5
疲労感を感じながらメアリーは通常業務へと戻った。
ソフィー妃の部屋の片づけをしていると、同じく疲れた顔をしたジェシカが帰って来た。
すでに夕方になっているため他の侍女達は帰ってしまっている。
遅番であるメアリーとジェシカのみでソフィー妃を夜まで担当するのだ。
「お疲れ様。とんでもない一日だったわね」
片づけをしているメアリーを手伝いながらジェシカが言う。
「はい。しかしどうして私にこの腕輪がはまったのですかね」
左手にはまったままの銀の腕輪を見つめた。
綺麗な模様が入った腕輪は素敵だが呪われていると知ったら恐ろしく感じる。
それが自分の手にはまっているのはとても恐ろしい。
「こうフワッと浮いて、メアリーの腕にはまったのよ。デューク様とお揃いで羨ましいわ」
羨ましいと言いつつジェシカは銀の腕輪を気味が悪そうに見つめている。
「本当に羨ましいですか?」
メアリーに見つめられてジェシカは視線を逸らした。
「全然羨ましくないわ。むしろその腕輪怖い。どうして勝手に動くの?どうしてデューク様はメアリーに腕輪を付けさせたの?」
「本当に、疑問ですよね。適正とはなんですかね?私に何か適正があるのですかね?」
何度考えても魔力も持っていない自分に何の適正があるのだろうか分からない。
「デューク様はなぜか、メアリーなら腕輪が付くと認識していたわね。怖いわ」
「怖いです。実を言うと、私デューク様も怖いんですよ。あの人暴力っぽいところがあるじゃないですか」
メアリーは片づけを再開させながら言うと、ジェシカは苦笑する。
「なんとなくわかるわ、美しいからより怖いのよね。あの殺気立っている様子が。いつもピリピリしているものね。とくに、今日メアリーを見つめる瞳が殺気立っていて怖かったわ」
「空気がピリピリしている感じがしてちょっと苦手です。昔、おじさんに家を追い出された日を思い出すんですよね。あのピリピリした空気感」
メアリーがポツリというと、ジェシカは同情するような顔を向けてメアリーを抱きしめた。
「可哀想に!あの美しいデューク様に興味が無いとは思っていたけれどそんな理由だったのね!そりゃ、トラウマになるわよね!いくらでも話は聞くからね!協力もするから何でも言ってね」
ギュッとジェシカに抱きしめられて辛かった気持ちが和らいでいくような気がしてメアリーもジェシカの背中を叩いた。
「ありがとうございます。でしたら腕輪を代りにつけてください」
「それは無理」
あっさりと否定して、ジェシカは首を振りながらメアリーから離れた。
メアリーの腕にはまっている銀の腕輪を見て渋い顔をする。
「それ呪われているんでしょ。絶対何かあるわよ。体調に変化は本当に無いの?」
「不思議と何も変化はないんですよね」
銀の腕輪をはめても変化は恐ろしいほどない。
気分も悪くない。
(一体どういう呪いなのかしら)
不審に思いながら腕にはまっている腕輪をじっと見つめた。
銀の腕輪は光に当たり怪しく輝いている。
じっと腕輪を見ていると、ソフィー妃の部屋のドアがノックされた。
ソフィーが戻ってくるには少し時間が早い。
今日はデュークを交えての夕食をするということだが無くなったのだろうかとメアリーはドアを開けた。
立っていたのは息を切らせた城の騎士で、メアリーを見ると安心したように手招きをする。
「早く来てください!多分、メアリーさんが来れば解決するかもしれないってデューク様が言っていました」
「え?どこへ?なぜ私が?」
意味が解らず戸惑っているメアリーに騎士は足踏みをしながら急かせた。
「デューク様が死にそうなんです。急に苦しみだして大変なことになっているのです」
「なぜ私が?ご病気なら医者じゃないですか?」
メアリーが行っても何もできないと言うと騎士は首を振った。
「そう言う感じではなくて、とにかく早く来てください」
「わ、わかりました」
よくわからないがデュークがメアリーを呼んでいるという事らしい。
後ろで様子を見ていたジェシカを振り返ると眉をひそめて頷いた。
「行っていいわよ。こっちは私一人で大丈夫だから」
そう言いつつジェシカの視線はメアリーの左腕についている腕輪を見つめていた。
(絶対呪いのせいだと思っているわ)
もしこのブレスレットのせいでデュークが死にそうな目に合っているのなら、なんて恐ろしいものだろうかとゾッとする。
「早く来てください」
騎士に急かされてメアリーは頷いて歩き出した。
騎士の後について行くと、メアリー達が食事をする予定だった広間へと案内される。
室内に入ると、青い顔をしたソフィーがメアリーに駆け寄ってきた。
「よかった!早くデューク様の所に行って」
「え?何があったのですか?」
よくわからないままメアリーは騎士やソフィーに背を押されて室内の奥へと向かわせられる。
部屋の奥には両ひざをついて胸を押さえて息を荒くしているデュークが居た。
額に汗が浮かんでいる様子からかなり苦しかったのだろうとは思うが、今は落ち着いているようだ。
近づいてきたメアリーを見上げると安心したように軽く微笑んだ。
(どうして微笑でいるの。微笑んでいる顔も美しいけれど怖い!)
