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それからのソフィの働きぶりはリズロウの想定を超えて――いや超えすぎていた。
まずリズロウの書類仕事が8分の1にまで激減し、日中の魔王としての執務を終えた後に睡眠時間諸々を削って行っていた書類仕事から解放された。――それだけならよかった。問題はソフィが見るといっていた他業務の方だった。
ある日リズロウは食事のために食堂に寄ろうとしていた。傍らには諜報面での腹心であるエルフのミスティがおり、アスクラン国内の各都市の動きについて報告を受けていた。
「それでセビエヤ地方領における動きに変化はございません。……ですがストーインとの国境付近に位置するいくつかの領主たちに妙な動きが……」
「あ~……その者たちにはキツく言っておけ。何かしようものなら我がお前らの領土を滅ぼすと。……どうせなら見せしめに一つ領土を焼き払っても構わない。最もキナくさい自治区を挙げておけ。そこへの攻撃準備をしておいて、その関係者にそれをワザとらしく見せろ」
リズロウは聞く者が聞いたなら背筋を凍らせるようなことを淡々と言い放った。魔王就任当初から平和路線を強固に推し続け、人間との戦争終結を成し遂げたとはいえ、魔人の王たる所以を確かに見せていた。
「承知いたしました」
そしてそのリズロウの言葉をミスティは眉一つ動かさずに受け取った。彼女もまたリズロウが魔王就任当初からの腹心の存在であり、腹を割って話すことができる味方だった。そんな彼女を秘書にしなかった理由は簡単であった。“もったいない”それに尽きるからだ。
リズロウが魔王になるに辺り、味方が全くいなかったわけではない。貴重であるとはいえ戦闘以外の執務ができる部下は他にもいる。だが彼らにリズロウの秘書を任せてしまっては、その貴重な人材の利用価値を潰すことになってしまう。それが今回ソフィを雇わざるを得ない大きな理由だった。
「……そういえば」
「どうした?」
ミスティは辺りを見回して何かを探す。
「あの人間はどちらに? 周りにはいないようですが」
「……ソフィだ。立場としてはお前のが上ではあるが、きちんと名前を憶えておけ。……いや、お前が名前を憶えていないはずはないか。どちらにしても名前でちゃんと呼べ」
リズロウはミスティに叱責をするが、ミスティは謝りもしなかった。互いに長い付き合いであり、このような態度も許される間でもあるが、平和主義であるリズロウの部下であるミスティも人間への敵愾心を払拭しきれていない。これが今のアスクランの実情を表していた。
「ソフィは今は私の下を離れて、他の仕事の指導を行っている……らしい」
「らしい? なぜリズロウ様があの人間の動きを把握していないのですか?」
リズロウは尚もソフィの名前を呼ばないミスティにイラつきながら答える。
「だからソフィだ。今日はお前が私の下に報告に来る予定で、ソフィの執務が午後から丸々空くから他の業務の指導を行ってもらっているんだ。人間側のノウハウという貴重すぎる情報を持っているからな。せめて有効活用して……」
「あー! だからそれは違う!」
厨房の奥から女性の叫び声が聞こえ、リズロウはその声を聴くと顔を抑えて天を仰いだ。
「……いた。そこに」
ミスティが厨房を覗くと、そこではソフィが調理係たちに指導を行っているところだった。指導内容が書かれた紙が机一面に広げられ、ソフィは十数人ほどの魔人に囲まれながら、全く物怖じせずに指導をしていた。
「だから作業効率化のためにそれぞれ分けてるって言ってるでしょうが! これは副食用! こっちはメインディッシュ! 火を通す順番とかで分けてるんだからしっかり守る!」
ソフィが行っていたのは献立の改善とそれに伴う調理方法の変更だった。調理工程をわかりやすい物にし、そして厨房では順番通りに並べて火を通すだけでメニューができるようにし、それ以前の材料の仕込みは民間から卸せるようにすることで、人員の整理とコストの管理の簡易化を狙っていた。
「いつもこんな感じなんですか……?」
ミスティは指導を行うソフィを見て、戸惑いながら言う。
「ああ……そうだ……。他にも各事務課や帳簿などを確認して、ソフィ式のメソッドを導入し始めてる。……あいつ名目上は新人秘書のはずなんだが、どこであんなマルチな手腕を学んだのだろうな……」
ソフィが来てから2週間。リズロウの執務整理が思った以上に早く終わったソフィは、リズロウの下にいるよりも、他の部署に回り業務改善を行う方に時間を割くようになっていた。今まで弱肉強食の価値観が続いており、武力を磨く方に力を入れていたアスクランよりも、人間の国であるストーインのがこの辺りのノウハウは洗練されており、そのストーインで学んでいたソフィの指導は他の部署においても非常に価値のあるものだった。
ソフィが回り始めてから劇的に改善が進み、1月もたたないうちにアスクランはソフィがいなければ立ち行かなくなるくらいにソフィに依存する形になってしまっていた――。
× × ×
――深夜。ソフィは城内にある自分の部屋で、ガウンを着て外を眺めていた。手にはワイングラスを持っており、酒が飲めないのでワインでは無くブドウジュースを一口飲み、満足気に笑みを浮かべる。
