第11話 雷神の証言
登場人物
クロノス・アビサル:時を司る悪神。冷徹だが、知的好奇心は旺盛。
雷電大明神:雷を司る山間の小さな村「雷鳴村」の土地神。
アーデン・グレゴリー・晴明: バー「クロノス」のマスター。元賢者。
バー「クロノス」での仮説から数日後。晴明とアビサルは、最初の事故が報告されたという山間の高速道路を訪れていた。秋晴れの空の下、車が行き交うアスファルトの道は、何の変哲もない日常の風景を映し出している。
「…で、我輩はいつまでこのような退屈なドライブに付き合わねばならんのだ?」
アビサルは、晴明が運転するクラシカルなオープンカーの助手席で、心底うんざりしたようにため息をついた。今日の彼は、皮肉なことに、高級ブランドのドライビングジャケットに身を包んだ、洗練された都会の青年といった風体だ。
「神ならば神らしく、一足飛びに現場へ転移するのが筋というものであろう。何故わざわざ人間のように鉄の箱に乗って、律儀に道を走らねばならん」
「これも調査の一環ですよ、アビサル様」と晴明は穏やかにハンドルを切りながら答えた。「現場の空気、土地の気配、そういったものは、五感で感じ取ってこそ分かるものもございます。それに、こうして道すがら景色を眺めるのも、悪くないものでしょう」
「お前のような悠長な元賢者と一緒にするな。我輩の時間は無限ではない。…いや、無限ではあるが、このような無価値なことに費やすためにあるのではない」
憎まれ口を叩きながらも、アビサルの目は、車窓から見える日本の豊かな自然の風景を捉えていた。黄金色に輝く田園、燃えるように色づき始めた山々の稜線。その瞳の奥には、退屈とは異なる、どこか複雑な色が揺らめいていることに、晴明は気づいていた。
やがて、カーナビが目的地を示す。そこは、高速道路の脇に設けられた、小さなパーキングエリアだった。
第一幕:歪んだ時の残滓
二人が車を降りると、そこには事故があったことなど微塵も感じさせない、平穏な空気が流れていた。ガードレールに傷一つなく、アスファルトにもタイヤ痕すら残っていない。
「見たところ、何の変哲もありませんな」
晴明が辺りを見回すが、アビサルは目を閉じ、意識を集中させていた。彼の神としての五感が、この空間に残された「時の残滓」を探っているのだ。
「…あるな。ここに、確かに『いた』」
アビサルの声は低く、険しい。
「だが、これは…醜い。なんと醜悪な傷跡だ。まるで未熟な外科医が、神聖な身体を滅茶苦茶に切り刻んだ挙げ句、慌てて縫合したかのような…」
アビサルは、目に見えないはずの「時の傷」に触れるかのように顔をしかめた。彼の目には、この空間に刻まれた歪な時間の流れが、はっきりと見えている。
「力が暴走し、現実を破壊する。だが、その直後に、まるで罪を後悔するかのように、あるいは何者かに強制されるかのように、必死で時間を巻き戻し、修復しようとしている。だが、その修復もまた付け焼き刃で、綻びだらけだ。時間の流れの節々が、無理やり接がれた骨のように軋んでいるのが分かる」
アビサルは、まるで駄作を評価する芸術批評家のように、冷徹に、そして侮蔑的に分析する。
「この力の使い方は、我輩とは全く異なる。我輩の術が完璧な調和を目指す交響曲ならば、これは、調律の狂った楽器を力任せに掻き鳴らすだけの騒音に等しい。こんなものを『時の力』などとは、到底認められんな」
晴明は、アビサルの分析に静かに耳を傾けていた。
「つまり、この地にいるかもしれないという『もう一人の時の神』は、ご自身の力を全く制御できていない、と」
「神、というにはあまりに未熟。あるいは、神であったとしても、何か重大な枷をはめられているか、精神に異常をきたしているか…。いずれにせよ、我輩の知る『神』の品格からは程遠い存在だ」
晴明は、アビサルが指摘する「時の傷」があった場所へと歩み寄り、地面を注意深く観察した。そして、アスファルトの僅かな亀裂の間に、微かにきらめく何かを見つけた。拾い上げてみると、それは砂粒のように細かい、しかし明らかに人工的な金属の破片だった。
(これは…この国の金属ではなさそうだ。どこか、見覚えのある…)
晴明は、その小さな破片を、懐紙にそっと包み込んだ。
第二幕:雷神との再会
手掛かりを求め、二人はかつてアビサルが「神の戯れ」を見せた雷鳴村へと向かった。村は以前と変わらず、穏やかな時間が流れている。二人の来訪に気づいた村人たちは、一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔で会釈をしてきた。彼らにとって、アビサルは「虹を呼んだ異邦神」として、畏敬と親しみの対象となっていた。
「フン、相変わらず退屈なほど平和な村だ。あの雷神も、こんな場所で神様稼業とは、気楽なものだな」
アビサルが皮肉を口にしながら、村の中心にそびえる雷神社の鳥居をくぐった、その瞬間だった。
空気が、一変した。
境内を満たす、清浄で、しかし圧倒的な神気。それは、不浄を許さぬ絶対的な結界であり、土地神の威光そのものだった。
社の奥から、地を揺るがすような声が響き渡る。
「また貴様か、異邦の神よ! 我が聖域に、今度は何の災厄をもたらしに来た!」
