だったら野球をしよう!
◇
「ボールが来たら追いかけて、ひろって……なげる」
わたしは左手のグローブを見つめ、右手のパンチを入れてみた。
ぱすん、と心地のいい音がする。
野球。
わたしは今から練習試合に参加する。
試合の会場は、いつもラジオ体操をする広場。
旧校舎の廃屋の見える、元校庭だから広さは十分。
野球はよくわからない。
小学校のグラウンドでやっているのを見たことはあるけれど、正直ルールもよく知らなかった。
――人数合わせだから、いるだけでいい!
なんて調子のいいことを言われたけれど、サトルくんは一応ルールを説明してくれた。
「攻撃の時、ボールが飛んで来たらバットで打つ。これはいいよな?」
「うん」
それはわかる。
「守備の時はボールが飛んで来たらグローブでキャッチ。無理なら追いかけて、ひろって、声を出している誰かに向かって、なげる! なっ簡単だろ」
「うーん」
キャッチは無理そうだけど、ひろって投げればいいのね。
それなら……なんとかできるかも。
「みんながフォローすっから。チームで戦う、それが野球だぜ!」
サトルくんの言葉に勇気づけられる。
みんなでフォロー。
なんだかいい言葉だなぁって思った。
「はーい、みんな集まって。試合をはじめますよー!」
大人のお姉さんがやってきた。茶色い髪を後ろで結わえ、キャップを被っている。胸に『チーム土淵沢ジュニア』と刺繍されたユニホーム。
「カントク! この子が助っ人のアオ」
あのひとがカントクさんなのね。
「こんにちは、森藤碧といいます」
ぺこりと頭をさげる。
わたしはTシャツに短パン、頭には借りた野球帽をかぶっている。
「サトル君に聞いてるわよ、碧さんね。今日はよろしくね」
きれいな女の人だなぁ。
「参加してくれてありがとう、楽しんでいってね」
「は、はいっ」
「え……おまえ森藤って言うの? 佐々木のおばあさんの家の子だろ?」
サトルくんが今さら驚いた顔をした。
「お母さんが森藤って家にお嫁に行ったから」
「じゃ、何て呼べばいいんだよ?」
「アオでいいよ」
もう、今さらだよ。
「アオちゃん、がんばろうね!」
「……はやくおわらせたい」
「うん、ドキドキだよっ」
知っている子は一番背が高くて目立つサトル君のほか、チホさんとマキちゃんだけ。
集まっていたチームメイトは初めて見る子ばかり。
広場に自転車で来たり、車で送ってもらったり。ラジオ体操でも見たことがないから、遠くから来ているのかな……。
「みんな同じ学校だけど、近隣やすこし遠くの地区から来てるの」
「そうなんですか」
カントクさんがわたしのことをメンバーに紹介してくれてた。なんだか気軽に参加しちゃったけど、本格的でちょっと緊張する。
試合をするのはこれまた別の地区のジュニアチームだとか。
三塁側にメンバーが来て、おたがいにあいさつして、試合が始まった。
「いくぞ、みんなー!」
おぉ!
とりあえず掛け声だけは真似ておこう。
最初のバッターはチホちゃん。
「しゃぁ!」
いきなりボールを打った。カーンと白球がグラウンドの向こうへ。
「まわれー!」
チホさんは走った。えっと、右側に走って、走って……真ん中へんで止まった。
「セーフ!」
「いいぞチホおお!」
サトルくんが叫んでいる。
次のバッターは3年生の男の子で、空振り。
三人目は6年生の女子で、ボールは高く飛んだのにキャッチされて「アウト」と叫ばれていた。
うーん、よくわからない。
そしてサトルくんの番がきて、思いっきり遠くへ打った。凄い音がして、カキーンて。グラウンドのずっとむこうにボールが消えていった。
大歓声の中みんなが塁を回って、戻ってきた。
「ホームランだぜ!」
なんだかみんな盛り上がってる。
と、思ったらバットを渡された。
「はい次、アオちゃんね」
「えっ、わたし?」
「おもいっきり、振っていいから」
カントクさんに言われてバッターボックスへ。
相手のピッチャーが怖い顔でボールを投げて来た。
「ひぃ!?」
怖い!
