第九話 賢者の孫、共和国を導く:官僚主義の壁とガラスの行政
登場人物
アーデン・グレゴリー・晴明:元賢者。バー「クロノス」のマスター。
アビサル:時を司る神。今は皮肉屋の常連客?。
アーデン・ヴァレンタイン・翔:晴明の孫。15歳。共和国の議員見習い。
椿:辺境の小国霧隠の村長である風香の娘。翔の友達。
河野明日香: 行政機関内の若き改革派役人。
柏木参事: 行政機関の古参幹部。従来の手続きと秩序を重んじ、改革に抵抗する
舞台
バー「クロノス」
翔のいる共和国(三日月の宝玉を通じた通信越しに描写)
小道具
三日月の宝玉:晴明がかつて持ち、アビサルとの戦いで力を失ったと思われた宝玉。翔が形見として大切にしている。
東京の夜空から降り注ぐ雨は、バー「クロノス」の屋根を打ち付け、静かなリズムを刻んでいた。窓の向こうには街の灯りが映り、雨に濡れた路面に反射してきらめいている。時計の針が午後十時を指す頃、店内には客の姿はなく、アーデン・グレゴリー・晴明はただひとり、丁寧にグラスを磨いていた。
晴明の穏やかな表情には、わずかな期待と懐かしさが浮かんでいた。ここ数週間、不思議な宝玉を通じて、遠い異世界の孫・翔と言葉を交わすことができるようになったからだ。前回の通信では、新生共和国で様々な困難に立ち向かう翔の姿を見ることができた。かつて共に戦った少年は、今や国づくりに奮闘する若き指導者となっていた。
「またしても、孫の顔が見たいのか?」
落ち着いた声が後ろから聞こえた。振り返ると、黒いスーツに身を包んだアビサルが、暗がりから姿を現していた。彼の金色の瞳はいつものように冷ややかな光を湛えながらも、どこか興味深そうな色を帯びていた。
「アビサル...」晴明は磨いていたグラスを棚に戻しながら、静かに言った。「まさか、また連絡を取らせてくれるというのか?」
アビサルは意味ありげな微笑みを浮かべた。「前回の続きが気になるんでな。扇動者との対決、あれでどうなったんだろうと思ってな。」
晴明はアビサルの真意を測りかねる様子だったが、彼の言葉には確かな期待が湧いていた。アビサルの興味が一時的なものであれ、孫と会話できる機会は貴重だった。
「感謝する」晴明は静かに頷いた。
「感謝などいらん」アビサルは手を振った。「単に人間という生き物の変化が面白くて仕方がないだけだ。特に、権力と組織というものが人をどう変えるか...それを見てみたいと思っているだけよ」
アビサルは杯を取り出し、宝玉に近づけた。彼が指をパチンと鳴らすと、宝玉が淡い光を放ち始めた。店内の空気がわずかに震え、時計の針が一瞬動きを止めたように感じられた。
第一幕:改革の前進と新たな障壁
淡い光の向こうに、一人の若者の姿が浮かび上がる。アーデン・ヴァレンタイン・翔だ。彼は小さな書斎の机に向かい、何かの文書に目を通していた。窓の外には、満月が輝く夜空が広がっている。
宝玉の光に気づいた翔は、顔を上げ、目を輝かせた。
「おじい様! また会えるなんて...!」
『翔、元気そうだな』晴明の声が宝玉を通して響いた。
「はい! おじい様、前回のアドバイスのおかげで、大きく状況が改善したんです」翔は熱心に話し始めた。「ヴィクターと対話の場を設け、彼が訴える改革案の中から実現可能なものを政策に取り入れ始めました。民衆の熱狂も落ち着き、議会での議論も建設的になってきています」
『それは良かった』晴明は微笑んだ。『民衆の声に耳を傾け、それを政策に反映させる。それが真の民主主義の第一歩だな』
「はい。椿も民衆の声を集め、エリカとハンスもそれぞれの地域で理解を広げる活動をしています」翔は誇らしげに語った。しかし、次の瞬間、彼の表情が曇った。「ですが...新たな問題が表面化してきたんです」
『どんな問題だ?』
翔はため息をつき、手元の書類を示した。「共和国の運営を実務的に支えるために、行政機関を設立したのですが、そこで官僚主義が急速に蔓延し始めているんです。手続きが複雑になりすぎて、政策の実行速度が著しく低下しています」
