9-3
軟体亭での食事がお開きとなり、各自解散という流れになった。ケイナンは軟体亭が下宿先なのでそのままそこで泊っていく形であったが、トシンとダグも今日はケイナンと一緒に泊まっていくとのことだった。ミスティも自分の家に帰るとのことだったので、城へ帰るのはリズロウとソフィの二人きりになった。
「今日は楽しかった……」
ソフィはリズロウと並んで歩きながら、上機嫌で空を見ながら言った。
「トシンの発言にショックを受けているようだったが、まぁ元気が戻って何よりだ」
リズロウはからかうようにソフィに言い、ソフィは苦虫をつぶした顔をして答える。
「自分より子供と思ってた人が、実は自分より遥かに大人だったのはショックでしたけどね……。とはいえ流石に年齢が年齢ですし、そういった事もあるでしょ、うん」
「お前の嗜好だと、経験豊富な男は好みじゃないのか?確かこっち来たのがそれ絡みだろ?」
「う……そうですけども。ただトシンがなぁ~……うう……」
ソフィは項垂れながらトボトボと歩いていく。今日一日が楽しかったとはいえ、トシンに彼女がいた過去があるのが相当ショックであったらしい。その余りのショックの受けように、リズロウはソフィに尋ねた。
「……なぁソフィ。お前はトシンのことどう思ってるんだ?」
「…………うえっ!?」
予想してなかった質問にソフィは身体を震わせて反応した。
「い……いやいや! そんなこと考えたことありませんよ! そんな……トシンと……」
ソフィは顔を真っ赤にするが、自分がトシンにどういう対応をしてきたかを思い出し、顔に手を当てて過去を後悔する。
「……誤解されても、というかその気にさせてもおかしくないことばかりしてきましたね……私」
リズロウは頷いた。
「ああ……思春期の少年には罪なことしまくってたな……」
その後互いに無言になるが、リズロウは改めてソフィに尋ねた。
「……で、どうするんだ? トシンの事は」
「……保留にさせてください。今すぐ自分の気持ちをどうこうできないです……」
ま、そうだろうな。リズロウは自分の過去からも考えてそう思った。リズロウもこれまで酸いも甘いも多く経験してきた“大人”として、ソフィの事が少し羨ましく感じた。もう自分がそういった事をできることもないだろう。――これが大人になるってことか。娘たちの思春期に立ちやってやれなかった自分の過去を思い、そして恥じた。
「ああ、大いに悩め。そんなことできるのは今のうちだけだからな」
再びソフィとリズロウは無言になり、歩き続ける。――だがソフィは少しずつリズロウとの距離を縮めていた。そして手を伸ばそうと躊躇を何度もして手がピクピクと震える。
「…………どうした?」
リズロウはそのソフィの動きに気づいていた。――いや、正確には気づかないように自分に言い聞かせていた。ソフィは普段の聡明さが嘘のように、どう言葉を出していいかわからずに耳まで顔が赤くなっている。
「その……あの……」
――弱った。先ほどまで恋愛強者の立場としてソフィに偉そうな指導をしておいて、今度は自分が非常に困る番になってしまった。両手の指で数えきれないくらいの女の子と付き合ってきたが――いやそうじゃなくても今この場でソフィが何を求めているかは誰がどう見ても理解ができる。だが色々な要素がリズロウに手を伸ばすことを躊躇させた。多分あと20年若かったら何も考えずに手を伸ばしていたが。
「…………はぁ。わかったよ、ほら」
散々悩んだ挙句、リズロウは左手でソフィの右手を掴んでやった。触ってすぐにわかったのは体温が非常に上昇しているということ。そしてかなりの手汗が出ているということだった。
「……少し、寄り道するか?」
リズロウはソフィに尋ねると、ソフィは無言で頷いた。そして二人でなんの会話をするわけでもなく、しばらく歩き続ける。
「……ソフィは今まで、仲良くなったボーイフレンドとかはいなかったのか?」
リズロウは歩きながらソフィに尋ねた。ソフィは少し考えて首を縦に振った。
「はい……。ケイナンだけですけど」
「ケイナン? お前ら姉弟だろ?」
ソフィはリズロウからの指摘を受けて、少し経った後に自分の発言に気づいてハッとしていた。そこまでソフィの頭は回っていなかった。
