第七話 賢者の孫、共和国を導く:扇動者の影と友情の灯
登場人物
アーデン・グレゴリー・晴明:元賢者。バー「クロノス」のマスター。
アビサル:時を司る神。今は皮肉屋の常連客?。
アーデン・ヴァレンタイン・翔:晴明の孫。15歳。共和国の議員見習い。
椿:辺境の小国霧隠の村長である風香の娘。翔の友達。
舞台
バー「クロノス」
翔のいる共和国(三日月の宝玉を通じた通信越しに描写)
小道具
三日月の宝玉:晴明がかつて持ち、アビサルとの戦いで力を失ったと思われた宝玉。翔が形見として大切にしている。
雨の音が、バー「クロノス」の屋根を静かに叩いていた。窓からは街の灯りが歪み、揺れる水滴を通して遠い星のように瞬いている。客足の遠のいた夜、アーデン・グレゴリー・晴明は古木のカウンターを丁寧に拭きながら、先週の出来事を思い返していた。
あの不思議な夜、アビサルの気まぐれな計らいによって、元の世界に残してきた最愛の孫・翔と言葉を交わせたこと。何よりも、あの子が無事で、新しい国づくりに情熱を注いでいることを知れたことが、晴明の胸を温かく満たしていた。
(あれから翔は、わしのアドバイス通りに行動できたのだろうか…。あの子の言う「共和国」というものが、どのような国になっていくのか…)
店内の古時計が十時を告げる。晴明が一つ目のグラスを棚に戻したとき、いつものように高級革張りの本を読んでいたアビサルが、唐突に口を開いた。
「おい晴明、あの小僧、なかなかやるじゃないか」
晴明は動きを止め、アビサルの方を振り向いた。今日のアビサルは、落ち着いた茶色のジャケットに身を包み、まるで哲学者のような風貌をしている。その金色の瞳は、いつもと変わらず世界を冷ややかに観察するような鋭さを湛えていた。
「…アビサル? 何を言っておる?」
「何を、とはな」アビサルは本を閉じ、椅子に深く腰掛けた。「お前の孫だよ。あの後、ちょっと様子を見てみたのだがな。情報共有だの、基本理念の構築だの、なかなか賢明なアプローチをしている。さすがはお前の孫というところか」
晴明の目が驚きに見開かれた。「翔のことを…見ていたのか?」
「見るほどの価値もないがな。ただ、人間というものがどこまで合理的に行動できるのか、少しばかり興味が湧いたというだけのことよ」アビサルはにやりと笑った。「そういえば、もう少し様子を見てやってもいいと思っているのだがな。例の宝玉と杯を使って」
晴明は言葉を飲み込み、じっとアビサルを見つめた。彼の表情には、期待と疑念が交錯している。アビサルの「気まぐれ」が、また孫との対話を可能にするかもしれないという希望と、その裏に隠された意図への警戒が、晴明の胸中で葛藤していた。
「何をそう睨むのだ」アビサルは平然と言った。「お前の小僧がどう育っているか、私も少し楽しみになってきたというだけだ。あれほど熱心に話していたお前の助言が、実際にどう実を結ぶのか、あるいは無駄骨に終わるのか…それを見るのも、この永遠の時の流れの中では、ささやかな愉しみというものよ」
晴明は静かに頷いた。アビサルの動機が何であれ、再び翔と話せる機会が得られるならば、それは喜ばしいことだった。
「…そうか。では、今夜も…?」
「ああ、準備はいいか?」アビサルは面白そうに杯を取り出した。「いくぞ」
彼がパチンと指を鳴らすと同時に、杯が淡い光を発し始めた。バーの空気が微かに震え、古時計の針が一瞬動きを止める。
第一幕:小さな成功の報告
共和国の議事堂に近い宿舎の一室で、アーデン・ヴァレンタイン・翔は窓際の小さな机に向かっていた。薄暗いランプの灯りの下、彼は地図と様々な書類を広げ、熱心にメモを取っている。机の上には、祖父から形見として受け継いだ三日月の宝玉が置かれていた。
外では、夏の終わりを告げる風が吹き始め、木々の葉が揺れる音が聞こえる。初秋の夜は、日中の喧騒が嘘のように静かだった。