6年前に人を殴っている姿を見て以来デュークが恐ろしいのに、見られて微笑まれると恐怖で硬直しそうになる。
微笑まれている意味が解らず首を傾げてメアリーは恐る恐るデュークに近づく。
「一体何があったのですか?デューク様が死にそうだと言っていましたが……」
あの頑丈そうな人が両ひざをついて息を切らしている様子は異様だがすでに落ち着いたようで苦しんでいる様子は見られない。
「死にそうだったのよ。急に苦しみだして、床に倒れたの」
青い顔をしながらソフィーはライオネルに寄っていく。
「兄上があんなに苦しんでいる姿を見たのは初めてだ。恐ろしかった」
ライオネルも青い顔をしつつ、メアリーの左手首にはまっている腕輪を見つめる。
ソフィーも同じようにメアリーの手首の腕輪を見つめている。
「……まさか、この腕輪のせいとかですか?」
100歩譲って腕輪の呪いであったとしても、メアリーには何も異変は無くなぜデュークの方に異変があったのだろうか。
そんな都合のいい呪いなどあるのだろうか。
「いやいや。私は関係ないですよ……ね?」
誰ともなしに聞くが、ソフィーは静かに首を振った。
「メアリーがこの部屋に来たら苦しんでいたデューク様の体調が良くなったように見えたわ。その腕輪が傍に無いとだめなのかしら」
ソフィーの言葉にメアリーは眩暈がしそうになり足に力を入れた。
確かに考えられる原因としては腕輪以外無い。
対になっている腕輪が傍に無いと、デュークに支障が出るという事だろうか。
恐ろしい状況に恐る恐る床に膝をついたままのデュークを振り返った。
なぜかデュークは薄っすらと微笑んでメアリーを睨みつけている。
睨みつけられてメアリーは恐ろしくて体が固まってしまう。
「多分、そうだろうな」
デュークは大きく何度か深呼吸をすると立ち上がって椅子に腰かけた。
まだ体調が悪いのか、若干顔色が悪く見える。
デュークは気だるそうに椅子の背もたれに体重を預けて天井を見上げながら首元の軍服のボタンを外した。
「そうなるとこの部屋に来た時に急に苦しみだしたじゃない?メアリーと離れすぎたという事かしら?」
眉をひそめながらメアリーの腕輪を見ながらソフィーが言う。
「距離が関係あるのか……」
デュークは呟くと大きく息を吐いた。
「……なにか思い当たることであるのですか?」
恐る恐るメアリーが聞くと、デュークは軽く頷いた。
「なんとなくだが……」
それより先を言わないデュークにライオネルが眉をひそめた。
「何か知っていることがあるなら言ってほしいよ。メアリーだって困るよね?」
「そうですね。この腕輪が外れないのなら知っていることがあるなら知りたいです」
メアリーが言うと、デュークは諦めたように額に手を置いて長いため息をついた。
「わかった。すべて告白しよう。そうしないと北の大地に帰れないからな」
「やっぱり、何か知っているって感じだな」
ライオネルが言うと、デュークは肩をすくめた。
「いや、ほとんど分からない。が、何となくそうかなと思う程度だが」
そう言うとまた口を噤む。
どうしても言いたくないことがあるらしい。
命に関わるほどの呪いなのだろうかと心配になって来たメアリーは恐る恐る自分の左手首についている腕輪を見つめた。
「こ、怖いのですが……。何とかして取れませんか?」
泣きそうになりながら言うメアリーにデュークは気怠そうに視線を向けた。
気怠そうなデュークはどこか色気が漂っていて今まで怖いと思っていたはずなのに少し胸がときめいてしまう。
(多分、軍服のボタンを外しているせいね)
目のやり場に困りメアリーは視線を背けた。
デュークは何かを話そうとするが息を吐いて、また話そうとするが諦めるのを何度か繰り返して額に手を置いて天井を仰いだ。
(かなり重大なことを話そうとしているのね。きっと呪いの腕輪のせいで私の命が無くなるとかだったらどうしよう)
自信の塊のようなデュークが話すのを躊躇するぐらい重大なことなのだ。
メアリーの心も落ち込んできてしまう。
泣き出しそうなメアリーを見て、デュークは長いため息をつく。
「わかった。話す。かなりプライベートな話になるから人払いを」
デュークが言うと、ライオネルは室内に居た騎士と侍女に目配せをした。
室内に居た人は数人だけだが、ライオネル達に頭を下げて退出していく。
「僕達は居てもいいよね?」
ライオネルが聞くと、メアリーは慌てて首を振った。
「一緒にいて下さい!怖いので!」
デュークと二人きりになるのを想像すると恐怖で身震いしてきてメアリーは必死に訴えた。
メアリーが必死に訴えるのを見て、デュークは諦めたように頷く。
「仕方ない」
いそいそとデュークの前に机を挟んで座るライオネルとソフィーは少しだけ楽しそうに見える。
立ったままのメアリーにデュークは手で椅子に座るように示した。
侍女である自分がデュークたちと共に椅子に座るなどあってはならないことだ。
躊躇していると、デュークに早くしろと言う目で見られる。
「早く座ったら?」
ソフィーに促されて仕方なくメアリーはデュークの隣に腰かけた。