13-1
――10年前。ケイナン、いやケールニヒはあの日のことをよく覚えている。その日はソフィ――アンナが遊びに来るということで、屋敷でアンナが来る準備をしていた。昼過ぎには来るはずだったのになぜか夕方になっても来ず、そして夜になっても来ないどころか連絡すら取れなかった。
そして次の日にアンナが野盗に襲われて、連れ去られたという急報がケールニヒの屋敷に届いた。自分たちの家族は必死に捜索した――将来の宗家のパイプが断たれるという懸念からだが――が、なぜかストーイン宗家、というより国王の動きは妙に遅く、そして1週間後には死亡したものとして扱われることになってしまった。
ケイナンは何度も捜索を続けるように訴えたが、子供の身分で、というより分家の王位継承権を持たない立場として、聞き入られることは無かった。そして決意した。アンナは絶対に生きている。そして自分が強くなる事でいつか絶対にアンナを助けると。
その日からケイナンは常軌を逸する訓練を己に課した。それはソフィが半年後に実は生きていたとして帰ってきてからも変わらず、そして15の時には王族の中でもトップクラスの実力を持つ、天才的剣士として名を馳せることになった――。
× × ×
「これが、私の過去です。ストーインに戻ってきた姉上は王位継承権だけはそのままに王家に復帰できましたが、死亡扱いになっていた時の手続きの問題もあり、“名誉身分”といった形になってしまい、実権を振るうのがほぼ不可能になりました。これで“王家の厄介な姫”と“宗家の立場を脅かそうとする厄介な分家”の2つを牽制する形になりました」
ケイナンはダグの部屋で、ジュリス、トシン、そしてこの部屋の主であるダグの3人に話していた。
「君がこの国に来たのは……故郷を追放されたからかい?」
トシンはケイナンに尋ねるが、ケイナンは首を横に振った。
「昨日の夜の話を繰り返す形になりますが、確かに私の家族および姉上の母に連なる王子たちはクーデターの失敗からストーイン王家より追放される形になりました。私も家族について北大陸に行くつもりでしたが、姉上が行方不明になったという話を聞き、調査を続けているうちにアスクランに行ったと思われる噂を耳にしました。もう私も18でしたし、自分の生き方は自分で決めようと、アスクランに渡る決意をしました」
ケイナンは部屋の水瓶を取るために立ち上がり、コップを4つ取る。そしてまず自分のコップに水を入れると、それを一息で飲み、そしてまた注ぎなおす。4つ分のコップに水を注ぐと、それを部屋にいる全員に配った。
「……じゃあ魔王様がソフィ様を助けた魔人だったということは、ケイナンも全く知らなかったんだね」
トシンはケイナンにもらった水を一口飲みながら、暗いトーンで言った。先ほどソフィと共に、リズロウが潜伏していたオークの里の空き家で話した後、リズロウはなぜかソフィだけを自分の部屋に連れて行った。気になったトシンは空いている隣の部屋で聞き耳をたて、そしてリズロウとソフィの話を聞いていたのだった。
「ええ。多分姉上も全く同じだと思います。アスクランに来た理由は、ストーインにいられなくなったのが半分、そして魔人への恩返しが4分の1、そしてもう4分の1が……」
話を続けようとするケイナンにトシンは手を出して止めた。
「ストップ。……それは話の腰がとんでもない音を立てて折れるから辞めよう」
「……? いや単純に馬に乗れないから、“別の移動手段”で行ける同大陸内って言おうと思っただけですが……それが何か?」
疑問を口にしたケイナンにトシンは苦笑いをしながら言った。
「き……君、ケイナン……ていうより、ケールニヒ様? の時はいたって真面目な人なんだね……。いや、だって君だってこの国に来た理由は大分アレな記憶だった気が……」
「アレ? アレとはなんだ?」
横で聞いていたジュリスはトシンの言葉にひっかかりを覚え、トシンとケイナンに尋ねた。ケイナンは挙動不審に目を泳がせた。
「あー……あははは……。そ……それは別に今の話には関係なくないですー……?」
「人を散々に巻き込んどいてよく言うね君は……」
呆れるトシンにジュリスは訳もわからず、トシンに強く尋ねた。
「だからアレとはどういうことだ! 答えないか!」
ジュリスに問い詰められたトシンは、目を細めてケイナンを見た。
「いや……言っていいのこれ?」
「だからなんなんだ!」
「ト……トシン……それ言うのはやめようか……」
トシンを問い詰めるジュリスを抑えながら、ケイナンはトシンに縋るように言った。そのケイナンの態度を見て、ジュリスはむしろトシンに怒るように言った。
「そもそもだ! お前はこの方がストーイン王家に連なる方というのはもう承知なのだろう! ただの1兵士が俺君などといった気安い言葉で接していい方ではないというのに、その話し方はどういうことだ!」
「そ……そんなこと言っても今更変えづらいですよ! というか僕だって結構丁寧な言葉遣いな方だとは思ってますけど!?」
「ジュ……ジュリス……それはいまいいから……」
いきなりギャーギャー騒ぎ始めた看病客に、ダグは不機嫌になりながら呟く。
「う……うるさいなあ……」
× × ×
ソフィたちがオークの里に着いたころにはもう日が暮れ始めており、ダグを安静にさせ医者を手配したり、長であるザボーに聞いてリズロウの潜伏先を確認したり、リズロウに報告していたりと色々な事をしているうちに、日は暮れており夜になっていた。
今回の事件や王城の状況を考えるとあまりのんびりとはできないが、昨日から行動しっぱなしということもあり、全員が疲れ切っていた。そのため今日は各々で里に泊まることになった。
