第三話 見て見ぬふり(録画機能付き)
学校の帰り道。コンビニに寄ってやろうかと考えてすぐやめた。制服で入るのは恥ずかしい。それに買うのならば本を買いたい。お金を貯めなければ。
「…なんだ?騒ぎ声が…。」
歩いていると、曲がり角の先から何か声が聞こえて来た。俺は恐る恐る覗いてみた。不良たちの喧嘩だったら回れ右だ…。
「おらぁ!」
「ちょっと…やりすぎだよ。」
「なんだお前、こいつすきなのか!」
「ち、違うよ!そういうのじゃなくて…。」
「ならうるさいんだよ!おりゃあ!」
「…!!」
「ほら、こいつしゃべらないんだぜ!おもしろくね!」
「はははは!」
…小学生が、いじめをしていた。いじめられているのは、弟だった。
知らなかった。…なんて言えばウソになる。俺の目は、俺の意思に反して視線を動かすから。弟と会話する、数少ない瞬間。手だけに集中しようとしても、膝や頬についている絆創膏に気付かないわけがない。転んだんだろと、あり得ない理由で自分を納得させていた。
言葉を発せず、手話を使うクラスメイト。目立たないはずがない。小学生という興味津々で、残酷な生き物がそんな面白そうなものに手を出さないわけがないのだ。
俺は兄として、弟を助けなきゃいけないんだろう。
「…回れ右。」
…俺が見たのは、不良の喧嘩だ。だから最初の予定通り、この行動をするんだ。弟の問題は、俺の問題じゃない。あいつが自分で…何とかしなきゃいけないんだから。何かできることは…ない。
「なんだよその手!あはは!」
……手?
俺は道を戻り、曲がり角からまた少し顔を出した。弟の手を凝視して、すぐに戻ってこなければ良かったと悔やむ羽目になった。
小指と薬指、中指が曲げられており、人差し指はまっすぐ前に。親指は左にまっすぐ伸びていたのだ。
【…そうそう。お前も何か嫌なことがあったらその形を作ればいい。】
…嫌な事だってわかってんなら、反撃しろよ。
結局何をするわけでもなく、俺はその場を離れ家に帰った。頭の中の君が俺を見ているような気がして、居心地が悪かった。君には関係ないだろと、見当違いな八つ当たりをしそうになってしまい、すぐにやめた。彼女は悪くないんだから。…弟だって、悪くない。俺も…悪くない。
なのに、どうしてだろう。どうして、罪悪感が生まれるんだ。
・・・
家に帰って、ベッドに転がる。あのサインは、今日は作らなかった。夕飯はもう少ししたら作ろう。
ガチャリ、バタン。いつも通り音が聞こえてくる。トタン……トタン…。階段を昇る音はいつもより、少しぎこちない気がした。
コンコンとノックが二回。
「いるよ。」
弟は家から帰ってくると必ず”ただいま”を言うために、俺の部屋へ入ってくる。
扉が開かれると、膝に擦り傷、頬にアザのある弟が部屋に入ってきた。
けれどそのケガには注目せず、あくまで手に集中した。
『た』『だ』『い』『ま』
「…どうしたんだ、ケガ。」
『な』『ん』『で』『も』『な』『い』
「…そうか。」
ニコリと、笑顔を浮かべて弟は少し部屋からもじもじとして、部屋から出ていった。絆創膏を取りに行ったのか。…何でもないわけないだろうに。というか…怪我の処置もせず真っ先に部屋に来たな、あいつ。もしかして、俺が手当てをしてくれると思って部屋に来たのだろうか。するわけがない。兄ではあるが、親ではないんだ。
でもまぁ仕方ないか…。今うちには、親がいない。
母親はとっくの昔に他界。父親は出張中。少しばかり広い一軒家を二人で住んでいる状況。
寂しさが漂ってるのだから、毎日俺の部屋にただいまと言いに来る理由も、わからなくはない。帰ってきて、俺がいるかいないかの確認だろう。
俺がいなければ…弟は一人。
さらに言えば、家だけの話ではないことを俺はすでに知ってしまっている。
ぽつぽつと、同情心が沸いてきた。
「…夕飯は一緒に食ってるんだから、そこまで心配する必要はないんだがな。」
立ち上がって、早めに夕飯の準備をした。
