10-3
「まず開口一番に相手に謝ろうとしたこと。これが完全にナンセンスだった。……こういう時はな、こちらが悪くても謝ってはいけないんだよ。それだけで相手に理論武装を与えてしまうわけだからな。……それにだ。なぜこちらのオーガ兵が怪我をしているか、そこに気が一切回らなかったのか?」
ダグは現場の状況を思い出すが、ソフィが言わんとしていることが理解できなかった。必死に悩むダグに、ソフィはトシンとの素質の差をダグに感じていた。――普段の彼女からは想像ができないほどの冷徹さだった。
「……ヒントをやろう。“どうやったらオーガの腕を人間が折れるんだ?”」
ソフィから与えられたヒントにダグはハッとなって気づいた。そしてここまで来る道中で受けた喧嘩の内容の説明も思い出す。
「……どうやって骨折したんだ?」
人間がオーガの腕を折るというのは並大抵の事ではない。単純な基礎スペックが違いすぎることもあり、力勝負ではまず勝てないのだから。ケイナンという例外中の例外が常に横にいたこともダグの判断を鈍らせていた。そこまでダグが気づいたことを確認し、ソフィは指を折りながら言った。
「まず1、複数で取り囲んで危害を加えた。仲裁に出た時にやれなくもないが……それでも先ほどの報告と嚙み合わない。周りに目撃者がいる町中じゃなおさら。2、相手が予想以上に強くて関節技をあの兵に加えた。これは……直接見てないから何とも言えないけど、私の目線から見てもあの人間の兵士はその他Aくらいの強さだ。まずこれもないし、何より報告は“殴り合い”をしてたと言っていた。そして……3。ダグ、わかる?」
ダグは少し考えるが、やはり答えは出てこない。ソフィはここでもやはりトシンと比べざるを得なかった。トシンが相当に優秀な素質を持っているという事もあるが、それ以上にダグがまだ子供であるということも考慮にいれなければならないということはソフィにもわかっていた。だがソフィの言葉はダグを追い詰めてしまっていた。答えが出せずに涙目になるダグにソフィは謝りながら声をかける。
「……悪かった。3は……“自分で折った”だな」
ソフィのその解答にダグは驚いて声を上げた。
「え!? なぜそんなことを!?」
ダグの声があまりに大きすぎ、ソフィはダグの声を抑えさせるために人差し指を立てて静かにするように伝えた。そして小声で話を続ける。
「……現場を見てないからわからないけど、その可能性は非常に高い。考えられる理由を挙げるだけならいくつかあるけど……、問題はそこじゃない。そんなことをして何がしたいのか、よ」
ダグはソフィの言っていることの訳が分からなかったが、確かに腑に落ちる点はあった。人間同士どころか魔人同士の喧嘩だって、腕を折るというのは並大抵のことではない。殴って肋骨が骨折するのとはわけが違う。だがそうだからこそ“重傷”として周りに認知されやすい。
「……例えば喧嘩をしかけたのがこちらで、それを誤魔化すためとか」
ダグが思いついたことを言うが、ソフィは首を横に振った。
「それは“理由”に過ぎない。そして何よりそんなチンケなことをするようなヤツが自分の腕を折るなんて考えられない。今考えなければならないのは“敵”が何を得ようとしているか。マクロに考えなきゃいけない」
ダグはソフィの難解な問いに頭を悩ませていた。“理由”ではなく得ようとしている“利益”を考えろということ? そもそも“敵”とは? ――そしてそういった考えの中で、ある一つの思いがダグの中に産まれた。
「なぜ、あの赤い髪の女の人……ジュリスさんは僕が近づこうとしてるのを止めたんでしょう」
ダグの思いついた疑問にソフィは疑問符を浮かべた。だがダグを責めることなく、その理由を尋ねる。
「それはあなたにとって重要なことだと思う?」
「……はい」
ソフィが筋道を立ててくれているおかげでダグは自分の思いつきに確信が持てていた。ジュリスはソフィの知り合いだというなら、ソフィはその理由はわかるはずだと。ダグの迷いのない目を見て、ソフィはため息をついて答えた。
「……彼女はクソ真面目な人間でね。あなたのミスで不当に利益を得ることが許せなかったんだと思う」
ダグは頷いた。確かにあの女性は自他ともに非常に厳しい印象を与えていた。ソフィの言う理由にも納得はできる。
「……あと彼女は単純に魔人が嫌いなはず。魔人に好感を持っている話は聞いたことないからね。……これで納得できた?」
後者の言葉にダグは内心ショックを受けながらも、ようやくソフィの求める答えがダグの中で組み立てあがってきていた。
「ソフィ様。そもそもなんであのオーガの兵士さんが骨折したのを、人間側は証言しなかったんですか?」
ダグの言葉にソフィは硬直した。
「……確かに。私の推察である“自分で骨を折った”なら、不自然極まりない動きから相手から言い出さないほうがおかしい……!」
「でも、ソフィ様の言う通り、人間がオーガの骨を折るのは相当難儀だと思います」
ソフィは腕を組んで深く呻いた。