「フフフ……これで計画通り……。あとは時が来るのを待つだけ……」
× × ×
この日はアスクランの各大臣が城に集まり、会議を行う日だった。機密性の高い情報を扱うため、本来各大臣の他には信頼できる部下1名のみを引き連れての参加となっていたが、リズロウはその部下にソフィを指名した。ソフィにその事を伝えたのは会議が始まる2時間前であり、リズロウの部屋でそれを聞かされたソフィは困惑しながらリズロウに反論する。
「ちょ……ちょっと待ってください! 会議があるのは存じ上げておりましたが、私も参加するのですか!?」
「そうだ。……正直に話すと私が会議があったことを忘れていて、お前に伝えていなかったというのはあるが」
ソフィが困惑する理由。それは“信頼できる部下”を連れ、国家機密に触れた会議を行うということ。今まではリズロウの革命に協力していたミスティ等過去の部下たちを連れていた。それをまだリズロウの下に就いてから1か月足らずの新人秘書が着いていく――しかも人間が。どう見ても問題が起こらない訳がなかった。
「忘れていたって……。ではせめて会議で何を話されるかを……」
「う~む……それもな……」
なぜか会議内容に対し言いよどむリズロウにソフィは疑問を呈した。
「そこを隠す必要がございますか?」
「隠すわけではないのだが……。まあ実際に見てみればわかる」
× × ×
そして大臣会議の時間になり、リズロウとソフィは一番遅れて会議室に入る。リズロウが時間にルーズだからではなく、一番偉い人間が一番最後に入るというある種のマナーによるものであった。まずリズロウが部屋に入ると会議室内にいた各大臣たちが一斉に立ち上がり礼をする。そして続いてソフィが部屋に入ると場の空気は一変した。
(まぁ……そうよね)
ソフィは表情に一切出さないようにするが、それでも周りの視線は気になった。私語厳禁のはずだが部下に相談している大臣もいる。リズロウはあえてそれを黙認した。混乱が起きるのは目に見えていたからだ。リズロウもその混乱をあえて無視し、魔王が座る上座へと向かい、全員向き直る。
「よし……それでは大臣会議を執り行う」
リズロウの言葉で全員が顔を上げて席に座る。そこでソフィは初めて全員の顔を見た。
(話には聞いてたけど……本当に皆種族がバラバラなのね)
アスクランでは確認されているだけで数十の種族が存在し、その割合に偏りはあるものの、基本的には種族ごとに地域を分けて暮らしている。ただ“魔人”の括りが魔力を持った人型種族、ということもあり、人型であるということは共通していた。翼が生えていたり、1mも満たない者がいたり、青肌だったり、見た目がほとんど人間といった種族があれど、どうやら魔人同士は同族という認識があるらしい。
(で……私はどうやら完全な異物ってわけね……)
針の筵のような気分を味わいながら、ソフィはなぜリズロウが自分をこの会議に参加させたのか、未だに意図を掴みかねていた。確かに秘書である以上、いずれは参加しなければならないのはわかる。だがまだ自分が就いてから時間は殆ど経っていないのだ。人間という存在が受け入れ始めてからでも遅くはないはず――ソフィはそう思っていた。そして誰もがそう思っている中、一つの声がその意識を噴出させる。
「魔王様! 一体何を考えているのですか!」
リザードマン型の魔人であるデレクが叫びながら立ち上がり、ソフィを指さす。
「この会議は大臣のみを集めた重要な会議のはずですぞ!それをまだ人間の新人の秘書に同席させるとは!この会議における機密情報が漏らされたらどうするのです!」
――ごもっとも。ソフィはデレクに目線を合わせないようにしつつ自分が非難されているにも関わらず内心同意していた。そしてデレクに続き、もう一人立ち上がるものがいた。
「リズロウ様。私もデレク殿と同意見でございます。……まだ彼女が人間側のスパイではないという確証も持てていません。聞けば彼女がアスクランに来たその日に、グライス殿が暴走をしているとも聞きます。……まだ人間を受け入れられるものはそう多くないのです」
その意見をした者は銀の髪をした長躯の男性で、ソフィから見ても端正な顔立ちといえた。――というより人間との違いがパっと見全然つかなかった。その意見を出した彼に対し、リズロウは静かに発言する。
「……シャザール。貴殿の言いたいこともわかる。だが私はソフィに対し、人間や魔人といった区別を抜きにして、個人として非常に期待している面がある。私のワガママで申し訳ないが、今日は彼女をこの会議に同席できないだろうか。……話す内容の機密度を下げるなどをすれば、できないことはないはずだ」
リズロウからの言葉にシャザールをため息を吐いて答える。
「……わかりました。できれば、このようなことはもっと前に根回ししてほしいですが」
「すまない……」
リズロウは謝るものの、ソフィはシャザールの言葉に同意していた。どうやらリズロウの欠点が見えてきたようだった。この魔王、政治的な根回しが割りと下手くそだと。シャザールは咳をして周りの空気を一旦整える。
「オホン。では、本日の議題を説明する!」