第八話 投稿の波に溺れる
登場人物
アーデン・グレゴリー・晴明:バー「クロノス」のマスター。孫を溺愛。
クロノス・アビサル:時を司る神。気まぐれで人間の本性を試すことを楽しむ。
目立 映子:20代後半の女性SNSインフルエンサー。
桜井 優太:映子の元恋人で、彼女のSNS依存を心配している。
岬 リサ:映子のライバルインフルエンサー。派手な投稿で人気を集めている。
編集長の高橋:映子にウェブマガジンの連載を持ちかける人物。
前書き
異世界から現代(?)にやってきた時の神と賢者の二人、果たして何が起きるのか。原作の王道ファンタジーからのスピンオフ小説、バー「クロノス」を舞台に、神の遊びの目的は・・・。
光は瞬き、いいねは降り注ぎ、コメントは波のように押し寄せる。
目に見えぬ繋がりの中で、人々は孤独と渇望を抱く。
「見て」「認めて」「愛して」と声なき声を上げる。
指先一つで世界とつながり、同時に世界から切り離される。
スクロールする画面の向こうに、本当の自分はいるのだろうか。
時は進み、記憶は薄れ、しかし痕跡は永遠にデジタルの海に漂う。
東京の閑静な住宅街、モダンなデザインのマンションの一室。その部屋の主、目立映子は、早朝からスマートフォンを握りしめていた。彼女の完璧に整えられた眉が、画面を見るたびに少しだけ寄る。
「また伸びが悪い…」
昨夜投稿した自分の写真のいいね数を確認し、映子はため息をついた。洗練されたインテリアをバックに、丁寧にメイクした顔で微笑む彼女の姿は、確かに魅力的だったが、予想していたほどの反響はなかった。
「リサのアレよりずっといいのに…」
映子は不満げに呟くと、ライバルのインフルエンサー、岬リサのアカウントを開いた。そこには鮮やかな色彩と大胆な構図で撮られた写真が並び、一つ一つのポストに何千もの「いいね」がついていた。
映子は部屋の中を落ち着きなく歩き回った。白を基調としたミニマルな部屋は、撮影用の照明機材やメイク道具が整然と並び、どこか生活感が抜け落ちている。彼女の生活はSNSのための舞台装置と化していた。
「フォロワー数も伸び悩んでる…このままじゃ、あの化粧品ブランドの案件も危ういかも」
映子はカフェオレを一口飲み、再びスマホを手に取った。しかし、いくら更新しても「いいね」の数は思うように増えない。そのたびに彼女の心は沈んでいく。
「こんなに努力してるのに…なんで?もっと注目されたいのに…」
彼女の言葉が部屋の空気に溶け込むように消えていくと、不思議なことが起きた。部屋の隅の影が少しだけ濃くなり、そこから一人の男性が現れたのだ。黒いスーツに身を包み、鋭い眼差しを持つその男は、どこか人間離れした雰囲気を漂わせていた。
「そんなに切実に願うなら、力を貸してやろうか?」
突然の声に、映子は驚いて振り返った。「あ、あなた誰?どうやって入ってきたの?」
男は微笑んだ。その笑みには人間のものとは違う、何か冷ややかなものがあった。「私はクロノス・アビサル。時を司る者だ。あなたの願いが聞こえてきたよ」
通常なら恐怖を感じるはずだが、映子はなぜかこの男に魅入られた。彼の言葉には不思議な説得力があった。
「時を司る…?冗談でしょ?」
「冗談ではない」アビサルは手をかざした。映子のスマートフォンの画面が一瞬歪み、そして元に戻る。「あなたの望みを叶えてあげよう。これからあなたは、投稿する内容が24時間後にどれだけの反応を得るか、正確に予知できるようになる」
映子は半信半疑だったが、心の奥では、この不思議な力を試してみたいという気持ちが強くなっていた。
「証明してみて」
アビサルは映子のスマホに触れた。画面に今朝の投稿とは別の写真を表示させると、不思議なことに、その投稿がされた後の「いいね」数やコメントが既に表示されていた。まだ投稿していないのに。
「これが24時間後の結果だ。試しに投稿してみるといい」
映子は指示された写真をそのまま投稿した。アビサルは薄く笑うと、影の中に溶けるように消えていった。
「ちょっと、待って!」
映子が声をかけたときには既に遅く、部屋には彼女一人だけが残されていた。あれは夢だったのか、それとも…。
第一幕:承認欲求の渦中
