10-2
ソフィが書類に書いてあったジュリスの名前に気づくと同時に、部屋のドアがノックされる。外からは息を荒げた兵士の声が聞こえてきた。
「ほ……報告です! 魔王様!」
ソフィは書類を机に置き、外に動揺が伝わらないようになるべく落ち着きを払って答えた。
「魔王様は現在外出しておられる。要件なら私が聞こう」
「ひ……秘書官様でしたか! 失礼します!」
中に入ってきたのはリザードマンの兵士だった。兵士は敬礼をするとソフィに報告を行った。
「先ほど人間の特使団の者たちが城下町に到着し……そして城下町を巡回していた兵の一部と衝突し喧嘩になったようで……!」
「なんだって!?早すぎるだろう!?」
ソフィはリズロウが出ていった窓から身を乗り出して、リズロウが飛んで行った方向を見た。あと報告が5分早ければ止めることができたかもしれないが――。今はもう点ですら見えないところまで遠くに飛んで行ってしまっていた。
「……了解した。私が現場に向かおう。護衛としてトシン、ダグ、そしてケイナンを呼んできてくれ」
「は!」
兵士は敬礼をして駆け足で部屋から出ていった。ソフィが先ほどから感じていた嫌な予感が胸の中で大きくなっていた。色々なことが重なりすぎている。そしてジュリス――彼女が来たことは果たして偶然なのか?
× × ×
ドラゴンの姿になったリズロウはクイナの案内で山脈を越え、報告があった人間の村の付近まで来ていた。
「あれがゴブリンに襲われた村か?」
リズロウは首を振って下にある村を示す。姿を潜められる森が付近にあり、確かにゴブリンが襲撃を行うのにうってつけな位置だった。クイナは頷いて返事をする。
「はい。あの村はリザスト村といい、畜産と野菜の栽培が盛んなところです。報告によりますと家畜が襲われ、人間には被害はなかったと」
リズロウはクイナの報告に首をかしげた。
「ん? 人間に被害がなかった? 魔獣が襲うならむしろ人間からだろう?」
「あ……確かに……!」
クイナもリズロウの言葉に同意した。父からもらった報告をもらった際にはあまり気にしていなかったが、確かに不自然であった。だがまずはとにもかくにも現場の調査をしないと始まらない。さすがにリズロウがドラゴンの姿のまま村に降りるわけにはいかないため、一度森に降りて魔人の姿に戻ってから村に行くことにした。
そしてリズロウが森に着地しようと降下した、その瞬間だった。
「なっ……!?」
周囲から矢が霰のように飛んできた。リズロウ一人であったなら飛んでよけるだけだったが、今自分の背後には戦闘能力のないクイナがいた。
「くっ!」
リズロウは羽を羽ばたかせて風を起こし、矢をすべて弾き飛ばす。だがそれはドラゴンの変身形態を解かずに樹木が生い茂る森の中に着地することを意味していた。
「しまった! 完全に狙われて……!」
リズロウは森に着地するが、ドラゴンの巨体に対し周りの樹木が邪魔をしてうまく身動きが取れなくなってしまう。そしてそこに――。
「何! 貴様らは……!!!???」
周囲にいたのはゴブリンであり、リズロウに対し弓を構えていた。そしてその横には同じく弓を構えた人間の姿があった――。
× × ×
ソフィとトシンとダグの3人は報告があった特使団と兵の衝突箇所に向かっていた。ケイナンも呼ばせていたものの、トシン達との朝の訓練後に姿を消しており、探しても見つからなかったとの事だった。時間がなかったためケイナンを待つことができず、仕方なくこの3人だけで向かうことになった。
トシンはソフィと町を歩いている最中、どうもソフィに落ち着きがないことに気づく。しきりに周囲を気にしており――そしてダグの背中に隠れて身を隠そうともしていた。
「どうしたんです? ソフィ様」
ソフィに背中を張り付かれているダグは不審がって尋ねた。ソフィは気まずそうに答える。
「いや……いきなり知り合いにバッタリ会うと気まずいと思って……。あなたたちを呼んだ理由も本当はそれで、できれば私の身体を隠してあなたたち二人で話してもらいたいんだけど……」
「知り合いって……誰の事です?」
トシンはソフィに尋ねた。
「赤いウェーブの髪をした、キツイ表情の女性がいるはずだから、それが私の知り合い。だからダグ、外交官志望なんだからうまーく誤魔化して……」
ソフィの無茶な依頼にダグは困惑しながら言った。
「ぼ……僕ですか!? そんなの無理ですって!」
そうこう話しているうちに3人は事件現場へとたどり着いてしまった。人間の気配を察したソフィはダグの後ろに身を隠した。
「わ……私が後ろから指示してあげるから! とにかくなんとか頑張ってダグ!」
「そ……そんなぁ~……」
