12-2
何かが貫かれる音が聞こえるが、ジュリスは自分の身体に痛いところが何もないことに気づく。そして恐る恐る目を開けると、目の前には信じられない光景が広がっていた。
「ダグ! あんた……!」
ジュリスの後ろからソフィの叫び声が聞こえる。その声のトーンは悲惨なものを見た甲高い恐怖の声色だった。
「あ……ああ……!」
ジュリスの目の前で、ダグが敵のオークに槍で腹を貫かれて呻いていた。敵のオークもよく見るとジュリスに身体を向けておらず、その後ろにいたダグの方へ身体を向けている。
「お前えええ!!!」
トシンはダグを槍で貫いている敵に向かって突進していくが、敵のオークは冷静に槍をダグの腹から引き抜くと、その槍をトシンに向かって突き出す。しかしトシンは普段は浮かべないような冷徹な表情でその敵の行動を見ていた。
「この……クソ野郎!」
トシンが足を思いっきり振り上げると、草むらに隠れていた槍が敵のオークに向かって突き出していく。先ほどトシンが倒したもう一人のオークが落とした槍だった。突如現れた槍を敵はなんとか避けるが、体勢を崩してしまう。だがまだトシンの攻撃は射程外であり立ち上がれる範囲である――はずだった。
「使うのは初めてだから……重傷負っても責任取れないからな!」
トシンは両手で“銃”を構えた。命中精度に難があるから敵との距離は5m以内かつ、動きを止めている時に撃てとケイナンから教わっていた。――そして今がその時だった。トシンはオークの両足を狙って打ち抜いた。
「がああああああ!!!???」
膝を打ち抜かれたオークは叫び声をあげてその場に倒れて悶絶する。トシンはトドメでそのオークの顔を踏み砕くと、倒れているダグを見た。
「ダグ! 無事かい!?」
トシンがダグの方を見ると、ジュリスがすでにダグに駆け寄っており、腹の傷の応急手当を行っていた。このままトシンもダグの治療に加わりたかったが、今度はすぐにケイナンの援護に行かなければならない。先ほど使った銃も、ケイナンが隠れる直前に荒事になった時の事を想定して、トシンに預けていてくれたものだった。
「なぜお前が刺されているんだ……!」
ジュリスはダグの腹部の怪我を治療しながら言うが、ジュリスにもその理由がわかっていた。――ダグがジュリスを庇うために、敵のオークへと立ち向かったのだ。勝ち目が0にも関わらず。
「私はお前たち魔人が嫌いなんだぞ……!」
昨晩、ソフィはジュリスに出世したなと皮肉混じりの質問をしていた。確かに姫の一教育係がストーインの外交特派大使長まで昇りつめたのは大出世と言っていいだろう。だが、ジュリスは北大陸や東大陸といった“人間”相手の地域に配属されたかったのに、魔人も相手にすることになる国内での対応に留められたことを不満に思っていた。
そして実際に魔人たちとの相手をすることになってから、ジュリスは魔人相手への不満を隠したことは無い。それが交渉する立場の人間として不利になることを知りながらも、魔人への嫌悪感を抑えることができなかったからだ。
「でも……あなたは……」
ダグは痛みと出血で息を荒げながら、言葉を何とか絞り出そうとする。
「なんだ! 何が言いたい!?」
「……あなたは僕を庇ってくれたじゃないですか」
ダグの発言にジュリスは動きが固まってしまった。それほどの衝撃だった。
「私が……庇っただと……?」
ジュリスはダグと話したアスクラン城でのことを思い出した。確かにあの時、ダグの失策を見ないことにしたことはあった。それで不当に利益を得ることは自分が許せなかったし、何よりダグが“子供”であるとわかっていたからだ。――庇ったという自覚はなかった。
「だから……あなたは悪い人じゃないって思って……僕はそれで……」
ダグはそこまで言うと気を失った。ジュリスは慌てて呼吸を確認するが、落ち着いているようだった。腹の傷も槍で刺されてはいるのもの、深い傷ではなく、重要な器官を傷つけているわけでもない。安静にしていれば命には別状のないものだった。
ケイナンと対峙していた3人のオーク――いや、もう“2人”になってしまったオークたちは戦慄していた。3人で囲めば充分だと思っていた。先ほどまで確実に圧倒もしていた。――だがなんだこれは。奴は剣を抜いただけだ。それなのに。
「……先ほどまで私が懸念していたのは、“殺さない”ようにするには、相手が訓練された者なら1対3は厳しいといったものだった。だがもう殺さないようにするのは難しいようでしたのでね。……まず一人、殺させてもらった」
ケイナンは心臓に一突きして死体になったオークを蹴り飛ばし、対面していた二人のオークの間に転がした。
「そしてようやくわかった。姉上が妙に大人しかった理由。そして貴様らがこの状況になっても“一言も言葉を発さない”理由も。……“トシンの言う事”が正しかったわけだな」
オークたちは瞬きもしなかったが、ケイナンの姿が急に消えた。だが訓練された二人はケイナンを見失わず、右手側に高速で移動したケイナンの姿を捉えていた。
