10-1
アスクラン王執務室。リズロウはソフィと共に書類と格闘しており、数時間にわたる確認作業にもようやく終わりが見えてきていた。ソフィは部屋の隅にあった水瓶から水をコップに入れると、それをリズロウに渡す。
「あー……やっと今日の分も終わりか……」
リズロウは水をありがたく受け取り一気に飲み干すと、眉間に指を当てて揉んだ。こういう仕事こそが平和な世の中のものであるとはわかりつつも、リズロウ自身は書類仕事がどうしても苦手だった。
「まだこれから大きな書類案件がありますけどね。“宝くじ”の」
もうお疲れムードのリズロウにソフィはやんわりと指摘する。ソフィのその言葉を聞き、リズロウは不満そうに髪をかきむしった。
「本当にやるのかよそれ……」
「ええ。国が発行する宝くじは手っ取り早く税収を稼ぐ手段ですから」
ソフィはこの前の競馬の時から一つの政策を考えていた。それが“宝くじの販売”だった。ストーインでも年のそれぞれの節目に記念として宝くじの販売を行っており、それが国民の間での風物詩になっていた。
「本当に宝くじは儲かるのか? くじを買ってくれなかったらどうもできないだろ?」
リズロウは部屋にあったサンプルのくじを持ってペラペラと振る。だがソフィは自信満々に答えた。
「大丈夫です。まず一つにこれは“国”が販売しているものとして公正明大に打ち出します。それだけで絶対にくじで当たったら支払われるという保証が人々の中で信用されるわけです」
そしてソフィはリズロウの机の上にある大量の書類をリズロウの目の前に置く。
「で、あとは地域住民に密着させるためにこの書類全部書いて、城下町のあらゆる商店でおまけで宝くじを配ってもらうようにして認知してもらう。……そうすれば驚くほどに税収が期待できますよ」
目の前に積まれた書類の束を見てリズロウは深くため息をついた。
「はぁ~~~……ちくしょう……ソフィ、食堂に行ってコーヒーもらってきてくれ……」
「はいはい」
ソフィがリズロウの部屋を出ようとしたその時、ドアが急にノックされた。
「リズロウ様よろしいでしょうか? クイナです」
外から聞こえた給仕係の声にソフィは上機嫌で言った。
「あ、ラッキー。向こうから来てくれましたね」
今リズロウの部屋のドアをノックしているのは、2か月前にソフィが来てからリズロウとソフィの給仕係を行っている有翼人型の魔人である使用人のクイナだった。ソフィは彼女の来訪が何か持ってきたものと思っていたが、ドアを開けたソフィの目に映ったものは全く予想外のものだった。
「クイナ……? どうしたのその恰好?」
クイナはいつもの使用人の恰好ではなく、空を飛ぶための軽装の動きやすい恰好で来ていた。
「……魔王様に大事なご報告があるのです」
× × ×
クイナからの話を聞き、リズロウとソフィは言葉を失っていた。クイナの話がでたらめである可能性も否定できなかったが、クイナが渡した書類からその可能性もなくなってしまった。
「……これが今起こっていることの一連の顛末です」
クイナは恐る恐るリズロウに言った。リズロウはかなり不機嫌な顔で固まってしまっており、“魔王”としてのリズロウしか知らないクイナにとっては恐怖しかなかった。
「……ごくろう。ああ、貴様が悪いわけではないことはよくわかっている。そこまで固まらなくてもよろしい」
リズロウは書類をソフィに渡す。
「まさかこのような事態になるとはな」
ソフィも書類に目を通し、リズロウと全く同じ気持ちを抱いていた。書類はストーインの外交担当からの手紙であり、そこにはいくつかの事が記載されていたが、重要なことは2つだった。
“国境付近の人間の村がゴブリンに襲われた”
“事態究明のために使者をストーインに送る”
1つめのゴブリンが人間の村を襲ったことについて、リズロウもソフィもわからなくはなかった。野盗が襲ったという犯罪も否定はできないが、十中八九“魔獣”のゴブリンが襲った可能性が高いと。
「……ただ人間に魔獣と魔人の区別をつけろって言っても難しいからな……。こっちは簡単に区別がつくんだが」
“魔人”は人間と魔物の混合種。――つまり魔人のモチーフになった魔物が別でいるわけであり、そもそも人間が魔人を忌避する理由の一つに、この魔獣と魔人の区別がつけようがないという事があった。魔人からしたら言葉を解せない魔獣とは一発で区別がつくだろうと言いたくもなるが、厄介な犯罪者だと魔獣に罪を擦り付けるために魔獣のふりをすることがあり、そのせいで信用が失われてしまっていた。
「私も正直区別つかないときのが多いですからね……。今のところ話が通じる相手で助かってますが……」
