秋海棠
現場で奏たちと別れた篠宮は拠点へ戻った。
その間にも、一橋は篠宮が渡した眼鏡の分析をはじめていたようで、見たこともないような難しそうな機材たちがデスクの上を占領していた。
「何かわかりましたか?」
難しい顔で眼鏡を眺める一橋に問う篠宮の顔はなんだか楽しげだ。
「その眼鏡、そんなにすごいのか?ただの伊達眼鏡にしか見えなかったけど。」
横で事件の情報を整理していた羽根田も篠宮がいない間にかけてみたのか、怪訝な顔をしている。
「カメラが内蔵されているけど、これはモニタリング用だよね?それ以外は普通の伊達眼鏡。」
「...外、見てみましたか?」
「え?」
篠宮の言葉に一橋はレンズ越しに窓を覗いた。
「げ...」
その途端、心底気味が悪そうな声を出した一橋の反応にあははと篠宮は笑う。一橋がレンズ越しに覗いた世界は黒い影のような物体が浮遊していた。
「これは?」
「これが妖です。といっても僕らが任務で相手にするような個体とは違ってここにいるのは赤ちゃんみたいなものです。ただ空間に浮遊して攻撃をしてくることは基本ありません。たまにやたらと好奇心旺盛な個体はいますが。」
篠宮の話に信じられないと目を丸くする一橋。
機械やデータにだけ向き合ってきた彼にとってじゃありえない光景なんだろうと篠宮は感じていた。
「こんなのリストに登録されてたっけ。」
組織で開発されたシステムや特殊武器はすべてデータとしてリスト化されている。一橋は大量にあるリストをすべて記憶していたはずなのにと不思議そうに呟く。
「一橋くんの記憶は正しいですよ。これもう作れないんですよね。正しくは作る術がない、ですが。だからリストにも載っていない。」
「もう作れない?」
「これ、僕が開発したらしいんですけど全く覚えてなくてですね。」
当然のように飄々と答える篠宮に2人は揃って目を点にする。篠宮はその表情を面白いなと思いながらも気にせずに続けた。
「だから一橋くんにお願いしたんです。これと同じとは言わないですけど、妖を視認できる道具を開発してもらえますか?」
「や、やるけど...」
一橋は内、頭を抱えた。手元には既にあるのに当時の開発資料もなければ開発した本人も何も覚えていないときた。これでは1から10を作るというよりも0から1を生み出さなければいけない状況である。
「何かヒントはないの?なんでもいいよ、覚えてることない?」
何も覚えていなくても何か小さなヒントがあればいい。手がかりがあればそれが糸口になるかもしれない。我にも縋る思いで問えばうんうんと頭を回転させていた篠宮が何かを閃いたのか徐に背中のリュックをあさり始めた。
「あった...!」
しばらくゴソゴソとリュックの中身を漁り目的のものを見つけたのか手には透明の便が握られていた。
「なんだこれ?」
「んー僕にも分からないんですよ。気づいたら持ってたんですよね。」
篠宮から一橋の手元にわたった瓶を羽根田も横から覗き込む。中には薄くて透明な桜の花びらのような形をしたものが瓶いっぱいに詰められている。透明とはいっても時より照明に反射しオーロラのようにキラキラと輝いた。
「なんか魚の鱗?みたいだな。」
「いわれてみたら確かに。でもこんな綺麗な鱗なんて存在するのかな。篠宮くんはなんでこれを持ち歩いてるの?」
「...そういえば何で持ち歩いてるんだろう?」
不思議な鱗を常にリュックの中に入れ持ち歩いている理由は篠宮自身にも分からなった。
気が付いたら手元にあり、最初こそ疑問には思っていたが調べることもなくなぜか持ち歩くことが習慣になっていた。忙しい日々の中でいつしか瓶の存在はリュックの底に隠れ疑問に思うこともなかった。
「と、とりあえずこれ預かってもいい?何かのヒントになるかもしれないし。」
「もちろん。」
やたらと自分自身に無頓着そうな篠宮に頭を抱えながらも一橋は開発を受け入れることにした。
それから一橋は、まだ使用用途がないいくつかの部屋の一室を自分の開発部屋にさせてほしいと言って1人部屋に籠る。篠宮と羽根田はその背中を見送り情報整理も兼ねて事件ファイルの作成に勤しんだ。
「戻りました...」
2時間ほど経った頃、守屋が奏からのお使いを終え拠点に戻る。
いつの間にか夕日が沈み月が顔を出している。拠点の中の照明は昼間と変わらずに煌々としているが、窓から差し込む光がなくなったことでより存在感を放っているように感じられる。篠宮が右手につけているアナログ時計を確認すると短針は8を指していた。
「おかえりなさい。お疲れですか?」
「那月くんに頼まれて事件現場のハシゴを...」
直近の現場は昼間、篠宮も同行したので他の現場に行ったのだろうということは想像に容易い。
しかし直近で発生した5件目の事件を除けば、1ヶ月は経っているし、最初の事件に至っては3ヶ月も前の事件だ。事件の証拠や資料は既にこちらに引き継がれているし、1ヶ月も経っていては妖の気も残っていることはないだろう。
「何しに?」