いつもの事だが、弟はその間、俺の手先をじっと眺める。包丁を扱い野菜を切って、肉を炒める様子を。一応、何も言わず料理をするが…気味が悪いのは事実だった。この時間が一日の中で一番、居心地が悪い。
確かに同情はしたが、嫌悪感はやはり変わらなかった。
一通り料理が終わった。…うん、味付け完璧。いつ婿に行っても問題ないな。
エプロンを外していると弟が意思疎通を図ってきた。
『ね』『え』
「ん、どうした。もう飯………っ!!」
咄嗟に、弟が持っていた本をひったくった。『暮れる頃に咲く花の正体』。
そういえば適当に放り出していた…。
好奇心に満ちていた弟の顔が、みるみるうちに泣きそうになっていった。
「あ、いや…。」
『ご』『め』『ん』
「…俺も、すまん。これは大切な本だから。」
『た』『べ』『る』
「…おう。食べな。俺はちょっと、トイレ」
『う』『ん』
弟はすぐに謝ってくれて、椅子に座った。
宣言通りトイレに入り、しゃがみ込んだ。
「…うぷっ。」
…クソッ。こんなこと、感じたくないのに。胸の中に湧き上がるどす黒い何かが、胃液を持ち上げてくる。俺とあの子だけの間に、弟が入ってきたような気がした。何一つ交わられてない関係のはずのなのに、大切な物を弟に、触れられただけなのに。少しばかりの吐き気を催してしまった。
…弟は悪くない。弟は……悪くない。そうだろ。
完璧な味付けの夕飯は、一切味がしなかった。
・・・
今日も朝ご飯は適当に準備してから、家を出る。いつも通り、『野球と芝生と柴犬』を持って。…これからは、この本はずっと鞄の中に入れておこう。あの本は…もう良いか。
電車の最前列。待ち遠しくて、黄色の線の外側に行ってしまいそうだ。
…瞬間、君の事だけを考えていたはずなのに。何故か昨日の帰り道が頭の中で映し出された。弟がいじめられている、あの光景。
…やめてくれ。この時間だけは、許してくれよ。
[まもなく○○~○○行きの電車が三番線に止まります。黄色い線の内側で、お待ちください。]
目の前に扉が現れたので、乗り込んだ。いつもの場所、反対側の出入り口の、端っこ。特等席。
今日は雨だった。
窓を覗くと、君は奥の電車のいつもの場所で本を読んでいた。少しして、彼女は俺に気付き窓越しにいつも通りのサインを少しにこっと笑って、見せて来た。
俺もサインを返さなきゃ。
サイン……を。
頭の中には、昨日の…帰り道が映し出された。
小指と薬指と中指を曲げて、人差し指をまっすぐ前に。親指は左に向けて。
弟が、そのサインをしていたことを思い出す。
「……っ。」
無意識に、自分の表情が暗くなったのがわかった。君が不安そうな顔をしたから。…俺はハッとし、気を取り直してサインを見せた。それでも彼女は心配そうな顔を浮かべていたが、俺が本を取り出すと安堵したような表情になった。
…見て見ぬふりってのは、厄介だ。削除しようにもできない厄介な記憶なんだから。
流石に本に集中できないでいると、じっと君がこっちを見ていることに気付いた。なんだろうと見てみると…彼女は自分の服の胸辺りをぴっと指さしていた。小さく、本で隠しながら。それもう一周回って不自然じゃない?
「…?」
服には胸部分に『My』とオレンジ色で太く、丸いフォントで書かれてあった。My…?私のって意味?そりゃその服は君のだろうけど…
よくわからなかったが、「これは私の服なんだよ」とギャグで言ってるのかと考え、苦笑いで頷いてみた。けれども君は頬を膨らませ、ふくれっ面のまま何度も『My』の部分をとんとんと指さす。ギャグではないようだ。
[まもなく~○○行き~発車します。次は~△△です。ドアが閉まります。ご注意~ください。]
そうこうしているうちに制限時間が来てしまった。あの子は呆れ顔を見せて手をひらひらと仰ぎ、さっさと行けとジェスチャーを見せた。なんかごめん…。
電車が発車した後も、本は読まずあの子の意図を考えてみた。
My…もしかして『私の』という意味以外に何か別の訳があるのか?
