10-4
ソフィとケイナンの二人は3階にある客間へと向かい、ノックもせずにドアを開ける。そして中に入る直前、ソフィはケイナンに命令した。
「ケイナン! 外で見張ってて! 絶対に中に誰も入れないで!」
「了解!」
ソフィはドアを閉めると、中にいる人間たちに向き直った。突然の来訪者――しかも魔人ではなく金髪の少女が入ってきたこともあり、中にいた者たちは全員困惑していた。だがソフィは周りには目もくれず、奥にいたジュリスの下へと向かう。
「ジュリス! 今すぐ部下たちに命令して! “何も手出しをしない”と!」
「なんだ!? 貴様は一体……!」
いきなり部屋に入ってきた挙句、名前を呼び捨てにし命令までしてきた来訪者に、ジュリスは当然の態度で反論する。しかし、ソフィの顔を見てジュリスの動きが硬直する。
「…………ん? …………え、ちょっと」
だがジュリスは目の前の現実を理解することができず、頭が完全にフリーズしていた。――いや、あの人のはずがない。だってこんなところにいるはずがない。
「き……貴様は何者だ!?」
時間がないのに事態を把握しようとしないジュリスに、ソフィは地団駄を踏んで苛立ちながらジュリスを指さしながら言った。
「そのキツイ化粧! “ワタクシが昔別れさせてやったチャラ男をまだ引きずっておりますの”!?」
ソフィの発言にジュリスは天地がひっくり返るような衝撃を受け、そしてソフィの肩を掴んだ。ソフィの言葉を聞いた周りの兵士たちはボソボソと周囲で話し合う。
「え……あの人そんな過去あったの……」
「大使長も彼氏いたことあったのか……しかも遊ばれてたって……」
「……あの堅物のジュリス大使長が……マジで……? やべえ……すげえ興奮する……」
ざわつきはじめる周囲を見て、ジュリスはバツの悪い顔をすると、ソフィの顔を真っすぐと見た。
「ちょ……ちょっと待って……なんで……なんでこんなところにいるのですか!?“アンナ様”!!!」
ジュリスもソフィの事をアンナと呼んでいた。そしてソフィはジュリスの質問に答えず、普段のソフィからはまるで考えられないような高貴な口調で、ジュリスに命令した。
「いいから早く命令なさい! ジュリス!」
ソフィの命令を聞いたジュリスは反射的に周囲の兵に命じた。
「い……いいかお前たち! 私の別命があるまで、決して手を出すな!」
「ど……どうしたんですジュリス大使長!?」
兵のうち一人がジュリスに尋ねる。部屋に入ってきた“人間”の、しかも少女の言葉にあっさり従い、急に態度がおかしくなった上司を見れば、当然の態度であった。だがジュリスは一切の余裕なく、兵に怒鳴るように命令した。
「いいから黙って聞きなさい! いいかこのお方は……!」
だがジュリスの声は途中で遮られた。ドアの外で大きな衝撃音が聞こえてきたからだ。
× × ×
客間の前の廊下ではトラ型の魔人の兵士が口から泡を吹いて倒れていた。その前にはケイナンが立っており、周囲を魔人の兵に囲まれている。――そして彼らの手には剣が握られていた。
「ケイナン殿! そこをどいてもらおうか!」
廊下を囲む兵士たちをかき分けて、前に出てきたのはリザードマン型の魔人であるライズルだった。トシンの兵士だったころの上司であり、ライズルは倒れている兵士を一瞥し、ケイナンに言った。
「……ケイナン殿、どういうつもりだろうか。貴殿は確かにアスクランの食客ではあるが……我が隊の兵士を傷つける道理は無いはずだが?」
ケイナンは額から汗を流し、周囲の状況を見る。――あと時間を稼げてどれくらいだ。
「中にはソフィ秘書官がいらっしゃり、町で騒動を起こした人間達に聴取を行うために誰も入れるなと命じられた。……それをこの男は無理に入ろうとしたから実力を行使する必要があった。それだけだ」
ケイナンの態度が普段とまるで違うことに周囲の者たちは困惑していた。そしてケイナンの実力も周囲の者たちは知っていた。雑兵ではまるで歯が立たず、アスクラン最強の魔王リズロウに一太刀浴びせうる実力を持つ人間。多くの魔人がケイナンを囲んではいるものの、うかつに手を出せずにいた。
「……そうか。ではリズロウ様が人間に討たれたという報告を、ケイナン殿は聞いているかな?」
ライズルの言葉にケイナンは驚いて客間のドアを見た。ソフィが“最終緊急手段”である銃を使った理由もようやく理解できた。そして歯を食いしばり、周囲を見る。
「……そういうことか。貴様ら……」
ケイナンは一歩ずつさがり、ケイナンが下がるたびに周りの兵士たちは一歩ずつ距離を詰めていた。その様子を見てライズルは顔を歪めながらケイナンに言った。
「もしリズロウ様が人間に討たれたということが事実ならば、この国にいる人間は捕えなければならない。……そいつがスパイであるという可能性が非常に高いからな。そして……リズロウ様不在の間は、代わりの者がその座につかなければアスクランは纏まることができなくなる」