翌朝、映子は飛び起きた。昨日の不思議な出来事を思い出し、すぐにスマホを手に取る。そこには驚くべき光景が広がっていた。
アビサルに言われて投稿した写真のいいね数は、彼が予言した通りの数字になっていた。コメントの内容も、彼女がスマホ画面で見たものとほぼ一致していた。
「嘘でしょ…これが本当なら…」
映子の頭の中で思考が渦巻いた。自分の投稿の結果を前もって知ることができるなら、最も効果的な投稿だけを選ぶことができる。フォロワー獲得のための最強の武器を手に入れたのだ。
試しに彼女は別の写真を頭に描いた。カフェでのナチュラルな一枚。すると、スマートフォンの画面に未来の姿が浮かび上がった。「いいね」400ほど。悪くはないが、特別でもない。
次に、少し大胆な水着姿の写真を想像してみた。「いいね」2000以上。かなりの反響だが、同時に「軽すぎる」「こんなのもう見飽きた」といった批判的なコメントもついていた。
「これは…使えるかも」
映子は慎重に最初の一歩を踏み出すことにした。彼女は予知能力で「いいね」が多く、ネガティブな反応が少ない投稿を選んだ。それは彼女の新しいスキンケアルーティンを紹介する内容だった。
投稿から数時間、予測通りの反応が得られ始めた。映子の顔に笑みが広がる。「本当だ…これが本物の力なの」
その夜、映子は元彼氏の桜井優太からメッセージを受け取った。「最近元気?久しぶりに会わない?」
二人は半年前に別れたが、友人関係は続けていた。優太は映子のSNS依存を心配していた数少ない人物の一人だった。しかし今の映子には、約束をする余裕はなかった。「ごめん、今忙しいの。また今度ね」と短い返信を送り、再びスマホの画面に向き合った。
次の数日間、映子は予知能力を使って慎重に投稿を選び、少しずつフォロワー数を増やしていった。彼女の自信も日に日に大きくなっていった。
第二幕:予知の力と初めての成功
一週間が過ぎ、映子の投稿パターンには明らかな変化が現れていた。彼女はより魅力的に見える角度や、より多くの「いいね」を集める内容を選びぬき、毎回的確に投稿していた。
その日、映子は大きな一歩を踏み出した。彼女は有名ファッションブランドの新作バッグを入手し、「これから発売される限定品をひと足先に」というキャプションで写真を投稿した。これは少しグレーゾーンだった。実際には彼女は広告主ではなく、個人的なコネクションで一足先に手に入れたに過ぎなかったからだ。
予知能力によれば、この投稿は大きな反響を呼ぶはずだった。5000以上の「いいね」と、数百のシェア。そして実際、予測通りの反応が得られた。
次に彼女は、以前は決して公開しなかったような内容に挑戦した。自宅の住所の近くを特定できるような風景写真や、プライベートな瞬間の切り取りだ。未来予知は、これらの投稿が「身近さ」「親近感」という理由で多くの反応を得ることを示していた。
「これ、どこなの?私の家の近くかも」というコメントが付き、映子はそれをあえて曖昧に肯定した。この小さな炎の火種が、彼女の中の何かを燃え上がらせた。「みんな、私のことをもっと知りたがってる…」
ある日、ウェブマガジンの編集長・高橋から連絡が入った。「目立さん、当メディアで連載コラムを持ちませんか?あなたの美容法や生活スタイルに興味のある読者がたくさんいますよ」
映子は飛び上がるほど喜んだ。ついに彼女の努力が実を結び始めたのだ。彼女は予知能力を使い、最も好反応を得られるコラム内容を設計した。初回のコラムは大成功を収め、次回作の依頼もすぐに来た。
自信を得た映子は、より刺激的な投稿へと踏み出していった。彼女は人気のナイトクラブでの写真を投稿した。少し酔った表情で、いつもより開放的な服装をしている。予知によれば、これは彼女のこれまでの投稿で最高の反応を得るはずだった。
「私もたまには遊ぶんだよ♪」というキャプションと共に投稿した写真は、あっという間に拡散し、フォロワー数は一晩で数千人増えた。
このとき、再び優太から連絡が来た。「映えちゃん、大丈夫?最近の投稿、ちょっと心配になるんだけど」
映子は軽くあしらった。「心配しないで。今、すごく充実してるの」
