父の内面
廊下を歩く足音は、己の鼓動と同じでよく響いていた。
焔木本家の石床は、冷たく、重く、よく通る音を返す。
まるでその足取りが、心の迷いを暴いてくるようだった。
(あれが……海人か)
思い出の中の海人は、まだあどけない顔で木刀を握り、何度倒れても起き上がるような少年だった。
言葉数は少なかったが、決して諦めず、不器用ながらも誠実で
(そして、俺を……信じていた)
それを裏切ったのは、誰でもない――この、自分だ。
六年前。
一族内での政争、派閥、力の継承争いが熾烈を極めていた時代。
「家の秩序を乱す因子」として、上層部の会議で名が挙がったのが――まだ幼い海人だった。
その時、厳山は当主の補佐という立場にいた。
自らが異議を唱えれば、会議の決定は覆る余地があった。
それでも――彼は、言葉を飲み込んだ。
(言い訳は、いくらでもできる。“守ろうとしたが無理だった”。“私情は挟めなかった”。“それが当主の決定だった”)
だが真実は――恐れていたのだ。
息子を庇って自分の立場を失えば、一族に何が起こるかわからない。
一族を守るために黙った。
けれど、結果はどうだ?
海人は幽閉され、声も届かぬ場所に隔離され、ついに処刑島ともいえる夢幻島に送られた。
(守れなかった。結局、俺はただ自分の地位を奪われるのを恐れただけだ)
それを「仕方なかった」などと綺麗にまとめる気にはなれない。
あのときのあの沈黙は、父として最もしてはいけない“放棄”だったのだ。
そして、今――彼は戻ってきた。
この焔木の地に、あの冷たい目をして。
(俺を見ても、何も言わなかった。怒りも、蔑みも、悲しみも……感情が見えなかった)
それが、何よりも苦しかった。
息子に拒絶される覚悟は、幽閉を選んだあの瞬間にもう、していたつもりだった。
だが、実際に目の前で、父子としての繋がりを断たれた時――
(こんなにも、心が痛むものなのか)
父としての言葉は、今さら何の意味も持たない。
彼にとって自分は、もはや“血がつながっているだけの他人”なのだ。
(……それでも、願ってしまう)
あいつの力が、これから多くの者の目に晒されることになる。
そして、恐れられ、利用されようとするだろう。
(どうか、お前が……信じたものに、再び裏切られることがないように)
焔木家は、変わらない。
力のある者は神輿にされ、失敗すればすぐに捨てられる。
それは自分がそれを最も知っている。
だからこそ――
(お前には、俺のようになってほしくない)
たとえ、父としての立場を取り戻せずとも。
たとえ、今後も顔を合わせることがなくとも。
それでも、祈るしかなかった。
「……強くなったな、海人」
声にはしなかったその言葉が、胸の奥に沈んでいく。
今の彼に、父としてしてやれることなど、もはや何もなかった。
幽閉される息子に手を差し伸べなかった父として――
焔木厳山は、その罪を、生涯背負い続けるつもりだった。




