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第14話 水神の証言と王の名

登場人物


クロノス・アビサル:時を司る悪神。冷徹だが、知的好奇心は旺盛。

アーデン・グレゴリー・晴明せいめい: バー「クロノス」のマスター。元賢者。

瀬織津姫せおつひめ:大河の守護神。水流・浄化・災厄払いの力を持つ。自然の秩序を重んじる誇り

白狐稲荷の社を後にして数日。アビサルが手配した高級セダンは、日本の大動脈たる高速道路を西へと滑るように走っていた。目的地は、この国で最も雄大とされる大河を治める、水神・瀬織津姫せおりつひめの領域。狐神がもたらした「亡霊は学習し、適応している」という情報は、これまでの事件の様相を大きく変えるものだった。


「フン。ただの哀れな地縛霊かと思えば、日ごとに知恵をつけ、力を増す厄介なシロモノだったとはな。退屈しのぎの余興としては、上出来な部類に入ってきたではないか」


後部座席で長い足を組みながら、アビサルは面白そうに独りごちた。その口調はいつも通り不遜だが、金の瞳の奥には、もはや単なる好奇心だけでなく、自らの領域を侵す未知の存在に対する、神としての冷徹な観察眼が光っていた。


運転席の隣、助手席に座る晴明は、窓の外を流れる雄大な景色から目を離さず、静かに口を開いた。

「ええ。ですが、相手が知性を持つとなれば、こちらも考えを改めねばなりませぬ。これまでの情報を整理し、亡霊の正体について、もう一歩踏み込んで推察する必要がありそうですな」


晴明の言葉に、アビサルは鼻を鳴らした。

「よかろう。どうせこの退屈な鉄の箱が目的地に着くまでにはまだ間がある。賢者よ、お前の退屈な推理ショーとやらに、しばし付き合ってやろうではないか」


その言葉を合図に、晴明はこれまでの捜査で得られた、不可解な事件のピースを一つ一つ、頭の中で並べ始めた。



第一幕:推理の再構築



「まず、我々が追う存在の正体について。当初、我々はこれを、この世界に古来から存在する、未知の『時の神』ではないかと考えました」

晴明は、語りかけるように、しかし自身の思考を整理するかのように言葉を紡ぐ。


「しかし、雷鳴村の雷神の証言がそれを覆した。『あれは神ではない。少なくとも、この地の理に連なる存在ではない』と。これにより、土着の神という可能性は消えました」


「次に我輩が疑ったのは、お前自身だ、賢者よ」とアビサルが退屈そうに引き継いだ。「神に比肩する時の秘術の使い手。その条件に当てはまる人間は、我輩の知る限りお前しかおらんかったからな」

「ですが、それも高峰翔子さんの目撃証言によって否定された。『西洋の、中世の騎士が着るような、重々しい鎧』。わしの一族とは、とんと縁のない代物です。何より、わしの美学が、あのような無粋な力の暴走を許しはしませぬ」

晴明は、そこで穏やかに、しかしきっぱりと付け加えた。


「フン。そのつまらん美学とやらのおかげで、お前への疑いは晴れた。だが、それで浮上したのが、お前の血を引く孫、アーデン・ヴァレンタイン・翔の存在だった」

アビサルの声に、からかうような響きが混じる。

「若き指導者の苦悩と焦りが、生き霊となって世界を超えた。ありえぬ話ではなかったぞ」

「翔ではありえません」と晴明は即座に否定した。「彼の力は、調和と創造の力。混沌と破壊を振りまく今回の現象とは、その『質』が根本的に異なります。そして何より、わが孫は、民を預かる身でありながら、己の私情で世界を揺るがすような弱い男ではない。あやつは、わしの誇りですからな」


祖父としての絶対的な信頼を込めた言葉に、アビサルはつまらなそうに沈黙した。翔への疑いが、完全に棄却された瞬間だった。

「では、残る結論は一つ」と晴明は続けた。「我々が追っているのは、『神』でもなく、この世界の『人間』でもない。我々と同じく、異世界からこの地に飛ばされてきた、何者かの『亡霊』である、と」