ふと、翔が顔を上げた時、三日月の宝玉が微かに光り始めたのに気づいた。先週の不思議な出来事を思い出し、彼は息を呑んで宝玉を手に取る。
「おじい様…? また会えるの…?」
宝玉の光は徐々に強まり、空気の中に晴明の声が響いた。
『翔、聞こえるか? わしだ、晴明だ!』
「おじい様! やっぱりまた会えるんだね!」翔の声は喜びに震えていた。前回の通信が偶然ではなかったと知り、彼の心は大きく躍った。
『ああ、アビサルの気まぐれでな。だが、喜ばしいことだ。お前の声が聞けて、本当に嬉しい』
宝玉の中に、晴明の姿が徐々に浮かび上がる。前回よりも鮮明に、まるで霧の向こうにいるように見える。翔も自分の顔を宝玉に映すように意識を集中させた。
「おじい様、この一週間、あなたのアドバイスを実践してみたんだ!」翔の顔には、充実感と誇らしさが溢れていた。「情報共有の大切さを訴えて、各地域の代表者に協力してもらって、それぞれの地域の状況や問題点をまとめた資料を作ったんだ」
『おお、そうか! それは素晴らしい』
晴明の声には、明らかな誇りが滲んでいた。
翔はますます生き生きと話し始めた。「最初は皆、自分の地域のことで精一杯で、あまり協力的じゃなかったけど、ハンスとエリカが手伝ってくれて、各地を回って情報を集めたんだ。それを分かりやすい表にまとめて、全員に配ったら、議論がずっと具体的になったんだよ!」
『そうか、それは良かった』晴明は微笑んだ。『具体的な情報があれば、感情だけで議論することも減るだろうしな』
「うん! それから、おじい様が言った通り、まずは小さな目標から始めようと思って、『共和国市民憲章』の基本理念を話し合おうって提案したんだ。それが意外とうまくいって…みんな『平等』とか『自由』とか『法の下の正義』とか、大きな理念には反対しないから、そこからだんだん議論を広げていけた」
翔の声には達成感が満ちており、その明るい表情からは、この一週間の成長が窺えた。たった一週間でこれだけの進展を見せる孫の成長ぶりに、晴明は心から感動していた。
『北部と南部の対立はどうなった?』晴明が尋ねると、翔は少し考えるような表情を見せた後、答えた。
「それがね、情報を整理したら、南部の灌漑設備が実は北部の寒さ対策より緊急性が高いことが分かったんだ。食糧供給に直結するから。でも、その代わり来年度は北部を優先的に支援するって約束して、両方から理解を得られたんだ!」
『なるほど…優先順位を明確にして、将来の見通しも示したということか。よく考えたな、翔』
晴明の言葉に、翔の顔が嬉しそうに輝いた。「おじい様のアドバイスのおかげだよ。少しずつだけど、議会も落ち着いてきて、建設的な議論ができるようになってきたんだ」
第二幕:扇動者の影
しかし、翔の表情がわずかに曇った。「でも…新しい問題も出てきたんだ…」
『どんな問題だ?』晴明は孫の様子の変化を見逃さなかった。
翔は少し言葉を選ぶように間を置き、ため息をついた。「最近、ヴィクター・オルロフという人が街中で演説を始めたんだ。彼は旧王政時代に不当な扱いを受けた商人の家の出身で、今は急進的な改革を訴える活動家になっている」
『急進的な改革?』
「うん。ヴィクターは、今の議会での議論は『遅すぎる』『妥協的すぎる』って批判してるんだ。旧体制の残滓を一気に排除して、完全に新しい社会を作り上げるべきだって…」翔は少し困ったように言葉を続けた。「彼の言うことにも一理あるところがあって。確かに議会での決定は時間がかかるし、妥協の産物になることも多い。でも、彼の演説は時々過激になって、民衆を煽り立てる…」