無理だよ、こんなのどうやって打つの?
「気楽に当ててけー!」
「アオちゃん、振ってー!」
サトルくんとチホちゃんが応援してくれている。
よし、がんばるぞ。
とにかく、ボールが来たら…………。
「打つ!」
ふにっ、とバットをふったらコツと当たった。
ボールは斜めに飛んで行って、ボテボテと転がった。
あーあ、飛ばなかったなぁ……と思っていると。
「走れー! 安打! 内野ゴロ……!」
「えっ!? あっ、はしっていいの!?」
わたしは走り出した。
よくわからないまま一塁へ。
ボールが目の前を横切って、一塁についたら「アウト」と言われた。
「なんで?」
わたしは頭の上に「?」をたくさん浮かべたまま仲間たちの元へ戻る。
一塁がわのベンチにもどると、サトルくんやチホちゃんだけじゃなく、他のみんなからも「ドンマイドンマイ」って言われた。
はげましてくれてるのね。
「おしかったねアオちゃん!」
「初打席にしちゃ良いスイングだぜ、この調子でいこうぜ!」
「うんっ!」
次は「守備」をする番。
グローブをつけて、指示されたグラウンド右側の後ろの方に立つ。
見回すと、広いグラウンドのあちこちに選手がちらばっている。
飛んできたボールを拾って投げ返せばいいのよね。ボールが来ませんように……!
わたしは心のなかでお祈りした。
でもなんだかルカに笑われているような、そんな気がした。
太陽は真上にあって暑い。
帽子をかぶっていてもジリジリする。校庭を囲む桜並木でセミが沢山鳴いていて、暑くて汗が流れてくる。
「……あっ」
グラウンドが熱せられてユラユラしていることに気がついた。
もしや『ユガミ』さま……?
風も無いのにカゲロウが集まり、ユラユラと向こうの景色をにじませた。外野の「ライト」のそば、わたしが守っているすぐちかくをうろうろしている。
間違いない『ユガミ』さまだ。
わたしを探している?
それともマキちゃん?
ルカは何体もいるって言ってた。きっと昨日とは別のやつなのかな。反対側で守備についているマキちゃんのほうを見ると、そっちにはいないみたい。
『……』
わたしをじーっと見ている感じがする。
もう、何しに来たのよ!
こんなときに。
べつに怖いとは思わなかった。
むしろ「また出たの?」ぐらいの気持ち。
騒がず、慌てず。いまは野球しているんだから、そこで大人しくしてなさい。
今ここには大勢のチームメイトや友だちがいる。みんなが元気いっぱいで野球に夢中。元気をすいとる『ユガミ』さまがつけいるスキなんてないんだからね。
相手バッターが打った。
向こうの守備が走ったので、わたしも走る。
ユラユラした『ユガミ』さまは、わたしと一定の距離をおいて動いているみたいだ。
「アウト!」
こっちにボールが来なくてほっとする。
その後、守備を繰り返しても、わたしのところにボールが来ることはなかった。ピッチャーのサトルくんがキャッチしたり、一塁にいるチホちゃんがばしっとキャッチしたりしてくれたからだ。
わたしはカカシのように立っているか、あたふたしながら右往左往しているだけ。ついでに『ユガミ』さまもウロウロ。なんだか似た者同士みたい。
「……アオの近くに……変なのいるよ」
マキちゃんが小声でおしえてれた。
「知ってる。でも平気。何もしてこないし」
「……怖くない?」
「うん! 慣れちゃった」
「……アオ、強い」
「えへへ」
わたしはマキちゃんに笑顔を向ける。
やっぱりマキちゃんもグラウンドの『ユガミ』さまが見えているんだね。でも心配しなくてもいいよ。わたしが相手をしてあげるから。
試合が後半戦になると、わたしは守備よりも打つ方が楽しいことに気がついた。
バットは空振りしてばかりだけど、さっきはコツンと当たった。すぐに走って塁に出た。結局、一周できなかったけど、みんなの声援が嬉しかった。
そしてまた守備になった。
「……まだいるの?」
ライト付近を『ユガミ』さまはいったりきたり。半透明の影がウロウロしている。
いいかげん帰りなさいよ。
ヒマなのかな?