その結論に至り、二人はしばし押し黙る。

西洋甲冑を身に纏い、時を歪めるほどの強い未練を抱いて死んだ魂。そんな存在に、果たして心当たりはあるだろうか。


「…我輩がこれまでに葬ってきた者の中に、騎士と呼べるような男は幾人もいた」とアビサルが口を開いた。「だが、そのいずれもが、我輩への憎悪か、あるいは己の野心のために剣を振るった輩だ。死してなお、誰かを探し続けるような、そんな殊勝な魂の持ち主など、一人として記憶にない」

神を名乗る彼は、自らが滅ぼした魂の質にさえ、無頓着ではいられなかった。彼の記憶の中で、亡霊候補となる人間は、誰もが強欲で、醜い執念の持ち主だった。雷神が感じ取ったという『深い悲しみ』とは、どうにも結びつかない。


晴明もまた、自身の長い記憶の糸をたぐり寄せていた。賢者として生きた悠久の時間の中で、敵対した者、道を違えた者は数知れない。しかし、西洋の騎士という、あまりにも異質な存在には、やはり心当たりがなかった。

(わしが知らぬ、アビサル様の過去に関わる者か。あるいは、あの戦いの余波で、我々も知らぬうちに巻き込まれてしまった、全く別の誰かなのか…)


謎は振り出しに戻ったように思えた。だが、目的地は目前に迫っている。

「いずれにせよ、これ以上の憶測は無意味ですな」と晴明は思考を断ち切った。「新たな証言者、水の女神が、我々に次なるヒントを与えてくれることを期待するとしましょう」

車は高速道路を降り、清流のせせらぎが聞こえる、緑豊かな渓谷へと入っていった。



第二幕:水神の激怒



瀬織津姫の領域は、人間の作ったどの建造物よりも雄大で、荘厳だった。幾つもの支流を集めて滔々と流れる大河。その水は鏡のように空を映し、川底の玉石の一つ一つまでが見えるほどに澄みきっている。川岸には樹齢千年を超えるであろう巨木が立ち並び、神域にふさわしい清浄な空気が満ちていた。


だが、その清浄な空気は、ピリピリとした怒りの神気によって張り詰めていた。

二人が車を降り、川岸へと歩を進めた途端、目の前の水面が激しく盛り上がり、巨大な水柱が立ち上った。


「何用だ、災厄神! 我が水脈を汚しにきたか!」


水柱の中から響いた声は、若々しい女性のものながら、大河の轟音にも負けないほどの威厳と、そして隠しようもないほどの激しい怒りに満ちていた。水が収まると、そこに立っていたのは、水の衣を纏った、気高く美しい女神の姿だった。瀬織津姫。この大河そのものを神体とする、強大な国津神の一柱である。


その射るような視線は、真っ直ぐにアビサルへと注がれていた。

「戯れに雷を落とし、虹を架けて悦に入る貴様のことだ。今度は大水を起こして、人の子の営みを眺めて楽しむつもりか!」


「お静まりくだされ、瀬織津姫様」

アビサルが何か皮肉を返す前に、晴明が深々と頭を下げた。

「我々は、姫様の領域を荒らしに来たのではございません。むしろ、このところ姫様を悩ませているであろう、不可解な現象の原因を突き止め、それを鎮めるために参上したのです」


晴明の丁寧な口上と、彼から発せられる静かな霊気に、瀬織津姫はわずかに眉をひそめた。

「…ほう。そなたは人の子か。ただの人間が、なぜこの災厄神と共にいる。そして、なぜ妾の悩みが分かった?」

「我々は、その現象を引き起こしている『何者』かを追っております。姫様ほどの神であれば、既にお気づきのはず。あれは、この国の理から外れた、異質な力。我々と同じ、彼の岸より渡り来た者の仕業であると」


晴明の言葉に、瀬織津姫はアビサルを睨みつけていた視線を、わずかに和らげた。

「…フン。なるほどな。あの忌まわしい『歪み』の正体を、突き止めに来たと申すか」

彼女は、数日前にこの領域で起きた出来事を語り始めた。


「数日前、この大河を、得体の知れぬ気配が通り過ぎていった。それは悲しみと焦燥に濡れた、哀れな魂のようであったが、同時に、我が水脈の流れそのものを狂わせる、強大な力を秘めていた」

瀬織津姫の表情が、再び怒りに染まる。

「その魂が川を渡ろうとした瞬間、川の流れが逆巻き、水は意思を持ったかのように荒れ狂った。あと一刻もすれば、下流の村々は洪水に飲み込まれていたであろう。妾は、我が身を以てそれを防ごうとした。だが…」