翔はさらに詳しく状況を説明した。ヴィクターの演説は高揚感に溢れ、抑圧されてきた民衆の心に強く響く。彼が語る理想の共和国像は美しく、多くの人々の共感を呼んでいる。しかし、その手段はしばしば議会制度を否定するような過激さを含んでおり、穏健派の議員たちは強い警戒感を抱いているのだという。
『なるほどな…』晴明は深く考え込む様子を見せた。『革命後の新しい国づくりには、往々にしてこういった葛藤が生まれるものだ。理想を掲げる急進派と、現実的な歩みを重視する穏健派…どちらも大切な視点を持っておる』
「僕も、ヴィクターの言うこともある程度は分かるんだ。でも、彼の煽り方には危険も感じる。どうすればいいか、悩んでるところなんだ…」
翔の表情には、若き指導者としての責任感と、まだ十代の少年としての迷いが交錯していた。その様子を見て、晴明は自分が遠い世界にいながらも、孫を支えなければならないという思いを強くした。
第三幕:友情の灯
その時、翔の部屋のドアが勢いよく開き、一人の少女が飛び込んできた。
「翔!大変なの!今、広場でヴィクターが…」
彼女は部屋の中の異変に気づき、言葉を途中で切った。三日月の宝玉から放たれる不思議な光、そして翔が誰かと話している様子に、一瞬戸惑いの表情を見せる。
「椿!?」翔は驚いて振り向いた。「どうしたの? こんな時間に…」
椿は、翔と同じく十代前半の少女で、霧隠という辺境の小国の村長・風花の娘だった。翔が王国に追われていた時代に、彼女は翔と深い友情を結び、共に多くの困難を乗り越えてきた仲間だった。クロノス・アビサルとの戦いの際には、翔を助けるために駆けつけた一人でもある。彼女の優しくも芯の強い性格は、新しい共和国の建設においても大きな力となっていた。
「あ、ごめん…誰かといるところだった?」椿は宝玉に目を凝らし、その光の源が何であるかを理解しようとしていた。
翔は微笑みながら説明した。「椿、これは…おじい様なんだ。晴明おじい様だよ」
「えっ!?」椿の目が見開かれた。「晴明様…生きてらっしゃったんですね!」
『ああ、椿か。久しぶりだな。元気そうで何よりだ』
晴明の声が宝玉から響いてきた。
「本当に晴明様の声…」椿は感動に震える声で言った。「あの時は、本当に…もうお会いできないと思っていました」
翔が簡単に状況を説明すると、椿はすぐに理解を示した。彼女の適応力の高さは、昔から変わっていない。
「これは本当に奇跡ですね!」椿は敬意と喜びを込めて宝玉に向かって軽く頭を下げた。「晴明様、あなたの知恵と勇気のおかげで、私たちは今ここにいられるのです。霧隠の村の皆も、あなたのことをいつも敬い、語り継いでいます」
『ほう、それは嬉しい話だ。霧隠の皆は元気にしているか? 風花殿も?』晴明は穏やかな笑顔を浮かべた。
椿はうなずきながら答えた。「はい、母も元気です。今は霧隠と共和国の架け橋として、多くの交渉事を担当しています」
晴明はそれを聞いて満足げに頷いた後、椿の様子を見て尋ねた。『しかし、何か急ぎの様子だったようだが、何があったのだ?』
椿は先ほどの急ぎの様子を思い出したように表情を引き締めた。「そうでした! 翔、実は大変なことになってるの。さっき広場でヴィクターが演説していて、かなりの人が集まってた。彼の言うことが穏健派議員たちの耳に入ったら、明日の会議がまた紛糾するわ」
翔は心配そうに眉をひそめた。「またか…今度は何て言ってたの?」
「議会の動きが遅すぎるって。そして、穏健派は旧体制の利権を守ることしか考えていないって…」椿は言いにくそうに言葉を続けた。「でもね、翔…正直言うと、彼の言うこともある程度は的を射てると思うの」
「椿…?」翔は少し驚いた様子で彼女を見つめた。
椿は宝玉の方を見て、晴明に直接語りかけるように続けた。「晴明様、翔はいつも板挟みで苦労しているんです。穏健派の立場を尊重しながらも、ヴィクターが訴える改革の必要性にも共感している。両方の良いところを取り入れる方法を見つけたいんです」
