対決『ユガミ』さま
やがてラジオ体操が終わった。
どうしてもこのままプールにいっちゃダメな、そんな気がした。
「ねぇ、チホちゃん! マキちゃんの家……行ってみない?」
わたしは勇気を出して誘ってみた。
昨日まではよそ者だったけど、もう知り合いで、友達なんだから。ここで遠慮しちゃダメなんだって気がしたから。
「アオちゃん……うん! そうだね!」
チホちゃんはぱっと表情を明るくして、二つ返事でうなずいてくれた。
ラジオ体操のハンコをもらってから、チホちゃんについてゆく。
「こっち!」
わたしのおばあちゃんの家とは反対側の、いままであまり行ったことの無い地区のほう。
「なんだー? ふたりしてどこいくんだ」
とっとっとランニングする感じで、後ろからサトルくんが追いかけてきた。
「サトルはなんでついてくるのよ?」
と、チホちゃん。
「いや、こっち俺の家なんだけど……」
「マキちゃんの様子を見に行くの」
わたしはサトルくんにも訴えた。
「え? まぁいいけど。大丈夫だろべつに。寝坊でもしたんだろ」
「うん……」
だといいけど……。
わたしは胸騒ぎを感じたまま、チホちゃんと早足で田んぼと畑に囲まれた道を進んでいった。
畑に囲まれた一角に、何軒かのお家が見えた。
「あそこがマキちゃんち」
チホちゃんが向かう先に、赤い屋根が見えた。裏手に大きなクスノキのある古い家だ。
「マキのやつ、意外と寝坊だからな」
サトルくんは気楽な感じ。
だけど近づいていくうち、わたしは違和感に気づいた。
ざわっとする冷たい気配。
朝だと言うのにじっとしている何か。
何かが……マキちゃんの家のまえにいる。
家の前でウロウロしているのは、もやもやしたしんきろうみたいなモノ。
あれは『ユガミ』さまだ。
「……あっ」
おもわず足が止まりかける。
「どうしたの、アオちゃん」
いるの、良くないオバケみたいなヤツが。
玄関前でウロウロしている。
でも、どう説明すればいいの!?
チホちゃんとサトルくんは『ユガミ』様のことが見えていないみたい。
でもマキちゃんは見えていた。だからアレが怖くて、今朝のラジオ体操に来ることができなかったのかも……!
「マキちゃん、呼んでみよっか?」
「もう7時だし誰か起きてるよな」
ふたりはどんどん近づいてゆく。
でも、マキちゃんの家の前にいる『ユガミ』様はまるで動く気配がない。獲物を待ち構えているみたいに、モヤモヤした空間がある。
まさかマキちゃんを狙っているの?
それより、このままじゃふたりがモヤモヤに触れる。まさか……飲み込もうとしている!?
だめ!
叫びかけたけど遅かった。
もやもやした場所に触れたとたん、チホちゃんとサトルくんの足取りが重くなった。
「……やっぱやめようか」
「……そうだな、どうでもいいし」
急に、暗い顔つきになって、マキちゃんのことなんてどうでもいいというふうに言い始めた。
さっきまで心配だって言っていたのに。
あれも『ユガミ』さまの力……!
ユガミ様は人間の存在を削る怪物だ。人間の過ごす大切な時間や、やる気や気力、何もかも奪おうとする怪物なんだ。
どうしよう、どうしよう!?
足が震えてうごけない。
でも声を出さなきゃ、声を……!
マキちゃんを、ふたりを助けなきゃ!
『いいか、ユガミさまが苦手なものは――』
ルカの言葉が思い浮かんだ。
そうだ!
楽しいこと、やる気の出ること。
ええぃ、こうなったら。
「あっ、あのねサトルくん……! 野球! 野球してみたい……かも!」
とっさに出た言葉だった。
でも、効果はてきめんだった。
「えっ!? マジか! よぉおおし!」
どぉっ! とまるで太陽の光がはじけたみたいなパワーがあふれた。
「!?」
「いいぜ! 野球は楽しいからな!」
サトルくんがあふれる笑顔で振り返った。
「わ……!」
周囲にあったモヤモヤの『ユガミ』様がバッと吹き飛んだのが見えた。
す、すごい……!
元気パワーで、吹き飛ばしたの!?
「いいねー! アオちゃんが野球したいって言うなら、あたしもやる気出ちゃう!」
キラリとした笑顔をうかべたチホちゃんが見えないバットをふった。
ふたりの元気コンビを飲み込もうとしていた『ユガミ』さまのモヤモヤは、逆に吹き飛ばされた。そして嘘のように消えてしまった。完全に、あとかたもなく消えた。
気がつくと小鳥のさえずりが聞こえてきた。重々しい空気に小鳥たちもおびえていたのかもしれない。
よかった……。
追い払えたってことだよね。
わたしはホッと胸を撫で下ろした。
「ちょうど明日、練習試合があるんだ! 人数足りなくて困ってたから、アオ! おまえ参加決定な!」
びしっと親指を立てるサトルくん。
「え、ぇえ!?」
試合!? いきなり!?
いやいや、それはいくらなんでも無理でしょ。
「だいじょうぶ! 適当にバットふって、走ればいいから」
わたしの肩をたたくチホちゃん。そんなテキトーなルールだっけ!?
と、玄関の引戸がひらく音がして、中から小さな人影が飛び出してきた。
「……わーん!」
ダッシュでサトル君のお腹の辺りに飛び込んで抱きついた。
「マキ!? どうしたんだよ」
よかった、無事だった。
「マキちゃん!」
「ほらな、元気じゃんかよ。って、どうしたんだよマキ?」
「……うるさいバカー、きづけ、このヤロー」
ぽかぽかサト兄ぃの身体をたたくマキちゃん。
「はぁ? なんのこっちゃ、寝坊でもしたんだろ」
「……ちがうの、どんかん!」
マキちゃんは怒りをサトルくんにぶつけ終わると、わたしのそばに来た。そして小声で、
「……こわかった」
「やっぱり、アレ……見えていたの?」
こくりと涙目でうなずく。
「……昨日、森からずっとついてきてた。怖くて……誰にもいえなくて」
気づいてもらえなかったんだ。
「そっか、怖かったね。でも、サトルお兄さんがやっつけてくれたよ」
すごい野球大好きパワー? で。
「……気づいてくれてありがとう。アオ……さん」
彼女はわたしの目をじっと見て、小さくお礼を言われてしまった。
嬉しい。
こんなこと言われたのはじめてかも。
「あっ、うん! わたしは……なにも」
声を出しただけだけど。
みんながいなきゃ何も出来なかった。
野球をしたいっていうの、実はとっさのこと。半分はうそで、半分は本当。
野球なんてやったこともないけど、いつも楽しそうなサトル君なら、きっと悪いものを吹き飛ばせるパワーがあるかもって。直感したんだ。利用してごめんね……。
「よーし、アオちゃん! 今日はあたしとプール! マキちゃんもいこう!」
「……いきたい」
「いこういこう!」
わたしは微笑んだ。
「で、明日はおまえら全員、朝から野球な! 午後から試合だから、朝9時集合で練習しようぜ!」
「「「えー」」」
女子三人の声が重なった。
「な、なんだよその反応! 野球やりたいって言ったよな!?」
「試合はいいけど練習はイヤだもん」
「……おなじく」
「わたしも」
「おまえらなぁ……」
呆れ顔のサトルくん。
みんなの笑い声が青空に吸い込まれてゆく。
素直に思っていること言いあえるのって、いいなって思った。
明日への約束、そして元気。
これが明日へ進む方法なんだね、ルカ。
<つづく>