しかし彼女は気づいていなかった。予知能力が示すのは数字や表面的な反応だけであり、人々の真の感情までは映し出せないことを。そして何より、彼女自身の心が少しずつ変わっていくことを。
第三幕:エスカレーションと代償
時が経つにつれ、映子の投稿はますます大胆になっていった。彼女はSNSの森の中で、より強い刺激を求める獣のようになっていた。毎回の投稿前に予知能力で結果を確認し、最大の反響を得られる内容だけを選択する。
「今日は週間トレンド1位ね」映子は自分の名前がトレンドに上がっているのを見て、満足げに呟いた。彼女の投稿は今や数万の「いいね」を集め、雑誌やウェブメディアからのオファーも途切れなかった。
しかし、映子の心には少しずつ不安が忍び寄り始めていた。予知能力が見せる未来は、より過激な内容ほど大きな反響があることを示していた。より親密な写真、より扇情的な言葉、より論争を呼ぶ意見。
ある日、映子は有名人との関係を匂わせるような投稿を考えた。完全な事実ではないが、かつて同じパーティーで話したことがあるという程度の関係性だった。予知能力を使うと、この投稿は彼女のキャリア史上最大の反響を呼ぶことがわかった。「いいね」10万以上、メディアの取り上げ、フォロワー数の爆発的増加。
同時に、予知は炎上の可能性も示していた。批判的なコメント、真偽を問う声、そして当の有名人からの否定コメントの可能性。しかし、その否定すらも彼女に更なる注目をもたらすだろうことも示されていた。
映子は葛藤した。一方では良心が彼女に「やめるべきだ」と警告し、他方では承認欲求が「やるべきだ、これが大チャンスだ」と囁いていた。
結局、彼女は投稿することを選んだ。「実は私…あの◯◯さんと…秘密なの♡」というキャプションと、巧妙に撮影された二人が同じフレームに映る写真。完全に嘘というわけではないが、真実からはかけ離れた印象を与える内容だった。
予想通り、投稿は爆発的に広がった。彼女の名前は全国のトレンドに躍り出て、フォロワー数は一日で5万人以上増加した。しかし同時に、批判の嵐も巻き起こった。
「嘘つき」「炎上商法」「信用できない」というコメントが殺到し、当の有名人は公式に関係を否定。さらに悪いことに、映子の過去の投稿まで掘り返され、矛盾点や誇張された内容が次々と暴かれていった。
映子は予知能力が見せていた通り、確かに大きな反響を得た。しかし、その質は彼女が想像していたものとは違っていた。
翌日、彼女の部屋のドアをノックする音が響いた。ドアを開けると、そこには心配そうな顔の優太が立っていた。
「映えちゃん、大丈夫?ニュースで見たよ…」
映子は無言で彼を部屋に招き入れた。テーブルにはいくつかの契約書が散乱していた。すべてキャンセルの通知だった。ウェブマガジンの連載も打ち切られ、化粧品ブランドとの契約も解除されていた。
「私、なにをしてるんだろう…」映子は項垂れた。
優太は優しく彼女の肩に手を置いた。「最近の君、本当の映えちゃんじゃないと思ってた。昔の君を知ってるから…あんな投稿するような人じゃないって」
映子は初めて、自分が何に取り憑かれていたのかを自覚した。「私、認められたかっただけなの…注目されたかっただけ…」
優太は静かに頷いた。「でも、そんな風に無理して得た注目に、どんな意味があるの?」
彼の言葉は映子の心に深く刺さった。
第四幕:崩壊と孤独
炎上から一週間が過ぎた。映子のSNSアカウントは批判コメントで埋め尽くされ、フォロワー数は日に日に減少していった。彼女は何度も謝罪の投稿を試みたが、予知能力が示す未来はどれも絶望的だった。どんな言葉を選んでも、「信じられない」「また嘘だ」という反応ばかりが返ってきた。
映子は部屋に引きこもるようになった。外出する気力もなく、食事も不規則になった。かつて完璧に整えられていた部屋は、今や散らかり放題だった。
「もう…終わりなのかな」
映子はベッドの上でスマホを見つめていた。アカウントを削除して全てをリセットすることも考えたが、それは彼女のキャリアの全てを捨てることを意味した。長年かけて築き上げてきたものを、一瞬で無に帰すことになる。
そんな彼女を再び訪れたのは、アビサルだった。
