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第15話 亡霊の名は

登場人物


クロノス・アビサル:時を司る悪神。冷徹だが、知的好奇心は旺盛。

アーデン・グレゴリー・晴明せいめい: バー「クロノス」のマスター。元賢者。

瀬織津姫との邂逅から数時間後。バー「クロノス」には、いつになく重い沈黙が満ちていた。それは、謎がいまだ解けない焦燥から来るものではなく、むしろ、パズルの最後のピースがはまろうとしている、その瞬間の静けさだった。


カウンターに肘をつき、アビサルは虚空を睨んでいた。その金の瞳には、いつもの傲岸不遜な光はなく、自身の記憶の深淵を覗き込むような、深い思索の色が浮かんでいる。


「王に仕えた、騎士の亡霊…。そして、吾輩が知らぬ王の名…」


晴明は、磨き上げたグラスを静かに置くと、ゆっくりと口を開いた。彼の表情は、バーのマスターではなく、永い時を生きた賢者のそれに戻っていた。

「アビサル様。わしが賢者として生きた元の世界、あなた様との戦いの中で、ある国が滅んでいきました。その中に、ある悲劇的な末路を辿った王国がございました。そして、その国に仕えた、あまりにも忠義深き騎士団長の話も…」


晴明の言葉は、まるで古い叙事詩の序章のように、静かに店内に響き渡った。それは、アビサル自身が忘却の彼方に追いやっていた、ある日の記憶を呼び覚ますための、賢者による追憶の儀式でもあった。



第一幕:賢者の記憶と神の忘却



「わしが追放された故国、ルミナリア王国。その末期の王は、ヴォルフガング・ルートヴィヒ四世。賢者の力を我が物とせんと凶行に及びました。彼は代々受け継がれてきた秘術の知識を正しく扱えず、次第にその力に魅入られ、狂気に陥っていきました。」


晴明は、淡々と語る。それは彼が直接見聞きしたことではない。世界中に張り巡らせた賢者の情報網が、彼にもたらした、ある王国の終焉の記録だった。

「そして、狂王の傍らには、常に一人の忠実な騎士が控えておりました。王家に代々仕える武門の出で、誰よりも王への忠誠を誓っていた、近衛騎士団長のセバスチャン・ヴィルヘルム。彼こそが、狂っていく主君を最後まで見捨てず、その命令に殉じた男でした」


晴明は、そこで言葉を切り、アビサルの顔を窺った。

「アビサル様。あなた様が永き封印から解き放たれ、その怒りのままにルミナリア王国の城を蹂躙された時のことを、覚えておいででしょうか? その玉座に、王と、その傍らに控える騎士がいませんでしたか?」


アビサルは、眉間に深い皺を寄せた。

「…さあな。封印から解かれた直後のことだ。我輩は怒りと、そして久方ぶりの自由による歓喜で満ちていた。視界に入るもの全てが気に食わず、腹いせに城の一つや二つ、塵芥に変えてやった記憶はある。だが、そこにいた雑魚の顔など、いちいち覚えてはおらん」

彼の声には、苛立ちが滲んでいた。記憶が曖昧であること自体が、この完璧を自称する神にとっては、我慢ならない屈辱なのだ。


「…そうですか。ですが、その男、セバスチャンこそが、我々が追う亡霊の正体であると、わしは推察いたします」



第二幕:セバスチャンという騎士



晴明は、自身の分析を続けた。

「セバスチャンは、稀代の騎士でした。文武に優れ、人格は厳格。民からの信望も厚かったと聞きます。ですが、彼にはたった一つ、美徳であり、そして欠点でもあるものがあった。それは、王家に対する、狂おしいまでの忠誠心です」


晴明によれば、セバスチャンは時の秘術の使い手ではなかった。しかし、王立学院の最上位の課程で、彼は秘術の理論を深く学んでいたという。それは、術の行使者ではなく、為政者として、その力を正しく管理・監督するために必須とされた教養だった。

「彼は、時の秘術がどれほど危険で、どれほど世界を歪める可能性があるかを、誰よりも理論的に理解していました。だからこそ、ヴォルフガング王がその力に溺れ始めた時、それを諌めたのも彼でした。が、忠誠心からか強く引き止める事はできませんでした。」


結果として王は聞く耳を持たなかった。そして、忠実すぎる騎士は、主君を諌めることができないと悟ると、次なる行動に出た。

「彼は、王が道を誤ったのならば、その責は全て自分が負うべきだと考えた。王が犯すすべての罪を自らの罪とし、その咎を一身に受け、王を守り抜く。それが、彼の選んだ、歪んでしまった忠義の形でした」