彼女は、悔しそうに唇を噛んだ。

「妾が力を振るうよりも速く、『それ』は起こった。荒れ狂う川は、まるで時間が巻き戻ったかのように、一瞬で元の穏やかな流れを取り戻したのだ。洪水も、濁流も、全てが幻であったかのように。だが、我が水脈には、無理やり捻じ曲げられ、元に戻された、醜い傷跡だけが残った。自然の摂理に対する、これ以上の侮辱があるか!」


瀬織津姫の怒りは、まさにそこにあった。亡霊が引き起こした現象そのものよりも、その後の「不自然な修復」こそが、彼女の神としてのプライドを深く傷つけたのだ。それは、アビサルが感じた侮蔑と、全く同質のものであった。



第三幕:王の名



「…して、その者の正体に、何か心当たりは?」

晴明が尋ねると、瀬織津姫は、ふと何かを思い出したように、怪訝な顔をした。


「正体は分からぬ。ただ…」

彼女は、しばし言葉を選び、そして、決定的な証言を口にした。


「あの亡霊が、川を渡る間際、確かに何かを呟くのを聞いた。それは、苦しみに満ちた、しかしどこか誇らしげな響きを持つ、我らが知らぬ王の名であった」


「…王の、名?」

アビサルが、初めて鋭く反応した。


「うむ」と瀬織津姫は頷く。「それは、この国を治めてきた、どの天皇すめらみことの名でもない。異国の響きを持つ、古き王の名。そして、その名を呼ぶ声には、狂おしいほどの忠誠と、そして深い深い悲しみが込められていた」

瀬織津姫は、アビサルと晴明を交互に見据えた。

「あれは、お前たちの世界の王の名であろう。そして、その王に仕えた騎士の魂か何かであろう。我が領域を侵した罪は許しがたいが、哀れな迷い子でもある。…これ以上、この地に災厄を振りまく前に、速やかに故郷へ還すがよい」


それは、警告であり、神としての温情でもあった。そして、闇の中に差し込んだ、一筋の光明となる情報だった。



エピローグ:繋がった糸



瀬織津姫に丁重な礼を述べ、二人は再び車上の人となった。車内には、先ほどまでとは全く質の異なる、濃密な沈黙が流れていた。


「王に仕えた、騎士の亡霊…か」

アビサルが、面白そうに、そしてどこか冷ややかに呟いた。

「ククク…なるほどな。主君を求め、時を超えて彷徨う忠義の亡霊。三文芝居の筋書きとしては悪くない。だが、一体どこの、どの王に仕えた騎士だというのだ?」


「…………」

晴明は、答えない。彼の脳裏では、先ほどの水神の言葉が、何度も何度も反響していた。

『我らが知らぬ王の名』

『狂おしいほどの忠誠』

『西洋の甲冑を纏った騎士』

『アビサル様も知らぬ、戦いの余波』


バラバラだったピースが、一つの像を結ぼうとしている。

晴明の記憶の奥深く、賢者として生きた時代の、膨大な知識の海の中から、ある一つの可能性が、ゆっくりと浮上してきていた。

それは、アビサルとの長きにわたる戦いの歴史の中で、直接見聞きしたわけではない、しかし、噂として、あるいは文献の片隅に記されていた、ある悲劇の物語。


「…賢者よ、どうした? まさか、本当に心当たりでもあったのか?」

アビサルのからかうような声に、晴明はゆっくりと顔を上げた。その表情は、いつもの穏やかなマスターのものではなく、神と渡り合った、老獪な賢者のそれに戻っていた。


「…いえ。まだ、確信には至りませぬ。ですが…」

晴明は、そこで言葉を切ると、遠い目をして呟いた。

「もし、わしの推測が正しければ…その亡霊は、あまりにも哀れで、そしてあまりにも…忠義なる魂、ということになりましょう」


その言葉に、アビサルは初めて、興味深そうに眉を上げた。

謎は、最終局面へと向けて、大きく舵を切った。二人の乗せた車は、夕暮れの光の中を、次なる目的地へと向かって走り出す。亡霊の正体が明かされる時は、もう目前に迫っていた。


(第14話 完)

お読みいただき、ありがとうございます!


事件の核心へと迫りつつありますね。

今後の展開にもぜひご期待ください。


原作が気になった方はウェブサイトを覗いてみていただければと思います。

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