なぜ現場に行く必要があったのか篠宮は検討がつかないでいた。羽根田に関しては昼間、篠宮と守屋が現場で奏に会っていることを知らないため状況を掴めないでいた。
「なんかおまじない?するって那月くんが。」
「おまじない?」
「そう。御札とか言霊みたいな?」
「ごめん。ちゃんと説明をしてもらっても?」
「そんなこと言われても...」
篠宮の言葉に困ったような表情をする守屋。仕方がない。守屋自身、多くは語らない奏に振り回され若干ヤキモキしながら言われたとおりの行動をしただけなのだから。人にものを頼むくらいならちゃんと説明してくれたっていいのに。拠点に戻るまでの電車の中、そんなことを考えてここまで来たのだから。
「そういえば髪や爪はその人の念が集まりやすいって那月くんが言ってた。」
守屋は神社での藁人形の話を思い出していた。しかし唐突に目の前で自分の指に刀を添えていた奏の行動はなんとなく言わない方がいいような気がして、そのことは伏せることにした。あんなの自傷行為みたいなものだし、普通に考えれば気持ちの良いものではない。
「だから現場に御札置いて燃やしてこいって。」
「意味わかんね。」
具体的な話が何1つ出てこない守屋に羽根田は呆れたように言う。しかし篠宮は何かを察したのか、机の上に置きっぱなしにしていたスマホを手に取り、拠点内の空き部屋の一室に入った。
電話帳アプリを開き那月奏の文字をタップする。画面に呼出中の文字が表示されていることを確認し耳にあてた。何回かのコール音が続いたあと一瞬の沈黙が訪れる。
「...どうした?」
低く落ち着いた声が聞こえ通話が繋がったことを知らせた。
「奏くん今どこにいるんですか?」
「...あー、3件目の事件現場。」
「何をしに?」
「次の事件現場を見る。」
死のみゃはその言葉で奏がやろうとしている事を理解した。
千里眼。
白狐の能力の1つでなんの前触れもなく突然、脳内に映像が流れる。見たくないこともあるし。知りたくないことを知ることもある。千里眼の能力についてそう教えてくれたのはほかでもない奏である。
本来、コントロールをすることが難しい千里眼を対象を特定し発動させる方法が1つだけあると奏は言った。それが呪符を使った方法だと。あまり多くは語らない奏が篠宮に千里眼について教えたのは、篠宮が勉強のために出入りしていた研究棟の図書室で白狐の伝説について書かれた書物を見つけたことがきっかけだったか。
「もうやっちゃったんですね?」
「やっちゃったねぇ。」
少しばかり焦る篠宮の耳に能天気な奏の声が響く。
「篠宮さぁ、5人分喰ったやつ想像できる?」
その問いに篠宮は何も返すことができなかった。想像できなかったから。
爪剥がしという妖は下級の妖で本来、人間の多い街に降りてくることはなく人気の少ない山や森に生息し、野生動物の爪を喰うことで生きながらえる。そして野生動物の爪を喰った爪剥がしはもっと上級の妖に捕食され一生を終える。妖の世界にも食物連鎖のようなものが存在しており。爪剥がしという個体が5人の人間を喰うまで生き続けていること自体がレアケースすぎるのだ。
「できないだろ。俺もできない。時間をかければかけるほどこっちが不利になる。お前と俺だけならまだしもこっちには経験も知識もない奴らが3人もいる。この方法が1番理にかなってると思わないか?」
理にかなっている。
奏の策に間違いなんかなく、こっちに分がある勝負をするにはそれくらいしか方法がない。篠宮もそれは充分に理解できた。
「場所、分かったら絶対に連絡してください。」
「分かってるよ。今回は彼奴らの練習も兼ねてるんだろ。」
思いのほか素直な言葉に篠宮は少しの安心を覚えた。
科学や技術が発展したこの時代には、那月のように術を扱える人間は極わずかだと言われている。それ故にデータとして残っていても実績としては積み上がらない。これから50年、100年と時が経てば術を使える人間はもしかしたら消えてしまうかもしれない。
特殊班に配属された頃、何も知らなかった篠宮にいろいろなことを教えてくれたのは奏で、眷属に至っては術を使うのにそれなりの対価が必要だとも言っていた。神の使いである眷属は神の力を借りる対価としてそれなりのものを払う必要があると。その対価が何かまでは奏も話す気がなさそうだたし、聞くのも野暮だと思い深く追求することはなかった。だけど術を使うことで精神をすり減らしているのなら、別の方法を探したいと篠宮は勝手に思っていた。
しかし残念ながら、今の篠宮では奏よりいい策を練ることは難しく結局それに頼ることになってしまった。
「無茶だけはしないでください。」
その言葉に答えはなく代わりに通話の切れる音が鳴った。
スマホから耳をはずしメッセージアプリを起動する。新谷連の文字を探しトーク画面を開いた。
"奏くんが任務で術を使ったみたいなので、万が一のことがあったらお願いします。"
今はこれくらいしかできることがない自分の無力さを痛感した。
秋海棠
未熟




