夏休みの終わりへ
◇
『8月11日、木曜日! まだ猛暑日が続きます、みなさん熱中症に気をつけて……』
テレビのお天気お姉さんの声を聞き流しながら、わたしは顔を洗い終えた。
ラジオ体操を終えて、今日の約束もした。
今日は昼過ぎに、チホちゃんとマキちゃんと、近くの小川で水遊びをする。
一番暑い時間だけど、チホちゃんの家の前を流れる冷たい小川で遊んだら気持ちよさそう。お魚やカニが採れるなんて、すごい。たのしみ!
「アオや、朝ごはんおたべぇ」
「はーい」
お腹がぺこぺこ。勢いよくご飯をたべていると、おばあちゃんがわたしをみてしみじみと、
「日焼けして、元気になったなぁ」
なんて言われてしまった。
「えー? 焼けた……かな」
色白ぎみだったわたしは自分の腕をみて、あっとおどろいた。焼きかけの食パンみたいな色合いになっている。
おとといはプール、昨日は野球。お日様の下にいたら、そりゃこんがり焼けちゃうよね。
「夏休み前はぁ、アオのお母さんも心配してたんだどもなぁ……。なーんも心配いらんねぇ」
目元のシワを深くしておばあちゃんは微笑んだ。
「お母さんが……?」
「んだぁ。家ではあんまし飯も食わんし、家にばっかりいて……ってなぁ。でも夏休になってここさ来て、アオは元気になった。友達もできたみてえだし、よかったなぁ」
なんだか嬉しくて泣きそうなおばあちゃん、
「そ、そんなに心配しなくてもだいじょうぶだよ、おばあちゃん。ごちそうさま!」
朝ごはんのお茶碗を洗い場へ運ぶ。あんなふうに言われて、すこし照れてしまった。
でもこの里に来てから、いろいろなことがあって、自分がすこし変わった気がする。
夏休みのはじまり、8月8日のループが続いて、どんどん世界が小さくなって、縮んでゆく。
景色が灰色に見えて、とっても怖かった。
でもルカに出会って光が差した。雲間の晴れ間みたいな、目の前が開けた気持ちだった。
わたしはルカに助けてもらったんだ。
だから勇気を出して踏み出せた。おかげでチホちゃんたちと友達になれた。
友達と約束をして、明日のことを考えて眠る。するとあたりまえのように次の日が来るようになった。
朝の光をあびながら、景色が色鮮やかなものに変わっていることに気がついた。
あんなに怖かった『ユガミ』さまだって、もう平気。道端でみかけても「元気?」ってあいさつできるんだから。
「アオや、今日はどこか遊びに行くのけぇ?」
「うん! お昼過ぎに、チホちゃんたちと家の近くの小川で遊ぶの」
「あそこは危ないとこもあるでぇ、気ぃつけやぁ」
「わかってる、河童がいるんでしょ?」
「そうだぁ」
ニッといたずら子のみたいに笑うおばあちゃん。
わたしは時おり家の暗がり、廊下の向こうに時々目を向けるようになった。
だれかがいるような、ふっと気配を感じた気がして。
でも何も見えない。
ザシキワラシのルカとは会えていない。
ゲームの中のアバターはちゃんと「ルカ」って残っているのに。
もう、出てきてくれないのかな?
会いたいよ、ルカ。
◇
「痛ったぁあ……コイツ!」
「カニさんだ!?」
チホちゃんが岩の下から手を慌ててひっこめると、赤い沢ガニがいた。チホちゃんの指先をハサミでつかんでいる。
「あとで唐揚げにしちゃうぞ!」
「た、たべちゃうの?」
「……カニさんかわいそう」
「あたしのほうが可哀想だよねっ!?」
笑い声が木霊する。
水着姿のチホちゃんとわたし、それにマキちゃんは綺麗な小川で遊んでいる。
泳ぐというより、ひざしたまでの水でちゃぷちゃぷと水遊び。川といっても幅は2メートルほど。ゴロゴロと転がった岩の間を、冷たくて澄んだ水がゆっくり流れている。
川の両側は大きなクルミの木が並び、トンネルみたいに木陰を作ってくれている。
「水、つめたくてきもちいいね」
「でしょ、ウチはここでスイカ冷やしてるんだ」
チホちゃんが指差す先、岩かげにスイカがプカプカ浮かんでいた。
「わ、すごい」
天然の冷蔵庫みたい。
「お母さんがみんなで食べてって」
下流ではサトルくんたち6年生の男の子が数人、魚を追いかけていて騒がしい。大岩のかげに魚が隠れているんだって。
「……あそこ、河童いるのに」
「見たことある?」
「……マキは何度もみた」
「そうなのよ! キュウリとかスイカ、盗られちゃうんだから。河童のヤツ」
チホちゃんが笑う。
遠くからぽちょんと何かが跳ねる水音がした。
あたりまえのように河童もいて、悪さもする。けれど退治するわけでもなく、許して、いっしょに暮らしている。
こんな素敵な里の話、誰かにも聞かせたいな。
そうだ、学校のみんなに。
ハルちゃんとか。
わたしは久しぶりに学校のことを思い出していた。
なんだかすっかり忘れていた。
本来の学校、夏休みが終わったら通うところ。
でも、話しても信じてもらえないよね。
作り話? ネタか何か? って思われちゃう。
ザシキワラシのルカ、そのへんをウロつく『ユガミ』さまのこと。それに河童のことも。
これは秘密にしておこう。
ループのこともぜんぶ。
わたしだけの、夏休みの秘密。
両足を水につけたまま、岩の上に腰かけて空を見あげてみる。
川面を風が吹き抜けて気持ちいい。
今日は8月11日。
このままループを抜けることができるかな?
