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メアリー・エヴァンスはソフィー妃のための紅茶を淹れて懐中時計を見た。
紅茶が渋くならないちょうどいい時間になったら淹れられるようにカップを準備しているとソフィーが声を掛けてきた。
「そういえば、今度の舞踏会にはデューク様が出席されるそうよ」
「そうなんですね」
紅茶をカップに注いでソフィーの前に置く。
メアリーがソフィー妃専属侍女になって早6年が過ぎた。
両親が不慮の事故で死んでしまい、父の弟が家を継ぐことになりメアリーはすぐに追い出された。
行く当てもなく困っていたメアリーを拾って専属侍女として働かせてくれたのがソフィーだ。
ソフィーは第二王子ライオネルの元に嫁いでおり、メアリーが侍女になって数年後めでたく第一子も誕生している。
住み込みで働かせてもらって行く当ても無かったメアリーは感謝をしてもしきれない。
優しく美しいソフィー妃の専属侍女の仕事は楽しくてメアリーは一生侍女として暮らしていきたいと思ってさえいた。
「メアリーはデューク様に会ったことがあったかしら?」
美しい青い瞳で見上げられてメアリーは頷いた。
「この城にお世話になって直ぐにお見掛けしました」
喧嘩をしているところを見たとメアリーは遠い目をした。
あの日を思い出すと恐怖で胸の奥がすくんでしまう。
「あら、そうなのね。あれだけ美しいデューク様を見てもメアリーは何も私に言ってこないのね」
「言うとは?」
首を傾げるメアリーにソフィーはいたずらっ子のように笑う。
「紹介してほしいとか、会わせてほしいとかよ」
「会ってどうするんですか?」
純粋に聞いてくるメアリーにソフィーは苦笑した。
「デューク様と結婚したいと思っているお嬢様達が多いから、そうなりたいと思ったらまず会いたいと思うのは普通じゃない?」
「そうですかねぇ。デューク様は美しいですけれど、そもそも身分が違いますし……」
デュークはライオネルの兄であり、第一王子でありながら王位継承を放棄すると宣言して北の大地で獣退治をしている。
氷で囲まれている大地から獰猛な獣が国に入ってこないため、氷の魔力を持っているデュークが氷の結界を張って予防をしていた。
ただそれだけではなく、たぐいまれなる美しさを持った男性で女性に人気があるのもメアリーは知っていた。
王族である彼と伯爵という身分はあったが両親が死んだために家を追い出された自分とはつり合いが取れないだろう。
壁に掛けられている小さな鏡に映る自分の顔を見つめた。
赤茶色の髪の毛を一つに結んで、冴えない顔をした自分が映っている。
美しいソフィー妃を見た後だと余計に自分の顔が薄ぼんやりしているような気がして少しだけ気分が滅入ってしまう。
化粧をしても隠しきれないそばかすも好きではない。
母親譲りの顔は嫌いではないがもう少し可愛い顔をして生まれたかったとひっそりとため息をついた。
そんな自分があの美しいデュークとどうにかなるとは微塵たりとも思えない。
メアリーが初めてデュークを見たのは6年前だ。
まだ16歳だったメアリーが家を追い出されて城で働き始めたころだった。
ソフィー妃の部屋にたどり着けず迷って裏庭に出たところ大きな物音と共に人が飛んできたのだ。
危うく当たりそうになり何とか避けたが、倒れ込んだままの男性が口元から血を流しているのを見て驚いて足がすくんでしまったメアリーに声をかけたのがデュークだった。
間違いなく、足元に倒れている男性を殴ったのはデュークだが、彼は表情を変えないままメアリーに近づいてきた。
「すまない。当たらなかったか?」
「だ、大丈夫です」
暴力を振るっている場を見て恐怖で震えたが、デューク王子を無視するわけにもいかないと震える声で何とか答えたのを覚えている。
魔法を使えるものなど一握りしか存在しないが、メアリーの目の前に居るデュークはその中でも最高位の力を持った人だ。
そして魔力ではなく、男性を一人殴り飛ばすぐらいの強い力を持っていると思うとメアリーはますます恐怖で震えた。
アイスブルーの瞳が冷たくメアリーを見つめた。
白銀の髪の毛は長く伸ばされて胸のあたりまであり、ゆるく三つ編みにして左側に流している。左の頬を隠すように前髪が伸びているが、美しすぎる顔を見てメアリーは一瞬だけ時が止まったような感覚になって、慌てて息を吸った。
美しさと凶暴さを感じて恐ろしい人だと思ったが、失礼があってはいけない。
メアリーは慌てて頭を下げた。
「わ、私は大丈夫です」
足元には殴られたショックで脳震盪を起したのかぐったりと横たわったままの男性の姿が見えてメアリーはまた足が震えた。
横になっている男性は短い金髪の髪の毛で年齢はデュークと変わらなそうに見えた。
(だ、大丈夫かしら。死んでない?)
