14-2
アスクラン近衛隊隊長シャザール・フェニスは10年前、アスクランの1兵士に過ぎなかったが、すでにその実力は周囲の知るところとなっており、未来の将軍候補として名を馳せていた。特にその魔法は他に及ぶ者が無いものであり、本人も今思えば当時から自惚れていたと自覚せざるえなかった。
だからこそ、その日の国境付近の山脈における威力偵察という任務が、本人にとっても大したことないという油断を生んでいたのかもしれない。“偵察”とは名ばかりの侵攻であり、人間を見つけたら積極的に攻撃を仕掛けろという命令であったため、シャザールはその人間を見つけた時は何の感情もなく、雷の魔法をその人間に放った。
――だがその人間は天に手を伸ばすと、シャザールの魔法は打ち消され、周囲に電気が散っていった。シャザールは冷や汗を流し、その人間に魔法を次々と打ち込んでいくが、全て魔法が散らされてしまう。こんなことは今までなかった。人間どころか魔人ですら、自分の魔法を防ぎきることができる者なんて見たことがなかったからだ。
「な……何者だ貴様!」
だがシャザールにはまだ奥の手があった。魔法だけで目の前の障害をすべて排除してきていたが、誰にも見せていない剣の技がシャザールにはあった。魔力によってしまっていた翼を顕現させ、シャザールは宙に浮く。そして風魔法を自身の背後に圧縮させ、それを一気に解き放った。
「くらえ!」
その風に乗り、超高速で飛行するシャザール。反応すらさせない速度による斬撃。これが誰にも見せたことのないシャザールの奥義だった。――しかし。
「え……?」
その男はシャザールの剣を見切り、素手でシャザールの手首を掴んでその動きを止めた。そしてそのまま腕を掴み、思いっきり背負い投げる。
「だりゃああああ!!!」
受け身なく地面にたたきつけられたシャザールは肺の空気をすべて吐き出し、酸欠と衝撃で目の前が歪んでいた。立ち上がることもできず、目の前に迫る死から必死に逃げようとあがこうとするが、何もできずにただ目に涙が浮かぶだけだった。
歪む視界を必死に凝らして見ると、男がシャザールの前に立っており、腕を伸ばそうとしていた。トドメが来ると思いシャザールは恐怖から目を瞑るが、数十秒経っても何も起こらなかった。シャザールはようやくマトモになった脳みそで目の前の視界をもう一度確認する。すると、赤髪の人間がシャザールに手を伸ばしていた。
「まだ若いのに結構やるじゃないか」
その男はシャザールの事をほめているようだった。訳が分からないシャザールは呼吸を落ち着かせると、その男に尋ねる。
「……お前……何者だ?」
赤髪の男はシャザールからの質問を受け、何かに気づいたように戸惑う。そして右手の指を鳴らすと、赤髪か青髪になり、全身の姿が先ほどの人間の男から、竜人型の魔人へと変わっていった。その光景を見て、シャザールは驚きながら尋ねた。
「ま……魔人か……!? なぜ人間の恰好を……?」
その竜人型の男はシャザールの質問に対し、答えにくそうに詰まりながら言う。
「それはまぁ……色々あってな。……そう! スパイってやつだったんだ! ストーインの方まで行くのにこの恰好じゃ、目立つだろ?」
「じゃあ……こっちに戻る際にもっと早く姿を戻せ……そうしてれば私が全身を打ち身にして、死にかける必要もなった」
シャザールの皮肉を込めた指摘に、その男は一瞬固まったあと、大きく笑いだした。
「あっはっはっは!!! お前、面白い奴だな。それでいて実力もある。気に入った」
竜人型の男は改めてシャザールに手を伸ばした。
「私の名前はリズロウ。リズロウ・アスクラン。現魔王オーガスタスの息子で、魔王の座を引き継ぐために戻ってきた。……お前、俺の下で働かないか?」
シャザールもリズロウの伸ばした手を掴み、そして立ち上がった。もうシャザールの中に慢心や自惚れといった感情は無かった。自分なんかでは絶対に敵わない、王になるべき者と運命的な出会いをしたのだと、直感していた。
「私の名前はシャザール……。あなたが本当に魔王様となるのなら、私は私を打ち倒したあなたに付いていきたい」
× × ×
「さ……寒い……!」
リズロウは鼻水を垂らしながら船のデッキに立っていた。ただ船というには真下に海は見えず――代わりに青空が真下に広がっていた。デッキから操縦室につながる扉が開けられ、そこから厚着をしたソフィが出てきた。
「だから無茶だって言ったじゃないですか。高度3000メートルの上空で、外はほとんど氷点下ですよ。そんでもって空気もかなり薄いんですから。ほら、入って」
リズロウは素直にその勧めに従った。自分で空を飛べるから気にしたことが無かったが、こんな高さまで昇ったことは一度もなかったからだ。