もし、ループを抜けられなかったら?
そのときは……。
ずっとここでチホちゃんたちと遊んでいても……かまわない気もしてきた。
こんな楽しい夏休みなら、ずっと続けばいいのになって思う。
ううん、ダメ。
もどらなきゃ。
夏休みはやがて終わる。
いつもの日々がやってくる。
学校での毎日に戻らなきゃならない。
わたしはべつにいじめられているわけでも、だれかが嫌いってワケでもない。
なのにあまり楽しいとは思えなかった。
それはきっと……わたしのせい。
わたし自身がそうしていたから。
自分で壁を作り、傷つくのが怖くて、隠れていて。いつも消極的で、うつむいて過ごしていた。
でも、それって。
自分で変えられるってことだ……。
この里で過ごした何日間みたいに、すこしだけ勇気を出して、前に進めたら。
楽しい日や嬉しいこと、もっとたくさん作れるのかもしれない。
「とったどー!」
むこうからサトルくんの声がした。びちびち暴れる魚をつかんでいる。
「すごい、みせて!」
チホちゃんが水しぶきをあげて駆け出した。
マキちゃんとわたしも後を追う。
木漏れ日がキラキラして、水も気持ちよくて。わたしは自然に笑っていた。
◇
8月12日は自由研究をした。
チホちゃんやマキちゃんに頼んで、手伝ってもらいながら。
三人でおばあちゃんの家に集まった。
このあたりのことを聞いて、調べて、書いて。
景色を写真にとって、描いたり、写真を印刷してもらったり。とても楽しくて賑やかだった。
おかげで自由研究は完成。自然豊かな里での暮らしの素晴らしさをクラスのみんなに伝えられるかな。
「ありがとね、みんな」
「いえいえ。あーあ、あたしも宿題やらなきゃー」
ぐでーとテーブルに突っ伏すチホちゃん。
「えっ、終わってないの?」
「……マキもあと読書感想文」
「そうだったの? じゃぁ、明日からこんどはわたしが手伝ってあげるね」
「マジ!? ありがとーアオちゃん心の友よ!」
チホちゃんに抱きつかれた。
「……アオ代わりに本読んで」
「マキちゃんさすがにそれは」
苦笑するわたし。
「それよか明日! 8月13日じゃん!? 地区の盆踊りがあるんだよ!」
「明日……」
すこし心臓が跳ねた。
8月8日から8月12日までの「5日間」をわたしは繰り返していた。
あれ以来、ずっと来ていない8月13日。
ループの終わりが壁のようにたちはだかる。
もし、またダメだったら……?
この一週間のことは無かったことになる。
ぜんぶ元にもどってしまう。みんなの記憶から、またわたしが消えてしまう。
嫌だ、そんなのは嫌!
チホちゃんやマキちゃん、サトルくんたちとの楽しい思い出が消えちゃうなんて。
ううん、落ち着いて。
きっと大丈夫。
もう恐れるもんか。
明日への約束。
それを忘れなきゃ大丈夫、
「行きたい! 行くよ、必ず。約束する」
「おっ、アオちゃん参加する気満々だね!」
「……すこしだけど出店もあるし、小さなお祭りみたいだよ」
「楽しみ……。あ、でもわたし他所の地区の子だけど」
「今さらなによ。そんなのいいに決まってるでしょ! アオはもうウチらの友達じゃん」
「えへへ……そっか」
「あっそうだ浴衣、着てきてね!」
「浴衣……!? あるかなぁ。おばあちゃんに聞いてみないと」
「……ところでアオ」
マキちゃんがわたしの袖をひいた。
「なぁに?」
「……さっきトイレ借りたとき、廊下で男の子とすれ違ったけど……だれ?」
えっ!?
わたしは息を飲んだ。
あぁ……いるんだ。
ルカだ。
「それたぶん、ザシキワラシ」
「……おー? そうは見えなかったけど」
マキちゃんは目を丸くする。
「どんな感じだった?」
「……んとね『よっ!』て手を上げて、和室に入っていった」
「ふふ、そっか」
寂しくて、すこし凹んでいた胸のうちが、あたたかいもので満たされた。
「明日の盆踊り、楽しみだね」
「そのまえにチホちゃんの宿題は……」
「それは明後日でいいよ、夏休みはまだまだ長いんだからさ!」
「……チホ前向き」
「えぇ……? まぁいっか!」
明日が楽しみ。
あぁ、こんなに明日がくるのが楽しみになるなんて!
<つづく>
次回、最終話――