愛小説が大好きなモニカ様ならわかってくれると思ったのに、モニカ様は憤慨したように私を指さした。
「ラウル殿下、こんな鈍いエレナ様のどこがよかったのですか!?」
「失礼な。モニカ様の体育の成績は、私とどっこいどっこいですよね」
「エレナ様は黙っててください!本当に、どこがよかったのですか!?」
「何を言うのだ。エレナ嬢は……。エレナ嬢は……」
褒めてくれると思ったラウル殿下は、なぜか突然顔を真っ赤にして言葉の続きを飲み込んだ。
そのまま、いたたまれないような沈黙が続く。
(…………なぜ、そこで止まる?)
そこは、私のいいところを延々と述べる場面だろう。
もしや平凡すぎて、褒めるところが見つからないのだろうか。
「『エレナ嬢は』?」
ついにモニカ様が痺れを切らして促すが、ラウル殿下の目は泳ぐばかりだ。
「いや、その……」
「はっきり言ってください。そうでなかったら、私、殿下のこと諦めませんよ!」
「え?」
「嫌がらせだってします!毎日エレナ様にくっついて、一緒にランチして、お買い物に行って……それから、我が侯爵家でお泊り会とかしちゃいますよ!」
「それ、めっちゃ楽しそう!」
むしろ私としてはご褒美だが、モニカ様は鼻息荒く、勝ち誇った顔でラウル殿下を見上げている。
するとラウル殿下は、なぜか苦渋に満ちた表情で声を絞り出した。
「……エレナ嬢といると、落ち着くのだ」
(落ち着く!?)
少女漫画の主人公たちは、いつもドキドキと胸を高鳴らせていた。
「落ち着く」だなんて、その対極だろう。
「うっ、そうなのですね。……それなら仕方がないですわ」
「今、納得する要素って、ありました!?」
なぜかモニカ様は、感極まったように泣き出した。
ハンカチで、しきりに目元を拭いている。
「ラウル殿下の幸せを願って、身を引きます」
「モニカ様、撤退が早くないですか?」
「いいのです。このような殿下のお顔を見たら、諦められますわ」
(…………顔?)
意味が分からずラウル殿下の顔を見れば、赤かった顔は元に戻り、いつもと同じだ。
強いて言えば、常備されているアルカイックスマイルが消えていることくらいだ。
「どうか、お、お、お幸せに」
お幸せにと言いながら、本音は違うのだろう。
両手で顔を覆ったモニカ様が扉に向かって駆け出そうとした瞬間、机に盛大にぶつかった。
その拍子に、ビーカーや三角フラスコが大きく揺れる。
「あっ……」
透明な液体が飛び散り、モニカ様の左手に降りかかる。
――やばい。
「大変!水で洗い流しましょう!」
慌ててモニカ様を流し台まで引っ張る。
水道の蛇口をひねり、抱え込んだモニカ様の手を勢いよく水で洗い流す。
「酸だったらいけませんからね」
「は、はい」
塩酸、硝酸、硫酸。
理科室には、危険な薬品も置いてある。
慎重なファウスト先生が危険な薬品を出しっぱなしにしているとは思えないが、念には念をだ。
皮膚にかかった場合は、大量の水で二十分以上洗い流せと教わった。
「皮膚がヒリヒリするようなことはありませんか?」
「え、ええ」
「念のため、パメラ先生を呼んでこよう」
「お願いします」
「あ、いえ。痛くないので大丈夫です」
――ビーカーの中身は、害のないものだったのだろう。
モニカ様の手は、赤くなることも、もちろん痛くなるようなこともなかった。
結局、なぜか「認めて差し上げますわ」と頬を膨らませたモニカ様と仲良くなり、三人で理科室を片付け、そのまま教室を後にした。
◇◇◇
――その翌日である。
ラウル殿下のプロポーズのせいで眠れなかったが、いつもと同じ時間に家を出た。
前世では遅刻しそうになって命を落としたため、常に余裕のある行動を心掛けている。
教室で眠気覚ましに首を回していると、ルチア様の華やかな声が聞こえてきた。
「おはよう、エレナ様」
「ルチア様、おはようございます」
「エレナ様、昨日ラウル殿下となにかあったの?」
(……何で知っているの?)
思わずルチア様の顔を見れば、おかしそうに窓の外に目を向けている。
視線を辿れば、ラウル殿下が、もはや凶器になりそうな質量の花束を抱えて校庭に立っていた。
「な、なんですか!あれは!?」
「ふふっ。ラウル殿下ったら、女性の憧れるプロポーズを研究したらしいわよ」
さぁっと、顔から血の気が引いていく。
「……まさか」
「最近の流行りの小説に、バラの花束を抱えて、大声で告白する話があったわよね」
「そんなことしたら、ラウル殿下、末代まで語り継がれますよ!?」
「そこまでしてでも、エレナ様と結婚したいのよ」
(いやぁぁぁぁ!やめてぇぇぇ!)