彼女の声には、親友を心から助けたいという思いが滲んでいた。「翔は穏健派の見習いとして、急激な変化よりも安定を重視する立場です。でも彼は、ヴィクターが指摘している問題にも目を向けるべきだと思っている。どうすれば、穏健派にも理解してもらいつつ、ヴィクターにも必要以上に民衆を煽るのではなく、建設的な提案をするよう働きかけてみる」
翔は少し赤面し、でも感謝の表情で椿を見つめた。「椿…ありがとう。そうなんだ、おじい様。僕はどうすればいいか分からなくて…」
椿は強い決意を込めて続けた。「私たち二人で、何かできることはないでしょうか? 対立ではなく、対話の道を探りたいんです」
第四幕:多角的な視座
晴明は、目の前で繰り広げられる若者たちの真剣な姿に、深い感銘を受けていた。彼らはまだ若く経験は浅いかもしれないが、その純粋な思いと情熱は、未来を切り開く確かな力を秘めている。特に、椿の翔を思う気持ちと、二人が力を合わせようとする姿勢に、晴明は希望を見出していた。
『椿…そして翔。二人とも、素晴らしい心がけだな』
晴明の声は温かく、優しさに満ちていた。
『まず、椿の思いやりと実践的視点に感謝したい。友を思う気持ち、そして国の未来を考える姿勢、どちらも立派だ』
椿は照れくさそうに微笑み、翔も安堵したように息をついた。
『さて、この問題だが…』晴明は少し考え込むような間を置いた。『急進派のヴィクターが人気を集めている根本原因をまず考えてみよう。彼の主張の中にも、民衆の切実な声を反映した部分があるはずだ』
二人は熱心に頷いた。
『彼が語る理想の形に共感する人々がいる。それは無視すべきではない。しかし同時に、急激な変化には危険も伴う。過去の歴史を見ても、理想に燃えた革命が、やがて無秩序や専制に陥ることもあった』
晴明は、丁寧に言葉を紡いでいく。
『そこで提案がある。表舞台での対話だけでなく、市場や広場など、庶民が集まる場所で直接彼らの声を聞いてみるのはどうだろう。何が彼らを不満にさせ、何がヴィクターの言葉に共感させるのか…』
「なるほど!」椿が目を輝かせた。「私は平民たちともよく話すし、霧隠からの移住者たちとも交流があるから、様々な立場の人の声を集めることができるわ!」
『そうだ』晴明は頷いた。『そして、急進的な変化を求める声も、穏健な進め方も、どちらも尊重しながら議論を進める知恵が必要だ。真の対立は、理念同士ではなく、理念と現実の間にあることが多い。理想を失わず、かつ現実的な歩みを続けるバランスが重要なのだ』
翔はじっと晴明の言葉に耳を傾けていた。「おじい様、でも具体的にはどうすればいいんだろう? ヴィクターは既に大勢の支持を集めているし…」
『そうだな…』晴明は少し考え、それから言葉を続けた。『ヴィクターの主張から、共和国にとって本当に必要な部分を見極め、それを穏健派の提案に取り込んではどうだろう。彼の理想の中にある、民衆の願いを理解し、それを現実的な形で実現する道筋を示すのだ』
椿が勢いよく立ち上がった。「それなら、具体的な政策として形にすればいいんですね! 例えば、ヴィクターが訴える『平等な教育機会』を、段階的に実現する具体的なプランを作って提案するとか!」
「そうか!」翔も目を輝かせた。「急進的すぎず、かといって理想も捨てない…そんなバランスの取れた提案なら、両方の支持を得られるかもしれない」
晴明は二人の反応に満足げに頷いた。『その通りだ。お互いの良いところを認め合い、理想と現実のバランスを取りながら進めることが大切だ。そして、一度に全てを変えようとするのではなく、小さな成功を積み重ねることで信頼を築いていくのだ』
第五幕:神の皮肉と叡智
その時、バー「クロノス」では、これまで黙って聞いていたアビサルが、いかにも退屈したような仕草で口を開いた。