ソフィも魔人と魔獣の区別がつかない点に関しては同意せざるを得なかった、人間ですら人種が違えば顔の判別は困難になってしまう。その点は仕方ないとも思っていた。
だがもう一つの“ストーインからの使者”がやってくるという点。こちらが大きな問題だった。
「こちらが早すぎる……!クイナ。貴様の報告だと村が襲われたのはまだ1週間も経っていないということだが」
クイナは頷いた。人間の村が襲われたのは5日前。――そして使者が到着するのが明日。ストーインからここまで馬を飛ばしても4日か5日かかることを考えると、その動きは明らかに早すぎた。
「そもそもなんでこの報告をクイナが?あなた普段の仕事は給仕係でしょ?」
ソフィの指摘はもっともだった。アスクランの人材不足は問題にはなっていたが、さすがに素人の給仕係に報告までさせるのは異常だった。クイナは答えづらそうに表情を強張らせながら、そして報告した。
「……私の父は国境付近とアスクラン城を結ぶ伝書使を務めているのですが……。最近怪我をしてしまい、代わりの者を用意する必要がありました。ただ皆さん引き受けられるほど余裕がなく、私に白羽の矢がたった形になります」
「あ、そうなの」
ソフィはクイナの父も城に勤めていたことは知らず、うっかり驚いて返事をしてしまった。そしてようやくクイナが動きやすい恰好でここまで来ていた意味を理解した。
「魔王様、私が襲われた人間の村までご案内しますので、一緒にご同行願えますでしょうか。歩いて3日はかかりますが、空を飛んでいけば半日で戻ってこれる距離です」
――そういうことか。ソフィはクイナからの報告を受けた後に時計を確認した。朝から書類とずっと格闘を続け、今は12時近く。現地で泊ることになるかもしれないが、それでも今から行って、明るいうちに事態が解決できる時間だった。そして何より。
「今から行かないと、明日にはストーイン側の使者が来てしまうわけか……」
リズロウは顎に手をあてて考えていた。選択肢はないが、選択肢がない事態に引きずりこまれたことがリズロウは気にくわなかった。とはいえクイナの言っていることに嘘があるとは思いづらく、事情を聞く限りは最短の行動をして今この状況になっていると判断せざる得なかった。
「……わかった。今すぐその村へ向かおう」
リズロウがクイナの方向に返事をすると、クイナは立ち上がって礼をした。
「あ……ありがとうございます!」
「ちょ……ちょっとリズロウ様……!」
ソフィはリズロウの腕をつかんだ。――そんな安請け合いしていいのかと非難する意思を込めながら。その意思を察したリズロウは逆にソフィの腕をつかんだ。
「大丈夫だ。行ってすぐ戻れば明日の使者が来るころまでには間に合う。……それより今たまってしまっている仕事をお前が片付けておいてくれ」
「……承知いたしました。……まさか書類仕事から逃げたいから受けたとか言わないでしょうね」
ソフィの邪推にリズロウは返答に詰まると、さっさと窓から飛び降りてしまった。
「あ……あーっ! ちょっとリズロウ様!」
そして竜に変身すると、外で羽ばたきながらクイナが来るのを待っていた。クイナも窓から出ようとするが、その際に振り向いて辺りを確認する。そしてソフィに小さく尋ねた。
「……あの、トシンさんはいないんですか?」
「トシン? ……ああ、今はケイナンと訓練してるころだと思うけど」
「そうですか……」
クイナは残念そうにうつむき、そして窓から飛び出していった。クイナが外に出たことを確認すると、リズロウはソフィに言う。
「頼んだぞ! ソフィ!」
そしてリズロウは大きく翼を羽ばたかせると時速80kmは出ているかというスピードで空を飛んでいく。クイナはリズロウの背中につかまって並走していった。二人が飛んで行ったのを確認し、ソフィは深くため息をついた。
「……何か嫌な予感がする」
ここまでこちら側に一切の選択権が無かったことが、ソフィには不気味に感じられた。おそらくリズロウも同様の感じを抱いたはず。だからこそ下手な部下に任せずに自分で行くこと決めたのだ。ソフィは改めてクイナから渡された書類に目を通す。――そして今気づいたのだ。見た瞬間に気づかなければならなかった一文に。
「しまった……! ストーインから来る使者の名前……! “ジュリス・ブラディ特派大使”だって……!」
そしてリズロウが空を飛んでいる最中、その真下に数頭の馬が上に人を乗せて道を走っていた。訓練された部隊のようであり、先頭に立っているのは赤い長い髪をした――人間の女性だった。