声と共に、雷光が迸る。その中心に現れたのは、怒りの形相も勇ましい、雷電大明神その人だった。その手には雷の太刀が握られ、その切っ先は真っ直ぐにアビサルに向けられている。
「おやおや、手荒いご挨拶ですな、雷神殿」
晴明が、アビサルの前に進み出て、穏やかに、しかし毅然として言った。
「ご安心めされよ。我々は、この地に災厄をもたらしに来たのではありませぬ。むしろ、この一帯で起きている不可解な災厄の原因を突き止めるべく、あなた様のお知恵を拝借に参上したのです」
雷神は、晴明の言葉にも警戒を解かず、その鋭い視線はアビサルに注がれたままだ。
「ほう? この悪神が、災厄の調査だと? 盗人が、自ら盗品を探しに来たとでも言うようなものだな。そもそも、この世界で『時』を弄ぶような不届き者は、貴様をおいて他にいるものか」
その言葉に、アビサルが不機嫌そうに口を開いた。
「黙れ、土地神。貴様のような田舎神に、我輩の芸術が理解できるものか。今、この国で起きている無様な『時の暴走』は、我輩の美学とは相容れぬ、醜悪極まりないシロモノだ。我輩は、我輩の領域を、そして『時』そのものを汚す不届き者を断罪しに来たに過ぎん」
アビサルの声には、プライドを傷つけられた者の、純粋な怒りがこもっていた。そのあまりに真剣な様子に、雷神も眉をひそめる。
「…なるほど。貴様の仕業ではないと申すか。確かに、あの不躾で乱暴な力の使い方は、貴様のような、自意識ばかりが肥大した捻くれ者の手口とは思えんな」
雷神は太刀を鞘に収め、ようやく話を聞く姿勢を見せた。
第三幕:神の証言
晴明は、これまでの経緯と、自分たちの立てた「この世界にもう一人、時を司る神がいるのではないか」という仮説を丁寧に説明した。
雷神は腕を組み、しばらく黙って聞いていたが、やがて重々しく口を開いた。
「…時の神、か。我らが知る限り、この国の神々の中に、そのような権能を専門に司る者はいない。だが…」
雷神は、何かを思い出すように、険しい顔で天を仰いだ。
「あの事故が起こったとされる数日前。確かに、奇妙な気配が我が領域を通り過ぎていった。それは、神気と呼ぶにはあまりに弱々しく、しかし、怨念と呼ぶにはあまりに純粋だった」
「…と、申しますと?」
晴明が聞き返す。
「あれは、神ではない。少なくとも、我らが知る神とは全く異なる存在だ。それは、まるで道に迷った子供のような…深い悲しみと、焦燥と、そして何かを必死に探し求める、狂おしいまでの執念の塊のような気配だった」
雷神の言葉に、晴明とアビサルは息を呑んだ。
「その気配は、我が神域の山中を彷徨っていたが、やがて麓の、人間たちが往来する街道の方へと引き寄せられるように消えていった。まるで、人の賑わいや、強い感情の渦巻く場所に、引き寄せられているかのようだったな」
「その存在が、どこから来た者か、見当は?」
「分からぬ。ただ、一つだけ言えるのは、あれはこの地の神ではない、ということだ。我らが守るこの国の、どの神々とも異なる、全く異質な存在。それだけは確かだ」
雷神の証言は、謎を解き明かすどころか、さらに深めるものだった。
時の力を持つ、神ではない、悲しみに満ちた、異質な存在。
エピローグ:新たな仮説と次なる舞台
雷神は、「我輩が言えるのはここまでだ。その『迷い子』は、南…人間の作った、より大きな街の方角へ向かった。これ以上、我が土地で騒ぎを起こすでないぞ」とだけ言い残し、社の奥へと姿を消した。
雷鳴村を後にし、再び車上の人となった二人。車内には重い沈黙が流れていた。
最初にそれを破ったのは、晴明だった。
「悲しみに満ちた、時の力を持つ存在…。神ではないとすれば、一体…。あるいは、力を失い、神としての威光をなくしてしまった、どこぞの堕ち神やもしれませんな」
「堕ち神、か。フン、だとしても、だ。神であったものが、そのような無様な姿を晒すなど、万死に値する」
アビサルは吐き捨てるように言った。その声には、怒りや侮蔑と共に、同族かもしれない存在への、僅かな憐れみのような感情が混じっているように晴明には聞こえた。
「正体が何であれ、許しはせん。我輩以外の何者かが、『時』を名乗ることなど、断じてな。ましてや、それが悲しみに濡れた迷い子などとは、反吐が出る」
アビサルの瞳に、再び冷たい光が戻る。
「面白い。次は、人間の欲望と感情が渦巻く大都市が舞台か。よかろう。その『迷い子』とやらが、一体どんな顔をしているのか、この我輩が直々に確かめてやろうではないか」
車は、夕暮れの高速道路を南へとひた走る。
晴明は、先ほど拾った金属片を指先で弄びながら、思考を巡らせていた。
雷神の証言、暴走する時の力、そしてこの異質な金属片…。
点と点が、まだ一つの線として繋がらない。だが、この先に待ち受けるものが、単なる「未知の神」との邂逅では済まされないであろうことだけは、確信していた。
物語は、次の舞台へと、静かに、しかし確実に駒を進めていた。
(第11話 完)
お読みいただき、ありがとうございます!
1話完結から新たな展開を迎え、
謎の事件の原因を追いかけます。
今後の展開にもぜひご期待ください。
原作が気になった方はウェブサイトを覗いてみていただければと思います。