彼は具体的な例を挙げ始めた。「承認に必要な書類が膨大で、一つの政策を実施するまでに何十もの印鑑が必要になります。部署間の責任の押し付け合いも頻繁で、誰も最終決定を下そうとしない。そして最悪なのは、一部の役人が既得権益を形成し始めていることです」
翔の声には明らかな苛立ちが滲んでいた。「私たちが打倒したはずの王国の官僚制度と同じ問題が、今度は共和国の中で再現されつつあるんです」
晴明は深く考え込む様子を見せた。『組織が大きくなれば、どうしてもそういった弊害は生まれるものだ...』
その時、部屋のドアが開き、若い女性が慌ただしく入ってきた。
第二幕:正義の灯と失われる時間
「翔!大変なことになってる!」
入ってきたのは椿だった。翔の幼馴染で、霧隠の村長の娘である彼女は、今や共和国の重要な外交官として活躍していた。彼女の表情には切迫感があった。
「椿?どうしたの?」翔は驚いて顔を上げた。
椿は宝玉の光に気づき、一瞬足を止めた。「あ...晴明様!またお会いできるなんて...!」
『椿、久しぶりだな。元気そうで何よりだ』晴明の声が宝玉から響いた。
椿は短く会釈したが、すぐに本題に戻った。「南部の灌漑設備の計画、完全に停滞してるわ。農業部と水資源部が責任の押し付け合いをしていて、建設開始の承認がいつまでも下りない」
翔の顔色が変わった。「そんな...あの計画は次の農耕期までに完成させないと、南部の村々は深刻な水不足に陥るはずだ」
「そうなの。村の代表たちが今日、陳情に来てたわ。彼らの表情は本当に切迫していた」椿の声には怒りが混じっていた。「なのに行政機関の柏木参事は、『適切な手続きを踏まなければならない』の一点張りで全く動こうとしない」
晴明は二人のやり取りを黙って聞いていた。翔が椿のもたらした報告書に目を通した後、晴明に向き直った。
「おじい様、私はどうすれば良いのでしょうか?一方では組織として秩序と手続きの重要性も理解できます。しかし...」彼は窓の外を見た。「実際の市民の生活に影響が出ているのに、『手続き』を理由に動かないのは本末転倒ではないでしょうか」
第三幕:若き改革者の登場
椿が落ち着かない様子で部屋を歩き回りながら言った。「ところで翔、今日、河野明日香と会ってきたわ」
「明日香さん?」翔の目が輝いた。「彼女が何か言っていた?」
椿は頷いた。「彼女も行政機関の現状に危機感を抱いているわ。『このままでは共和国の理念が形骸化する』って」
晴明は興味深そうに尋ねた。『河野明日香とは、どういった人物なのだ?』
翔は椿に促され、説明を始めた。「河野明日香は行政機関の中で働く若い役人です。王国時代は地方の行政官として働いていましたが、その時から市民のための行政を追求してきた人です」
「彼女は『ガラスの行政』という理念を掲げています」椿が続けた。「行政の全プロセスを透明化し、市民が常に監視できる状態にするという考えです。会議の内容も決定過程も全て公開し、何がどこで止まっているのかを誰でも確認できるようにする」
「明日香さんは少しずつ志を同じくする仲間を集めています」翔は熱を込めて語った。「しかし、柏木参事を始めとする古参の役人たちからは『若造の理想論』と一蹴され、実権を与えられていません」
椿は椅子に座りながら付け加えた。「私は彼女に協力しているの。霧隠の村では昔から村会議を公開してきたから、その経験が役立つと思って」
『なるほど...』晴明は考え込むように言った。『「ガラスの行政」か...面白い発想だな』
第四幕:晴明の叡智
晴明は静かに言葉を紡ぎ始めた。
『組織が大きくなれば、ある程度の規則や手続きは必要不可欠だ。しかし、それが目的化しては本末転倒。まずは、行政の透明性を高め、国民による監視の目を機能させることが重要だろう』
翔と椿は真剣な表情で聞き入った。
