第34話:静かすぎる日々
障子の隙間から、西日が静かに差し込んでいた。
床の間には使われていない本、奥の縁側には風鈴が揺れている。
……どこか懐かしく、落ち着く和の空間。
だが、そこにいる三人の顔色は――冴えない。
「なあ……」
桐生が畳に寝そべり、団扇で顔をあおぎながら口を開いた。
「この一週間、誰とも戦ってねぇんだが?」
「そのための平和です。むしろ歓迎すべきでしょう」
卓袱台に肘をついていたゼロが、渋く茶を啜りながら返す。
とはいえ、その表情にもどこか眠気と退屈が滲んでいた。
「掃除、洗濯、修繕、……極めて健康的な生活です。しかし……ストレスです」
「言ったな」
桐生が起き上がり、障子に背を預ける。
「俺もそろそろ、誰かの頭でも叩き割らねぇと体が腐りそうだ。
このまま静かな生活が続くくらいなら――暴れた方がマシだぜ」
その言葉に――縁側で膝を立てていた海人が、ぽつりと口を開いた。
「……暴れてぇな」
風鈴が、涼しげな音を鳴らす。
「勉強は全部、順調にこなせてる。でも、それだけだ。
気づけば、自分の中の火が冷めていくのを感じる」
ゼロがふっと立ち上がる。
「主。提案です。近隣に異常氣脈があります。
誰も近寄らない、戦っても問題にならない……まさに最適環境です」
「そこなら、壊しても咎められねぇってわけか」
桐生が笑った。
帯を締め直し、愛用の刀を腰に差す。
「よし、決まりだ。戦の時間だぜ」
海人は、ふっと口元を緩めた。
「行くか。勉強ばかりでは体が鈍る」
障子を開け、外へ踏み出す。
古びた和屋敷に残るのは、風鈴の音と、戦闘狂たちの不在――ただそれだけだった。
瑞穂は、薄明かりの中、ひとり書類をまとめていた。
封印区の改修計画、学園との連携文書、そして海人に関わる進学支援――
次々と仕事をこなしていたそのとき。
――ギィィィン……。
机の脇に置かれた氣脈測定器が、甲高い音を立てて振動した。
瑞穂は即座に顔を上げ、目を細める。
「……これは」
脈動する氣の波。
通常の氣ではない。焔木家でも登録外の放出量――暴発に近い、異質な動き。
「この乱れ方……まさか、あの三人……!」
瑞穂は迷うことなく扉を開き、控えていた侍女に命じる。
「すぐに外出の用意を。現場に急行するわ」
「えっ、急行……? 瑞穂様お一人で?」
「いいえ。刹那も呼んで。緊急事態よ」
瑞穂は目を細め、外へ視線を向けた。
濃い瘴気が立ち込める山の奥。
地面は裂け、空間の氣は乱れていた。
その中心で、三つの影が動いていた。
「――ふっ!」
桐生の刀が唸りを上げ、獣のような瘴気の残骸を吹き飛ばす。
ゼロは結界の骨組みを分析・記録しながら順に踏破していく。
そして中心には、焔木海人。
奪焔神刀を片手に持ち、蒼黒い焔を周囲に立ち上らせていた。
「……これで終わりか。少し物足りなかったな」
海人が氣を吸い込み、空気が収束する――
そのときだった。
「――海人ッ!!」
甲高く、鋭い声が空を裂くように飛んできた。
現れたのは戦装束に身を包んだ刹那。
その後ろからは、術衣を羽織った瑞穂が現れる。
「瘴気の密度が限界を超えてる……! 周囲、もう少しで臨界です!」
「こいつら、本当に何してやがんの……!」
刹那は跳躍し、海人の眼前に降り立つと、遠慮なく叫んだ。
「アンタ、バカ!? 何やってんの!? 封印地帯で暴れまわって、
瘴気まで焚きつけて、氣脈ごと壊して! 本気で自分が何してるかわかってんの!?」
海人は目を細め、やや面倒そうに呟く。
「……暴れたかった。それだけだよ」
「それだけで、ここまでやる普通!?」
「普通じゃねえからだろ」
「ぐぅっ……!」
怒りのあまり刹那が歯噛みしたその横で、瑞穂が静かに前へ出る。
彼女の目には、冷たい怒りが宿っていた。
「……海人。あなたに依頼を任せると決めたのは、私です。
でも、こんな暴れ方を許した覚えはないわ」
海人は少しだけ視線を逸らし、沈黙した。
瑞穂は声を抑えながらも、確実に怒っていた。
「あなたの力は確かに必要。でも、それは扱い方を誤れば、
誰の信頼も得られないただの災厄になる」
刹那も瑞穂の横で叫ぶ。
「アンタさ、依頼でもないのに好き勝手暴れて、タダで済むと思ってるの!」
海人の微かに震えた。
ゼロと桐生は静かに後方へ退いている。
……裏切者共が。
瑞穂は、そんな三人の空気を一切無視して、静かに言葉を重ねた。
「今後、勝手な暴走は厳禁です。
たとえ力があっても、焔木の名がなくとも――秩序は守っていただきます」
彼女は一歩進み、凛とした声音で言い放つ。
「……そして逃げようとしているそこの二人も、例外ではありません」
ビクリ、と桐生とゼロの肩が同時に跳ねた。
「帰ったら報告書を書いてもらいます。反省文とともに」
「げっ、マジで?」
「私はペンを握る設計ではないのですが……」
瑞穂は氷点下の眼差しで二人を黙らせた。
「もちろん、主犯である海人には特別指導枠を用意してあります。
一週間分の奉仕活動と、進学候補校への謝罪訪問です」
「進学すらしてねぇのに先に謝るのか……」
「下準備は大切です。逃げ道は、潰しておく主義なので」
瑞穂の笑顔は優しいが、誰も一歩も動けなかった。




