『ユガミ』様には気を付けて?
ラジオ体操を終えて家に戻ると、おばあちゃんが朝ごはんを準備していた。
「アオ、お帰りぃ、手を洗ってご飯食べな」
シワの目立つ顔に優しい笑み浮かべ、みそ汁を運んできた。
「うん」
おばあちゃんは朝から働きものだ。
日の出と同時に起きて、畑仕事をする。朝一番に収穫する夏野菜をカゴに取ってくる。
そして朝ごはんの準備。おばあちゃんは白髪だけど日焼けして元気そう。おじいちゃんが亡くなってからも日課のように畑を耕し、作物を育てている。
育てた野菜は出来の良いものは農協に出荷し、形の悪いものや傷のあるものは家で食べるのだ。
わたしは顔を洗ってから居間に向かう。
広い畳の部屋には四角い木のローテーブル。壁掛け時計にテレビ、カレンダー。黒ずんだ柱に高い天井。昔ながらの農家の居間。ここでいつもくつろぎご飯を食べている。
「いただきます!」
「あい、めしあがれ」
つやつやで真っ白な炊きたてのご飯、赤いソーセージに綺麗な卵焼き。みそ汁はお野菜多めでちょっと苦手。サラダ代わりに山積みされた取れたての新鮮なトマト、キュウリの浅漬け。
どれも美味しくて思わずたくさん食べてしまう。
「美味しい」
家だとお母さんは仕事が忙しくて、朝は食パンと牛乳だけだった。けれど、おばあちゃんの朝ごはんは彩りもきれいで美味しいし、なんだか元気になる。
「アオ、ずっと家にばかりおるけど……友達はできんのかい?」
おばあちゃんが心配そうに聞いてきた。
「んー、べつに」
答えになってないけど本当に「べつに」なのだ。
夏休みで訪れているこの里に友達はいない。
でも、今朝ようやくラジオ体操でチホって子と話したけれど……。
彼女の日焼けした笑顔が浮かぶ。
同じ年の子と友達になれたらいいけれど……。やっぱりわたしから積極的に話しかけたりするのは恥ずかしいし、断られたりしたらって思うとすこし気が引ける。
「吉沢ぁさんとこに、千穂ちゃんっつーて、たしか五年生の子がおるけぇ。遊びに誘ってくれるよう、吉沢さんのばぁさんに言っといてやろうけ?」
おばあちゃんの口からチホさんの名前が出てハッとする。吉沢という名字なのね。
「いっ、いいよ……大丈夫だから」
向こうは向こうで遊ぶ約束があるのだろうし、余所者が入っても嫌だろうし。
「そうけぇ? あとは……奥寺さんとこさぁ、真希って4年生の女の子がおるし。男の子だけんど、田中サトルっちゅう野球のうまい6年生がおるで」
「いっ、いらないよ、だいじょうぶホントに」
もしかしてラジオ体操にいた子たちかな?
マキ……あ、ちょっとキツそうな感じの子? あれ四年生だったの? それと男の子は背の高いアレか。6年で野球って……わたしには全然関係ないし遊ぶとかありえない。
「まぁ、昔は子供も多かったけんどなぁ。今は本当に少なくなってしまって」
「おばあちゃん、それ何回も聞いた」
夏休みループとは無関係に、何度か同じ話を聞かされたから。
「アオは、今日はどうするけぇ?」
おばあちゃんは午前中は家にいることが多い。午後になるとお茶のみ友達の家で夕方までおしゃべりして、地区の真ん中にある田中商店で食料品を買って帰ってくる。
「わたしは宿題してゲームしてる」
居間のテレビには家から持ち込んだゲーム機がある。あまり得意じゃないけど学校の友だちがみんなで『集まれアニマルの森』をやるというので去年のクリスマスに買ってもらったのだ。仲間はずれとか、やっぱり嫌だし。
「そうけぇ、外さぁ出るときは帽子かぶるんだで」
「外……あまりいかないけど」
と言いかけて思い出した。
自由研究!
宿題の自由研究で「お父さんやお母さんの子供時代、実家まわりの暮らしについて調べる」というのがあったのだ。
わたしは「おばあちゃんの家で適当に書けそう」とタカをくくっていた。
宿題では当時の暮らしや様子を聞いてまとめるだけじゃなく、周辺の様子もスケッチしなきゃならないのだ。
うーん、めんどくさい。
自由研究やらなきゃ。
あれ?
でも……夏休みがループしているなら、宿題なんて、やっても意味がないんじゃ?
いやいや。
ダメ。
ループは偶然たまたま、何かの勘違いで、ずっと続くとは限らない。
もう終わっているかもしれない。
だって今朝のラジオ体操で、千穂さんに話しかけられた。
二回経験した「8月8日の朝」ではあんなこと無かったのに……。もしかしてループが終わって、ふつうに時間が流れているとしたら?
宿題をやっていないと大変なことになるってことだ!
「自由研究! やっぱり、あとで出掛けるかも。えと……近所、このあたりを見て回りたいの」
朝御飯を食べ終えて片付けをしながらそう話すと、おばあちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
けれど、
「だども、ひとりで子供が歩くときはぁ『ユガミ』様には気ぃつけんといかんよ」
え?
なにそれ、初めて聞く言葉だった。
「『ユガミ』さまってなに?」
「そこらじゅうに、おるけぇ。道路の先が歪んで見える、田んぼの向こうが歪んで見える……壊れた神社の社が歪んでみえる……みんな『ユガミ』様じゃから、近づいたらいかんよ」
「なにそれ怖い……」
妖怪か「あやかし」みたいなもの?
夏の田んぼには『くねくね』っていう見ると頭が変になる妖怪が出るって、図書室の『現代妖怪ずかん』でみたことあるけど。そこに『ユガミ』様なんてなかった。
「このへんの里に昔からいるモノだぁ。まぁ……子供が一人で夏の昼間に歩くと、熱中症になるっつーご先祖様の知恵だべ。注意せよってことだわなぁ」
くしし、とおばあちゃんはいたずらっ子のように笑った。
「あっ、なーるほど……」
ちょっとほっとする。意外にもおばあちゃんは現代人だった。
でも『ユガミ』様を見たら近づかない。
わたしは密かに心に決めた。
<つづく>