このままでは完璧王子の名が「理性ぶん投げ王子」に更新されかねない。
愛の欠片も感じられないプロポーズが嫌だっただけで、何も校庭で愛を叫べとは言っていない。
これは絶対、ラウル殿下の黒歴史になる。
「エレナ様は、愛されているわね」
微笑むルチア様に踵を返し、教室を出て廊下を一目散に駆ける。
私は笑われてもいい。
――いや、よくはないが、せめて、せめてラウル殿下の名誉だけは守りたい。
「ふふっ。ラウル殿下ったら、上手くいくといいわね」
遠ざかるエレナ様の足音を聞きながら、楽しすぎて思わず呟きが外に漏れた。
魅惑的なラウル殿下の容貌は、幼少の頃から宮廷の多くの女性たちを狂わせた。
想いを告白するだけならまだしも、過度な接触に媚薬、誘拐まがいのことまでされた結果、ラウル殿下の女性恐怖症は入学する頃には深刻なものになっていた。
相手が男性なら、ラウル殿下の腕があればいくらでも追い払うことができただろう。
だが、女性となれば、心優しいラウル殿下は何もできなかった。
おかげでバルド様たちが、女性が近寄らないよう守る日々だった。
もちろんラウル殿下自身も、女性とは最低限の付き合いしかせず、バルド様たちから離れようとはしなかった。
それが、ある日を境に放課後は一人で過ごすと宣言したのだ。
気になってバルド様と一緒に後をつけてみれば、エレナ様と仲良くお茶を飲むラウル殿下の姿があった。
よくよく気をつければ、そっとエレナ様に視線を送るラウル殿下を何度も目にした。
「きっと、もう逃げられないわよ」
王太子殿下から、事の顛末は聞いている。
昨夜、恋愛相談のために青い顔で訪ねてきたラウル殿下へ「全身全霊を込めて愛を伝えるのだ!」と檄を飛ばしたそうだ。
そして二人で、参考になりそうな小説を片っ端から引っ張り出し、頭を突き合わせて策を練った。
「外堀も埋まりそうだしね」
もちろん、そんな兄弟王子の奮闘は国王の耳にも入った。
王族として、生涯独身を貫かせるわけにはいかないと頭を抱えていた国王陛下は狂喜乱舞した。
その勢いのまま、長年大切にしまい込んでいた秘蔵のワインを王宮中に振る舞い、王妃殿下と踊りあかしたらしい。
「……あんなに焦ったラウル殿下なんて、初めて見たもの」
ボールが飛んできたときの、ラウル殿下の顔。
いつも冷静沈着で眉一つ動かさないのに、よほどエレナ様のことが大切に違いない。
その血統が国の安定に関わる王族は、まず自分の身を守るよう徹底的に教育される。
それにも関わらず、咄嗟にエレナ様を庇った。
バルド様はもちろん、級友たちもそれがわかっていたからこそ、驚き、慄いたのだ。
「さぁて、そろそろ私も行きますか」
ラウル殿下にとって初めての恋だろうが、エレナ様だって、きっとそうに違いない。
理科室での、あの二人の楽しそうな顔を見たら誰だってわかる。
何より、エレナ様は真っ先にラウル殿下のことを気にかけた。
――完全なる両想いである。
だが、エレナ様は鈍そうだし、文武に秀でたラウル殿下も恋となると不器用らしい。
二人の恋をうまくいかせるためには、ここは友人である私の出番だろう。
「エレナ嬢、好きだ!結婚してくれ!」
扉に手をかけようとした瞬間に飛び込んできたのは、愚直なほど真っ直ぐな愛の言葉だった。
思わず息を止めたが、一瞬の間を置いて生徒たちの歓声が上がり、大きなざわめきとなってここまで響いてくる。
――どうやら、プロポーズは成功したらしい。
「ふふっ、これはもう大騒ぎね」
世紀のプロポーズを目撃したのだ。
今日は、授業どころではないだろう。
ハチの巣を突いたような騒ぎを収めるため、校庭に向かって軽やかに駆け出した。
お読みいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。
作中の「アルカイックスマイル」は、古代ギリシアのアルカイク美術の彫像に見られる表情様式のことです。顔全体の感情表現を極力抑えながら、口元に控えめな微笑を浮かべているのが特徴とされています。
また、バラの花束の本数には意味があり、3本で「愛しています」、12本で「付き合ってください」、108本で「結婚してください」といった花言葉があるそうです。
一般的にバラ100本で約2~3㎏になると言われています。
重いですよね(^^;)
誤字のご指摘をいただき、修正いたしました。
教えてくださり、ありがとうございます。