「て……訂正させてください。そうですね。学校でもどちらかと言うと女の子にモテてた事もあってあまり男の子の友達いなんですよね……。ケイナンがずっと横にいたっていうのもありますけど」
「ああ、さっき話してたけど……おそらく年子ってやつか?」
「………え? ああ、そうですね。ケイナンとは同学年でしたから、年子ですね」
リズロウは妙にソフィの反応が遅いことが気になったが、単純に今の状況に頭が回っていないだけだと判断した。
「異母兄弟とかではないんだな……」
ソフィは苦笑して答える。
「異母兄弟自体はいっぱいいるんですけどね……」
ソフィの言葉にリズロウは顔面を引きつらせた。
「お前の家どうなってんだ……」
そういえばケイナンと初めて会った時、ケイナンが兄弟がいっぱいいすぎてソフィの名前が出てこなかったと言っていたことを思い出す。思わぬところで話の裏がとれたものの、余計に話す内容に困ることになってしまった。
そしてまたしばらく歩く。そのうちソフィは周囲の風景が見慣れないものになっていると気づいた。城の方角は反対方向になっていることにも全然気づいていなかった。
「……リズロウ様?」
「ああ、やっと気づいたか。少し“広め”のスペースが必要だったからな。その場所があるところまで動いてたんだ。……到着したぞ」
リズロウが足を止めると、ソフィはようやく自分がどこにいるか気づいた。町の中にある公園であり、子供が走り回って遊ぶためのスペースがそこにはあった。リズロウは手を払ってソフィを脇にどける。
「ソフィ、少し離れてろ。“ぶつかったら”痛いじゃすまないぞ」
「ぶつかる?」
ソフィはリズロウの言葉通りに少し距離を取ると、リズロウの身体が光り始めた。――そして目の眩む光とともにそこにリズロウの“人の姿”はなくなっており、“竜の姿”が顕現していた。
「さ、乗れよ。今日はいい日だ。月夜のクルージングと行こうじゃないか」
× × ×
深夜のアスクラン城下町。通りの人いなくなり、飲食店も殆どの店が灯りを落とし、営業している店も灯りが外に出ないように薄暗くしているため、月だけがアスクランを照らしていた。そんな中、煌々と町を照らす月に一つの影が差した。
「うわーっ!凄い!」
ソフィはリズロウの背中に乗りながら、アスクランの町を飛んでいた。人口30万人以上が住むこの町はアスクラン国でも最大の大きさを誇り、空に飛んでいても目を凝らしてやっと建物が無い地平が見えるほどだった。
「ははっ! どうだソフィ! いい景色だろ!?」
「ええ! こんな……景色……初めて見ました……!」
“昼はともかく”、夜に空からの景色なんてストーイン――いや人間の技術では見ることなんてできない。飛行技術は人間たちの間でも進歩はしているが、危険すぎて夜に飛ぶことなんてできないからだ。
「こうすることで喜ばない女の子はいなかったからな! 正直お前はどうかと思ったが、まあ安心したよ!」
リズロウの軽口にソフィは頬を膨らました。
「んな私だって女の子ですからね!? ……というか何ですかその慣れた言い方は!?」
「ははっ! ここは肯定的に捉えるもんだぜ!? “お前が俺の必殺テクを使うくらいの女の子”だって見初められたってさ!」
「もう!リズロウ様!」
ソフィは恥ずかしいやらなんやらでリズロウの背中を叩く。リズロウははしゃぎながらスピードを上げて空を滑空した。
「そーらびゅーん!」
「うわわわわわ!!!」
急に上がったスピードにソフィは同様しながらもリズロウに密着してしがみついた。――そしてある考えがふと頭によぎった。
「……今のスピードアップもテクニックの一つです? 密着せざるえない体勢を取らせて、胸を押し付けさせるっていう」
「……正解。急に賢くなるな……」
相変わらずリズロウはソフィの多面性が理解できなかったが、ここまで飛んである疑問が頭に浮かぶがそれを言うことはなかった。――ソフィは馬車に乗れない程に乗り物に弱いはずだ。だがここまでリズロウの背中に乗って、気持ち悪くなるそぶりを全く見せていない。ということは“馬の乗り物”限定で体調を崩すのか? ――その理由は?