「見苦しいな」彼は映子の部屋の隅から現れ、冷ややかな目で彼女を見下ろした。「私が与えた力をこんな風に使うとは思わなかったよ」
映子は無力に肩を落とした。「あなたが与えた力のせいで、私の人生は台無しになったのよ」
アビサルは哂った。「私は未来を見る力を与えただけだ。それをどう使うかは、お前自身が選んだこと」
映子は言葉に詰まった。確かに彼の言う通りだった。彼女は自分の欲望に従って力を使い、その結果を招いたのだ。
「私…どうすればいいの?」彼女は弱々しく尋ねた。
アビサルは窓の外を見やった。「バー『クロノス』という場所を知っているか?そこのマスターなら、お前のような人間の悩みにも耳を貸すだろう」
その言葉を残し、アビサルは来たときと同様に、影の中に溶けるように消えていった。
映子は長い間考え込んだ後、決意したように立ち上がった。化粧も控えめに、普段着でドアを開けると、そこには優太が立っていた。
「ちょうど様子を見に来たところ。どこか行くの?」
「バーに行こうと思って…」映子は小さな声で言った。
「じゃあ、送っていくよ」
優太の車に乗り込み、映子は住所を告げた。バー「クロノス」は都心からは少し離れた、静かな路地にあった。風情のある古い建物の中、光る看板が夜の闇に浮かび上がっていた。
「ここで大丈夫?」優太が不安そうに尋ねる。
「うん…ひとりで行くね。ありがとう」
映子は深呼吸し、バーの扉に手をかけた。
第五幕:真実との対話
バー「クロノス」の内装は、映子の想像とは違っていた。古風ながらも洗練された空間。柔らかな照明の下、重厚な木製のカウンターが広がっている。壁には様々な時代の時計が並び、静かに時を刻んでいた。
店内には数人の客がいたが、皆それぞれに沈思黙考しているようで、静かだった。マスターらしき男性が、グラスを磨きながら彼女に気づき、軽く頷いた。
「いらっしゃい。どうぞ」
映子はカウンター席に腰掛けた。マスターは50代前後に見えたが、その目は不思議と深い知恵を湛えているように感じられた。彼のネームプレートには「晴明」とあった。
「何になさいますか?」
「おすすめを…」映子は自信なさげに答えた。
晴明は微笑み、手際よくカクテルを作り始めた。その動きには無駄がなく、まるで時間と共に生きてきた者のような落ち着きがあった。
「初めてのお客さんですね」晴明はグラスに淡い青色の液体を注ぎながら言った。「このバーには、何か迷いを抱えた人がよく訪れるんですよ」
彼がカウンターに置いたカクテルは「時の砂時計」という名前だった。飲むと不思議と心が落ち着き、映子はいつの間にか自分の物語を語り始めていた。SNSでの成功と挫折、アビサルとの出会い、そして予知能力のこと。
晴明は静かに耳を傾け、時折頷きながら彼女の言葉を受け止めていった。彼の表情からは驚きや疑念は一切感じられず、まるで日常茶飯事のように話を聞いていた。
「なぜ、そこまでして注目を集めたかったのですか?」晴明は静かに問いかけた。
この単純な質問に、映子は言葉に詰まった。「私…」
「本当に伝えたかったことは何だったのでしょう?」晴明は重ねて尋ねた。
映子は自分の心の奥底を探るように黙考した。「私は…認められたかったの。私の存在を、私の価値を…誰かに認めてほしかった」
晴明は微笑んだ。「でも、他人からの承認を得るために自分を偽れば、本当の承認は得られませんよ。誰も本当のあなたを認めることができない」
彼の言葉が映子の心に染み入る。「じゃあ、私はどうすれば…」
「自分自身を認めることから始めてみては?」晴明はグラスを拭きながら言った。「他人からの評価で自分の価値を決めるのではなく、自分が本当に伝えたいことを伝える。本当のあなたを愛してくれる人は、少なくても必ずいます」
映子の目に涙が滲んだ。「でも今さら…私のアカウントは…」
「始めるのに遅すぎることはありません」晴明の声は優しく、確かだった。
そのとき、バーの入り口のドアが開き、アビサルが歩み入ってきた。彼は映子に視線を向けると、意味ありげな微笑みを浮かべた。
「お前の決断を見に来たよ」アビサルは映子の隣に座った。
映子は怯むことなく、彼を見据えた。「私、もう予知能力には頼らないわ。たとえ反響が小さくても、本当の自分を表現したい」