リズロウとクイナはすでに空き家を借りており、ダグは宿屋の自分の部屋で安静にしており、ジュリスはずっと看病のために横についているとの事だった。ソフィが驚いたのは嫌いであったオーク相手にも関わらず、ダグの両親相手に丁寧な態度で臨み、息子を心配する両親も、ジュリスが横にいるのを許していた。
ソフィとケイナンとトシンは夕食は近くの食堂で一緒に取ることにしたが、追っ手が襲撃してくることを考え、戦闘能力を持つリズロウとケイナンに付く頭数を半々にするために、ソフィはリズロウの下へ、トシンとケイナンはダグの宿に泊まることになった。
「で、これからどうするんです?」
トシンはパスタをすすりながら一緒に食事を取っているソフィとケイナンに尋ねた。ソフィは鶏肉のステーキを切り分けながらトシンに言う。
「まずはアスクラン城下町に戻って、状況の確認。クーデターが起こってから2日が経ってる。ミスティ様とも合流しなきゃいけないし、何よりリズロウ様が戻って解決できる問題なのか、それを確かめないと」
ソフィの言葉にトシンとケイナンは頷いた。クーデターが起こった直後ならリズロウが錦の御旗を掲げて頭を潰すだけで終わったかもしれないが、今はもう時間が経ってしまっている。クーデターを起こした側も迎撃準備を整え、ただ勝つだけでは間に合わない状態になっている可能性が非常に高い。まずは状況を確認する必要があった。
「城に行くにあたってダグとジュリスは置いていくしかない。そもそもそんなに人数連れて目立つわけにはいかないけども」
「大丈夫なんです? クイナさんもですけど、けが人を見てくれる人は」
トシンの疑問にソフィはフォークを振りながら答える。
「そこは大丈夫。ザボー殿に頼んで、信頼できるオークを何人か用意してもらった。……ま、それでも不安なんだけどね」
ソフィの心配にトシンは頷いて答えた。
「そうですね。ダグの怪我も大丈夫でしょうか……」
「……それ以外に気にしなきゃいけないことがあってね」
「ジュリス大使長のことです?」
トシンはソフィの懸念を推測して尋ねた。確かに魔人、殊更にオークが嫌いなジュリスを置いていくのには心配が――。
「そう。ダグとの関係が……ね」
「…………あれ?」
トシンは思った答えとは微妙に違う答えが返ってきて、思わず聞き返してしまった。ソフィは自分の失言に気づくと、ケイナンに目配せをしながらフォークを置いてトシンに言った。
「あー……ジュリス……彼女がストーインで何て呼ばれてたか、知りたい?」
「あ……姉上、それは……」
ソフィが言おうとしたことをケイナンはさすがに止めようとする。だがトシンは逆に気になってしまっていた。
「な……なんて呼ばれてたんです?」
ソフィは周囲をキョロキョロと見て、あまり人がいないタイミングを見計らって小声でトシンに言った。
「……バカ×××(ピー)」
「ぎゃーーー!!!??? いきなり何言いだすんです!?」
発禁ものの単語をいきなり言い出したソフィにトシンは思わず立ち上がるが、ソフィは肩をすくめながら話を続けた。
「嘘でも何でもなく本当なのよ……いや私が付けたあだ名なんだけど」
「あんたが付けたんですか!? あんた姫様じゃないの!?」
トシンはソフィの言動にツッコむが、ソフィも若干怒りながら答えた。
「しょうがないじゃない! だって彼女、今まで4人くらい恋人作っておいて、全員から借金背負わされてるのよ!? それ誰が返済してやったと思ってんの!」
「はい!?」
ソフィの衝撃の告白にトシンは横にいたケイナンを見るが、ケイナンは目を伏せながら頷いた。
「……姉上の言葉は全部事実です。ジュリス……彼女は男と付き合うたびに生傷を見せて私たちの前に来ることが多くて、そのたびに私たちが厄介ごとに巻き込まれて助けてました……」
トシンは苦笑いしてソフィを見る。ソフィは椅子に寄りかかりながらトシンに言った。
「10年前に彼女に暴力を振るってた恋人を、私が別れさせたってのは君も知ってるでしょう? ……そのあとも恋人が3人ほどできはしたんだけど、ものの見事に全員ドグズでね。それだけならまだしも借金背負わされたり、他国家のスパイだったりで、周囲に大損害を与えてくんのよ……」
「それは……男運がよっぽど悪いんですかね……」
トシンはソフィに尋ねるが、ソフィは首を横に振った。
「いや……彼女は普段は聡明で、そんな男たちに引っかかるなんて考えられないような女性だった。で、流石に何でこんなにそんななのか私とケイナンで考えた結果……ある結論に至ってね」
「結論?」
「……ある意味、彼女は高嶺の花と言っていい。普段の態度で男もよりづらい。……だからこそ声をかけられればコロッと落ちてしまう。でもそんだけで落ちるか? って問いに……まぁよっぽど×××が××××かつとんでもなく性欲が強いんだなって結論になって……」
トシンはここまで話を聞いて、正直後悔していた。あまりにその結論がくだらなすぎるからだった。
「それで……バカ×××(ピー)……」
あまりにくだらなすぎる話に3人は黙りこくってしまったが、トシンはあることを思い出した。
「……あ!? ダグとの関係って!?」
トシンが声を震わせながらソフィに尋ね、ソフィは重くうなずいた。
「そう……こんな運命的な出会いした男の子。……あのバカ×××(ピー)が疼かないと思う? ……正直あの二人を一緒に置いときたくはなかったんだけど……まぁ種族間の憎しみが解決されるならいいかって」
トシンは頭を抱えながら、ある思いを抱いていた。それは奇しくもリズロウと同じ思いを抱いていた。――こっちに来る人間は“ヤバい”やつしかいないのか、と。