焔を試す島
海人たちは、夢幻島へ向けて海を渡っていた。
船は、焔木一族が所有する最新型の輸送船。近代的な設備を備えた大型船で、本土から島の近海までを移動し、そこから先は、結界の影響を避けるために手漕ぎの小舟での渡航が必要になる。
「いよいよだな……夢幻島」
小舟へ乗り換える直前、海人は荷物を受け取りながらそう呟いた。
それは覚悟の中に皮肉が混じった、死をも覚悟した者の口調だった。
「これが最後の会話になるかもな。見送られるのも悪くない」
瑞穂は、わずかに表情を曇らせながらもきっぱりと返した。
「死ぬとは限りません。こちらも可能な限りの準備はしました。たとえ力の枷が外れなくても、生き延びられる道はあります」
「準備ねぇ……呪符も入ってるのか?」
「ええ。あなたでも使えるように調整した術符をできるだけ揃えました。特に爆炎符は、瞬間的な防衛・攻撃に最適です」
海人はリュックの中身を確認した。
非常用の食料、最低限の生活道具、そして――一本の刀。だが肝心の呪符は見当たらない。
「……入ってないぞ。呪符」
「えっ? そんなはずは……」
瑞穂は驚いて荷物を確認し、すぐに顔を険しくした。
彼女の予想通り、呪符は跡形もなく消えていた。
「刹那、確かに一緒に入れましたよね?」
「入れたよ! 私が確認したあと、瑞穂もちゃんと……」
瑞穂の表情が凍った。
「……やられました。健太、あの男、ここまで……」
「最低っ! あのクズ、絶対に許さない……!」
一族の中枢に属する人間が、命のやり取りの場に出る者の装備を意図的に奪う――
それはもはや裏切りであり、暗殺にも等しい。
瑞穂は深く頭を下げた。
「……完全に私の責任です。油断していました。……申し訳ありません」
刹那も唇を噛みしめ、俯いた。
「……本当に、ごめん」
海人は、そんな二人をちらりと見て、肩をすくめた。
「……まぁ、刀があるだけマシだ。言い訳は聞きたくない。もう行くよ」
「でも……!」
「もう時間の無駄だ。いつまでここにいるつもりだ」
瑞穂は黙って、自身の護身用に持っていた呪符を懐から取り出した。
「――私の手元に残っている爆炎符です。五枚だけですが、もしもの時には……」
「……借りとくよ」
海人は呪符を受け取ると、無言で小舟に乗り込んだ。
「海人! ……三ヶ月後、必ず迎えに来ます。絶対に――生き延びてください!」
「死ぬんじゃないよバカ!」
刹那の怒鳴り声を背に受けながら、海人はただ前を見ていた。
夢幻島は、もうすぐそこに迫っていた。
■
――ヒュウ……
風が、突然重くなる。
「……これが、結界か」
空気が変わる。肌にまとわりつくような違和感。
空も海も同じように見えるのに、まるで異世界に踏み込んだかのような不協和音が漂っていた。
舟を岸へ寄せ、海人は島に足を踏み入れた。
「……思ってたより……デカいな」
見渡す限り、緑に覆われた鬱蒼たる密林。
中央には、巨大な山が鎮座している。噂には聞いていたが、目の前にするとまるで“異形の心臓”のような不気味さがあった。
その印象を打ち消す間もなく――
ガルルルッ!
「ッ……!」
茂みから飛び出してきたのは、黒い毛並みをした狼型の魔獣。
一匹、また一匹――すぐに十数匹に膨れ上がった。
「くそっ……っ!」
海人はすぐに抜刀し、数匹を斬り捨てた。だが――
「まだ来やがるのか……!」
最初の一太刀で既に刃こぼれ。
仲間を呼ばれ、追い込まれ、森を必死に駆け抜け――気づけば、断崖の縁に立たされていた。
「……マジかよ、もう行き止まりかよ」
振り返れば、二十匹近い魔獣たちが囲むように睨んでいた。
背には崖。前には死。
そして、ふとポケットに手をやったとき、爆炎符があることを思い出した。
(……六年ぶり、か)
かつて、護身のために爆炎符を暴発させ、多くを傷つけた。
それが、幽閉されるきっかけだった。
(あれは、ただの恐怖だった。でも今は――)
「……どうせ死ぬなら、燃え尽きてやるよ」
海人は一枚の符を抜き取ると、魔獣たちに向かってそれを放り投げた。
「――爆ッ!!」
言霊とともに、呪符が激しく閃いた。
次の瞬間――
ドガァァァァァン!!!
大地が震え、空が焼け、轟音が島中に響き渡る。
炎の渦が魔獣たちを丸ごと飲み込み、断崖の地形すら変えるような爆発が島を揺らした。
「うおぉぉおおおお!!」
爆風に巻き込まれた海人は、背中から弾き飛ばされ、崖下の湖に叩きつけられる。
ドボォンッ――!
水の中で、意識が遠のく。
(……なんで、こんなに威力が……)
(爆炎符って……こんなもんだったか?)
「ぐっ……くそ……」
なんとか水面に浮かび、漂っていた流木にしがみつく。
体中が痛み、視界が滲み、意識が朧げになっていく中で――
彼は、ただひとつ思った。
(まだ……死ねねぇ……)
■
そんな海人を、遠く離れた丘の上からひとりの老人がじっと見ていた。
「ふむ……ド派手な爆発じゃの。何事かと思えば、来客か。あるいは儂と同じ“追放者”か?」
老人はその場を離れると、水面を駆けるようにして湖へと近づいていった。
そして、浮かぶ海人を見つけると、静かに彼を担ぎ上げ、森の奥へと歩き出す。