「ストーイン王家の剣技の神髄と奥義は“速度”にある。特殊な歩行技術で瞬発的に加速し、そして寸分の違いもない“型”でその速度を力に変え、剣に過たずにすべてを乗せる」
ケイナンはアスクランに来てからも、その速度で魔人たちを素手で打ちのめしてきた。速度だけならリズロウも追いつけないほどの動きをすることができた。だがそれはあくまで手加減しての事だった。本当の速度は“剣の重さ”を利用することで、人間の限界を超えた速度をもたらし、その速力を用いて打撃力に変えるものだった。
オークたちはケイナンの動きを捉え、そしてそれを防ごうとする。しかしケイナンは構わずにオークたちに突撃していった。
「しゃらくさいんだよっ!!!」
――しかし止まった的に対し200%以上の力を発揮して、全身のバネを使って振りかぶったケイナンの剣は、防ぐために構えたオークの剣を叩き割り、致命傷を与えた。そして残りの一人になったオークは恐慌状態に陥り、剣を捨てて逃げようとする。しかし破裂音がしたかと思うと、そのオークは恐怖から動きを止めてしまい、そして背後から現れた影に足を切られて倒れた。
「……トシンですか。その銃、使えてるみたいですね」
オークの足を斬ったトシンは、剣についた血を拭きながらケイナンに言う。
「もう、弾は使い切ってしまったけどね。……それより」
トシンはケイナンの後ろに倒れている死体を見て言った。
「人を……殺したんだね」
ケイナンは悲しげな表情を一瞬浮かべるものの、それを悟られないように表情をすぐに戻す。
「もう、これが初めてではありませんから。……みんなを呼び戻しましょう。あまりグズグズしていると、今度は”後ろ”の追っ手に追いつかれてしまいます」
× × ×
戦いが終わり、ソフィたちは負傷したオークたちを縛り上げて雑木林に投げ捨てる。2人はケイナンによって殺され、4人は全員重傷を負っていたが、放置しても1日は生き残れるくらいの処置はしておいていた。あまり丁寧に治療すれば、動いて報告されるかもしれないからだ。生き残れるかは時の運かもしれないが。
ソフィたちは戦いが終わって、即出発の準備を始めていた。ただし先ほどのオークの襲撃で馬車に傷がついていた為、動かす前にメンテナンスが必要だった。それにダグは命に支障は無いとはいえ、雑に動かせるほどの軽傷でもなかった。
「なんで彼らは“前”から現れたんです?」
トシンは馬車の車軸を確認しながら、荷台で荷物の確認をしているソフィに尋ねた。ソフィは顔を強張らせ、回答に困っていた。しかし近くで死体を埋めてやるための穴を掘っているケイナンがソフィに言う。
「姉上。もう黙っていてもしょうがないと思います。姉上は気づいていたんでしょう? ……彼らが“人間”だということに」
ケイナンの発言に、トシンだけでなく荷台でダグの看病を行っていたジュリスまでもが動揺していた。ジュリスは声を荒げてケイナンに尋ねる。
「何をおっしゃっているのですか!? あの賊どもはどうみてもオーク……!」
「いえ……彼らは人間よ。ジュリス、ちょっとこっち来れる?」
ソフィは荷台から降りると、ジュリスを手招きする。ジュリスはダグに目配せすると荷台から降り、ソフィと共に雑木林に放置したオークたちの下へ行く。ジュリスは改めて彼らをよく見るが、やはりどこから見てもオークだった。
「アンナ様……? やはりオークにしか……」
「ジュリス、よく見て」
ソフィは頭を殴られて気絶しているオークを蹴り飛ばし、ジュリスの前に転がす。そしてオークの身体の上から土を振りかけた。すると振りかけた土はオークの身体にめり込み、見えなくなった。ソフィはさらにオークの顔に手を当て、拭うように手をこする。すると緑色の顔料が顔から取れ、顔からは肌色が見えていた。
「……おそらく擬態魔法がかけられている。顔はメイクで誤魔化してる。人間がオークのせいにするために、わざわざこんな手の込んだことをしてる。気づいたのはトシンがこいつらの臭いに気づいたときに、“オーク”って明言できなかったところね」
ジュリスはトシンが鼻を鳴らしていた時のことを思い出す。確かにあの時は臭いがわずかで種族を特定できないとは言っていた。ジュリスが思っている疑問を察し、ソフィは答えを合わせるように言った。
「近くにダグっていうオークの臭いのテストケースがあるのに、それを判別できなかったのかって。そりゃオークの臭いにも個人差はあるだろうけど、トシンがそれに気づかないことに違和感があった。……ただあくまでこの時は違和感程度だけどね。人間だと断定できたのは襲われてから」
「なぜ……!?」
ジュリスは息をのんでソフィに尋ねた。ソフィはうつむきながらジュリスに言う。
「……昨晩、トシンが一つの疑問を提示した。今回の事件に“人間”が関わっているのではないかと。その時はトシンがふと思いついた疑問としか流してなかったけど……よく考えるとこの蹶起は色々な疑問がちらつくのよ」
ソフィはそう言いながらも、説明を続けることを躊躇しているようでもあった。だがもうその事実も見ないでいることはできはしない。ソフィはそう自分に言い聞かせながら、話を続けた――。