11-2
アスクラン城下町を脱出してから5時間後。ソフィたちはストーインへなるべく近づくために北へ向かっていた。しかし事件が起こったのが昼過ぎであったこともあり、そこまで距離を稼ぐことができないまま夜になってしまった。微妙に曇っており、月も出ていなかったため、馬車を進ませるのにはリスクが高すぎると判断し、野宿をすることにしたのだった。
周囲には草原が広がっており、人口の建築物は見当たらなかった。雑木林程度の木々が連なっている場所を見つけると、そこに馬車を泊め、キャンプの準備を行う。
「あ~くっそ……頭痛い……」
目を覚ましたソフィは薬の影響で痛みが治まらない頭を押さえながら、焚火の前でジュリスに寄り添っていた。トシンはソフィとジュリスの二人を見て、その関係性がとても気になっていた。
トシンが知るソフィは勝気で欲求に正直で遠慮がない女性であった。だが今目の前にいるソフィ――いやジュリスが言っていた名前では“アンナ”と呼ばれていたその女性は、しおらしくそしておしとやかさがあった。そしてジュリスに対しまるで母に対するようにその身体を預けていた。
「……お二人はどのようなご関係なんですか?」
トシンは焚火の前で夕食の準備をしながらジュリスに尋ねた。この女性が魔人に対し嫌厭感情を抱いていることはトシンも承知している。そのためなるべくこの女性を刺激しないように丁寧な口調を心がけていた。
「……私はこの人の教育係だった」
ジュリスもそのトシンの配慮を察してか、顔を合わせないまでもトシンの話に応えてやっていた。
「教育係?ガーランド家の執事の教育ってやつです?」
トシンは以前聞いていたソフィの過去を思い出し尋ねる。だがその言葉を聞いたソフィはバツの悪い顔をし、ジュリスは意味が分からずにトシンに返した。
「ガーランド家? 執事? いったい何のことだ?」
「え……?ソフィ様……いやこれは偽名だったとしても、ガーランド家という執事を輩出する家の出身だと聞いておりましたが……」
ジュリスは呆れた表情でソフィを見る。
「アンナ様……あなたは……」
「だって……素直に出身を言うわけにはいかないでしょうが……」
ソフィの言い訳にジュリスは肩を落とした。そしてソフィの頭を撫でてやりながら言った。
「この方はアンソフィア・フィリス・ストーイン。……ストーイン王家の第6番王位継承者。……ストーイン国のお姫様だ」
そのジュリスの告白に、正面で聞いていたトシンだけでなく、少し離れた場所で薪を集めていたダグも持っていた薪を落とすほどの衝撃を受けていた。
「は……ははは……じょ……冗談でしょう?」
トシンはどう表情を作っていいかもわからず、乾いた笑いが出続けたままソフィに尋ねる。しかしソフィはしばし迷ったあと、トシンに答えた。
「……いいえ、本当ですわ。ワタクシの本当の名前はアンソフィア。ソフィは身分を隠すために考えた偽名。……そして普段のあの性格も半分は演技ですの」
トシンは“アンナ”の言葉を聞き、ソフィとしての面影が感じられないその言葉に衝撃を受けた。
「その話し方は……!」
トシンの衝撃を察してか、ケイナン――“ケールニヒ”がトシンの肩を叩く。
「普段の“ソフィ”としての振る舞いが完全に嘘という訳でもありません。ですが私たちの“素”の振る舞いは、こちらなのです……」
「そして……こちらのケールニヒ様は、アンナ様の“婚約者だ」
ジュリスの紹介を聞き、トシンは自分の肩に手を置いているケールニヒを見た。こちらも普段のケイナンとは違う――いや、一度だけこのような雰囲気の彼をトシンは見たことがあった。
「婚約者って……二人は姉弟じゃないんですか?」
トシンは小指に嵌めた指輪を握りながら尋ねた。トシンの問いにケイナンは悲しげに首を横に振った。
「私たちは姉弟とは思っていますが……厳密に言うと違います。私とアンナは従姉弟なんですよ。……ただアンナの方はストーイン宗家で、私の方は分家なんですけどね」
ダグも薪を拾い集め、5人全員が焚火の前に集まっていた。ソフィはジュリスから離れて体勢を立て直すと、焚火の前に座る。――そして覚悟するときが来たと思っていた。自分の出生を明かさなければならないときが。
「ワタクシ……いえ、私がこの国に来た理由。働き口を探しに来た、というのは半分本当だけど、半分は嘘。私が本当にこの国に来た理由、それは……」
× × ×
アンソフィア、身近な者達からはアンナと呼ばれていた彼女は、ストーイン王家の長女であり、王位継承権第6位として生を受けた。母はストーイン王の正妻であり、同じ母から生まれた兄は2人おり、彼らもそれぞれ継承権第3位、第5位であった。
女ということもあり王位継承権はあるものの、それといった期待は受けておらず割とノビノビと育てられていた。父と母は王族としての立場からソフィに構うことは少なかったが、ソフィの周りには多くの教育係がおり、ジュリスのそのうちの一人だった。
そして分家で同じ年に産まれたケールニヒ、こちらも近しい者からはケーンと呼ばれていた男の子とは幼いころから婚約が決まっており、互いに仲が良かったこともあってずっと一緒に遊んでいた。そのころからケーンはアンナの事を“あねさま”と呼んでいた。