優秀であったがゆえに、狂った主君とさえ、最後まで運命を共にすることを選んでしまった。あまりにも悲しい、騎士の物語だった。



第三幕:回想――終焉の玉座



晴明の言葉が、引き金となった。

アビサルの脳裏に、忘却の霧に閉ざされていた光景が、雷鳴と共に迸った。


ーー永い、永い闇。憎悪と屈辱だけを糧に、時は流れ、そしてある日、封印は破られた。

解放されたばかりの我が身は、力の制御さえおぼつかず、ただ純粋な破壊衝動の塊となっていた。

目の前に広がるのは、白亜の城。そして、玉座の間。

そこに、愚かな人間の王がいた。


〜〜〜〜


王は震える声で尋ねた。「お前は…何者だ?」

「私は時の神」クロノス・アビサルは答えた。「かつて人間たちに封印された哀れな神。お前たちが私の力を奪い、自分たちのものにしようとした」

「ヒィ!」王は叫んだ。


「お前こそが私を目覚めさせた」クロノス・アビサルは王を指差した。「時を戻したいという欲望を持ち、秩序に抗い、死者を蘇らせようとした」


王は顔色を失った。「私は…ただ妻を取り戻したかっただけだ」

「欲望と執着」クロノス・アビサルは冷たく言った。「それが人間の弱さだ。そして、それが私を復活させた。愚かな人間たちよ。私が等しく与えた時という秩序を返すのだ。」


クロノス・アビサルは手を伸ばし、王に触れた。王は悲鳴を上げ、急速に老化し始めた。彼の髪は白くなり、皮膚はしわだらけになり、やがて干からびた老人のようになった。


「き、貴様、王に何をした!」セバスチャンが叫び、クロノス・アビサルの前に立ちはだかった。

「邪魔をするな、人間」クロノス・アビサルはセバスチャンを一瞥し、彼も同様に老化させた。


謁見の間は混乱に陥った。貴族たちは悲鳴を上げて逃げ出し、衛兵たちは武器を抜いたが、クロノス・アビサルに近づくことができなかった。彼の周りには時間の歪みが生じ、近づく者は皆、急速に老化していった。


〜〜〜〜


放たれたのは、純粋な時の呪い。

王と騎士は、悲鳴を上げる間もなく、その姿が揺らぎ始めた。肉体が滅びるのではない。彼らの存在そのものが、「時間」という概念から切り離され、永遠に繰り返される一瞬の牢獄へと囚われていく。

セバスチャンの顔に浮かんだ、最後の表情。それは、驚愕でも、恐怖でもなく、ただ、守るべき王を見つめる、深い悲しみの色だった。


――そうだ。我輩は、確かにあの場で、あの二人から「時」を奪ったのだ。



エピローグ:悲劇の真相と呪いの皮肉



全ての記憶を取り戻したアビサルは、カウンターに深く身を沈め、長い沈黙に落ちた。その表情は、怒りとも、自嘲とも、あるいは後悔ともつかない、極めて複雑な色をしていた。


「…全て、繋がりましたな」

晴明が、静かに最後のピースをはめる。

「セバスチャンは、王と共に時の中に囚われた。しかし、彼の王への強すぎる忠誠心、そして無念の思いが、その魂を『亡霊』として人の形に留めたのでしょう。そして、我々がこの世界へと次元を渡る際、その強大なエネルギーの渦に、彼の魂だけが引き寄せられ、共に流れ着いてしまった」


そして、日本各地で起きていた、不可解な「自動修復事故」。その謎も、これで完全に解明された。

「アビサル様がセバスチャンにかけた『時間を奪う』呪い。それが、この世界で不完全に、そして皮肉な形で発動しているのです。亡霊となった彼が、この世界の何かに干渉し、事故を起こす。つまり、未来を書き換える。その瞬間、彼の身に刻まれた呪いが『お前の未来(=起こした結果)は存在しない』とばかりに発動し、時間を強制的に巻き戻し、結果として『何も起こらなかった』ことにしてしまう…」


自らの気まぐれで放った、忘れていたはずの呪い。それが、一人の忠義の騎士を異世界で苦しめ続け、奇怪な事件まで引き起こしていた。

アビサルは、ゆっくりと顔を上げた。その金の瞳が、危険な光を放つ。


「…実に、胸糞の悪い話だ」


それは、誰に向けた言葉なのか。自らの行いか、セバスチャンの愚直さか、あるいは、狂った王か。

「フン。我輩がかけた呪いならば、その始末は我輩がつけるのが筋というもの。それに、我輩以外の者が、この世界で我輩の術の紛い物を使うこと自体、我慢ならん」


アビサルの声には、いつもの傲慢さが戻っていた。だが、その奥底に、これまでにはなかった、ある種の「責任」にも似た感情が芽生えていることを、晴明は見逃さなかった。

亡霊の名は、セバスチャン。

その正体が明かされた今、物語は、哀れな騎士の魂をどう救済するのかという、新たな局面へと移っていく。バー「クロノス」の静かな夜は、次なる嵐の前の、最後の静寂に包まれていた。


(第15話 完)

お読みいただき、ありがとうございます!


ついに正体が判明しました。

原作を合わせて読むともっと面白いかも?

今後の展開にもぜひご期待ください。


原作が気になった方はウェブサイトを覗いてみていただければと思います。

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