ピクリともしない男性を気にしているメアリーにデュークは冷たい目を向ける。
「放っておけ。そいつは、俺に王位に就けと煩いやつだ。そしていろいろと気に食わない」
王位などと言われても困ってしまう。
第一王子であるデュークが王位を継がずに北の大地で任務に励んでいるが、できれば王都に戻り王位を継いでほしいと望んでいるのも城で暮らしているとよく聞いていた。
メアリーを拾ってくれたソフィーの夫、ライオネルが王位を継ぐようにとデュークが言っていたが納得していない人が居るらしい。
気の弱いライオネルが王になるのはよろしくないと言っている声はメアリーも聞いたことがあった。
16歳のメアリーには難しい話は分からないが、ソフィーと同じく優しくていい人だと思っていたのでライオネルを良く思っていない人が居て驚いてしまう。
目の前のデュークは確かに強い。
青い軍服を着て銀色の剣を差しているが、気迫だけでメアリーは恐怖で直視するのが恐ろしかった。
縮こまっているメアリーを見てデュークは軽く肩をすくめた。
「ソフィー妃の所に行きたいのだろう?部屋まで送ろうか」
「いえ、大丈夫です!道を教えて頂ければ!」
震える声で言うと、デュークは頷いてソフィーの部屋までの道を丁寧に教えてくれた。
何度もお礼を言ってデュークに教えられた通りの道を行き仕事に戻ることができたのだ。
あの日以来、彼を見かけることは無かったが、メアリーの足元で倒れていた男性は起き上がらなかったのが気がかりだ。きっと死んではいないだろうが、大丈夫だろうかと心配になる。
デュークがよっぽど力強く殴ったのだろう。
デュークの印象は、美しいが恐ろしい方が強かった。
過去を思い出しているメアリーにソフィーは声をかけた。
「デューク様が戻ってきたら女性達がまた大騒ぎするわね」
「確かに、美しい方ですものね」
(私は怖いから関わり合いたくは無いけれど)
ソフィーのカップに紅茶をつぎ足す。
優雅にカップを持ってソフィーが紅茶を一口飲んだ。
「舞踏会は少し先の話なのだけれどね、女性達は今からドレス作りの準備をしていて仕立て屋は予約でいっぱいらしいわよ」
「気合が入っていますね。デューク様はあまりお城にはいらっしゃいませんものね」
メアリーが思い出せるだけも城に帰って来たのは過去に数回だけだ。
彼が帰ってきたときは、女性達の気合が入っているのですぐにわかる。
侍女達でさえ化粧が濃くなり、城の廊下が香水臭くなるのだ。
「デューク様が城に滞在している間は用もないのに、貴族のお嬢様達が訪ねてくるもの」
ソフィーの言葉にメアリーは思い出したように声を上げた。
「なるほど!以前、キャロルを見かけたのはデューク様が城にいらしたときでした!」
(キャロルもデューク様狙いなのね)
キャロルはメアリーの従妹だ。父の弟の子供であり、現在はメアリーが住んでいたお屋敷で暮らしている。家を追い出した一家を思い出すと胸が苦しくなるが、彼女が城の中をウロウロしていた理由がわかり一安心する。
自分の様子を見に来たのではないかと思っていたのだ。
意地の悪い美しい顔をしたキャロルの顔を見るのも嫌だったが、理由が解れば今度からは彼が城に居る時には近づかなければいいだけだ。
「キャロルね。あの女がたとえデューク様と結婚できたとしても北の大地でやっていけるとは思えないわ」
メアリーよりも憎々しい顔をして言うソフィーは乱暴にマカロンを口に含んで食べはじめた。ソフィーがメアリーよりも過去の出来事を怒ってくれているのはとても嬉しくて思わず微笑んでしまう。
こうして自分の他にも家族のように怒ってくれる人が居ることは嬉しい。
「北の大地は雪と氷で覆われている土地だと聞いていますけれど、デューク様はそこで任務されているのですよね?」
メアリーが居る王都よりもはるか北の領土は常に寒く、冬の間は雪に閉ざされていると聞く。氷の魔法を使うことができるデュークであれば寒さには強いのだろうか。
「私も行ったことが無いけれど、氷が一年中解けない場所もあるらしいわよ。少しだけ氷の魔法を持っているライオネルも寒くて辛いと言っていたわ」
ソフィーの夫、ライオネル王子も辛いというのならばよっぽどなのだろう。
氷で覆われている地を想像してメアリーはブルッと震えた。
「寒いのは嫌ですね」
「そうね」