声を震わせて助けを求めるダグに、トシンは励ますように肩を叩いてやって諭すように言った。
「この人の無茶ぶりはいつもの事だ……。僕もなんとかするから頑張ってくれ……」
そして3人――人間側からは子供のオークと小型犬のような犬型獣人の二人が来たように見えるだけであったが――がアスクラン側の仲裁者として到着した。
× × ×
人間の兵のうち一人は青タンが右目にできており、魔人側はオーガの兵が左腕を骨折しており応急処置を受けていた。報告を受けてから30分ほどが経っていたが、喧嘩は一旦落ち着いており、互いの代表者の到着を待っているようだった。粗暴なように見えてこの辺りはどちらも大人というか軍隊だということかと、トシンは周りを見て思っていた。おそらくソフィも同じ考えだろう。――だが問題はダグだった。
「だ……大丈夫ですか?」
ダグは腕を骨折したオーガの方まで気が回っておらず、まず相手側の人間の兵士に寄ろうとしてしまった。ダグの背中に身を隠していたソフィは慌ててダグを止めようとするが、ソフィの力ではダグがそれに気づくことすらできなかった。ダグは“良心”からその兵士を心配していたが――だがダグが近寄ろうとしたとき、キツイ口調の女性の声が聞こえてきた。
「それ以上近づくのはやめてもらおうか」
ダグはその声の方向を見た。自分のすぐ横で馬に乗っていた人間の女性がダグに剣を向けていた。赤いウェーブの効いた髪、化粧が若干濃いキツそうな性格の顔。ソフィの先ほど言っていた特徴の女性そのままだった。ダグはその女性をまじまじと見てしまい、女性は不快な表情を浮かべながらダグに尋ねる。
「私の顔に何かついているのか? ……そんなに人間の女が気になるのか?」
「す……すみません!」
ダグはすぐに3歩下がり直立の姿勢を取って深々と頭を下げる。そしてダグは落ち着いてようやく周りの状況が理解できた。人間たちはダグに対し、化け物を見るような軽蔑した目で見ていた。――それはダグが近寄っていた、あの怪我した兵士もそうだった。ダグと一定の距離を置いた赤い髪の女性は、“特派大使”の礼儀に則って礼を行った。
「……私はストーイン外交特派大使長ジュリス・ブラディだ。今回はストーイン領にて農村がゴブリンに襲われた件について話にきたのだが……どうやらそちらは人間に対し、穏便に済ますつもりがないように見える」
ジュリスの言葉はあまりに抜き身であり――そしてそれは魔人への敵愾心をそのまま表しているようだった。最初は泣き言を漏らしながらもソフィやケイナンの例から『話せば大丈夫だろう』と甘く考えていたダグもここでようやく状況を悟る。
――人間こそ魔人に対し“侮蔑”と“恐怖”を抱いているのだと。
ダグとトシンは互いに自己紹介と状況の説明をジュリスに済ませると、全員を城へ案内することにした。リズロウが戻ってくるのが今日の夜か明日の朝になるため、町で待機させるよりは城に迎えた方が穏便済むと考えたからだ。
そして道中に別の兵士から喧嘩の状況を聴取した。どうやら人間側の兵士が道中魔人に対し横柄な態度を取り、それを咎めに来たオーガの兵士と喧嘩になったらしい。そして周りもその喧嘩を止めず、互いに血が出始めてから仲裁に入ったという。その説明を聞きながらソフィはある“違和感”を感じ、骨折したオーガ兵を探した。だがいつの間にかその姿が消えていた――。
× × ×
ジュリス率いる特派大使団が城の大広間に到着すると、緊張のあまり頭が回っていないダグに代わり、トシンが彼らの待機する用の部屋に案内することになった。離れる直前、ジュリスがダグに対し目を合わせずに言う。
「……君の歳はいくつだ」
「え……?」
質問の意図がわからないダグは答えに窮してしまっていた。ジュリスは苛立ちながら再度ダグに尋ねる。
「いくつだと尋ねているんだ」
「……15歳です」
その答えを聞いたジュリスは舌打ちした。そして兵士たちに聞こえないように小声で言った。
「今回の事は君が子供だったということで目を瞑ってやる。……本来ならこういった場に、君みたいな子供を出すこの魔人の国が欠陥を抱えているということだがな」
ジュリスはそれだけを言うと、ダグに一瞥もせずにトシンの案内に従って部屋に向かっていった。そして周りに人間がいなくなったことを確認すると、ダグの横に現れて背中を叩いた。
「“0点”だ。……考えうる限り最悪の行動と取っていたな」
その声にダグは全身から汗を噴き出した。ソフィの声にはいつもの明るさや軽さというものがなく、完全に“ソフィ魔王秘書官”としての公的な態度だったからだ。
「色々言いたいことはあるがまずは答え合わせからだ……。思った以上にこれは……まずいかもしれない」