第39話:人で無くなった者
焔木家の中庭で、海人は低く呟いた。
「……なんで、健太はあんな化け物になったんだろうな」
隣を走る刹那が、一瞬だけ足を緩める。
「あれはもう、人じゃなかった。呪いの氣をまとってた。何か……得体の知れない契約をしてる」
「その“何か”こそが問題です」
そう口を挟んだのは、並ぶように現れたゼロだった。
表情は無機質だが、瞳の奥には戦闘モードへと切り替わった鋭い光が灯っている。
「マスター。あの氣は自然発生のものではありません。外部からの干渉、あるいは内部に何かを取り込んだ痕跡があります」
「つまり、誰かが健太を……利用したってこと?」
瑞穂の声が、苦さを帯びる。
そのとき、遅れて現れたもう一人の男が、静かに歩み出た。
「間違いなく、内部の人間の仕業だな」
焔木桐生が懐から一枚の古びた札を取り出すと、それは闇の中で淡く光を放った。
「この契約式は、五十年前に禁忌として封印されたはずのものだ。だが……誰かが掘り起こしたんだろ」
海人が目を細める。
「禁忌……? 誰がそんなことを?」
「それを探るのも、お前の役目だろう、海人。あれはただの暴走じゃない。意図された暴走だ」
桐生の声には怒りではなく、冷静な確信がこもっていた。
「俺も行く。この目で確かめねばならん。焔木家が、また同じ過ちを繰り返すのかどうかをな」
海人はしばし考え、そして短くうなずく。
「ゼロ、桐生――協力してくれ。
健太の真実も、この腐った家の闇も、全部暴いて終わらせる」
「了解だ、主。破壊対象、確認次第――即時対応」
「道中は俺が指揮を執る。余計な感情は捨てろ。……だが、救うべき者は見誤るな」
五人の影が、夜の闇に溶けていく。
焔木家の血の記憶に、いま再び刃が突き立てられようとしていた。
――東の外郭。
そこは今や、瓦礫と黒煙に包まれた死地と化していた。
焦げた木材の匂い、焼けた石畳、そして何より、漂う異常な氣。
「……いた」
海人の目が、黒煙の向こうにぼんやりと佇む影を捉えた。
そこにいたのは、かつての焔木健太。
だが、その姿はあまりに変わり果てていた。
膨れ上がった筋肉。
爛れたように黒ずんだ肌。
背には瘴氣の翼のような瘤が芽生え、歯は牙と化し、眼光はまるで獣だった。
「……あれが、健太……?」
刹那の声が震える。
その目に、かつての仲間の面影は――もう、どこにもなかった。
健太は、ぬるりと顔を上げる。
視線が、ゆっくりと海人に向けられる。
「カイ……ト……」
濁った声。喉の奥から絞り出すような呻きだった。
「来た……やっと……来た……」
次の瞬間――健太の全身から、黒い氣が爆ぜる!
「来るぞ!!」
ゼロが即座に前へ出る。
心氣顕現が展開され、暴風のような氣圧を受け止める。
「……っ、剛力と瘴氣の複合。もはや人間ではありませんね」
瑞穂が術符を展開し、結界を張る。
「今なら封じられる!」
「待て!」
海人が前へ出た。
「健太……聞こえるか? お前は、まだ自分を保ってるんじゃないのか!」
健太は一瞬だけ、ピクリと動きを止める。
だが――
「オレハ……カミニ……ナッタンダ……!!」
次の瞬間、健太の右腕が異形化し、黒い刃と化して海人を薙ぐ!
「海人!!」
刹那が叫ぶ――だがそのとき、
心氣顕現《奪焔神刀》が轟音と共に炸裂する。
凄まじい一撃を氣の盾が正面から受け止め、
さらに、受けた力を反転し逆流させた衝撃が健太の体を弾き飛ばす。
健太は瓦礫に叩きつけられながらも、呻きながら立ち上がる。
「もっと……力を……オレに……!!」
その言葉と共に、全身の瘴氣が膨れ上がる。
吹き出した氣は渦を巻き、周囲の空間を侵食していく。
地面が黒く染まり、氣の流れが乱れる。
「この氣の密度……暴走が進行してる……!」
瑞穂が結界の強化を図るが、その術式さえも瘴氣に侵され、ひび割れを見せ始める。
「止まらない……抑えが利かないんだ!」
「くっ、奴は……瘴氣そのものになりかけている」
ゼロの表情は無機質なままだったが、その声音には初めて警戒の色が滲んでいた。
そして――
「オレハ……カミダ……!」
健太の叫びと同時に、背中から角のように隆起した氣の結晶が弾け飛ぶ。
それは空中で砕け、鋭利な破片となって四方に降り注ぐ!
「来るッ!」
海人が《奪焔神刀》を地に突き立て、氣の防壁を展開する。
仲間たちを覆うように盾が広がり、破片の雨を弾いた。
だが、その隙を縫うように――健太が突進してくる。
その姿は、もはや“かつての人間”ではなかった。
牙のように伸びた歯。裂けた口。
四肢は異様に肥大化し、脈打つ瘴氣の血管が皮膚の上に浮かび上がっている。
「チカラ……モット……!」
健太の呻きが、地を震わせていた。