このままいけば王族としてなんら外れることのない幸せな生涯を歩むはずだった。――しかし皮肉にも彼女に備わっていたある“素質”が、その幸せを失わせることになった。
ある日、アンナとケーンの教育係として勉強を教えていたジュリスは、目にたんこぶができていた。周囲には訓練の最中にぶつけてしまったと言っていたが、アンナはその傷に違和感を感じていた。
そして周囲の者を使い調査しているうちに、ジュリスに恋人がいたこと、そしてその恋人から暴力を受けていたことを知る。普通なら――いやそこまで調べ上げる時点で“普通”ではないのだが――身近な大人に頼んで解決を図ろうとするだろう。しかしアンナは自身の姫という立場を活かし、そのジュリスの恋人を物理的に“排除”してしまった。
ジュリスが全てを知ったのは、その恋人が魔人との戦争の最前線に送られ、オークに殺されたという逝報をもらってからだった。この時アンナは7歳であった。
そしてこのことを知って大騒ぎになったのはストーイン王家だった。――異常な才覚。誰もがアンナの事をそう思うしかなかった。今までアンナが半ば放任して育てられてきたのは、アンナが“女”という王家のお家問題から蚊帳の外だったからという理由だった。しかしその才覚が完全に目覚めてしまえば、6個くらいの王位継承権ならひっくり返してしまうかもしれない。そしてそうなればアンナより上の王位継承権を持つ王子たちだけでなく、アンナと婚約している分家のケーンの家系が宗家に入ることになってしまう。
それはストーインとして許されることではなかった。――そしてその計画は実行された。
アンナが8歳のころ、ケーンの家に遊びに行くために馬車に乗っていたアンナは、突如謎の集団に襲われて拉致されてしまう。ケーンはすぐにアンナの救出を依頼するが、なぜか周囲の動きは王家の姫が拉致されたにしては鈍すぎた。
――そして1月以上アンナは帰ってこず、王家はアンナが野盗に襲われて殺されたという御触れを出した。そしてその野盗とは“魔人”であると。
× × ×
「だけど実際には違う。本当は人間の暗殺者に狙われて、危うく殺されるところだった。ストーイン王家が私の存在を危ぶんで、殺そうとしたわけね」
“ソフィ”としての態度でソフィは今までの自分の過去を話していた。そこまでの話を整理して、トシンはソフィを指さしながら言う。
「僕は正直ストーインの今の王様の名前も知らないんですが……。今の話を聞くと、ソフィ様死んでませんか?」
「……そりゃそうでしょうよ。もう少し話は続くわよ」
× × ×
暗殺者に襲われたアンナだったが、足がつかない海外に拉致される直前、ある者に救われる。――ただしそれは人間でなく、“魔人”だった。だが当時のアンナはその魔人の姿が良く見えておらず、ただ人間のシルエットでないものが自分を助けてくれたという認識しかなかった。
その魔人は近くに住む人間の知り合いの下に連れていくと言い、ソフィを背中に乗せると空を飛んで連れて行った。そうして連れていかれた先が、鍛冶屋のロウズリー夫妻の家であり、しばらくの間匿われることになった。
そして半年後に実は生きていたとしてソフィはストーインに帰還する。だが一度死んだことになったために、王位継承権の引継ぎ周りでゴタゴタが生まれており、一応継承権自体はソフィに戻るものの、実際にその地位を利用して何かを企むということが不可能になった。
× × ×
「……で、今に至るわけ。だからストーインのお姫様って言っても、できることがあるわけじゃないし、実家に戻ったところで厄介者なわけよ、私は」
ソフィは焚火に薪をくべながら、吐き捨てるように言った。トシンはソフィは姫という事実を確認し、改めて今までのソフィの行動を思い返す。ソフィの異様な有能さとそのスキル。これは先ほどの話にあったソフィ自身の才覚もあるだろうが、それ以上に王族としての英才教育が影響しているのだろう。秘書や執事の範疇に収まらない働きはそこから来ている。
そしてやけに食事にうるさい面があった点。お茶の味の違いがわかったり、食事に関してやけに好き嫌いというか、吐き捨てることが多かったのも、上流階級の人間として舌が肥えてたからだろう。
最後にやけに自分の裸を見せることに躊躇しなかったのも、王族は従者の前で服を脱ぐ機会が多いので、自分のそれはあまり気にしないのだというところまで想像がついた。今までのソフィの謎の挙動が、ソフィは姫様であるということの補強になっていた。しかしそれでもトシンは納得できない点があった。
「……でも、それだけでアスクランに来る理由にはなりませんよね?だってこっちに来るまではストーインで暮らせていたんですから」
トシンの指摘にソフィだけでなく、ケイナンも表情を強張らせた。
「う……ま……まぁそうなんですけどね……」
ケイナンは顔を押さえてうつむいた。――なぜソフィがこちらに来た話で、ケイナンが弱っているのだろうか。トシンはそう考えた後、ケイナンを指さしながら言う。
「……そういやケイナン。君なんでこっちに?ソフィ様の話で確かに影は出てきたけど、そこら辺の因果関係がさっぱし……」
トシンのさらなる指摘に、ケイナンは観念して答えた。
「わかりましたよ……。じゃあ次は半年前の話になります。……人間と魔人の戦争が終結する直前の話です」