『情報公開を徹底し、政策決定プロセスを明らかにすること。そして、役人の業績評価に国民からの信頼度や政策の実行速度といった指標を導入し、彼らにとっても国民のために働くことが利益となるような仕組みを作る必要がある。硬直化した組織には、外部からの新しい風を入れることも有効かもしれん』
「なるほど」翔はメモを取りながら頷いた。「役人の評価に市民からの信頼度を導入するというのは、画期的ですね」
晴明は穏やかに続けた。『河野明日香という若者の力を活かすのも良い戦略だ。彼女のような内部の改革者と、外部からの市民の声を結びつけることで、変化の波を作り出せるかもしれない』
椿は目を輝かせた。「その通りです!内と外から同時に変革を進める...」
『そして何より大切なのは、結局のところ『なぜこの改革が必要なのか』という本質を見失わないことだ』晴明は強調した。『手続きや組織は、人々の幸福のための手段であって、目的ではない。その視点を常に持ち続けることが、真の改革につながるのだ』
第五幕:アビサルの皮肉
アビサルの声が突然、宝玉を通して響いた。
「透明性と監視、結構なことだ。だがな、情報はいくらでも操作できるし、大衆の目など節穴同然よ」
晴明はため息をついた。『アビサル...』
「役人という生き物は、自分たちの立場を守るためにはどんな巧妙な言い逃れも編み出すものだ」アビサルは冷笑しているようだった。「『国民のため』という大義名分を盾に、結局は自分たちの都合の良いように物事を進めるのが関の山ではないかな?お前の世界の役人たちも、さぞかし巧みに国民を煙に巻いていることだろうよ」
翔と椿は言葉を失ったが、アビサルはさらに続けた。
「しかも、本当の権力者は常に姿を隠している。お前たちが今見ているのは、権力の仮面に過ぎん。その裏でどんな取引が行われているか...」
「だからこそ、透明性が必要なんです!」椿が反論した。「もちろん完全ではないかもしれませんが、光を当てること自体が大切なんです」
アビサルは一瞬沈黙した後、意外な言葉を口にした。「まあ、試してみるがいい。本物の改革には痛みが伴うものだ。既得権益を持つ者が簡単に手放すとは思うなよ。覚悟はできているのか?」
翔は真剣な表情で答えた。「はい。どんな抵抗があっても、共和国の理念を守るためなら」
第六幕:改革への決意
翔と椿は、晴明とアビサルの言葉を受け、具体的な行動計画を練り始めた。
「まずは明日香さんの『ガラスの行政』理念を支持し、より広めていこう」翔は決意を込めて言った。「そして、南部の灌漑計画を特別案件として取り上げ、新しい意思決定プロセスを試験的に導入する」
「私は市民側からの改革を担当するわ」椿が頷いた。「行政情報を市民に分かりやすく『翻訳』し、逆に市民の声を効果的に行政に届ける仕組みを作る」
翔は机の上の地図を指さした。「南東地区をモデルケースにしよう。エリカがあそこを担当しているから、協力してくれるはずだ」
「ハンスの印刷技術も活用できるわ」椿が付け加えた。「行政情報を定期的に印刷して配布するシステムを作れば、多くの人が情報にアクセスできるようになる」
「そうだ!そして風香さんに頼んで...」
風香は椿の母であり辺境のの小国「霧隠」の代表である。
二人はますます熱心に計画を練っていく。晴明はその様子を温かく見守りながら、翔の成長を感じていた。前回までの彼は常に助言を求め、自信なさげだったが、今や明確なビジョンを持ち、自ら解決策を導き出そうとしている。
そして何より、彼の周りには心強い仲間たちがいた。それぞれが持つ能力や個性を生かしながら、共に国づくりに取り組む姿は希望に満ちていた。
第七幕:希望の灯火
話し合いが進む中、宝玉の光が徐々に弱まり始めた。通信時間が終わりに近づいているのだ。
『翔、椿、もう時間のようだ』晴明の声には名残惜しさが滲んでいた。『最後にもう一つだけ伝えておきたい』
二人は静かに耳を傾けた。
『形式と実質のバランスを見失うな。規則や手続きは、人々の幸福という本質的な目的のための手段に過ぎない。その目的を常に心に留めておくのだ』
翔は深く頷いた。「はい、おじい様。約束します」