「まったく、お前は相変わらず理想主義者だな、晴明」
アビサルの冷ややかな声が、宝玉を通じて翔と椿にも届く。
「民主主義とは結局、大衆の感情に左右される不安定なものだ。今日の英雄は明日の敵、今日の真実は明日の嘘。そんな移ろいやすい砂上の楼閣に、何を期待しているのだ?」
アビサルは杯をひと回転させながら続けた。
「お前たちが理想とする『理性的な議論』など、所詮は幻想に過ぎん。人間とは、自分の利益のためには理性など簡単に捨て去る生き物なのだからな」
晴明は苦笑しつつ、アビサルの皮肉に応じた。
「お前の言うことにも一理あるかもしれんな。だが、それでも人間は理想を掲げ、より良い世界を目指すことをやめない。それこそが、人間の美しさではないか」
「美しさ?」アビサルは鼻で笑った。「美しさではなく、単なる愚かさではないのか?」
しかし、彼の言葉には、奇妙な助言めいたものも含まれていた。
「だがな、一つだけ教えてやろう。人間は理屈より物語に弱いものだ。いくら正しい論理を積み重ねても、心を動かす物語には敵わない。お前たちの理想を、どれだけ具体的な姿で示せるか…それが試されているのだ」
翔と椿は、このやり取りを宝玉を通して聞きながら、アビサルの言葉にも一定の真実があることを感じていた。
「物語…」椿が小さく呟いた。「共和国という『物語』をどう紡いでいくか…ということですね」
晴明は頷いた。『その通りだ。理想だけではなく、それがどんな具体的な未来につながるのか、人々に分かりやすく示すことも大切だ』
第六幕:二人の決意
翔と椿は、晴明とアビサルの言葉に、それぞれの役割を見出したように見えた。
「おじい様、椿」翔は決意を固めたように言った。「僕と椿で分担してみよう。僕は議会内での調整役に徹して、穏健派の議員たちに、ヴィクターの主張の中にある民衆の声に耳を傾けることの重要性を説く。椿は市場や広場で民衆の声を直接集めて、彼らの本当の不満や望みを整理してくれませんか?」
椿も力強く頷いた。「うん、いいアイディアね! 私は民衆との対話を進めながら、彼らにも議会の取り組みを分かりやすく伝えるようにする。霧隠での経験も生かせるわ。そして、ヴィクターに対しても、無闇に民衆を煽るのではなく、建設的な提案をするよう働きかけてみる」
二人の間に、静かながらも強固な決意と信頼が生まれているのを感じ、晴明は穏やかな笑みを浮かべた。
『そうだな、二人で力を合わせれば、きっと道は開けるだろう。そして、もう一つの提案だが…』
晴明はさらに具体的なアイディアを続けた。
『「理想の共和国」を具体的に示す小さなモデルケースを作ってみてはどうだろうか。例えば、一つの地区や集落で、皆が参加する形での決定プロセスを試みるとか』
「モデルケース…!」翔の目が輝いた。「それなら、エリカが管轄する南東の村が良いかも。あそこは比較的小さくて、実験的な取り組みに協力的なんだ」
椿も興奮気味に付け加えた。「そこで成功すれば、他の地域にも広げていける! 霧隠での村会議の経験も参考になるかもしれないわ。理想を具体的な形で見せられれば、扇動だけに頼らなくても、人々は希望を持てる」
『その通りだ』晴明は満足げに頷いた。『それから、ヴィクターの主張のうち、取り入れるべき部分を見極めることも忘れるな。彼の言葉が人々の心に響くのには、それなりの理由があるはずだからな』
「はい、おじい様」翔は真剣な表情で応えた。「できるだけ多くの人の声を聞いて、どんな未来を望んでいるのか、じっくり考えてみます」
第七幕:別れと希望の灯火
その時、宝玉の光が少しずつ弱まり始めた。通信時間が終わりに近づいているのだ。
『翔、椿、もう時間のようだ』晴明の声には名残惜しさが滲んでいた。『最後にもう一つだけ伝えておきたい』