「う~ん……! ある意味リズロウ様がこの場にいなくてよかったかも……。どういう難題なんだろうこれは……」
ソフィはうんうんと唸りながら頭を回転させる。そもそも自分で折ったというのは場の状況からそれしか考えられなかっただけであり、もしかすると本当に折られたのかもしれない。難しく考えすぎているのだろうか。そう思いはじめていた。
「……思ったんですけど“最初から折れていた”のはどうでしょうか」
「……え?」
ダグの思いつきの言葉にソフィは無心で反応してしまった。あんぐりと口を開けたソフィの表情を見て、ダグは思いっきり手を横に振りながら答える。
「い……いや!ただそう思っただけなんです! “骨折して弱った相手を見て喧嘩をしかけた人間”か、“事前に骨折しておいて罪を擦り付けた魔人”か……で……!」
ソフィはダグの肩掴んでピョンピョンと跳ねながらダグに抱き着いた。ダグは恥ずかしがって身を捩らせるが、ソフィは構わずにダグに抱き着きながら言った。
「ダグ! それよ! それなら全部説明がつく! 人間側はやりすぎたとして罪悪感を背負うし、ジュリスも不利な部下を庇うためにダグを近づかせない! 周りの群衆も人間が折ったと思い込む! ……そして」
ソフィはそこまで言って、自分が言おうとした言葉を反芻し、そして冷や汗が流れる。
「……え、待って」
ソフィはダグから離れると周囲を見た。急に周囲を警戒しはじめたソフィにダグは不安になり声をかける。
「ソフィ様……?」
ソフィは額に流れる汗を拭くのを忘れ、必死に何か考え事をしていた。
「待って……じゃあ……もしかして……!」
そしてソフィの不安が具現化するかのごとく、ソフィたちがいる大広間の扉が開かれ、息を切らした有翼人型の魔人が入ってくる。そして必死の形相でソフィに手紙を渡すが、あまりに息を切らしているために言葉が出てこない。ソフィは急使を落ち着かせるために背中をさすりながら声をかけた。
「どうした! 何があったんだ!」
だが急使は慌てすぎて言葉を編み出すのに苦労し、何とか一言絞り出すようにソフィに言った。
「ハァ……! 魔王様が……ハァハァ……人間に討ちとられました!」
その言葉を聞いたダグは地面が歪むのを感じた。目の前の急使のように疲れ切っているわけでもないのに呼吸が安定しない。――だがソフィの動きは速かった。ダグの肩を掴んで大声で叫ぶ。だがダグは音は聞こえても言葉が耳に入っていかない。ソフィはダグの頬に平手打ちを入れると、改めて大声で叫んだ。
「呼んで! 早くトシンを呼んで! トシンに言って馬車を用意させなさい!」
ダグは正気を取り戻し、ソフィの命令を頭に入れると、背筋を硬直させてソフィの命令を復唱した。
「はい! トシンを呼んで、馬車を用意します!」
ダグはそれを言うと部屋から駆け出して行った。もう“何故”と理由を聞く余裕はなかった。状況が理解できないからこそ、こういう時のソフィは何よりも頼りになることを知っている。だからこそ今はソフィの命令を成し遂げることが重要だった。
ダグが行ったことを確認すると、ソフィは倒れこんでいる急使の身体を起こして質問をする。
「お前! 今の報告を私以外にしたか! 言葉にしなくていい!頷くか、首を横に振って答えろ!」
急使は最後の力を振り絞って首を“縦”に振って答えた。そしてソフィは急使をその場に寝かしてやると、懐から“拳銃”を取り出して実包を込めた。――ストーインでは貴族以上の身分の者しか持てず、アスクランでは流通すらしていない超貴重品だった。そして拳銃を構えながら大広間の外を目指していく。――まだソフィの身柄は囲まれていない。
ソフィは外に出ると、銃を地面に向けて発砲し、火薬の甲高い発砲音が周囲に鳴り響く。
「お願い“ケーン”……! 近くにいて……!」
ソフィが銃を鳴らしてから30秒後、近くの森から同様の発砲音が鳴り響く。それを確認すると、ソフィはもう一度拳銃を発砲した。そしてその発砲音がした森の奥からある人影が姿を現した。
「“アンナ”! 一体どういう事ですか!」
森から現れたのはケイナンだった。――しかし何故かソフィの事をアンナと呼び、その口調は普段のケイナンからは考えられない丁寧なものだった。
「聞いて“ケーン”! 今ジュリスがこの城に来ている! そして彼女の命も、私たちの命も危ない! もう時間がないの! 一緒についてきて!」
「ジュリス!? ジュリスですって!? なんで彼女がこのアスクランに!?」
「説明すると長くなる! いいとりあえずこれだけは守って! “ジュリスの救出”と、絶対に“殺さない”こと! いい!」
「……はい!」
ケイナンもこれ以上の詮索はやめにした。ソフィの慌てようからもう時間が一切ないということは理解できたからだ。ソフィは再度城の大広間に戻り、ジュリスがいる客間へと向かっていく。まだ城の中にはリズロウが討たれたという報告が回りきっていないのか、通常の仕事をしている者が多く見受けられた。だがソフィは全く安心できなかった。もう“敵”はすぐ後ろに迫ってきている。