「しっかし魔人の身体さまさまですなぁ! 人間が同じような恰好で外出たら、一発で体調崩しますぜ!」
操縦室で船を操作している中年の男性が、リズロウに叫ぶように言った。その言葉には魔人に対する軽蔑や、怖れといったものは感じさせない。単にそういう性格は話し方だというだけのようだった。
「すまないな。アスクランにはこのような技術がないので、つい我を忘れてしまった。しかし……“飛行船”か。話には聞いていたが、自分が乗れるようになるとは思わなかったな」
リズロウとソフィは今、ストーインで開発されている新型飛行船『ミグラテイル』に乗っていた。どこまで高く・どこまで遠くに飛べるかをコンセプトに開発された飛行船であり、魔人の手が届かない高度3000メートルまで上昇が可能であり、一度の燃料で国境付近からアスクラン王城の位置まで飛んで戻ってくる事ができる代物だった。
リズロウは操縦室に備え付けられた窓から外を見て、呆れるようにソフィに言う。
「ソフィ……馬車にも乗れず、個人ではさして強くないお前がどうやってアスクランまで来たか疑問だったが、まさか回答が“空から飛んできた”なんて、発想すら出てこなかったよ」
「私だってこんな移動手段、できるなら使いたくは無かったですよ。とはいえ、私が乗れる乗り物は、船くらいしかありませんから……」
× × ×
――2日前。ソフィたちはアスクラン城下町近辺の森で、どうやって城に侵入するか、その作戦を話し合っていた。しかしどの方法も“町の住民に被害が多数出る”という1点が解決できず、頭を悩ませていた。
「もう、最初に話したリズロウ様が変身して城まで突っ込む、が一番住民に被害が出ない方法としか思えませんね……。ほかの方法は何したところで、パニックになった住民+戦闘の二次被害でさらに犠牲者が増える……」
ケイナンは頭を抱えてながらソフィたちに言った。だがリズロウは強固に首を横に振った。
「だめだ。ソフィの言葉を借りるなら“コラテラル・ダメージ”だったか?目的のための必要な犠牲かもしれないが、その犠牲すら魔王として看過できない。私が動く限り、“私の行動による”住民の犠牲は0にしなければならない」
リズロウの正論にケイナンは反論する。
「ですが、他の方法も結局のところ町中での戦闘は避けられません。犠牲者を無くすだけなら町の住民を強制的に退去させるという方法も考えましたが、30万人近い人を町から追い出すなんて非現実的すぎます」
リズロウの言う町の被害者を0にするのはもっともな正論だった。人間に討たれた魔王がしばらくして戻ってきて、魔王の座を取り返すために町中に被害を広めていたら、今は良くとも、今後の政治に間違いなく悪影響が出る。
しかしそんな都合のいい方法もないのも事実であり、被害をできるだけ少なくするには、王座を取り戻すための時間をできるだけ短くすること。つまりリズロウが空から飛んで行って、周囲の警備兵をなぎ倒しながら行くのが最短距離で早い方法だった。ただ犠牲者を“0”にはできない。
「かといってこんなところで日が暮れるまで話していれば、魔王様はどんどん戻りづらくなる、か」
トシンも頭を悩ませていたがどうにも案が思いつかなかった。馬車で替え玉を用意してリズロウを判別させなくさせる作戦も考えたが、同じ作戦を先日トシンがやってしまったせいもあり、今度は通用しないと判断せざるえなかった。トシンは地面に寝っ転がると、空に手を伸ばす。
「あ~あ。天から何かアイデアが降ってこないかな~」
神頼みをするトシンに、ケイナンがからかうように言った。
「おいおい。空から可愛い美少女が降ってくる並の願いごとをしてるんじゃねえって」
ケイナンの冗談にトシンはツッコミを入れる。
「空から美少女ってなんだよ……」
「ストーインでそういうお話があるんだよ。空から降ってきた少女と天空に浮かぶ城を目指して大冒険、ってな。大人気すぎて空から美少女が降ってくる話がいっぱいできるくらいには」
「“天国からの金貨”ってやつだね。労せず空から幸運が落ちてくるってのは、人間も魔人も変わらず好き……」
「そうだ!!! それだ!!!」
いきなり手を叩いて叫びだしたソフィに、リズロウ達はびっくりしてソフィを見た。
「な……いきなり叫びだしてどうした!?」
リズロウがソフィに尋ねると、ソフィは満面の笑みを浮かべて全員に言った。
「空から美少女よ! トシン、ケイナン、ナイスなアイデアを出してくれた! 空から美少女を降らせばいいのよ!」
「……何言ってんだ?」
リズロウはとうとうソフィが頭がパンクしたと思って心配するが、ソフィは得意げにリズロウを指さして言った。
「実際降らせるのは美少女じゃなくて……魔王様ですけどね」