アビサルは興味深そうに映子を観察した。「本当にそれでいいのか?再び人気者になれる保証はないぞ」
「いいの」映子は確信を持って答えた。「たとえ百人しかフォロワーがいなくても、その百人に本当の私を見てもらえるなら、それでいい」
アビサルは静かに手を掲げ、指先から淡い光が放たれた。「では、最後の試練だ。この瞬間、お前の予知能力は永久に消える。そしてもう一つ、過去に戻る機会をあげよう。すべてをやり直す選択肢だ。どうする?」
映子は迷うことなく答えた。「過去には戻らない。私の過ちも、その結果も、全て受け入れる。それが本当の私だから」
アビサルの口元に微かな笑みが浮かんだ。「面白い答えだ。人間は時に予想を裏切る」
晴明はカウンターの向こうから静かに微笑んでいた。
エピローグ:新たな始まり
翌朝、映子は深い眠りから覚めた。昨夜のことは夢だったのか、それとも現実だったのか、判然としない。しかし、彼女の心は不思議と晴れやかだった。
彼女はスマートフォンを手に取り、アカウントを開いた。そこには依然として批判的なコメントが並んでいたが、もう彼女の心を乱すことはなかった。
映子は考え込むことなく、シンプルな投稿をした。
「みなさん、おはようございます。これまでの私の投稿や行動で傷ついた方、不快な思いをされた方、本当に申し訳ありませんでした。今日から私は新しい一歩を踏み出します。飾らない、本当の私を発信していきたいと思います。見てくださる方がいるなら、とても嬉しいです。いなくなってしまう方も、これまでありがとうございました」
投稿を送信してから、彼女は予測しようとする衝動に駆られたが、もうその力は彼女の中にはなかった。そして不思議と、それが彼女を自由にしてくれた。
何が起きようと、それが彼女の投稿に対する真実の反応なのだ。
数時間後、投稿への反応が届き始めた。予想通り、多くのフォロワーは離れていった。「いいね」の数も以前の十分の一ほどだった。しかし、いくつかの温かいコメントもあった。
「応援してます」
「本当の映えさんが見たいです」
「みんな間違えることはあります。これからも頑張ってください」
そして、その中に、優太からのメッセージもあった。「新しい一歩、一緒に歩もう」
映子の目に涙が溢れた。たった数十の「いいね」と、数件の温かいコメント。でも、それらは全て本物だった。彼女の心に直接届く、真実の言葉だった。
そして、バー「クロノス」でのことを思い出した。あれは夢ではなかったのだ。
その夜、バーでは晴明とアビサルが静かに会話していた。
「あの女、思ったより強かったな」アビサルはグラスを傾けながら言った。
晴明は微笑んだ。「人間の本質は、最も苦しい時に垣間見えるものです。彼女はようやく本当の自分と向き合うことができた」
「人間の承認欲求とは面白いものだ」アビサルは窓の外を見つめた。「他者に見られることでしか自分の存在を確認できない…それほど不安な生き物なのか」
「だからこそ、本当の絆が大切なのです」晴明は答えた。「一瞬の注目よりも、永続的な理解と受容を」
アビサルは何か深いことを考えるように、しばらく黙っていた。「次は誰を試そうかな…」
「また騒動を起こすつもりですか」晴明は呆れたように言った。
「人間を観察するのは面白いものだ」アビサルは薄く笑った。「彼らの本質を見るのが私の楽しみなのだから」
晴明はため息をつきながらも、小さく微笑んだ。アビサルの姿はいつの間にか影の中に溶けていた。
一方、映子の部屋では、彼女が新しい投稿の準備をしていた。今度は加工も演出もなく、ただ彼女が本当に伝えたい言葉と、本当の姿。フォロワーは減り続けているが、彼女の心は以前よりも満たされていた。
デジタルの世界は流れ続け、時は進み、心は変わる。
承認の光を追い求めて迷い込んだ森で、
彼女は自分自身という最も貴重な宝物を見つけたのだ。
(第八話 完)
お読みいただき、ありがとうございます!
第8話、いかがでしたでしょうか?
ローテーションのようになったので久々の通常回でしたがいかがでしたでしょうか。
今後の展開にもぜひご期待ください。
原作が気になった方はウェブサイトを覗いてみていただければと思います。




