第32話:高校行く意味ある?
瑞穂と刹那が山を下りたあと、部屋には静かな夜が戻っていた。
海人は岩に腰をかけ、ぼんやりと空を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「……なあ、ゼロ、桐生」
「なんでしょう」
「なんだ」
二人の声が、ほぼ同時に返る。
海人は一拍置いてから、少し真面目な声で尋ねた。
「……俺がさ、本当に高校なんて通ったら、どう思う?」
ゼロは即答した。
「合理性の観点から言えば、悪くない選択です。 社会の信用構築、生活インフラの復帰、さらに情報収集が容易になります」
「いや、そんなスパイ活動前提みたいな理由じゃなくて……普通にな」
「了解。青春の再取得という非効率な目的であっても、否定はしません。
むしろ、マスターが力以外に目を向けようとしている点は歓迎すべき兆候です」
「……なんか褒められてる気がしない」
一方、桐生はというと、地面に寝転んだまま、竹の棒で空をなぞっていた。
「俺は反対しねぇよ。むしろ行ってこい」
「意外だな。てっきり、くだらねえって言うかと思った」
「くだらねぇよ、学校なんて」
即答だった。
海人が思わず眉をひそめる。
「じゃあなんで――」
「でも、くだらねぇことを楽しめるうちにやっとくのは悪くねぇって話だ」
竹の棒が、星をなぞる。
「剣だって、戦だって、結局のところ本気でやってる暇潰しみたいなもんだ。
だったらたまには青春して、女子に惚れられてこい」
海人は思わず小さく笑った。
「……誰かに惚れられるような性格か、俺」
「さあな。でも、女子に嫌われるには充分な偏屈さだ」
「うるせぇよ」
そんなやり取りのあと――
ゼロがふと、真面目な声で言葉を継いだ。
「……かつて閉じられた空間で生きていた時間を思えば、
人の中に身を置くという選択は決して無意味ではありません」
桐生も続ける。
「お前が選ぶなら、俺たちは止めねぇよ」
彼はにやりと笑った。
海人はふっと吹き出した。
「……わかったよ。それも悪くないかもな……」
焔木の里の入り口、朝靄が晴れかけた頃――
瑞穂と刹那が支度をしているところに、海人が現れた。
「……あれ? 海人?」
刹那がぱっと振り向く。
「まさか……高校、行く気になったの?」
海人は無言で二人の前に立ち、少し逡巡してからぽつりと呟いた。
「行くのは……アリだと思ってる。でも問題は、どうやって行けるようになるかなんだよな」
瑞穂が目を瞬かせる。
「……それはどういう意味ですか?」
海人は腕を組み、やや困ったように視線を逸らす。
「俺、まともに教育なんて受けてねぇんだ。幽閉されてた時も、本読んだりはしてたけど……正直、常識とか学力とか、今の中学生以下かもしれん」
「……あ、なるほど……」
刹那が気まずそうに頷いた。
「つまり、今のままじゃ“受験資格”もないってこと?」
「たぶんな。なんなら漢字の読み書きも怪しい」
海人が苦笑気味に言うと、瑞穂はきゅっと真剣な顔になる。
「ではまず、基礎学力の習得からですね。さっそく今日から勉強開始です」
瑞穂の静かな断言に、海人は何も言えなくなった。
一方で刹那が元気に手を挙げる。
「だったら私が先生やる! 試験の勉強くらいなら教えられるよ!」
「……刹那、お前、成績いいのか?」
「……普通」
「それ、教える側のセリフじゃねぇだろ」
笑いながらも、どこかあたたかな空気が流れる。
瑞穂が補足するように言った。
「正式な資格を得るためには、高認試験を受けるのが一番早いかもしれません。
全科目合格すれば、高校受験もできます」
「高認、ね……」
海人は小さく呟きながら、空を仰ぐ。
「ま、まずは文字と算数からか……道は長ぇな」
「でも、昨日より前に進んでるよ」
刹那の明るい声に、海人はふっと笑った。
「……ああ、そうだな。まずは普通のバカ目指して頑張るか」