学校で調べてみるか…。
・・・
「私の…我の…んん?」
結局、学校で調べてみたが『My』の正体はわからず仕舞いだった。あの子は何を伝えたかったんだろう。帰路を辿りつつ考えていたが、やっぱり何も思いつかなかった。
「ははははっ!やれやれ~!」
「やぁあ!」
突然、思考を崩すようにまたあの時の騒ぎ声が聞こえてくる。…もう確認する必要もない。その光景を見てしまえば、頭の中でチャージしてしまうことになる。あの子との短い朝の時間を邪魔させるわけには…行かないんだ。
二度目となると、足は軽くて気が楽だった。回れ右をしてからまたすぐに『My』の真相を考え始めた。
「ダメだわからん…。」
家についても、答えは見つからなかった。このままじゃいかん。今度あの子があの服を着てきたら、もう少しちゃんと見よう。…嫌あんまり見すぎてもダメか。ほどほどにちらりと見よう。
「とりあえず夕飯か。」
一度頭をリセットするのも大切だと、夕飯を作ることにした。まぁ結局、慣れた手つきでやってしまうので使いどころのない頭はあの子の事ばかりかんがえてしまうのだけども。
弟が帰ってくるのが少し遅かった。秋に近づいて暗くなるのが早くなるとは言え、ここまでの暗さになってまで弟が帰ってこないことはまずなかった。もしかして、あの場所で…。
不安になって一度、鍋の火を止めると玄関からガチャリと音が聞こえて来た。
「…帰って来たか。」
流石にキッチンの扉はノックせず、弟が入ってきた。
『た』『だ』『い』『ま』
「…?…おう。遅かったな。」
『ご』『め』『ん』
「別に謝る事じゃないよ。手洗ってうがいしてきな。もう夕飯で来てるから。」
弟は頷いて、ランドセルと自分の部屋に置いてから洗面台の方へと歩いて行った。
何だこの違和感…。昨日と同じように、やっぱり体のあちこちにけがをしていた。
だが、今日は今帰って来たのにも関わらず、すでにケガの処置をされていたのだ。それもあり合わせの、ケガの大きさには少し合わない絆創膏が貼られて。二枚を一緒に使ってる場所もあった。一体どこで手当てを?
「まぁ…良いか。」
そこまで深く考える事ではない。もしかしたら昨日のことから学んで、自分で絆創膏を持って行っていたのかもしれない。それを貼っている間に遅くなった、とか。
…そういうことにしよう。箸を取り、皿を並べ、夕飯の準備を進めた。
弟は洗面台から帰ってくると、すぐに席に着いた。俺はもう一足先に食べていた。
「…ん?どうかしたか?」
席には着いたが、食べようとはしなかった。何やら目がキラキラしている。話したいことがあるようだ。俺は一度箸をおいて、楽な姿勢で弟の手に注目した。
『こ』『ろ』『ん』『だ』
「お、おう…大丈夫だったか。」
あくまで、いじめられたとは言わないようだ。でもそんな目を輝かせて話すことか?少し待つと、弟は続きを作り出した。
『た』『す』『け』『て』『も』『ら』『っ』『た』
「それは良かったな。どんな人だった?」
カレーを一口入れつつも、弟の手話からは目を離さなかった。いつもなら、何か躊躇っているのかあまり自分から意思疎通をしてこない。自分との会話は面倒くさいと思われると、危惧してるからだろうか。…まぁ第一、弟は手話をしている間食べれないしな。その為、食卓で会話すること自体久しぶりだった。珍しい出来事に、俺は興味があった。
『女』『性』
「ふぅん…大人の?」
そう聞くと、弟は両手を胸の前に出して親指と人差し指をちょんちょんとくっつけた。えーとこれは…『同じ』って意味か。
「あぁ…お前とか。」
同級生に助けられたのか。なんだ、一人って訳じゃなかったのか。少し安心する自分を、俺は見逃さなかった。…その気持ちを感じる資格が、俺にはあんのかよ。
はぁ…。弟には悟られないように、食べ進めようとした。が、弟が首を振ったのを見て思考が停止した。
「…え?…なら、俺と?」
すると、弟は大きく頷いた。俺と同じくらいの…女性。
まさか。
「髪は短かったか?」
弟は頷いた。
「…綺麗な、人だったか。」
もう一度、今度は不思議そうに頷いた。
助けられたのは…弟の今日の、帰り道の話だよな。
「…服に、よ。胸の所。Myって、書いてなかったか?オレンジ色の…丸い感じで。」
ゆっくりと、弟は頷いた。
……マジかよ。
待て待て。どうしてだ?電車は反対方向のはずじゃないのか?どうしてこの町に…。いやそうか。冷静になれ。俺だってそうじゃないか。この町の駅に乗って、離れた別の場所の学校に行くんだ。
あの子だって…同じなんじゃないか。
というかそれが普通だ。
「…そう…か…。」
思わず、持っていたスプーンを机の上に置いて。俺は頭を机の下にまで下げてから、大きくため息を付いた。




