第4章~第14話~
ショックと混乱で頭の中がグチャグチャになりながら帰りの電車に乗ったため、自宅の最寄駅に着くまでの記憶はほとんどなかった。
ほとんど放心状態のまま駅に着き、改札口を通って駐輪場に向かおうとすると、不意に声をかけられた。
「ちょっと、クラスメートを放っておいて、どこに行くの?」
すぐに声のした方に顔を向けると、声の主は、夏季限定で開設している探偵事務所の相棒だった。
「お疲れ様。メッセージに既読が付いたのに、返事が返って来ないから、心配したんだけど……探偵事務所の相方なんだから、結果の報告くらいしてくれても良いんじゃない?」
「ゴメン、そうだったね。どこか、近くで話そうか?」
「そうだね。夕方になって風も出てきたし、あの場所に行ってみない? 稔梨にも、キチンと報告しなきゃだし」
そう言った湯舟敏羽の言葉に従って、ボクは彼女と芦矢浜の人工海岸に向かうことにした。
昼間の暑さが抜けきれていないためか、夕暮れの潮芦矢は、人影こそまばらだったけど、波間と砂浜が黄金色に染まり、美しく見えた。近くのスーパーマーケットで購入したペットボトルの紅茶は、あっという間にぬるくなっていったけど、喉をうるおすために、少しずつ口に含んでいく。
人工海岸の入口付近の広い階段に腰掛けながら、クラスメートがたずねる。
「それで、三浦先生の反応は、どうだったの?」
「最初は、まったく何も知らない風を装っていたけどね……うちの叔父をはじめ、色んな人達から聞き取った情報を突きつけたら、先生もさすがに観念したみたいだ。これも、仲田の容態が回復しそうだ、と伝えてくれたキミのおかげだと思う。その情報を知ることができたから、ボクは、三浦先生と落ち着いて話をすることが出来た」
古溝さんがマスターを務めるショット・バーで情報を得たあと、自分も聞き取りや情報収集を続けたい、と主張する湯舟にお願いしたのは、仲田美幸の容態を確認することだった。
彼女は、仲田の家族に、先日の突然の訪問を謝罪したうえで、仲田本人の病院でのようすを聞き取ることに成功し、わかったことを逐次、ボクに報告してくれた。
そのおかげで、三浦先生のマンションでも、疑惑の目を向けている相手とも冷静に話すことが出来たということは、湯舟に語ったとおりだ。
「そう言ってもらえて良かった。もちろん、仲田さんの意識が戻ったことが一番良かったことだけど……ところで、野田くんは、どうして、三浦先生が今回の事件と関わっていると思ったの?」
「ボクも、まったく気付いてなかったんだけど――――――いま考えれば、決定的だったのは、ボクたちが初めて葛西の家に行ったときに、先生が彼女の家にいたことだ。自分のクラスの生徒が亡くなって、担任教師がそこにいるのは当たり前。最初は、そう思っていたけど……」
「そうじゃないの?」
「うん……あのとき、葛西の遺体は、まだ自宅に戻ってなかった。葛西が亡くなったことを知っていたのは、ボクたちのような例外を除けば、警察と葛西の家族だけだったはずだ。警察によると、葛西の家族は、あの時点で誰も外部に娘が亡くなったことを伝えていない。もちろん、警察から先生に連絡を取ることはあり得ない」
「じゃあ、どうして、あの日の三浦先生は、稔梨の家にいたのか、ってことなのね?」
「あぁ、そういうこと。先生は、捜査の進み具合と警察の対応を確認するために葛西の家に行ったんじゃないかと思ったんだ。まあ、ウチの叔父さんから、このことを聞くまでは、ボクも先生のことをまったく疑ってなかったからね」
ボクの言葉に、「――――――そっか……」と返事をしたあと、
「ねぇ、ちょっと、答えにくいかも知れないことを聞いてもイイ?」
と、たずねてきた。
「なんだよ、答えにくいかも知れないことって?」
「うん……野田くんは、三浦先生のことを……どう思ってたのかな、って……」
珍しく、慎重に言葉を選びながら問いかけられた彼女の言葉は、ボクにとって重たく響くものだった。
ボクは、仲田美幸の意識が回復して、色々な証言を始める前に、先生に自ら罪を認めて、警察に出頭して欲しい、と考えているハズだったんだけど……。
いまは、それとは、まったく関係ないことが、自然と口をついて出てきた。
「どう、思っていた、か……そうだなぁ……もしかしたら、自分の母親代わりになるんだろうか? って、ほんの一瞬だけ夢想してしまったことがある。気持ち悪いだろう? 軽蔑してくれていいよ」
自嘲気味に苦笑いを浮かべて、そう言うと、彼女は、首を何度も横に振って、「軽蔑なんてしないけど……」と言いながら、膝を抱え込んだ状態で顔を伏せてしまった。さらに、肩が震え、時おり鼻をすするような小さな音が聞こえてくるのは気のせいではないと思う。
「どうして、湯舟が泣いてるの?」
「わかんない……自分でも良くわからないけど……野田くんは、きっと悲しいんだろうなって考えたら、気持ちがグシャグシャになっちゃう」
その言葉で、ボクはようやく気づくことができた。
そうか、ボクは悲しかったんだ――――――。
思えば、小学生の頃に両親が亡くなって以来、人前で泣いたことなど無かったかも知れない。
卒業式などで、友だちや後輩たちと離れ離れになることで涙を流す先輩や同級生たちを見て、
(相手が生きているなら、いつだって会えるじゃないか? ボクは、父さんにも母さんにも二度と会えないんだぞ!)
と、いつも、心のなかで思っていた。
思春期に親を亡くすという、同じ経験を持つ三浦先生なら、ボクの孤独をわかってくれるかも知れない。どこかで、そんなことを考えていたのだろうか?
ただ、現実はそうではなかった――――――。
小学生の頃に読んだ短編小説とは違い、ボクは、年上のキレイなお姉さんと共犯関係になることはなかった。
同じ経験をしながら、ボクと三浦先生の行動を分けたものは、なんなんだろう?
その答えにたどり着くことが、ボク自身のなかで、いちばん悲しいことかも知れない。
そんなことを考えながら、かたわらで、小さく嗚咽を漏らす彼女の肩を抱く。
そして、いまや、ただのクラスメートという関係ではなくなった女子生徒に語りかけた。
「事件が解決したら、お互いにして欲しいことを伝え合うって、約束を覚えている? ボクがキミにして欲しいことを言って良いかな?」




