第41話:魔の討伐報告
焔木本家
静寂を纏うように座す男の姿があった。
焔木宗真。焔木家を束ねる現当主にして、判断を誤れば一族が崩壊する重圧を抱える男。報告を終えた海人たちの前で、宗真は一言も発さず、深く目を閉じていた。
「……健太の命、確かに散りました」
瑞穂が静かに言葉を添える。
膝をついたまま、手はきつく握りしめられている。
「助けるすべは、ありませんでした。すでに彼の自我は瘴氣と契約によって、飲み込まれていた」
宗真のまぶたがゆっくりと開き、深い瞳が海人を見据える。
「……そうか。お前が、止めたのか」
海人は黙って頷いた。
「よくやった。そして、重い役を引き受けさせたな」
その声に、感情はない。ただ事実を噛み締めるような低音。
「……健太の暴走を許したのも、私の責任だ」
宗真は、己の言葉に打ち勝つように、胸の内の業を飲み込む。
「海人」
「はい」
「お前が健太を斬ったことに、私は何の非難もしない……彼をここまで追いやったのは、我ら大人たちだ」
「分かっています」
「よい。それでいい」
宗真は立ち上がると、背後に控えていた筆頭書記を手招きする。
「焔木健太。汚名のもとに死すも、その最期の姿に敬意を示す。家の墓に名を刻め。だが――」
宗真はわずかに目を伏せた。
「その名の下に、再び同じ悲劇を起こさぬと誓うべきだ」
筆頭書記が深く頭を下げ、退室する。
やがて宗真は、海人たちに向き直った。
「瑞穂、刹那、桐生、ゼロ……そして海人。よく戻ってくれた。お前たちの行動で、多くが救われた」
「いえ、まだ……何も終わっていません」
瑞穂が、静かに言い返す。
「内部に裏切り者がいる。契約式を扱えるほどの者が、焔木家の中に」
「……ああ。その可能性は、すでに調査を始めている」
宗真は腕を組み、長い吐息を漏らした。
「この家の中に、焔木を壊す意志を持つ者がいるのだとすれば――我らの選別は、すでに試されているということだ」
しばしの沈黙。
そして宗真は、重々しく言葉を紡いだ。
「焔木海人。お前に、正式な任を与える」
海人が顔を上げる。
「内なる敵をあぶり出し、断て。……その剣で、焔木を守れ」
宗真の眼差しは、冷徹でありながらも、確かな信頼が宿っていた。
だが、海人はその視線を正面から受け止めつつ、わずかに口元を歪めて言い返す。
「俺は、焔木家の剣でも駒でもない。これからも勝手に動く。それでもいいだろうな当主殿」
宗真の口元がわずかに緩む。
「……それでいい。むしろ、その方が、お前らしい」
海人はそれ以上は答えず、ただ一度、深く頭を下げた。
焔木を腐らせる者を斬るために。己の意志で。
――焔木家・北の離宮。本来、使われるはずのない古き分家の屋敷。
その奥まった一室に、火影影臣は静かに座していた。焔木家の一門にして、公式には既に隠居したとされる男。だがその実、誰よりも深く家の内部を知る存在であり、静かに蝕む蛇。
燭台の揺れる灯の下、集った数名の影がざわめきを上げていた。
「まさか……健太が敗れるとは……!」
「奴に宿ったあの魔は、かつて焔木が総力をあげて封印した存在ではなかったのか……!」
「バケモノだったはずだ……まさか、それを討ったというのか……あの落ちこぼれが……!」
声を荒げる者もいれば、恐怖に顔を強張らせる者もいた。
影臣はその中心で、静かに口を開いた。
「焔木海人か……奴が想像以上の化け物だったということだ」
「ですが……計画は……!」
「崩れはせぬ」
影臣は、冷たい声で断じた。
「健太は元より捨て石だ。瘴氣の再適応と契約式の挙動、それに対する焔木家の反応すべて、十分すぎるほどのデータを得られた」
「しかし……海人は危険です。奴がさらに動けば……」
影臣はわずかに目を細めた。
「危険だからこそ、価値がある」
燭台の火がふっと揺れる。影臣の背後に掛けられた屏風が、一瞬だけ黒く脈打つように見えた。
「あの魔は、健太一人では制御しきれなかった。だが次は違う……適合率の高い器は他にもいる」
「器……?」
「焔木家にはまだ眠っている。氣の素質も、家への不信も――健太以上の裂け目を抱えた者がな」
影臣の声に、誰かが息を呑んだ。
「いずれ、家は自壊を始める。私はその導火線を整えたにすぎん」
「……海人の存在は?」
影臣は一拍置いて答えた。
「放っておけ。本家とて、あの男を制御できはしまい。それに、海人自身にも本家に仕える意思はなさそうだ」
「それは……彼が、かつて本家に幽閉されていたからでしょうか?」
「皮肉な話だがな。だがそれもまた家の業よ」
影臣は静かに立ち上がる。
「準備を進めろ。第二の契約式に入る。封じられし魔はまだ、ほんの一部しか顕現していない」
その背に、黒き氣の気配が滲み出す。
「焔木家に真の審判を与える時だ。業火の主は、まだ目覚めていないのだから」
燃えるような闇が、屏風の奥で蠢いた。
物語は、さらに深き業と破滅へと進み始めていた。