『そして、一人で抱え込まず、仲間との協力を大切にするのだ。お前の周りには素晴らしい同志がいる。彼らを信じ、力を合わせることで、どんな壁も乗り越えられるはずだ』
「ありがとうございます」翔の目には感謝の色が浮かんでいた。「私たちは必ず、この共和国を理想の国に育てます。みんなの力で...」
宝玉の光がさらに弱まる中、アビサルの声が最後に響いた。
「官僚制度という人間の発明と、それを変えようとする試み...どちらが勝つか、見物だな。期待しているぞ、若き改革者たち」
「必ず成功させます」椿が力強く答えた。「次にお会いするときには、良い報告ができるように」
『楽しみにしているよ』晴明の声が遠ざかっていくように感じられた。『翔...椿...お前たちの未来を信じている...』
光は完全に消え、宝玉は元の姿に戻った。
部屋には静寂が戻る。翔と椿は、しばし黙って宝玉を見つめていた。
「これで議会編も一区切りだね」椿が静かに言った。「扇動者の問題も、官僚主義の問題も...全てが繋がっていた」
翔は頷いた。「そうだね。結局は同じ問題の別の側面だった。権力をどう使うか、誰が主役なのかという...」
「さあ、明日から具体的な行動を始めましょう」椿は立ち上がり、窓の外の月を見上げた。「明日香さんに連絡を取って、私たちの計画を伝えなきゃ」
「うん」翔も立ち上がり、椿の隣に立った。「エリカとハンス、そして霧島にも協力を仰ごう。みんなと力を合わせれば、必ず乗り越えられる」
二人の若者の表情には、確固たる決意が浮かんでいた。彼らの前には、まだ多くの困難が待ち受けているだろう。しかし、彼らが持つ理想と、それを共有する仲間たちの存在が、どんな困難も乗り越える力となるに違いなかった。
エピローグ:神と賢者の思惑
バー「クロノス」に、再び静けさが戻る。
アビサルは杯を片付けながら、意味ありげな表情を浮かべていた。「なかなか面白くなってきたな、晴明」
晴明はグラスを磨きながら静かに応じた。「翔も随分と成長した。もう細かな助言は必要ないかもしれん」
「ほう?」アビサルは眉を上げた。「もう孫に会わなくていいのか?」
晴明は微笑んだ。「もちろん会いたい。だが、彼はもう自分の道を自分で切り開いていける。彼には信頼できる仲間がいる。椿、エリカ、ハンス、風香、そして新たに明日香という協力者も」
「人間という生き物は、組織を作り、ルールを定め、そしてそのルールに縛られるという面白い習性を持っているな」アビサルはワインを一口飲みながら言った。「官僚制度...あれこそが愚かな人間の偉大な発明であり、同時に最大の足かせでもある」
「どんな制度も、それを運用するのは人間だ」晴明は静かに応じた。「だからこそ、制度そのものよりも、その中で働く人々の志と倫理が重要になる」
「さて、次はどんな『試練』を与えようか...」アビサルは窓の外を見ながら呟いた。
「またお前の悪戯か?」晴明は苦笑した。
「悪戯ではない。試練だ」アビサルは意外に真面目な表情で答えた。「彼らが本当に『理想の国』を作れるのか、私は純粋に見てみたいのだよ。今までの歴史で、それに成功した例を私は知らない」
晴明は静かに言った。「だからこそ、彼らの挑戦には価値があるのだ」
窓の外の雨は上がり、月の光が雲間から差し込んでいた。その光は弱くとも、確かに闇を照らし、希望を象徴しているようだった。
「翔たち若者の世代が作り上げようとしている共和国。それはきっと、まだ誰も見たことのない理想の国なのだろう」晴明は月を見上げながら言った。「彼らの道のりは、まだ始まったばかりだ」
(第九話 完)
お読みいただき、ありがとうございます!
第七話は最愛の孫である翔の共和国建国記的の続きとなります。
いかがでしたでしょうか?
さて賢者の孫、共和国を導くシリーズは一区切りと言えるのでしょうか。
今後の展開にもぜひご期待ください。
原作が気になった方はウェブサイトを覗いてみていただければと思います。




