刹那の焦燥
「……海人の奴、ちゃんと生きてるのかな」
焔木刹那は、道場の中央でただ黙々と木刀を振っていた。
いま彼女は“謹慎処分”の身。焔木家の稽古場で自主修練を許されているものの、外出や集会への参加は禁止されていた。
原因は――健太との諍い。
焔木健太とその取り巻きが、瑞穂や海人の件で陰湿な動きを見せていたのを、刹那はどうしても見過ごすことができなかった。
ついに怒りが爆発し、道場内で殴り合いにまで発展。結果、刹那と健太の双方が謹慎となった。
「はあ!? どう考えても、あいつらが悪いでしょ! なんで私まで謹慎なのよっ!」
苛立ちをぶつけるように、木刀が地面に叩きつけられる。
反響音だけが、誰もいない道場にむなしく響いた。
当主は沈黙を守り続けている。健太の父は焔木家でも有力な長老のひとりで、その発言力は強い。
どんなに刹那が訴えても、「若気の至り」と片付けられ、真実は揉み消された。
「やっぱ……海人が嫌われてるからか。
……いや、それ以前に、この一族の“体質”が腐ってんだよ」
健太のような連中が幅を利かせ、才能や立場だけで人の価値が決まる世界。
刹那は、そんな焔木家の風潮がどうしても許せなかった。
「瑞穂が……当主にならなきゃ、何も変わらない」
そう、瑞穂こそが唯一の希望だった。
だが、その道は平坦ではない。瑞穂の上には、三人の兄弟がいる。どれも実績と血筋を兼ね備えた強敵ばかりだ。
正攻法では到底勝てない。
それでも――瑞穂が当主を目指す理由を、刹那は知っている。
「……やっぱ、海人を助けたいんだよね」
あの時、瑞穂は“護衛として”海人を正式に迎え入れる形で、幽閉解除の道を開こうとした。だが、それは一族内では支持を得られなかった。
仕方なく“試練”という形で夢幻島送りにしたのが、今の流れだ。
(幽閉から解放したって、生き残れなきゃ意味がない)
刹那も、あの島の恐ろしさは知っている。夢幻島は、焔木一族の歴史の中でも“死地”と呼ばれている場所だ。
生半可な実力では、瞬く間に命を落とす。
「……瑞穂も粘ったけど、あれが限界だったんだよね」
刹那はため息をつき、ふと数日前に見た海人の姿を思い出す。
(なんか、変わってた……)
数年ぶりに会った海人は、昔のように感情を露わにすることもなく、どこか遠くを見ているような目をしていた。
――冷静で、達観しているように見えた。
(あの頃の“がむしゃらな”海人は、もういなかった)
それが、少しだけ――悔しかった。
「……でも、あいつ、ちゃんと鍛えてた。あの体つきは、鍛錬を続けてた証だよ」
幽閉されていた間、何を思っていたのかはわからない。
でも、諦めていたわけじゃない。それだけは確かだった。
「生きて……帰ってきなさいよ。そしたら、私が鍛え直してやるから」
刹那は小さく呟く。
それは、自分でも気づかぬうちに海人に抱いていた“期待”であり、
一族という巨大な理不尽に対抗する“仲間”への願いでもあった。
まだ彼女は知らない。海人が、夢幻島で己の力を呼び覚ましつつあることを。
その焔が、やがて一族すら揺るがす“刃”となることを。
――彼女の木刀が、再び空を斬る音が、道場に鋭く響いた。