ここでは誰も悲しんだり落ち込んだりしていない。汗を流して笑顔で頑張っているひとばかり。だから何もできないのかも。
それとも『ユガミ』さまって単に寂しがり屋のかまってちゃん……なのかな?
「邪魔しないでね」
そっとつぶやいてグローブを構えた。
次の瞬間。
ガキーンと大きな音に驚く。ボールがぐんぐん高く飛んでこっちに来る。
「あ、あわわ……!?」
「アオ! いったぞー!」
サトル君の声に、わたしは駆け出した。
ま、真上だ!
高い、どこまでとぶの!?
走っても走っても追い付かない。
頭の上を飛びこえて行く。
「よっしゃぁ、場外ホームランだ!」
相手のベンチから声が響く。
わたしは夢中で追いかけた。息が苦しい……。気がつくと『ユガミ』様に体当たりして、バラバラに吹き飛ばしていた。
「あっごめんっ!」
それどころじゃないの。でも『ユガミ』さまは元のモヤモヤにもどり、わたしを追いかけてきた。
あぁもう!
「ヒマなら君も手伝ってよぉ!」
『……』
「ボールを取りたいの!」
わたしは空に向かって叫んでいた。
太陽がまぶしくて、白いボールが見えない。
後ろから悲鳴が聞こえる。
「アオちゃん、走ってぇえー!」
空を見上げ目を凝らす。目を細めると、モヤモヤした霧みたいな『ユガミ』さまが空に舞い上がった。
「えっ!?」
そして「ぼにょん」とボールの行く手をさえぎるようにぶつかった。
「あわっ……わとと……とっ!?」
ボールが落ちてくる!?
真上からわたしめがけてぐんぐん落下。
思わずグローブを上にむけて構え、怖くて目をつぶった。
そして次の瞬間。
ぼすっ……!
ボールがグローブに入った。
「……あ、とれた?」
はじめてキャッチできた!
やった、うれしい……!
グローブの中のボールを取り出して、みんなに見せた。
「あ……アウトぉおお! ゲームセット!」
審判さんが何か叫んだ。
「うぉおおお!? すげーぞアオ!」
「アオちゃんナイスキャッチ!」
「……キセキ?」
サトルくんにチホちゃんが飛び上がり、マキちゃんも拍手している。他のメンバーも拍手喝采、大盛り上がりで驚く。
相手チームは全員がガックリと膝を折り、悲鳴のように「あぁーぁ」と叫んでいる。
「取ってよかった……んだよね?」
わたし何しちゃったの?
そのあと、サトルくんの説明によると「9回裏の逆転ツーランを阻止した大活躍」ということらしい。うーん、よくわからない。
「アオちゃんすごい!」
でもみんなたくさん誉めてくれた。
「えへへ……?」
なんだか戸惑ってしまう。
ぐうぜん、だったんだけどなぁ。
まてよ……?
ちがうかも。
さっきボールをキャッチできたのは、マキちゃんの言うとおり奇蹟みたいなもの。
あのとき空に飛び上がった『ユガミ』様が偶然ボールにぶつかったおかげ……?
もしかして、ボールをわざと落下させた?
「……手伝ってくれたの?」
グラウンドにいた『ユガミ』さまに問いかけようとしたけれどモヤモヤはいつのまにか消えていた。
どこかにいっちゃった。
お礼、言いたかったのにな……。
試合を終えて挨拶を終え、解散になった。
帰るときわたしはもう一度立ち止まり、グラウンドの向こうを眺めてみた。
すると桜の並木のそばに、かすかにモヤモヤしたカゲロウがあった。
「いた」
そのモヤモヤは不思議なことに「女の子」の姿に思えた。けれど瞬く間に影に溶けるように消えてしまった。
それは一瞬の出来事だった。
「ありがと、『ユガミ』さま」
わたしはこっそりお礼を言った。
<つづく>