ケイナンはとうとうドアまで追い詰められ、剣の切っ先がケイナンの目の前に向けられた。
「私は先ほど“シャザール”様に命じられたのだ。現在城にいるジュリス特派大使、ソフィ魔王秘書官、そしてケイナン殿、お前を捕えろとな」
見栄を切ったライズルだが、ケイナンは顔を俯かせると、その肩を不気味に震わせていた。
「……クク」
「……どうかしたか?」
「ク……ククク……アーッハッハッハ!」
ケイナンは追い詰められているにも関わらずなぜか高笑いをし、周囲の兵はケイナンの謎の態度に動揺していた。ケイナンはひとしきり笑うと、笑いすぎて涙を目に浮かばせながら、不敵な笑みを浮かべていた。
「何がおかしい!」
「クククハハハ……! いや失礼。まさか”こんなところでも”こういう事態が起こるとは思わなくてですね」
先ほどと同じくケイナンの口調が普段からは考えられないほどに丁寧なものになっていた。まるで“高貴な生まれ”であることを示すような。
「申し訳ございませんが、その……シャザール殿について、私はあまりよく詳しく知らないのですよ。確かアスクラン近衛隊の隊長であり、有事の際にはリズロウ様に次ぐ権限を持つ№2で……10年前の革命の際にはリズロウ様の側近であったということは知っているのですが……直接会う機会がなくてですね」
明らかに様子がおかしいケイナンに対し、ライズルは汗が一滴流れる。そして恐る恐るケイナンに質問をした。
「貴様……本当に“ケイナン”殿か……!?」
ライズルの質問にケイナンは笑みを崩さずに言った。
「……確かに“今の私”はケイナンではないかもしれません。今この場では私は……“ケールニヒ”だ」
「ケールニヒ……?」
ライズルがケイナンが発した謎の名前に疑問を浮かべていると、ケイナンが背を預けていたドアが急に開く。ドアが開けられると思ってなかったケイナンはバランスを崩して後ろに倒れると、すぐにドアが閉まった。
「しまった……!」
機を逃した周りの兵士たちはすぐに客間のドアに向かうが、ドアの奥でバリケードが敷かれてしまったのか、すぐに開けるのが困難になってしまった。――しかし破れないほどではない。
× × ×
後ろに倒れこんだケイナンは床に倒れながら天井を見る。そして自分をのぞき込むソフィとジュリスに目が合った。
「やあ……お久しぶりですね、ジュリス」
ケイナンはジュリスに挨拶をすると、跳躍して跳ね起きた。そしてジュリスはケイナンの顔を見て、またも驚愕の表情を浮かべた。
「ま……まさか本当にケールニヒ様が……!」
ジュリスは目を見開きながらも、ケイナンとソフィを交互に見た。そして何か言いたげな顔をするが言い出せず、ケイナンがそれを察してジュリスに言う。
「……残念だけど、ジュリスの思うような関係じゃないんです。“家族”なのは変わりないのですが」
「家族……?」
「今は……“姉上”。いや……姉さんって呼んで……“るんだ”」
最後だけ“ケイナン”に戻った言葉を聞き、ジュリスは困惑の表情でケイナンを見た。
「ケールニヒ様……? あなたたちは一体……?」
ケイナンは自分とソフィをそれぞれ親指で指さしながらジュリスに言った。
「今はケイナン。そして姉さんはソフィという名前でこの国に仕えている。……姉弟としてね」
「姉弟って……あなたたちは……!」
客間のドアから大きな衝撃音が聞こえ、ケイナン達は身を震わせてドアを見る。バリケードを破るために外にいる兵士たちが衝撃を与えて壊そうとしていた。
「もう限界です! ジュリス大使長!」
ドアの前でバリケードを固めていた兵士の一人が叫ぶ。部屋中の家具を使いドアの前を固めていたが、魔人の方が人間より遥かに力が強いこともあり、突破されかけていた。
「こっちに来て!」
ソフィはいつの間にか窓の側におり、部屋で話し込んでいたケイナンとジュリスを手招きして呼ぶ。
「脱出の準備が整った。急いで脱出するわよ!」
「アンナ様……!? 口調が……!?」
ソフィの口調に驚くジュリスに、ソフィは苛立ちながらジュリスに言った。
「今そんなこと気にしてる場合じゃないでしょ!いいから早く!」
窓の下には馬車が用意されており、トシンとダグが下で待機していた。着地点になる場所には藁が高く積まれている。
「ソフィ様! そのまま飛び降りてください! 下には藁を敷いてますからそっから飛び降りても安全です!」
トシンが3階にある客間の窓から顔を覗かせるソフィに向かって叫ぶ。ソフィはそのトシンの気遣いに感謝して声をかけた。
「ナイストシン! 気が利くわね! ……いい! ジュリス! あなただけでもここから逃がす! あなたが生きてストーインに帰らなければまた戦争が始まる! 敵の狙いは……戦争の再開よ!」
バリケードを破ろうと。客間のドアが再度大きな音を立てて叩かれる。――その音は目前に迫っている魔人と人間の戦争の再開を告げる鐘のようだった――。