二人は身を乗り出して、晴明の最後の言葉に耳を傾けた。
『常に耳を開き、様々な声に耳を傾けることは大切だ。しかし、自分自身の信念も決して見失うな。お前たちの心の中にある正義と公平の感覚を、どんな時も大切にするのだ』
晴明の穏やかな表情と静かな声は、二人の若者の心に深く刻まれた。
「はい、おじい様。約束します」翔は強い決意を込めて答えた。
「私も、その言葉を胸に刻みます」椿も同様に頷いた。
「おーおー、感動的じゃないか」アビサルの皮肉めいた声が割り込んできた。「次はもっと面白い展開を期待しているぞ。お前たちの『理想の共和国』なるものが、どこまで現実になるのか、それとも幻に終わるのか…」
しかし、その皮肉な言葉の裏には、奇妙な期待のようなものも感じられた。
『アビサル…』晴明は少し呆れたように言った。『まったく、お前は…』
宝玉の光が次第に弱まっていく。
「おじい様、次に会う時までに、きっと良い報告ができるようにするから!」翔は光が消える前に急いで言った。
椿も宝玉に向かって頭を下げた。「晴明様、次回までに具体的な成果を報告できるよう、精一杯頑張ります!」
『ああ、期待しているぞ…二人とも…』
晴明の声が徐々に遠くなっていき、ついに宝玉の光は完全に消えた。
部屋には、再び静けさが戻る。
翔と椿は、しばしの間、宝玉を見つめていた。そして、互いに顔を見合わせ、決意の表情で頷き合った。
「よし、明日からさっそく行動しよう」翔が言った。
「うん、私たちにできることをやろう」椿の声には確固たる決意が込められていた。
彼らの前には、困難が待ち受けているだろう。しかし、二人の心には希望の灯火が灯り、その光は少しずつ、しかし確実に、新生共和国の未来を照らし始めていた。
エピローグ:神と賢者の思惑
バー「クロノス」に、再び静寂が戻る。
アビサルは杯を片付けながら、意味ありげな微笑みを浮かべていた。
「晴明よ、お前は本当に面白い。自分の血を引く者に対する、その無条件の信頼と期待…それもまた、人間という生き物の不思議な側面だな」
晴明はグラスを磨きながら静かに答えた。
「それを『愛情』という、アビサル」
「愛情、か…」アビサルは少し考え込むように言葉を反芻した。「だが、その愛情が盲目的なものであったとしても、お前は構わないのか?」
晴明は穏やかな笑みを浮かべた。
「盲目ではない。わしは翔の良いところも、至らぬところも知っておる。それでも、彼の成長を信じ、見守りたいと思う。それが親というものではないか」
アビサルは首を振った。「まったく理解できんな。だが…」
彼は窓の外の雨を見つめ、意外な言葉を口にした。
「あの二人の若者が、これからどんな選択をしていくのか…少しばかり、興味が湧いてきたよ」
晴明はその言葉に、わずかな希望を見出した。不思議なことに、アビサルが人間に対する関心を示すとき、それは彼なりの「認めた」という表現なのかもしれない。
「ふむ、それはありがたい」晴明は静かに答えた。「また翔に会える機会があることを、楽しみにしておこう」
窓の外の雨は、いつの間にか上がっていた。空には、薄明かりの月と、わずかな星が顔を覗かせている。その光は弱くとも、確かに闇を照らし、希望を象徴しているようだった。
晴明は空を見上げながら、遠い世界で奮闘する孫と、その友人のことを思った。彼らの前途には多くの試練が待ち受けているだろう。だが、彼らならきっと乗り越えていける ―― そんな確信が、静かに晴明の胸を温めていた。
(第七話 完)
お読みいただき、ありがとうございます!
第七話は最愛の孫である翔の共和国建国記的の続きとなります。
いかがでしたでしょうか?
霧隠の村長の娘、椿が新たに登場しましたね、
今後の展開にもぜひご期待ください。
原作が気になった方はウェブサイトを覗いてみていただければと思います。